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バルモラ騎士団  作者: Rinchu
第一章 領主の憂慮と死の言葉
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第2話 鉄錆

ロペス警部は、血の匂いが充満したその部屋に足を踏み入れた。


キッチンカウンターの脇には、男女一人ずつが血溜まりの中に倒れている

原形を留めないほどに破壊されたその身体は、明らかに強い外力による重度の損傷を受けていた。


血液はすでにほとんど流れ尽くし、異様に鋭利な傷口の周囲で黒く凝固し始めている。

内臓や骨片は部屋中に撒き散らされ、まるで人形から引きずり出された綿のようだった。


その光景を目にした新人警官の一人は、足がすくみ、そのまま転がるように外へ飛び出すと、パトカーの横で嘔吐した。


ロペスは袖口で口元と鼻を覆った。

鼻を突く血臭は、思考と判断を鈍らせる。


午前五時過ぎ。

ゴミ出しに外へ出た近隣住民が、ゴンサレス家の正面玄関が無惨に破壊されているのを発見した。

不審に思って近づいた彼女は、その場でこの惨状を目撃したという。


恐怖のあまり、通報の際にはまともな文章を口にすることすらできなかったらしい。

少し落ち着いた後、彼女は警察にこう証言した。


昨夜、ゴンサレス家の近くで、被害者二人が激しく口論しているのを聞いたのだと。

その最中、二人は互いに「死ね」と罵り合っていたという。


「……なあ。俺、この町に異動してきたの、こんな事件を処理するためじゃなかったんだが……」

アロンソ警官は呆然とした様子でその場に立ち尽くしていた。


「傷は深いが、どれも不規則だ。

急所は確かに押さえているが、怨恨による執拗な犯行には見えない……」


「さすがだな。入って早々、もうプロファイリングか」

アロンソは、独り言のようにつぶやくロペスを見て、同僚の職業意識に感心したように言った。

その時だった。


遺体と証拠品の撮影を行っていた鑑識の一人が、何かに気づいたように声を上げた。

「傷口の周囲と……切断面に付着しているこれは……

鉄錆の、破片です!」





午前十時半。


バルモラ中学校では、教室の扉が一斉に開き、子どもたちが廊下へと雪崩れ出てきた。

彼らはベンチや芝生に腰を下ろし、友人と談笑しながら、三十分の休み時間のうちに間食を済ませようとしている。


「昨日の夜、悠真と結愛、それに友だちと一緒に、Minecraftで城邦を作ったんだって。

少なくとも本人たちはそう言ってたよ」


望は小さなポテトチップスの袋を開けながら、アルバとダリルに笑顔で話した。


「どういうわけか、他のみんなを説得して、城主にまでなったらしい。

でも夜更かししすぎて、父に怒られちゃってさ。

完全にタブレットを没収されなかっただけ、まだマシだけど。

そうじゃなきゃ、二人の“城主としての統治”は終わってたね」


「でも父も、そこまで本気で怒ってたわけじゃないみたい。

ユウマとユアが城主になりたがったの、日本の時代劇を一緒に観た影響らしいから」


「望のパパ、本当に時代劇好きだよね。

この前うちに来たときも、《独眼竜政宗》のBlu-ray DVDを、うちのパパたちに貸してたし」

アルバはそう言って、クッキーを一枚口に放り込んだ。


ダリルがスマホを操作する。

「《独眼竜政宗》……あ、出てきた。

えっ、1987年のドラマ? めちゃくちゃ古いじゃん」


三人は同時に笑い出した。


「……あの、すみません。

ここ、座ってもいいですか?」

控えめな声が、すぐそばから聞こえた。


あまりにも小さく、三人は一瞬聞き逃しそうになったほどだ。

笑いを止め、声の方を見る。


そこに立っていたのは、地味で時代遅れのワンピースとコートを着た、巻き髪の少女だった。

クラフト紙に包まれたパンを抱え、小麦色の肌はなぜかひどく青白く見えた。


「あっ! 今朝転校してきた、エレナでしょ!」

最初に反応したのはアルバだった。

「もちろん! どうぞどうぞ!」


エレナはゆっくりと腰を下ろし、三人の視線が合った瞬間、はっきりと目を逸らした。

「……ありがとうございます」

「私はアルバ。よろしくね!

こっちは望、それからダリル」


簡単な挨拶が交わされる。


「その……私、人と話すのがあまり得意じゃなくて……

さっきも、クラスの子たちが話しかけてくれたんですけど、何て言えばいいかわからなくて……

そしたら、みんな戻っていっちゃって……」


「気にしなくていいよ。

話す相手が見つからなかったら、私たちのところに来なよ」

アルバはエレナの方へ、少し身を寄せた。


「まあ、俺たちも社交的とは言えないけどね。

小学校の頃からずっと、こんな感じだし」

ダリルが苦笑する。


「ちょっと! 余計なこと言わないの!」

アルバはダリルの腕を軽く殴り、すぐに笑顔でエレナに向き直った。

「ねえ、放課後、時間ある?

町を少し歩かない?」


その時、望が小さく手を挙げた。

「ごめん。今日は放課後、陸上の練習があるんだ」


「……それなら。

もしよければ、練習を見に行ってもいいですか?」

エレナは真剣な眼差しで望を見た。


「俺も行こうかな。

どうせ暇だし、すぐ家に帰って宿題する気もないし」

ダリルが同調する。


「あ、うん。もちろん。

ただ、練習中はトラックの端か、観客席にいてもらえると助かるけど」

「決まりだね!

放課後は、みんなで望の練習を見に行こう!」

アルバが手を叩いて宣言した。





放課後。

アルバ、ダリル、エレナは、校庭脇のベンチに並んで座り、

スタート地点でトレーニング用の義足を調整する望を見ていた。


「望、走るのすごく速いんだよ!

