第一章・1
あー、めちゃくちゃ腹が立つ。
はらわたが煮えくり返るとはこういう事を言うのだろう。それくらいにオレの気分は荒れていた。
「なんで……なんであそこで引っかかるんだよ……」
確かに自分が悪いかもしれない。自分の不用心であの事態を引き起こしてしまったのかもしれない。
でもその前に原因は本体に――いやバカ妹にあったはずだ。人のせいにするなんてよくないことは分かってる。八つ当たりするなんて最低なことだと分かってる。……でも誰かのせいにしないとオレの精神が持たないんだ。
「ホント、もう少しだったのに……あと少しで行けたのにな……」
あの時、後ほんの少しで行けたんだ。あと少しで――
「魔王をぶっ倒せたはずなんだがな……」
時は数時間前に遡る。
平凡な高校生であるオレ――村雨ハクトは、自室で昔懐かしのレトロゲームを嗜んでいた。部屋を整理整頓していた際、押入れからたまたま古いゲーム機を見つけたからだ。小学生の時に親父から受け継ぎ、学校から帰ってきてはずっと遊んでいた記憶がある思い出の一品。
当時に遊んでいた名作RPG『聖剣物語』も一緒に出てきたことだし、とオレは早速埃まみれのゲームハードを掃除し、カセットを突っ込んで起動した。
初めのほうは電源を入れても全く画面が映らなかったり、会社のロゴが出てきた瞬間にフリーズするという現象に四苦八苦していたオレだが、何度もトライするうちにやっと起動。オレはワクワク感を胸にゲームを始めた。
久しぶりにするゲームを懐かしみながら、序盤を快調に進め、さらには小学生の時にはクリアできなかった隠し要素も楽々とクリア。少年時代に戻ったかのような高揚感に包まれながら、オレは次々とダンジョンをクリアしていった。
そして物語もいよいよ佳境。ここまでで八時間くらい経っていたらしいのだが、オレはそんなこともお構いなしにラスボスの住む城へと突入する。
昔に苦戦した謎解きも思い出しながらクリアし、今までのダンジョンのボスとして君臨していた敵との戦いも苦戦しながらなんとか勝ち、奥へと進み続ける。雑魚の中でも選りすぐりの強敵との連戦(セーブはさせてくれない)や少年の頃に攻略本で調べた隠し部屋、弱いのに体力だけはかなり多く、時間稼ぎにしか感じられない中ボスなど、長い道のりを乗り越え、オレの分身はとうとう魔王の部屋の前までたどり着いた。
ここで最終確認をするためにメニュー画面を開き、ステータスを開く。すると画面に主人公の容姿や装備されているアイテム、現在のレベルなどが表示された画面が現れた。
画面の右上には小さいウインドウが表示され、主人公である青髪の女性の画像が映し出されている。その左には装備アイテムが表示されており、剣の項目には隠しダンジョンで手に入る聖剣が。鎧の欄には鍛冶屋で作ってもらえる最高の防具の名が表示されていた。
準備や良し。
絶対に魔王を倒せる自信を持って、オレの分身はラスボスのいる部屋の扉を開けた。
『来たな、勇者よ』
現代となってはベタすぎるセリフを語り始めるラスボス魔王。逆立った髪は赤く、着ている衣服も黒に金の装飾とかなり派手。体格も他の人間系キャラに比べ、少し大きく作られているようだ。
『よくぞここまで来たものだ。その実力だけは褒めてつかわそう』
それにしてもこの魔王はホント偉そうな態度だ。自分は目立った動きをしてねぇくせに。……いや大概の魔王はそんな感じか。
と、シナリオを書いた人に聞かれたら怒られそうな事を思いながら、オレは淡々とセリフ送り作業を行っていた。
『我と共に世界を支配しないか? 人間最強の貴様と魔人最強の我が組めば、世界支配など一瞬のことよ』
なんか勧誘が始まったんだが。悪徳業者丸出しの勧誘だなコレ。
