第2話 ごぶ……いん? との遭遇
「グギャ……グギャギャギャ!!」
なんとソウケンの前に姿を見せたのは身長は彼の腰ほどしかなく、どぶ川に浮かぶ藻を想起させるくすんだ緑の肌を持つ異形の者であった。
身に着けているものと言えば腰に巻かれたボロ布一枚と手には棍棒を持っていた。目と目の間隔は離れ、小さくヤギの瞳のように横に長い黒目が怪しく光る。
「おろ? 狐かと思うたら童ではないか。坊、どこの子だい?」
間抜けなことにソウケンは、異常な外見を気にする素振りもなく迷子の子供と勘違いを始めてしまった。
なんと、子供が怖がらぬように腰を折り、目線を合わせて何事かと問いだしたのだ。
「ギャ!! ギャギャ、ギャ!」
「ぎゃあぎゃあと、もしや、お主…………泣いておるのか? そうか、そうか。可哀そうにの……。拙者がすぐ、おっかさんのとこに連れてってやろう」
涙一つ流していないのに、ソウケンには、この異形がどう見えているのか不思議になってくる。
しかし、至ってソウケンは真面目であった。
そっと左手を差し出してやるが、相手はそんな機微を感じるような者ではない。
手に持つ棍棒をソウケンの頭目掛け、力いっぱいに振り下ろすのだ。
「おわっ!!」
たまらず後ろに飛び跳ね難を逃れるが、不覚にも石に躓き、泉の中に尻もちをついて袴がビショビショに濡れてしまった。
「お前ら、さては……野盗か!!?」
未だ続くソウケンの勘違い。
「やめなさい。子供の時分生きていくのは大変だと思う。しかし、諦めてはならん!! 人の道を踏み外して野盗など……っ!」
にじり寄る緑の小人が、とどめを刺そうと再び棍棒を振り上げた。
ソウケンはそれを防ごうと顔の前に腕を差し出す。
振り下ろされた棍棒は、小さな体躯からは想像できないような膂力が秘められ、その勢いは当たれば確実に頭蓋は砕け散る。
しかし、その棍棒は、ソウケンの頭に届く前に空を飛んだ。
いや、棍棒だけでなく胴体から見事に二つされ一瞬でこと切れていた。
それを成した者は一陣の風を纏いてソウケンの置いた籠の横に佇んでいた。
ハイエルフの女性、リッカロッカだ。
風に踊る白銀の髪を押さえ、緑の小人を切ったレイピアを流麗な動きで鞘へと納めると、ソウケンと向き合う。
「だいじょう……」
彼女が大丈夫かと尋ねようとした矢先、ソウケンが言葉を遮る形で怒鳴りつけた。
「こら!! どんなに悪童だろうと子どもを切る奴があるか!! ああ、可哀そうに……」
助けたはずの男に怒鳴りつけられ、リッカロッカは久方ぶりの驚きの感覚を得た。
「あの……」
ソウケンは必死に、緑の小人に向けて「ナンマイダブ、ナンマイダブ……」と唱えている。
再びリッカロッカはソウケンに声を掛ける。今度は先ほどよりも大きな声で。
「あの」
「なんだ? 今、拙者はこの者を供養しておるのだ。名も知らぬ童よ、拙者は坊主ではないが。すまん、これで許せよ。ナムナムナム……」
「それ、子供じゃない」
「へ?」
ソウケンは念仏を途中辞めにして、リッカロッカが指さす二つに断たれた緑の小人の死体へ目をやる。
不思議なことに死体は燃やしてもいないのに突如煙を上げ、地面へと溶けていくかのように跡形もなく消え去った。
「な、なんと……こやつら、妖の類であったか。……はぁ。よく考えれば地獄絵図に描かれた餓鬼畜生に似ておった。まぁ、なんにしろ念仏唱えて問題はなかろ? あ、あは、あははは」
ソウケンは勘違いしていたことに恥ずかしくなり、照れ隠しに無理やり笑って見せる。
「あれは、餓鬼じゃない。ゴブリン。モンスター」
「ごぶ……いん? もんす……たあ? 聞き慣れぬ言葉だな。それよりも、助太刀かたじけない。この命助かったのは、貴女のお陰。まこと礼を言う」
「いい。私がゴブリンを取り逃がしたから、あなたが襲われた。だから……」
「いやいや、みなまで申されるな。こうして命救われたのだから、やはり貴女のお陰だ。ありがとう」
ソウケンは深く深く頭を下げた。
「何故、戦わなかった?」
新緑の瞳がソウケンの腰の左に差している打刀をじっと見つめていた。
「ん? ああ、これか? これは、錆びついて抜くことが出来んのだ。まぁ言ってみればただの飾りだな」
柄の頭に付けた鈴も壊れているのか、いくら刀を揺すろうともリンと鳴ることは無い。
ソウケンは思った。
(なんと不思議な人か)
この失われた右腕を見てもなお、なぜ戦わないのかと問うた人間は初めてであったのだ。
「……そう」
返事を聞くとソウケンについて興味を失くしたのか、リッカは別れの言葉を交わすことなく再び森の奥へと消えていった。
ソウケンは、しばらくその背中を見送っていたが、小さな風がソウケンの下を吹き抜け、濡れた袴がやけに冷えた。
「うう。寒い寒い。一度、家に戻ろう」
急いで置いていた背負い籠を担ぐと狐に案内された道を逆から手繰るようにそそくさと帰り路に着くのだった。
薬草を名主であるセッカイに届けた晩。
昨日の残り物の薄い粥をソウケンは懸命に箸で口に運んでいた時の事だった。
「御免!!」
外から声がかかる。
もともと村の人は寄り付かぬ森の中。こんな夜分に人が訪れるなど珍しいを通り越して初めての事だった。
ソウケンは急いで床にこぼした粥をふき取ると、「しばしお待ちを」と外の客人に向かって返事をした。
蝋を塗り忘れた引き戸がガタガタと音を立てながら開けば、冷たい夜風と共に左目に眼帯を掛けた身なりの良い侍が立っていた。
彼は衣笠藩剣術指南役、野牛十兵衛明綱。
「ややっ!! こんなあばら家にアカツナ様が来られるとは……」
ソウケンはすぐさま頭を床に伏せた。アカツナは持っていた提灯の火を吹き消すと、土間の上がり框に腰掛ける。
「待たれよ、ソウケン。そんなかしこまられるな。あの苛烈極まる合戦場で共に剣を振るった仲ではないか」
「いえいえ、滅相もございません。拙者なんぞ戦場の末端を汚しただけの身。アカツナ様と共になどとは恐れ多い」
ソウケンの謙遜に次ぐ謙遜にアカツナは苦笑いを浮かべ、このままでは話が進まぬと話題を変えることにした。
「はぁ……まあ、そういう事にしておこう。それよりも顔を上げてくれないか。私は今日はソウケンに頼みがあってやってきたのだが、そう頭を下げられたままでは頼みがしにくい」
「ああ、それは申し訳ござらん」
やっと、ソウケンは頭を上げてアカツナと顔を合わせる。
上がり框に腰掛けているアカツナはソウケンと目が合うと、外に向かって声を掛けた。
「おおい、入ってきてはくれまいか?」
ソウケンもアカツナに倣い戸の外を見る。そこに広がるは漆黒の闇だけのように思われた。




