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平等くじ―「おめでとうございます。あなたの幸福は、親友の口座に振り込まれました」

作者: 妙原奇天
掲載日:2025/11/21

 朝のニュースは、明るい音楽と笑顔で始まった。

 画面の中でアナウンサーが、満面の笑みで言う。


「新制度『平等くじ』の開始から、ちょうど一カ月になりました。不公平のない社会を目指す、画期的な取り組みです」


 テロップには、色とりどりの玉が弾むようなアニメーション。

 その下に、小さく注意書きが出ていた。


〈※『平等くじ』は、成功・当選・昇進などの“運”を社会全体で再分配する制度です〉


 相川慎也は、トーストをかじりながら、ぼんやりその画面を眺めていた。

 パンの焦げ目は最近買ったばかりの高級トースターのおかげで、いつも同じきれいな色だ。

 ワイシャツは真新しい。今日は昇進後、初めての部長同行の日だった。


 ニュースは、スタジオから街頭インタビューに切り替わる。


「いやあ、助かってますよ。僕が起業に成功した運のおかげで、どこかの誰かの“棚ぼた”は減ったかもしれませんが、みんな平等ってことですよね」


「宝くじが当たった友人がいるんですが、本人は“申し訳ない”って言ってました。どこかで誰かが不幸になってるかもしれないって。でも、制度なんだから仕方ないですよね」


 笑顔で語る人たちの背後に、「公平な社会へ」というスローガンのポスターが貼られている。

 赤い字で、小さく「運の偏在を防ぎます」とも書いてあった。


 慎也は、チャンネルを変えた。

 別の番組でも、同じ制度の話をしている。

 解説役の教授が、真面目な顔で説明していた。


「従来の社会では、努力ではどうにもならない“運”の偏りが大きな格差を生んでいました。平等くじは、その“運の分配”だけを対象とする制度です。才能や努力は本人のものですが、たまたまの幸運だけは、社会全体でバランスを取る、という思想ですね」


「でも先生、例えば宝くじが当たった人の代わりに、どこかの誰かに不幸が起きるってことですよね?」


「そういう場合もあります。しかし、それは元々誰かに起きるはずだった“偶然”を、少し移し替えているだけです。プラスとマイナスをトータルでゼロに近づけ、過度な格差を抑える。それが制度の目的です」


 スタジオがうなずき、拍手が流れた。

 慎也は、リモコンをテーブルに置いた。


「……よくわからないな」


 小さくつぶやいて、立ち上がる。

 時間を見ると、出勤の少し前。

 歯を磨いて、スーツに袖を通し、玄関に向かった。


 その日までは、ごく普通の朝だった。

 昇進したばかりの二十九歳のサラリーマンの、少しだけ運が良い、何の変哲もない一日になるはずだった。


     ◇


 昼前、トラックターミナルの見学を終えた帰り道。

 慎也は、部長と一緒に高速道路を走っていた。

 会社の営業車の助手席で、次の訪問先の資料をめくる。


「相川、うちの部署で最年少係長ってのは大したもんだぞ」


 ハンドルを握る部長が、気分良さそうに笑う。


「いえ、たまたまタイミングが良かっただけです」


「たまたまをつかむのも実力さ。まあ、最近は“運”まで国が調整する時代だけどな」


「平等くじ、ですか」


「そう。俺も給料明細に“運ポイント”の欄が付いたときは笑ったよ。昇進やボーナスの“運の部分”は、毎月自動で精算されるらしい。本人は変わらんが、どこかで誰かの“棚ぼた”が減らされるそうだ」


