暗闇からの目覚め
この作品は史実を基にしたフィクションです。
それ故、史実を変えていく箇所も少なからずありますので、そこの所ご理解いただけますようよろしくお願いいたします。
「……ん」
眠りを妨げる程の眩しい陽射しに、その少女は目を覚ました。薄目を開け、光に直視した目が痛いのか、怪訝に顔を染めて寝返りをうつ。
その時…
ゴツンッ
「ったぁ!」
石に額をぶつけて完全に目が覚めた少女は、額を押さえながら涙目で辺りを見回す。
そこはあまり大きいとも言えない建物の裏で、自分が外で寝て居たんだと分かった少女は苦笑した。
「何で私こんな所で寝ちゃったんだろう…」
そう笑って立ち上がるとパンパンと服に付いていた砂を払った。
「さて…と、早く帰らなくちゃ」
と一歩足を踏み出すが直ぐに立ち止まった。
「あれ? 私…私、どこに帰るんだっけ?」
帰る場所が分からない事にうろたえていた少女は、歩いているうちに分かるかもしれないと思い、宛も無く歩き出すと、近くから人の話し声が聞こえてきた。
『人が居るのかな? もしかしたら何か分かるかもしれない!』
そう思い立った少女はすぐさま人の話し声が聞こえた方へと弾かれた様に足を進めた。
「あの…」
少女は期待と少しの不安を胸におずおずとその場に居た少年と男性に話しかける。
その声に気付いたのか、二人は会話を止め一斉に此方を向いたかと思えば少女の姿を見て凍りついた。
「? え、えっと…」
二人の反応に少女は自分が何かしたかと不安になり、言葉を濁らす。
「ねえ…その格好は何? 後その髪も…」
少年の方が怪訝に眉を顰めて言葉をこぼしたので、焦って自分の着ているものを確認する少女。
『…あれ? なんで? 私、この人たちと明らかに違う…』
少女は男たちと自分を見比べ、首を傾げる。少女が着ているものはこの時代には無く、あるとすれば異人が着ているような服だった。
そして今度は髪についても考え、腰辺りまで伸びている自分の髪を一房手に持つ。
『髪…。確かにこの人たちとは違って色が薄いし、クルクルしてる。でもこれは地毛だし…』
考えても分からなかった少女は、髪から手を離し再度男たちを見る。
「君…もしかして異人?」
すると、先ほども口を開いた少年が怪訝な表情を隠そうともせず冷たい声で言い放った。
「わ…私、異人じゃありません」
少年の鋭い眼差しに声が震え、また髪を掴んだかと思えば、それをぎゅっと握り俯く。
『異人じゃない…。でも、私の格好は確かに可笑しいよね』
異人とかそんな話じゃなく、何かもっと…根本的に、可笑しい気がする…。
「まあまあ、何かやましい事があるなら、わざわざ私たちに話しかけてきたりなんてしないでしょう」
そう彼女が感じていると、重苦しい空気が流れていたその中に、穏やかで優しげな声が響いた。
その声に少女が顔を上げると、少年より幾分年上な男性の方が少女に柔らかい笑みを浮かべている。
「あ、ありがとうございます」
少年の冷遇に怯えていた少女は、優しい言葉にほっと息をつき肩の力を抜く。
「娘さん、大丈夫ですか? 私はここの塾の塾頭です。心配要りませんよ」
少女が頬を緩まし、再度感謝の言葉を告げようとすると先ほどの少年が先に口を開いた。
「ねえ、君さ、どこから来たの?」
さっきよりは棘の抜けた口調だったが、嫌味な、意地悪そうな笑みを浮かべる少年に目を向けた。
『何? この人! せっかく綺麗な顔してるのに、何でこう…人を小ばかにするような態度とるかな』
少女は心の中でそう毒づくと、少年をキッと睨み付ける。すると少年は少し驚いた顔を見せ、直ぐに楽しげな、悪戯っ子の様な不適な笑みを浮かべた。
「分かりません」
少し不貞腐れ気味に答えると、少年はまた意地悪く眉をピクリと動かした。
「へえ、分からないんだ。年端もいかない子供でもないだろうに。君…ますます怪しいね」
そう少女に近づきながら少年は疑いの目を向ける。その黒く深い目に押されながらも、少女が負けじと下から少年を睨みつけようとしたとき…
「まあまあ栄太郎、その辺にしなさい。すみませんね、娘さん。栄太郎も悪気があってした訳ではないんです」
あれのどこに悪気が無かったというのか。少女はそう思いながらも、栄太郎と呼ばれた少年から優しげな男性へと視線をかえた。
黒く長い髪を後ろでゆったりと結っている、眉がはっきりして意志が強そうだが垂れ目や雰囲気で優しい人だと分かるその人を見ていると、黒く淀んでいた心がパアッと晴れた気がした。
『良い人そうな人だな…。それに比べてこの栄太郎って言う人は…』
少女はさっきから痛いほど向けられている視線に答えるように少年をジロッと見る。
「ん? なに? 悪気があってした訳じゃないんだよ?」
クスクスと、楽しげに語尾を伸ばして笑う少年に苛立ちを通り越して呆れてきた。でも少女は負けず嫌いなのか、何か言い返そうと口を開くが、その前に男性が声をかけてきた。
「時に娘さん、家に帰らなくても大丈夫なのですか? 家の方が心配しているでしょう。送りますよ」
その優しげな声色に少女の顔は曇る。男性はそんな少女の反応に首を傾げる。
「もしかして、迷子?」
栄太郎の言葉に少女は顔を赤らめて俯いてしまった。
