序章
「とうとう着いたわ……。魔王のもとに……!」
艶やかに靡く青の髪。エメラルドの双眸は宝石よりも美しく、体には金のラインで縁取られた白き鎧とそれに反する黒の衣服を身に纏う。その姿はまるで聖騎士のよう。
背には純白の刀身を持ち、一切の穢れをも弾く――まさに聖剣と呼ぶにふさわしい『剣』を背負った少女が、その背丈の何倍もある頑丈な扉の前でそう呟いた。
ここまでの道のりは長かった。いくつもの謎解き要素、数々の強敵との再戦、セーブなしの強敵との連戦や無駄に時間を食われる中ボス。
他にもやたらと見つけづらい隠し部屋や誰得なやりこみ要素などが少女の目の前に立ちふさがったが、それらを全て乗り越え、ようやくここへとたどり着いた。
「やっとここまで来たわ……。倒れていった仲間のためにも私が仇を討つ……!!」
「……私たち、ここにいるのだけれど」
失礼なことを言い放つ勇者にツッコミを入れたのは、すぐ後ろについていた魔法使いだ。まるでおとぎ話に出てくるような黒いドレスを身に着け、右手には複雑な装飾が施された銀の杖。背丈は勇者より頭一つ分高く、腰まである黒髪は丁寧に手入れされてるのか、美しい光沢を放っている。
「細かいことは気にしない! 目の前のことに集中、集中!」
「……勝手に殺されたのは細かいことなのかしら?」
その二人のやり取りを見て、後ろについていた二人が思わず笑いを溢す。
「勇者様は最後までそんな感じなのか。全くこの人には敵わんな、ハッハッハ」
渋い声でそう言葉を発したのは、身長二メートル超の大男。
独特の黒い肌、数日間は剃っていないであろう白い髭。いずれも特徴と言っていいほどなのだが、一番目を引く場所はやはりその体格。身長もさることながら、岩のようにゴツゴツとした体はこの男の腕力、脚力、その他肉体的強靭さを疑いようなく誇示する。彼は人間の中で世界最強の格闘家と呼ばれていた存在だ。
「うん、そうだね」
格闘家の言葉に同意したのは僧侶である少年だった。神聖な雰囲気の白ローブを着用し、髪の色は銀色。顔も子供の様に童顔で、背の高さもこのパーティーの中で一番低い。そのため子供に見られることもあるくらいだ。
「さっさと魔王を倒しましょ! 倒してアートルム王に報告するわよ! そしてフェアヴィルング城でご馳走食べ放題……エヘヘ」
「世界平和のため、じゃないのか?」
「え、何言ってるの? あれは勝手に王が頼んできたことでしょ? 私は私のために戦うのよ!」
この人気持ちいいほど欲望に忠実だな、というツッコミを格闘家はグッと飲み込み、彼と僧侶は気持ちを入れ替えて戦闘準備を開始した。
その様子を見ながら、クスと魔法使いは微笑むと、同じく杖の手入れを行う。
三〇秒後。彼女たちの準備が完了した事を確認した勇者は分厚い鉄の扉に手をかけた。
「行くわよ! 突入!」
「「「(コクリ)」」」
彼女は手に力を籠め、その扉を開く。するとそこには――
「はぁ……だりぃな」
部屋の中央に敷かれた赤いカーペット。その赤い道の上に寝転がる一つの影。その影はこちらをちらりと見ると、再びやる気のなさそうな表情を浮かべてダランと力を抜いた。
「え、マジで来ちゃったの? 勇者様御一行」
まず目に映るのは鮮やかに輝く赤い髪だ。燃え盛るような髪は逆立ち、炎のような雰囲気を醸し出す。
体格は豪奢な服の上から見る限り、並みの人間程度にしか見えない。にも拘らず、容姿からは考えられない、ただならぬオーラを放っており、圧倒的な存在感を勇者たちに見せつけていた。……だがしかし威圧感が立派な分、行動があまりにも残念すぎて勇者たちのやる気をごっそり削る。
「……なにコレ? これが本当に魔王なの?」
「さあ?」
勇者と魔法使いの会話が聞こえたらしく、魔王は面倒くさそうに口を開く。
「コレ、とは失礼だな。コレでも一応魔王だ。……あ、自分でも言っちゃったよ」
戦闘意欲など欠片もなさそうな声調の魔王を、半眼で睨みつける勇者。だが、このままでは話は進まないと彼女たちは部屋へと一歩踏み込んだ。
「おっと、一歩入ったな? 面倒なのに入ってきやがって。これじゃ嫌でも戦わなくちゃいけなくなったじゃねぇか」