「……それ、喜んでいいのか微妙ですよね」


「世の中、微妙なことだらけだ」


 部長が肩をすくめた、その瞬間だった。


 耳をつんざくような金属音。

 前方上空で、黒い影がひしゃげる。


 高速道路の上にかかる工事用のクレーンが、大きく傾いでいた。

 慎也が目を見開く間に、クレーンの先端にぶら下がっていた鉄骨が、ゆっくりと、しかし確実にこちらに向かって落ちてくる。


「危ない!」


 部長がハンドルを切る。

 タイヤが悲鳴を上げ、景色が横に流れた。


 だが、間に合わなかった。


 鉄骨がフロントガラスを粉々に砕き、車体を押しつぶす。

 世界がひっくり返り、シートベルトが胸に食い込む感覚と、何かが折れる鈍い音。

 視界が白くはじけ、すべてが遠のいていった。


     ◇


 目を覚ましたとき、天井は白かった。

 消毒液の匂い。

 機械の規則正しい電子音。


「……病院、か」


 かすれた声を出すと、カーテンの向こうから看護師が顔を出した。


「あ、意識戻りましたね。気分はどうですか?」


「頭が痛いです……部長は?」


 看護師の目が、わずかに揺れた。

 その揺れ方で、慎也は答えを理解してしまう。


 事故の説明は、簡単だった。

 工事現場のミスでクレーンが倒れ、鉄骨が高速道路の上に落下した。

 部長は即死。

 慎也は、奇跡的に命だけは助かったが、右脚は膝から下を失った。


「命が助かっただけでも、運が良かったですよ」


 医者はそう言った。

 保険もおりるし、義足で歩けるようになる、と。


 しかし数日後、保険会社から届いた通知には、別のことが書いてあった。


〈本事故は『社会的運再分配制度(平等くじ)』の対象事案と認定されました。当社の保険金支払いは、同制度との重複を避けるため大幅に減額されます〉


 退院後、会社からは解雇通知が来た。

 「業務上の再配置が困難」「人員整理」と、よくある言葉が並んでいたが、最後の一文だけが妙に目に刺さった。


〈なお、当社は平等くじに全面協力しており、当該制度に基づく“運の再分配”により、社内昇進・退職金規定を一部変更しております〉


 家賃の支払いが滞っているという通知も届いた。

 貯金は、長く入院したせいでほとんど消えていた。

 婚約者からは、「ごめんなさい」という短いメッセージだけが来て、それきりだった。


 数週間のうちに、慎也は、仕事も、家も、将来の予定も、ほとんどすべてを失った。


 そして、通知の端に、小さく見慣れない文字があるのに気づいた。


〈本件に関する詳細は、市役所・幸福再分配課「平等くじ窓口」にお問い合わせください〉


 そこに、電話番号とURLが書いてあった。


     ◇


 市役所の新館の一階。

 エレベーターを降りると、「幸福再分配課」という案内板が目に入った。

 白いカウンター、番号札。

 区役所の雰囲気は同じでも、窓口の名前だけが妙に軽い。


 番号札を引き、プラスチックの椅子に腰を下ろす。

 義足の付け根がむずかゆい。

 周囲を見ると、年配の夫婦や、スーツ姿の男たち、学生らしき若者まで、いろいろな人が座っていた。

 みな一様に、疲れた顔をしている。


 電光掲示板に番号が表示される。


「二十四番の方、三番窓口へどうぞ」


 呼ばれて立ち上がる。

 杖をつきながら歩き、カウンターにたどり着くと、三番窓口のプレートの下に、小さな札がかかっていた。


〈担当 佐伯〉


 丸眼鏡をかけた女性職員が、にこりともせずに言う。


「はい、本日はどういったご用件でしょうか」


 慎也は、持ってきた封筒を差し出した。

 保険会社からの通知、会社からの解雇通知、家賃滞納の督促。

 どれも端に「平等くじ」の印が押されている。


「事故で全部失いました。命の他は、本当に全部です。

 通知には、ここに聞けと……これは、平等くじのせいなんですか」


 佐伯は、書類を一通り目で追い、端末に何かを打ち込んだ。


「相川慎也さん、ですね」


「はい」


「生年月日……はい、確認できました。少々お待ちください」


 彼女は、無表情のまま画面を眺めた。

 指先が、キーボードの上を静かに動く。


「……こちらです」


 くるりと画面をこちらに向ける。

 そこには、見慣れない項目が並んでいた。


〈幸福残高:マイナス23,840〉

〈総取得運ポイント:29,400〉

〈総供出運ポイント:53,240〉


 数字の意味はよくわからない。

 ただ、赤字で表示されているマイナスの値だけは、嫌でも目に入った。


「これは、何ですか」


「平等くじにおける、相川様の“運の残高”です。

 これまでの人生で、偶然の幸運として取得されたポイントがこちら。

 今回の事故や、その後の解雇・婚約解消などの不運が、供出分になります」


「待ってください。

 じゃあ、俺が部長に気に入られて昇進したのも、恋人と出会えたのも、全部この“取得運”ってやつなんですか」


「恋愛は制度対象外ですが、昇進に関する“偶然の要素”については対象になります。上司との相性やタイミングなどですね。

 平等くじは、そうした“偶然の偏り”だけを帳尻合わせする制度です」


「帳尻合わせって……じゃあ、今回の事故も?」


「はい。部長様が亡くなられたことは、制度とは無関係です。あくまで、相川様個人に対して、これまで蓄積された幸運分を精算する必要が生じた結果として、複数の不運がまとめて発生しました」