本当に、びっくりするくらい!」

アルバは興奮気味にエレナへ説明する。

「もうウォーミングアップは終わってるし、

スタートの号砲が鳴ったら、稲妻みたいに飛び出すから!」


望はスタート姿勢を取り、二百メートル先のゴールをまっすぐ見据えた。


「パンッ!」


号砲と同時に、望と他の走者たちは一斉に走り出す。


彼女の足取りは安定していて速く、すぐに何人もの生徒を引き離した。

百五十メートルを過ぎた頃には、先頭集団の一角に食い込んでいる。


「……すごい。かっこいい……」

エレナは見惚れていた。


その時だった。

望の隣を走っていた一人の男子生徒が、わざと距離を詰め、肘で彼女を強く突いた。


バランスを崩した望は、前のめりに倒れ込む。

その男子生徒は、望が止まったのを確認すると、笑みを浮かべてそのまま走り去った。


「望!」

アルバが勢いよく立ち上がり、倒れた望を突いた少年を睨みつける。

「……またあいつだ!

あのクソ野郎、マティオ・ディアス! 町長の息子!」


望はすぐに立ち上がったが、すでに大半の走者に追い抜かれていた。

前方を走る子どもたちの背中を沈んだ表情で見つめながら、彼女は最後まで走り切った。

息を整えながら、心配して駆け寄ってきたコーチを適当にあしらう。


「なあ、望・河野。

義足、壊れてんじゃないのか?

こんな平らなトラックで転ぶなんてさ」


マティオ・ディアス――望にぶつかったその少年は、年上の取り巻きを連れて、にやにやと近づいてくる。


「コーチに言ってやろうか?

しばらく休ませた方がいいって。

……卒業まで、ずっとな」


「結構よ、マティオ。

自分の心配でもしてなさい」


望は彼の痩せた顔を睨み、声を低くする。


「私は、走りながら他人にちょっかい出すようなこと、しないだけ」


マティオの表情が歪み、一歩踏み出した。


「てめえ、口の利き方に気をつけろよ、クソ女!

俺が親父に一言言えば、お前の日本人の父親なんて、この町じゃ仕事できなくなるんだぞ!」

その顔に、いやらしい笑みが張り付く。

「東アジアの顔。女。しかも片脚がない。

それでも中学に上がる前からこのトラックを走れてた……

どれだけ速かろうが関係ねえ。

お前が陸上に入れたのは、クソみたいな“ポリコレ”のおかげだろ!」


周囲の生徒や教師たちは、不安そうに望を見たが、すぐに目を逸らした。

巻き込まれることを恐れて。


「望、大丈夫!?」

アルバが二人を連れて駆け寄る。

「マティオ……!」


「アルバ! 久しぶりだな。

お前の“パパたち”、最近どうだ?」


マティオは嘲るように笑った。


「もし関係がうまくいってないならさ、

親父に頼んで、若くてエロい女でも紹介してやろうか?

そうすりゃ、他の男なんて考えなくなるかもな!」


「ははははは!」


マティオと取り巻きたちは下品に笑い声を上げる。


言い返そうとしたアルバは、ふと黙り込んだ。

自分の父親たちの職場――

一人は町のワイナリー、もう一人は浄水施設。


どちらも、町長一家の影響下にある。


「それに、お前だよダリル。

最近、俺たちとつるまなくなったな?」


マティオは鼻をつまみ、ふざけた仕草をする。


「なんか臭わねえ?

カリブの匂いってやつ?

肌が黒すぎるせいじゃねえの?」


ダリルの肩が小刻みに震えた。

忘れたくても忘れられない記憶が、脳裏に蘇る。


その時――


望が、低く日本語を呟いた。


「……Shine(死ね)」


「……何て言った?」

マティオが聞き返す。


「――死ねって言ったんだよ!」

望は、ついに叫んだ。


その言葉が吐き出された瞬間、

背後にいたエレナの背筋を、ぞくりとした寒気が走った。


全身の産毛が逆立ち、

獅子の紋章が、再び視界にちらつく。


これまで感じていた“視線”とは違う。

より鋭く、より恐ろしい何か。


彼女は無意識のうちに、遠くの電柱へと視線を向けた。

まるで、そこに“何か”が張り付いているかのように。





その夜。


マティオはディアス家の豪邸へ戻り、玄関を開けるなり悪態をついた。


「……あのクソ女。

河野一家は終わりだ」


父である町長の番号に何度も電話をかけるが、すべて電源が切れている。


「クソッ!」


苛立ちを募らせながら暗い屋内へ入ると、

キッチンだけが明かりに照らされていた。


大理石のアイランドカウンターの向こうで、中年の女が酒を飲んでいる。


「母さん!

父さんはどこだ!?

電話に出ねえ!」


マティオは乱暴に問い詰めた。


母親はちらりと彼を見ただけで言う。


「全部繋がらない?

なら、若い愛人秘書とよろしくやってるんでしょうよ」


彼女は小さく笑う。


「私より若くて、“話を聞くのが上手”なんですもの。

朝まで待ちなさい。

そのうち電話も繋がるでしょう」


「クソが!」


マティオはスマホを床に叩きつけた。

不快な音が、広い部屋に響く。


女は何も言わず、顔を背けて酒を飲み続ける。


自室へ戻ったマティオは、ヘッドホンを付け、

ゲームの中で怒鳴り散らし始めた。


汗だくになりながらコントローラーを握り、

顔は真っ赤だ。


――だが、次の瞬間。


彼の顔から、さっと血の気が引いた。


腹部に、ざらついた、冷たい痛みが走ったのだ。


翌朝。

マティオの母親が警察に通報した。


遺体からは、

鉄錆の痕跡が検出された。

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