第5話 タマの登場
その次の日の朝。
台所で包丁が規則正しく、まな板を叩く音でソウケンは目覚めた。
さすがに部屋を共にするわけにもいかず、ソウケンは囲炉裏の間で座布団を抱くように眠った。
そんなわけで、体が冷え切り身震いをしながら片手で体を支えて起き上がる。
台所を隔てている襖は開け放たれ、そこで料理を拵えている一人の女性が目に入った。
「まったく、お前も飽きないな」
ソウケンは、朝の挨拶もせず馴れ馴れしくその背に向かって話しかけた。
すると、女性はいったん包丁を使う手を止め、前掛けで手を拭きながらこちらへ振り返った。
「へへ。オイラは義理堅いのさ。それにしてもソウさんが今の今まで眠ってるなんて珍しいね。昨日、深酒でもしたんですかい?」
見目は、美しい町娘のそれなのだが、声は野太く中年男性のようである。
その不自然さは異様そのものだが、ソウケンはそれを気にも留めない。
「いや、客人があってな。寝間はその方に譲っているのだ」
「ほへ~。ソウさんに客人なんて珍しいを超えて初めてのことじゃねぇですかい?」
その問いにソウケンは苦笑して見せる。
「まぁいろいろ訳があるのだ」
ソウケンは立ち上がり、そっと寝間を覗く。中には昨夜とまったく同じ仰向けの姿勢のまま眠っているリッカがいた。
「あら、女の人だ」
同じように襖の隙間からリッカを覗く娘。
「これ! タマ、覗きはいかんぞ」
どうやら、この奇妙な女性はタマという名前らしい。
「そういう、ソウさんだって……」
「いや、これは……もしかしたら昨日の事は夢なのではないかと思ってだな……」
しどろもどろになりながらも、なぜかソウケンは眠るリッカに手を合わせた。
「ちょっとソウさん何してるんですかい?」
「いや、眠る姿が天女のようだと思ってな。彼女はもしや現人神やもしれん」
ソウケン達が騒がしかったのか、リッカの目がぱちりと開く。
「ここ……どこ?」
横になったまま瞳だけをギョロギョロと動かす。
「お、面白いお人ですね? 寝ぼけているんでやすかね?」
タマの言葉は耳の隅にでも置いておいて、ソウケンはリッカに語り掛ける。
「おはようございます。リッカ殿。ここは我が屋敷。昨夜アカツナ様の願いにより宿を貸しておるのだが、覚えておられるか?」
「ん。思い出した」
依然として、眠ったままの姿勢のリッカ。
「どうされた?」
「体、動かない」
顔色変えず窮地を訴えるリッカに慌てて駆け寄るソウケン。
「大丈夫か?」
顔を覗くと、顔色はそこまで悪くない。
リッカは自分は大丈夫だと、伝えようと口を開いた瞬間……
グゥゥゥゥウウウ……と大きな腹の虫が嘶いた。
「おろ?」
「天女様も腹減りかい。ちょっと待ってておくんな」
すぐさまタマは中断していた朝食の準備を再開しだした。それを見計らったソウケンは、起き上がれぬリッカに肩を貸す。
「どれくらい飯を抜いておるのだ?」
「えっと……ヤマトに来てからは何も食べてない」
「え!? そんな昨日今日来たわけではないのだろ?」
「ええ。一月ほど前に来た」
「ひ、ひ、一月!! そんなに食べてないなら死んでしまう。タマ! はよう朝餉の準備を!!」
「あーい。ただいまぁ」
汁物を椀に注ぎながらタマが返事をした。
「この国、魔素が無いのを忘れてた」
「まそ?」
再び聞きなれない言葉が出てきたと、ソウケンは身構える。
「そう魔素。私は魔素があれば一月くらい何も食べなくても大丈夫」
「そんな神秘の食べ物が大陸には存在しているのか?」
謎の感心を浮かべつつ「どうだ、座れるか?」とリッカを座布団の上に座らせてやる。
ゆっくりと尻から下ろしてやるとへにゃりとしながらも何とか座ることが出来た。
「魔素は食べ物じゃない。魂の残滓って言われてる。それが大陸では見えないけど空気のようにそこら中を漂ってる。私はそれを効率的に吸収できるから、食事はあまり必要なかった」
魔素なるものにこれっぽちもピンと来ないソウケンを置いて、朝食の準備が終わったタマが会話に参加する。
「ほへえ。やっぱりそちらさんは大陸のお方でしたか。ほい、どうぞ」
タマは、真っ先に客人であるリッカの前に朝餉の粥の入った膳を置いた。
「む。やはりとは、タマもすぐにリッカ殿が大陸の者だと分かったのか?」
「当たり前ですよぉ。顔立ちもオイラ達と違いますし服だって全くの別物。ソウさんくらいでしょうよ、気付かないのは……」
昨日のことを見ていたのかとでもいう風にずばりとソウケンの朴念仁具合を言い当てる。
リッカが使い慣れぬ箸に悪戦苦闘しているのを見かねてタマは台所から木製の匙を持ってきて、それを手渡してやる。
「ありがと」
匙を使いリッカは一心不乱に粥を口に運ぶ。
「ソウさんもこれくらい素直ならいいんですけどねぇ?」
その様子を見ていたタマがもの言いたげな目線をソウケンに送る。
ソウケンもリッカと同じく慣れぬ左手で粥を箸で口に運べば、そのほとんどが畳の染みとなっていた。
「むむ……。匙で食べるなど童のようではないか」