「まとめて、って……そんな都合よく、事故と解雇と別れ話が一度に起きるわけないでしょう」


「自然な形で発生するよう、調整されています。

 元々、解雇の可能性があり、婚約者様が不満を抱いておられた、という下地はあったはずです」


 淡々と言われて、口をつぐむしかなかった。

 思い当たることは、ないわけではない。

 終電続きの生活で、婚約者とのすれ違いは深まっていた。

 会社も、景気が良いとは言えなかった。


 しかし、それでも。


「それで……俺の幸運は、どこへ行ったんですか」


 しばらく沈黙したのち、ようやく絞り出した言葉に、佐伯はすぐ答えた。


「他の方に、配分されました」


「他の……誰ですか」


「お教えできます」


 意外なほどあっさりと、佐伯はそう言った。

 画面をスクロールし、別の項目を開く。


〈運の受給者:村田悠斗〉


 その名前を見た瞬間、慎也の呼吸が一瞬止まった。


「……村田、悠斗?」


「はい。相川様と同年齢、同市内在住。システム的には、マッチング条件が多く、親密度などの指標からも優先度が高かったため、主要受給者と認定されました」


「ちょ、ちょっと待ってください。

 村田って、俺の……」


「親友の方ですね」


 佐伯は、少しだけ表情を動かした。

 驚きでも同情でもなく、単に「情報が一致した」と確認した程度の動き。


「制度上、完全な匿名化も可能ですが、“親しい誰かの幸福に貢献したい”という国民感情を考慮し、ある程度の関連性を優先する設計になっています。

 お喜びください。相川様の幸福は、親友の方の成功へと形を変えて生かされています」


 お喜びください。


 よく冷えた刃物みたいな言葉だ、と慎也は思った。


「……どんな、成功ですか」


「村田悠斗様。数週間前に、起業資金の調達に成功されています。

 平等くじにより、投資家との偶然の出会いや、契約機会が優先的に割り当てられました。

 また、相川様の事故と同日の午後、村田様は高速道路での渋滞を“偶然”避け、別ルートを選択されています」


「……もし、その渋滞に巻き込まれていたら?」


「大変な事故に遭われていたでしょうね」


 佐伯は、書類を整えながら続ける。


「結果として、村田様は無事で、会社設立の準備も順調。

 相川様は……残念ながら、不運を一時的に多く負担していただいた形です」


「一時的」


「はい。平等くじは、長期的に見れば全員の平均値を揃えます。

 この先、相川様が何らかの幸運を得ることもあるでしょう」


「また、誰かから奪って?」


「“徴収”という言葉をお使いになりましたが、制度上は“再配分”です」


 慎也は、手すりを強く握った。

 義足と床の間に、きしむような感覚が走る。


「納得……できると思いますか、こんな説明で」


「納得していただく義務は、当課にはございません。

 制度は、国民投票と議会承認により決定済みです。

 ご不満がある場合は、しかるべき手続きにより意見を表明することは可能ですが、運の再分配結果が変更されることはありません」


 淡々とした口調。

 言葉の隙間には、何もない。


「せめて……せめて、本人に伝えてください。

 村田に。俺の運で助かったんだって」


「制度上、当課から個別の感情的な連絡を行う権限はありません。

 ご本人同士でのコミュニケーションは、自由です」


 つまり、「勝手にやれ」ということだった。


「最後に一つだけ。

 相川様は、過去に“平等くじへの同意”にチェックを入れておられます」


「そんな覚えは」


「就活サイト、クレジットカード申込、各種アプリの利用規約。

 “運の再分配制度に関する情報提供に同意します”という項目です。

 細かい点は、確認されなかったのでは」


 思い出そうとして、思い出せなかった。

 スクロールすることに慣れすぎた指が、過去に何百もの規約を素通りしてきたのを、今さら悔やんでも遅い。


「……もう、いいです」


 慎也は、番号札を握りしめたまま、窓口を離れた。

 カウンターの上に置き去りにしようしたが、佐伯が静かに言った。


「番号札は、お持ち帰りください。またのご利用があるかもしれませんので」


 またのご利用。