瞬間、空気が変わった。何となくやる気のないムードが漂っていた魔王の間に、シリアスな戦闘時の独特な空気が流れ始めた。一筋の冷や汗が勇者の頬を流れていく。
「やればできるじゃない。このままダラけててくれてれば楽だったけど」
「そう上手く事が運ばないのが世の理だ。子供は帰って寝てるんだな!」
ピシッ。
そんな音が勇者の頭から聞こえた気がした。
「い、言ってくれるわね……そのダサい姿がお似合いの魔王様? もしかしてその恰好がカッコいいとか思ってるの?」
再び何かが切れる音が響く。どうやら次の音源は魔王のこめかみらしい。
「ん、んだと……? えらく生意気な口をきくじゃねェか……。お前みたいな口の悪い女、絶対嫁の貰い手なんかないだろ!」
「なっ……!? い、いるわよっ!」
口論が繰り広げられる魔王の間の端っこで、完全に置いてきぼりを食らっている魔法使い、格闘家、僧侶の三人。
彼女たち二人のやり取りを見て、自分らの額から尋常じゃない量の冷や汗が流れていくのが分かった。修羅場とはこういうものなのだろうか、とそれぞれが思い馳せる。
「(…何故、あの子たちは同僚同士の口喧嘩みたいなことをしているのかしら?)」
「(知らん。オレが聞きたいくらいだ)」
「(でも、あの二人の相性が悪いことだけは分かる)」
確かに、と勇者の知らないところで勝手に心が一つになる魔法使いたち。彼女が知ったら、また違った怒りが爆発しそうだ。
「バカにしないでよね! その気になったら、三人と結婚ぐらいできるんだから! そもそも魔王にそんな心配されたくないわ!!」
「お前、何人と結婚するつもりだ……」
「アンタこそ一人寂しく城に引きこもったままじゃない! ……あ、もしかしてアンタに振り向いてくれる女の子がいないとか? それはご愁傷様。童貞魔王さん?」
「んだとテメェ!! テメェにだけは言われたくねぇ!」
「私は童貞じゃなくて処――ってなに言わせる気よ!」
「勝手に言ったんじゃねーか!」
勇者と魔王の戦いってこんなのでいいんだっけ? と魔法使いたちの脳裏にそんな感想が浮かぶ程、低レベルだった。
「このままじゃ埒があかねぇ。そろそろこっちで決着をつけようぜ」
とうとう戦闘意欲に火がついたのか、パキポキと拳を鳴らし挑発する魔王。
「いいわ……!! 私もそっちの方が手っ取り早いと思っていたところよ」
徴発を受けた勇者は背負った鞘から白き刃を、一方は突然空間に出現した黒い穴から漆黒の剣を引き抜く。その頃、魔法使いたちはすでに闘争心を失っており、壁際に一列に並んで体育座りをして二人の様子を見ていた。戦闘が始まりそうな空気になっても、もはや動く気はないらしい。というよりあの二人の戦いに巻き込まれたくない、と言うのが本音かもしれない。
「行くわよ……」
「ぶちのめす!」
二人は同時に床を蹴り、一気に間合いを詰める。そして二人の剣が激しい音を立てて重なり合った。二人の力は拮抗し、重なった刃からはギリギリと金属が擦れる音が鳴り響く。
「なかなかのバカ力らしいなゴリラ勇者……!!」
「そっちもなかなかに力あるじゃない。もやし魔王……!!」
「「んだとコラァァぁあああああああああ!!」」
ガキン、という音とともに弾かれたように二人の距離が広がった。勇者は両足と左手でブレーキをかけると再び魔王へ向かって走り出す。
魔王も勇者と同じ行動をとり、両者の距離は一気に縮まっていく。
「はぁぁぁぁあああああああああああ!!」
先に剣を動かしたのは勇者だ。身を少し前に倒し、腰に溜めた剣から居合斬りの要領で左から右へと一閃。しかし魔王はそれを跳躍して回避すると、ニヤリと笑って頭上から下方へと一気に黒き刃を振り下ろした。
地を揺るがす程の爆音があたり一面に響く。その華奢な体からは考えられない程のパワーだった。
紙一重のところで魔王の一撃を交わした勇者は、攻撃によって発生した余波でバランスを崩し、少し離れた場所で膝をついていた。唇を少し切ったようで、口の端から赤い血が顎を伝って地面へとポタポタと垂れている。
しかし、勇者もただやられているだけではなかった。同じく魔王も一筋の赤い血が頬を流れていく。