「大丈夫ですよ。住んでいる地名だけ教えてくださればそこまで送り…」
「違うんです…」
少女を宥めるように声をかけた男性の声を少女は遮る。
「分からない、んです」
蚊が鳴くような、消え入りそうな声に男二人は顔を見合わせる。
「それじゃあ娘さん、貴女の名前は何と言うのですか?」
気をきかした男性が訊ねると少女は少し思案した後、力なく首を振った。
「あの…ご、ごめんなさい。本当に何も…分からないんです…」
場に暫しの沈黙がながれる。
少女が嘘をついている様子は無い。それは彼女の様子から、二人ともよく分かっていた。
そして彼女自身、どうして自分のことがこんなにも分からないのかと、言い表しようの無い不安と疑問を胸に抱いていた。
「うーん、困りましたねえ……」
男性は右手を顎にあて、少女にとって何か最善の方法はないかと脳を働かせる。
「わ、私、辺りを歩いてみます。何か思い出せるかもしれませんし…」
少女は顔を上げると無理した笑みを顔に貼り付けた。
「それも良いかもしれませんね。でも何も分からなかったらここに戻ってきなさい」
少女はその言葉に小さく頷き、会釈をすると踵を返した。
しかし辺りにはやはり自分と同じような者は居らず、非難の目や後ろ指を指されるうちに足取りは重くなり、終いには止まってしまった。
分かった事といえば、自分が居た場所はここじゃない。もっと違う場所だったんじゃないかということと、自分はここの『世界』の住民じゃないこと…。
少女はそう感じたのがなぜかも分からぬまま、町人たちから逃げるようにもと来た道へと走り去った。
◆◇◆
「このままここにいればいいのですよ」
逃げ去るようにして帰ってきた少女を、男性は何も言わず抱きしめるとそう囁いた。少女はきっと帰ってくるだろうと思い、二人は彼女が歩いていってからもここで待っていたのだ。
男性の言葉に栄太郎は少し非難の目を向けるが貴方がそう言うなら…と文句は言わなかった。
「ありがとう…ございます」
少女は押し殺したように泣き、嗚咽交じりに感謝の言葉を告げる。
「いいえ、今日から貴女は私たちの家族も同然です。ここで立ち話もなんですから中へ入りましょう。栄太郎、少し貴方の袴を借りても良いですか? それと文を呼んできてください」
「…はい。もちろんです、先生」
栄太郎は男性の胸に顔を埋めている少女を一瞥すると笑顔を見せて塾の中へと入っていった。
その後少女は男性の部屋だと思われる場所へと通され、座るように促されたので戸惑いながらも少し端の方に腰を下ろした。
「そんなに緊張しなくてもいいんですよ。私はここ、松下村塾の塾頭、吉田松陰といいます。貴女は…あ、そうでした…」
松陰は柔らかい笑みを見せると頭を少し掻く。幾分落ち着いてきた少女はその行動に首を傾げた。
「娘さんの名前を決めなければいけませんね。自分で好きな名前を決めたら良いでしょう」
その言葉に松陰のさっきの行動の意味が分かったのか納得した顔を見せる少女。そして少し考えた後に松陰の向かって顔を向けると、
「あの、私の名前、吉田先生につけてもらいたいです」そう言って笑った。
「私ですか? うーん、これは重大だ…」
松陰は本気で考えながら右手を顎に当て、視線を上へと向かせる。
そして暫く考えた後、少女に向き直った。
「陽菜という名前はどうでしょう? 今日は、とても暖かな陽が差し込む日でした。それに貴女は、その暖かな太陽のように人の心を暖かくさせる笑顔や雰囲気をもっています。貴女の綺麗な髪と目の色にもあいますし、それに今日はひな祭りなんです。さしずめ貴女はお雛様ですね」
松陰はにっこり笑って少女の反応を見る。
少女はきょとんとした顔を見せたと思えば名前の由来やひな祭りだということに顔を綻ばせた。
「陽菜ですか? すごく素敵です! ありがとうございます!」
少女…陽菜は輝かんばかりの笑顔を見せると何度も松陰に頭を下げた。
「やっぱり陽菜ちゃんの笑顔は太陽みたいですね。そろそろ栄太郎も来たみたいです」
すると部屋の襖が開き、黒色の袴を持った栄太郎と綺麗な女性が部屋へとはいってきた。
「松陰先生、袴持って来ました」
「ありがとう栄太郎。文、事情は聞きましたか?」
松陰は栄太郎から袴を受け取ると綺麗な女性…文に声をかけた。
「はい。栄太郎君から聞きました」
ほんわかした声が部屋に響く。
『吉田先生の妹さんかな…?』
事実は明らかではないが、雰囲気や垂れ目が松陰に似ていて、陽菜は心の中で予想という確信を感じていた。
「初めまして。吉田松陰の妹のお文と申します」
文は松陰に似た柔らかな笑みを陽菜に向ける。
「わ、私は先ほど吉田先生に名を頂いた陽菜といいます。よ、よろしくお願いします」
「ふふっ、そんなに緊張しないでください。お陽菜ちゃん、これから塾の一員、家族としてよろしくおねがいしますね」
笑みを含んだその声に陽菜は礼をしていた顔を上げる。
「あ、ありがとうございます…」
こんな異型だろう自分に優しく接してくれることに涙が出そうになりながらも、陽菜は必至にそれを堪え、もう一度深く頭を下げた。
この作品をお手に取っていただきありがとうございます。
最後までお付き合い願えれば光栄です。