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バルモラ騎士団  作者: Rinchu
第一章 領主の憂慮と死の言葉
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第1話 最後の安らぎ

薄暗い山道。四方を取り囲むように立ち並ぶ森。


――また、この夢なの?


走るのがつらい。体が重く、息が切れる。


どうしてこんなに苦しいのだろう。陸上部の練習は、あんなに順調だったはずなのに……。

あ――転んだ。


右脚に擦り傷ができ、鋭い痛みが右のふくらはぎを走る。


……違う。右脚?

おかしい。私の右脚は……もう、とっくに……。


擦り傷の痛みは、瞬時に何倍にも膨れ上がり、耐えがたい捻じれるような激痛へと変わった。

右脚全体が、内側へと強くねじ込まれていくような感覚。


もともと暗かった視界が、そのまま虚無へと溶け落ちていった。




(のぞみ)河野(かわの)は、はっと目を覚ました。


瞬きをしながら、彼女は動悸を抑えきれないまま、寝室の天井を見つめる。

窓の外から聞こえる鳥のさえずりが、彼女の意識を現実へと引き戻した。


望は体を起こし、布団の右側にできた沈み込みへと視線を落とす。

幻肢痛は、すでにゆっくりと引いていっていた。


「……もう。どうしてまた、あの夢……」


ベッドサイドの目覚まし時計を手に取り、電子表示の時刻を確認する。

それから、本来なら十四分後に鳴るはずだったアラームを止めた。


「はあ……まだ少し寝られたのに。まあ、いいか。早起きするのも悪くないし」

そう呟きながら、乱れた黒い長髪を軽く整える。


二年前、望は日本で事故に遭い、右脚を膝下から失った。

当時すでに二年間日本で暮らしていた河野家は、事故をきっかけにすぐスペインへと戻った。


望の生活を少しでも楽にするため、両親は家の中で最も広く、専用のバスルームが付いた主寝室を彼女に譲ってくれた。


壁に取り付けられた手すりに体を預けながら、望は立ち上がる。

低い棚に近づき、箱の中から義足を一本取り出した。

それから、寝室に併設されたバスルームへとゆっくり向かい、軽く体を拭いてから装着するつもりだった。


望は三本の義足を持っている。


一本目は、今まさに装着しようとしている日常生活用の義足。見た目はほとんど本物の脚と変わらない。

二本目は、より高性能なトレーニング用義足。トラックで走る際には、これを使わなければならない。

そして三本目は、弓のように湾曲した、ブレード型のカーボン義足だ。高価で、維持にも手間がかかるため、望がこれを使うのは大会の日だけだった。


カチリ、とロックの音がして、望は小さく息を吐いた。


冷たいシリコンのライナーも、すでに体温で温まっている。


立ち上がって数歩歩き、違和感がないことを確かめてから、洗面と着替えを済ませた。


階段を下り始めたところで、下の階から弟妹たちの声が聞こえてくる。


「Nattō iya! Nattō iya!