「やるな勇者。ただのゴリラ女かと思ったぜ」
「その言葉、アンタに返してやるわ。ただの引きこもりじゃなかったようね」
そうお互いを貶しながら体勢を立て直す。そして再び剣を構え、お互いの距離を詰めた。
カンっ! キンッ!! と金属特有の甲高い音がその場にいる者たちの耳をつんざき、重なる刃からは度々火花が散る。二人の攻防は相も変わらず拮抗。だがどちらかが手を誤れば、確実に致命傷を負うのは明白だった。
刹那、魔王がニヤリと笑った。勇者の脳裏に冷たいものが走る。
「後方注意だ」
激しい攻撃を放つ勇者の背中に直径五メートルほどの火球が出現。その火球は瞬く間に勇者に迫り、彼女との距離を一瞬にして縮めていく。
ジリジリと焼ける感覚が近づいてくるのを背に感じながら、勇者もまたニヤリと微笑んだ。
「なら、アンタは前方注意よ」
フワリ、と勇者の姿が実体のない霧のように消滅する。すると魔王の放った火球は目標を失い、そのまま魔王へと向かって直進した後、辺りに爆炎をまき散らした。
勇者が再び出現したのはその数秒後。立ち込めた黒煙に映し出されるように勇者の姿が浮かび上がり、それは次第に明確な輪郭を現し始める。
「さあ、早く出てきなさい。アンタがこんな簡単にやられるたまじゃないでしょ? 本気を全然見せてないのに勝手に退場なんて私が許さないわ!」
その彼女の言葉に返事をするかのように、コツ、と大理石の床を靴が叩く音が響いた。
「さすがは俺様の魔法。勇者様の魔法とは違って威力がある……!!」
体のあちこちに灰をつけ、黒煙の中から現れる魔王。態度から鑑みるにまだまだ余裕はあるらしい。
「本当に減らず口なのね。なら、こんな魔法はどうかしら?」
言って勇者が呪文を唱えると、魔王の足元に幾何学的な紋章が描かれた魔法陣が出現。それは一瞬にして輝きを増すと、大爆発を起こして爆風の嵐を呼んだ。
「さすが炎系最強魔術……。力をごっそり持って行かれる……」
勇者は思わず片膝をつく。魔力は精神力と引き換えに様々な不可思議な現象を起こす力。威力が強力なほど消費する精神力も甚大となる。
だが、その威力が絶大なのもまた事実。その証拠に部屋の一部は崩壊し、先ほどまで存在していた床に直径二〇メートルほどの大穴が空いていた。
「さすがに効きすぎたかしら?」
「――たき火かと思ったぞ」
聞こえてきたのはすぐ後ろ。マズイ、と頭が反応する前に勇者の背中に衝撃が走り、その反動で彼女は反対側の壁に大きく叩きつけられる。
「グゥ……ッ!!」
何とか体を捻って壁に肩をぶつけたことで、内臓などへのダメージは軽減したが、代わりに肩を脱臼してしまい、勇者の右腕が激痛に苛まれて使い物にならなくなってしまった。
「ふぁぁああっ……! 所詮、勇者もこんなもんか。期待はずれだなぁ……」
大きく欠伸をした魔王は、右腕をゆっくりと掲げ、地へ伏せた勇者へと掌を翳す。
「コレで幕引きといこうか」
魔王の腕の筋肉が一段と膨れ上がると、それに呼応するかのように地面が揺れ始め、それは数秒ごとに大きくなっていく。まるで地上が魔王の力に怯えているかのように。
しかし勇者たちが驚いた場所はそこではない。彼女たちの視線が集まっているのは魔王の右手。勇者に向けられたその掌に禍々しい瘴気のようなものが収束していく。
それは次第に球体に変化していき、さらには大きさを増して、最終的には人一人を余裕で包めるくらいにまで肥大化したのだ。
「ッ……!!」
あれが魔王の全力の一撃だということは聞かなくても分かる。直撃すれば、彼女たちの命は一瞬にして消え去ることだろう。いや直撃などしなくても、巻き起こる爆風だけで恐らく致命傷だ。
「そんな……事は……させない……!!」
勇者は痛む全身を無理矢理起こし、必死に呪文を唱え始める。さすがに魔法使いたちもこのままではマズイと思ったのか、
「貴方たち! 迎撃準備!」
「「お、おうっ!」」
魔法使いの言葉に格闘家と僧侶が答える。
しかし。
「遅ぇ」
彼の元を離れた黒球は吸い込まれるように勇者の元へと進んでいき、そして――
――勇者たちの視界を真っ黒に染めた。