 誰が好き好んで、ここに二度も来るものか。


     ◇


 数日後。

 駅前の大型ビジョンに、見慣れた顔が映っていた。


「次世代配送プラットフォームを手がけるスタートアップ、ミライロジスティクス。代表の村田悠斗さんです」


 キャスターが笑顔で振り向く。

 そこに立っているのは、高校時代からの親友だった。

 部活もクラスも一緒で、就活のときに何度も愚痴を言い合った相手。


「いやあ、運が良かっただけですよ」


 村田は、照れくさそうに笑っていた。

 スーツは慎也よりずっと高そうだ。

 画面の下には、「平等くじが生んだ新たな起業家」という文字。


 インタビューの最後に、キャスターが質問する。


「平等くじについて、不安や抵抗はありませんでしたか?」


「最初はありました。でも、誰かの不運のおかげで自分が助かってるんだとしたら、その分、社会に還元すればいいと思っています」


 立派なことを言いながら、その声色は昔のままだった。

 一緒にコンビニのくじを引いて、当たりを取り合ったときと同じ。


 画面が変わる。

 慎也は、スマホを取り出した。


 少しだけ迷ってから、メッセージアプリを開く。

 最後にやり取りしたのは、数カ月前。

 「今度飲もう」という話のまま、流れていた。


 指が震えながら、「久しぶり」と打ち込む。

 送信ボタンを押したあと、すぐに既読がついた。


 数秒後。


「おー! 生きてたか! ニュース見た? 実はさ……」


 村田からの返信は、短文の連続だった。

 起業のこと、テレビ出演のこと、資金調達がうまくいったこと。

 文章の端々に、興奮がにじんでいる。


 しばらくして、慎也はようやく「話したいことがある」と送った。


「いいね。今、ちょうど事務所にいる。来れる?」


 足元を見る。

 義足で長い距離を歩くのはしんどいが、行けない距離ではない。


「行く」


 そう返信して、慎也は立ち上がった。


     ◇


 村田の事務所は、駅から少し歩いた雑居ビルの四階にあった。

 エレベーターを降りると、ドアに貼られた会社名のプレートが目に入る。


 インターホンを押すと、すぐに扉が開いた。


「よう」


 村田が、笑顔で立っていた。

 昔と同じ、少し眠そうな目。

 ただ、その目の奥にある光だけが、見慣れないものだった。


「久しぶり」


 慎也が言うと、村田は目を丸くした。


「おまえ……脚」


「事故で、ちょっとね」


「ニュースで見たやつか。

 悪い、俺、あとから知って……連絡しようと思ってたんだけど、バタバタしてて」


 言い訳めいた言葉。

 責める気力もなかった。


「中、いい?」


「ああ、もちろん」


 事務所の中は、予想以上に狭かった。

 机が二つと、パソコン。

 ホワイトボードには、何かのフロー図。


「まだ社員は俺だけ。

 でも、資金はそこそこ集まったから、これからだよ」


 村田は、嬉しそうに笑った。


「で、話って?」


 慎也は、深く息を吸った。

 役所で見た画面。

 あの数字。

 村田の名前。


「……平等くじのこと、知ってるよな」


「そりゃあ、今の時代、知らない方が無理だろ」


「お前さ、投資家との出会いとか、渋滞を避けたこととか……そういう“運”が、誰かの不運から来てるって、どこまでわかってる?」


 村田は、一瞬だけ顔を固くした。


「……なんだよ、それ」


「市役所に行った。

 俺の“運の受給者”として、お前の名前が出てきた」


 静かな時間が流れた。

 外の車の音が、やけに大きく聞こえる。


「……マジで?」


「画面に出てた。

 俺の昇進とか、部長に気に入られたのとか、いくつかの偶然の積み重ねで得た“運ポイント”がさ。

 今回の事故と、その後の不運でまとめて“徴収”された。

 で、その分の幸運が、お前に配分されたって」


 村田は、椅子に腰を下ろした。

 指先が、机をとんとんと叩く。


「……それって、つまり。

 お前の不幸で、俺が助かったってことか」


「そういうことになる」


 二人の間にあるのは、学生時代からの時間だけではなかった。

 数字になった運のやり取り。