そのセリフが表示されているメッセージウインドウの上に新しい窓が開かれ、そこに『ハイ』と『イイエ』の選択肢が現れた。……案外簡単に誘えそうだな勇者殿。
魔王様には悪いが、そんな勧誘お断りだね、とオレは当然『イイエ』にカーソルを合わせ、ボタンを押した。すると魔王の態度が変わり、突如として好戦的なセリフへと変わる。
『貴様、我の誘いを無下にするとは許さん!! 人間みな葬り去ってくれようぞ!!』
誘いを断っただけで人間皆殺しとか、八つ当たりにもほどがある。
決定ボタンを押すと、画面が一瞬真っ黒になり、すぐに戦闘画面に入った。魔王のグラフィックが中央に表示され、画面上部には勇者たちのHPとMPを表示したウインドウが現れる。
『我の誘いを断ったことを後悔するがいい!!』
という八つ当たりも甚だしいセリフが表示された後、戦闘が開始。
まずは勇者のターンだ。画面下部に表示されるコマンドウインドウ。その中にある『まほう』から全体攻撃力上昇の魔法を選び決定ボタンを押す。
次は魔法使い。同じく『まほう』の選択肢から氷結系最強の魔法を選択。そして次のキャラへとターンが移る。
三番目は僧侶。これも例に洩れずに『まほう』から全体の防御ステータスが上昇する技を選択し、ターンを終了。
最後は格闘家。
ここで説明しておきたいのだが、勇者、魔法使い、僧侶の三人には『まほう』というコマンドが用意されている。彼女たちは魔法を使用できるのだから当然のことだが、格闘家は魔法が使えない。よって、『まほう』コマンドは表示されていないのだ。
しかし、その代わりに格闘家には他の三人に存在しないコマンドが用意されている。『おうぎ』というコマンドだ。本来なら『まほう』と表示されている場所に、代わって『おうぎ』と表示され、格闘家固有の技を使える。……誰だ、今『なんだ結局、奥義という名の魔法じゃん』とか言った奴。全くもってその通りだ。
では戦闘の話に戻ろう。オレは『おうぎ』の選択肢から、次の攻撃の威力が二倍になる技を選んでターンを終了した。
そしてようやくそれぞれの技がぶつかるバトルシーンだ。
まずは素早さの値が高い勇者の行動から。勇者の魔法が発動し、味方全体の攻撃力がググンと上がった。
次はやはりというべきか、魔王が動く。全体に闇の魔法攻撃を仕掛け、勇者たちの体力を一割ほど削る。そして魔王は二回行動。次は通常攻撃で勇者のHPをさらに三割ほど削った。
三番目の行動は格闘家。奥義によって力を溜め、次のターンの攻撃力が倍となる。
四番目は魔法使いだ。画面全体が青く光り右方から左方へ氷の巨大な飛礫が飛来すると、ガシュという、攻撃が命中したサウンドエフェクトが流れ、そして魔王のグラフィックがコンマ五秒程度点滅する。
そして最後は僧侶のターン。勇者の時と同じく、魔法が発動した音が流れると、味方全体の防御力が上昇。これで魔王からのダメージは減る事だろう。
『兄貴ー。借りた本返したいから、後で部屋に入ってもいー?』
「ああ、いいぞー」
どこからか聞こえてきた声に生返事をしながら、オレは勇者たちの次の行動を選択していた。そして気が付かなかったのだ。これが後に起きる悪夢の始まりだとは。
コマンドを決定してバトル。それぞれのHPやMPを気にしながら、こまめに体力回復やアイテムでのMP補充を行って、ラスボスと一進一退の戦いを繰り広げた。
「よし、もうそろそろ倒せる頃だろう」
過去に経験した知識を生かし、魔王の体力はあと少しだと判断。全員にそれぞれ最強の技で挑むように指示し、後はバトルを眺めるだけとなった。
「本を返しに来たよー」
そのジャストタイミングで部屋にオレの妹である美聖が入ってきた。そこから先の光景はスローモーションのように映り、何が起きたか鮮明に覚えている。