それを聞いていたリッカがいったん手を止め、持っていた匙をソウケンに見せる。
「これは子供? 違う。食べ物をこぼす方が子供」
八百年生きるエルフのリッカにとって二十そこらなど若造を通り越してまだ赤子同然。
子供を諭すようにソウケンを窘めれば、タマもその意見に同乗する。
「そうですよ。武士は食わねど高楊枝、何て言いやすが、こりゃソウケンは粥をこぼせど箸使うってね。あーあ、こぼれた粥がもったいねぇなぁ」
タマの皮肉にソウケンは堪らず降参の姿勢を見せる。
「わかった、わかった。拙者の負けだ。タマ、拙者にも匙を頼めるか?」
「まったく、最初からそうすれば良いのに……」
ぶつぶつと文句を言いつつも、タマは台所からリッカと同じ作りの匙を持ってきて、ソウケンに渡してやる。
「かたじけない」
タマに礼を言ってソウケンも朝食を再開した。
その様子を満足そうにウンウンと頷くタマを見て、リッカが疑問に思っていたことを口に出した。
「あなたは誰? ソウケンのお嫁さん?」
「ぶっ!! タマが拙者の嫁ぇ!!? 違う違う!! リッカ殿、悪い冗談はやめてくれ」
粥を吹き出しそうになったソウケンに妙に演技がかった様子でタマがしなだれかかる。
「良いじゃないですかい、ソウさん。この際、オイラと祝言あげますか?」
「やめい。ひっつくな。粥がこぼれるであろう」
ソウケンは、寄りかかるタマを心底鬱陶しそうに匙を持つ左手の肘で押し返していた。
それを見てリッカがポツリ。
「仲良さそう」
「勘弁してくれ。タマはこんな見てくれをしているが、そのぉ、男……というか……雄というか……タマ、言っても良いだろうか?」
「ええ、かまいませんぜ。この方、悪い人にも見えませんし」
きょとんとした顔をするリッカにソウケンは匙を一旦置いて向き合うと、おほんと咳払いしてタマの紹介を始めた。
「これにあるは見た目は町娘だが、何を隠そうその正体は雄狸の玉三郎なのだ。かつて、罠にかかっていたのを助けたところ妙に懐かれてしまって、今では、身の回りの世話をしてくれているのだ」
それを受けてタマが「えっへん!」と胸を張る。
「そ、オイラは義理堅い任侠重んじる狸なんですよ」
「たぬき?オス?」
事態が読めぬリッカは、まじまじと正座して座るタマを見る。その姿はどこをどう見ても愛嬌のある町娘にしか見えない。
タマは得意満面に立ち上がると大股を開いて、「ちょいと失礼して」と大見栄を切り出した。
「おひけぇなすって、おひけぇなすって。このべっぴんが狸と信じられないのも道理ってぇもんだい。しかし、正真正銘オイラは狸。かの八百八狸が総大将、イヌガミギョウブが甥、その名をタマサブロウと発します」
言い終わるとタマは、クルリ空中を回って見せれば、たちまちドロンと煙と共にその姿は狸に変わっていた。
そして、その股座には立派な玉々が二つ。
普通の人ならたまげそうなものだが、やはり長い時を生きるリッカの顔色は変わらない。
「なんで女性に化ける?」
「そりゃ世話するのに、狸のままじゃ不便じゃありませんか? それに、どうせ世話されるならソウさんも可愛らしい女が良いかと思いまして、ね?」
どこから取り出したか、葛の葉っぱを頭にちょこんと載せて一回転。再び女性の姿に戻った。
「魔法?」
「バカ言っちゃいけねぇや。これは俺たち狸が、長年掛けて会得した変化の術ってんだい。大陸のみょうちきりんな技と一緒にされちゃ困るぜ」
みょうちきりんなんて言われれば腹も立ちそうなものなのだが、それよりもタマの変化の術に俄然興味がわいたようで、着物を触ったり、頬を撫でたりと忙しそうにする。
その様子を我関せずと、一人黙々と粥を口に運ぶソウケン。
一通りタマの検分が済んだようで、リッカも再び椀の前に戻ってきた。
タマはリッカにいじくられた着物のしわを伸ばしながら尋ねる。
「それじゃ今度はこっちの番ってことで一つ。ソウさん、こちらの女性のご紹介をば……」
「おお、そうであった。こちらは大陸からこられたリッカ……ろた?リッカ……」
「リッカロッカ。リッカで良い」
リッカはタマに向かって軽くぺこりと頭を下げる。
「おお、これはこれはご丁寧に。オイラもタマと呼んでおくんなまし」
タマは何を思ったのか三つ指そろえて深々とリッカに頭を下げた。
リッカもそれに答えるように真似して頭を下げる。
それを受けタマも再び頭を下げる。それを見て、再びリッカも頭を下げる。ペコペコペコ……とお互いが頭を下げ合うこと数度、見かねたソウケンが割って入る。
「それは楽しいのか?」
ソウケンの問いにリッカは小首をかしげる。
「さぁ?」
タマは悪戯気に笑う。
「イヒヒヒ。ついですよ、つい。じゃ、皆さん食べ終わりましたね。片付けますんで、各自、椀を台所まで持ってきてください」
二人は先頭をソウケン、そのあとをリッカが行儀よく一列に並んで台所に置かれた水の張った盥に食器を付けておいた。
いつもなら、自分一人の椀が沈む盥の中に、もう一つ別の椀が沈んでいく様をソウケンはどこか寂しげな表情でしばらく眺めていた。