(納豆いや! 納豆いや!)」


「納豆は体にいいのよ! ほらほら、玉子焼きも作ってあるんだから。早く手を洗ってきなさい」

優しさの中に少しだけ厳しさを含んだ女性の声が響く。


望の母、ソフィア・オスナは、生まれも育ちもスペイン人だが、日本語を流暢かつ自然に話すことができた。


望は階段を下りきると、弟妹たちの背後にそっと近づき、両手でそれぞれの肩に触れる。

「悠真、結愛。ママの言うことを聞きなさい。どうしても無理なら、マヨネーズを少し混ぜてみたら?」


双子の兄妹は振り返り、望の笑顔を見て勢いを失った。

「はーい、望姉……」

二人が頬を膨らませながら手を洗いに行く姿を見て、望は思わず小さく笑った。


そして母の方を向く。

「おはよう、ママ」

「おはよう、望」


同時に、テーブルの向こう側から父の声も聞こえてきた。

「おはよう、望。スマホはリビングの向こうで充電が終わってるぞ。取りに行きなさい」


河野家では、子どもたちの電子機器は夜九時までに預ける決まりになっている。


「朝食が終わったら、さっさと支度して学校に行くんだぞ。遅れるなよ」

俊夫・河野は念を押すように続けた。


「今日は中学生になってまだ三日目だ。気を抜くな」


望はスマートフォンを手に取り、適当に返事をする。

「はーい」


俊夫は軽く鼻を鳴らし、それ以上は何も言わなかった。


「ちょっと、あなたたち!」

キッチンから、ソフィアの驚いた声が響く。

「どうしてマヨネーズを、もう半分以上も使ってるの!」




家を出ると、道の先で、燃えるような赤髪の少女と、背の高い少年が手を振っていた。

望も手を振り返し、笑顔で駆け寄る。


近づくなり、赤髪の少女が望の肩に腕を回した。


「望~。昨日の夜に送った動画、見た?」


「動画? 九時以降に送ったやつ?」

望はSNSを開き、少女から届いていたリンクをタップする。

そこには、カートゥーン風の動物やロボットが入り乱れる同人音楽動画が再生された。


昨夜アップされたばかりの動画は、すでに数百の「いいね」を集めている。


「あっ、ごめんごめん! 忘れてた。河野家って、うちより三十分早くスマホ回収なんだよね」

少女は後頭部をかきながら笑う。

「でもここ見て! 一分二秒から一分十九秒まで。この戦闘ロボット、全部私が描いたんだから!」

片手を腰に当て、もう片方で眼鏡を直しながら、少女――アルバは誇らしげに微笑んだ。


「すごいよ。本当に細かい。特に外装アーマーの部分!

今年でもう、制作に参加した動画は三本目でしょ?」

望は惜しみなく称賛した。


「でもさ、エンドクレジットで本名そのまま使ってるのはどうなの?」

望はスタッフ表に表示された

《アルバ・オルメダ=武田(^ω^)》

を指さす。


アルバはいたずらっぽく笑った。

「まさか。私の身分証に、こんな可愛い顔文字が載ってるわけないでしょ?」


三人は同時に笑い出し、特にアルバは楽しそうだった。


人口およそ一万五千人のこの町で、日本姓を持つ家族は二つしかない。

河野家と、オルメダ=武田家だ。


アルバの二人の父親と望の両親は、望が生まれ、アルバが養子になるよりも前からの親友だった。

そして両家の子どもである望とアルバも、物心つく頃からずっと一緒に育ってきた。


「そういえばさ、数学の宿題っていつ提出だっけ?」

二人の横を歩いていた背の高い少年、ダリル・ペレスが唐突に尋ねる。

「昨日の夜、途中までやって寝落ちしちゃってさ。はは」


望は少し考えてから答えた。

「確か金曜日だったと思う。そこまでに終わらせれば大丈夫」


ダリルは「OK」のジェスチャーを作り、嬉しそうに前へ跳ねる。

「よかった! 今日じゃなかった!

学期始まって早々に宿題出してなかったってバレたら、母さんの“ジャマイカ式子育て”が炸裂するところだったよ。

どんなものか知らないし、絶対に知りたくもない!」


道は次第に高台へと続いていく。

北西の方角を見ると、円形の町の広場と、そのさらに向こうに広がる建物の廃墟群が見えた。

「……あそこ、もう三十六年も経つのに、誰も手を付けないままだね」

望は廃墟を見つめながら言う。


「当時、あのガス爆発事故で三百人以上が亡くなったって聞いた……」

ダリルは、さっきまでの軽い調子を引っ込めた。

「学校じゃ、心霊スポット扱いしてるやつもいる。

“向こうで呻き声が聞こえる”とかさ」


アルバは眉をひそめ、進行方向――学校の方へと顔を向けた。

「早く行こうよ。遅れたら困るし。」




転校してきたばかりのエレナ・メンドーサは、バルモラ中学校の校長室の外で、落ち着かない様子で一冊の古書をめくっていた。

中世の家系図と紋章について書かれた本だ。


この本は、昨日――バルモラ孤児院に来て二日目に、町の図書館で借りたものだった。

バルモラへ来る直前、エレナは高熱を出していた。


この町に足を踏み入れた瞬間から、どこからともなく向けられる冷たい視線を感じ続けている。

そのたびに、背筋が粟立った。


同時に、悪夢を見るようになった。


目覚めるたび、心臓を抜き取られたかのような虚脱感に襲われる。

こうした夢は、これが初めてではない。


内容は毎回違うが、夢を見たあとには、必ず何か良くない出来事が起きてきた。

エレナは断片的な夢の記憶を頼りに、本の中を必死に探し回る。


夢の中で見たもの――

中世風の紋章。

骨を咥え、後ろ脚で立つ獅子。

その足元に絡みつく、深緑色の蔓。

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