まずは入ってきた美聖が、整理整頓中だったために床に置かれていたマンガ雑誌に躓く。
バランスを崩した妹は大きくよろけ、必死にバランスを取り戻そうとする。
すると、彼女の足がその先にあったゲーム機とコントローラーを繋ぐコードに接触。ゲーム機本体が大きく動いた。
後は昔の本体でレトロゲームをしたことがある皆さんならお分かりだろう。
テレビ画面はゲームの映像を映すことをやめ、サウンドからは心臓が止まった心電図の音にも思える、無機質なビーっ、という音が流れた。……そう、今まさにゲーム機は死んだのだ。今のゲームでは考えられない、コード接触による本体の移動によって。
「っとと、ごめん兄貴。躓いちゃって――って、兄貴?」
「………………」
そしてオレも死んだ。せっかくあそこまで行ったのに、という絶望感によって。
「兄貴、ゲームのコントローラーを持ったまま倒れてる……。どうしたんだろう?」
無だ。無の世界がオレを包んでいる。もはや何も感じない。持っているコントローラーの感触も頬に接触しているはずのカーペットの感触も。何も感じない。無とはこんなにも身近にあったものなのか。
「ま、とりあえずここに返しておくから」
聴覚が戻り、ストンという妹が本棚に本を入れたであろう音が聞こえてきた。そしてそのまま足音は本棚から扉の方へ移動し、「あ、もうそろそろご飯の時間だから準備してね」と事務報告の声を残してバタンという音が部屋に響いた。
「もうなんか……どうでもいいです……」
と、そこまでが事の顛末だ。
そして現在。あの後結局立ち上がることができず、食事を作ることができなかったオレは美聖と共に近くのファミレスへと向かっていた。
「まったくゲームがフリーズしたくらいでご飯を用意できないなんて……。兄貴はまったくもープンプン」
自分で可愛いと思っているのか、本気で怒ってもいないのに美聖は精いっぱい頬を膨らませて怒っている感じを見せようとする。
なにその態度ムカつく。オレは初めて妹に殺意を抱いたかもしれない。
「オレがアレをあそこまで進めるのに何時間かかったと思っているんだ。某課長なら数日はかかったね」
「誰? 課長って……」
あのゲーム界のプリンスを知らないとは……。コイツもまだまだ子供だという事だな。……いやまぁ知ってる知らないに大人も子供も関係ないけど。
「とりあえず、あのゲームがフリーズしたことはオレにとって一大事だったの!!」
「んー、そういうもんなのかな……」
納得のいかないような顔をする美聖。……まぁ、こいつはゲームとかしないからな。漫画とかはガンガン読むくせに。
「そういうもんなんだよ。お前が他人だったら慰謝料をふんだくるところだ全く」
「えー、兄貴と他人なんて嫌だよ。兄貴と離れたくない!」
オレの発言を間に受けた美里は、オレの腕にしがみつき、短めのポニーテールを左右に軽く揺らしながらそんなことを言った。
とうとう妹もハニートラップというものを覚えたか。……フッ、だがそんな見え透いたトラップにオレが引っかかると思うなよ。
「オーケー許す許す! 世界中がお前を許さなくてもオレがどーんと許してやる」
うん、妹に逆らうなんて無理。だって今も「ありがとうっ! 兄貴!」って無邪気な笑顔浮かべてこっちを見上げてくるんだもん。無理無理。
「あ、見えてきたよ!」
そうこうしている内に目指しているファミレスに着いたようだ。少し離れたここからでも様々な美味しそうな料理の香りが漂って来て、思わず涎が落ちそうになる。
「よーし、食べ損ねた分いっぱい食べるぞー!」
「財布の事も考えてね美聖さん」
ポケットから取り出した財布の中身を確認しながら、オレと美聖はファミレスの自動ドアをくぐったのだった。