 見えない棒グラフ。


 村田は、しばらく黙っていた。

 やがて、苦笑いのようなものを浮かべる。


「変な話だよな。

 でもさ、制度ができる前だって、そういうことは起きてたんじゃないのか?」


「どういう意味だ」


「例えば、お前が試験でちょっと運よく解けた問題。

 そのせいで、誰かがギリギリで落ちたかもしれない。

 お前が終電に間に合った日に、誰かは乗り遅れて、事故にあったかもしれない。

 ただ、それが今は“見える化”されてるだけだろ」


「見える化、ね」


「気持ち悪いのはわかるよ。

 でもさ、俺だって怖いんだよ。

 この成功が、どこまで俺の実力で、どこからが“誰かの不幸”なのか。

 考え始めたら、何もできなくなる」


「だから、考えないようにしてるのか」


「考えたよ。

 でもさ、制度に文句言っても仕方ないだろ。

 だったら、もらった分だけ、何か返そうって思った。

 雇用作って、税金払って、寄付だってするつもりだ」


 正論だった。

 聞き飽きた理屈でもある。


「じゃあ、俺は何を返せばいい?

 脚を? 仕事を? 婚約者を?

 それとも、“納得”か?」


 声が自然と少し荒くなる。

 村田は、目を閉じた。


「……ごめん」


 それは、友人としての謝罪だったのか。

 制度の受益者としての義務的な言葉だったのか。

 慎也には、判別できなかった。


「謝られても、困るよ」


「そうだよな」


 しばらく、二人とも黙っていた。

 やがて、村田がぽつりと言う。


「一つ、提案がある」


「提案?」


「うちの会社で、働かないか」


 意外な言葉だった。


「お前、物流の現場で長くやってきたじゃないか。

 現場の感覚わかる人間、うちにはいない。

 脚のことだって、リモート中心の仕事を作ればいい。

 給料は高くはないけど……何もしないよりマシだろ」


 村田の目は、真剣だった。

 同情だけではない、計算も混じっている目。


「お前が俺の“運”を受け取ったのが事実なら、その運を使って俺を雇うのも、筋が通るんじゃないかって。

 ……都合いい考えかもしれないけどさ」


 慎也は、何も言えなかった。

 ありがたさと、悔しさと、情けなさ。

 いろんな感情がごちゃまぜになって、喉に詰まっている。


 やがて、かろうじて出てきた言葉は、ひどく小さかった。


「少し……考えさせてくれ」


「もちろん」


 帰り際、村田はエレベーター前まで送ってきた。


「また連絡する」


「うん。

 ……なあ、慎也」


「何だ」


「もし、立場が逆だったら。

 お前、どうしてたと思う?」


 答えられなかった。

 その沈黙が、何よりも答えに近い気がして。


     ◇


 数日後、再び市役所に行った。

 目的は、意見書の提出だった。


 窓口で、佐伯が淡々と書類を受け取る。


「平等くじ制度に対する、運用停止の要望書ですね。

 こちらでお預かりし、所轄部署に回付いたします」


「本当に、意味があるんですか、こういうの」


「統計上の“国民満足度”には反映されます」


 それは、意味があると言えるのか。


「……一つ、質問があります」


「どうぞ」


「もし、俺が今後また何か幸運を得た場合、今度は誰かが俺のために不幸になるんですよね」


「制度上は、その可能性があります」


「じゃあ、俺はもう何も当たりたくない」


「お客様のご希望を、システムに完全に反映することはできません。ただ、“運の取得を辞退する意思を表明した”という記録を残すことは可能です」


「それ、やってください」


 佐伯は、端末に何かを入力する。


〈運取得辞退フラグ:オン〉


「これで、相川様は今後、“幸運への優先度”が下がります」


「それでいいです」


 誰かの不幸の上に立つくらいなら、何もいらない。

 そんな、ささやかな抵抗。


 窓口を離れようとしたとき、佐伯がふと口を開いた。


「……統計的な話をしてもよろしいでしょうか」


 足を止める。


「平等くじ導入後、“自発的運辞退者”の多くは、その後も平均的な生活を送っています。

 ただ、“自分の不幸が誰かの幸福を支えている”という意識が強くなり、精神的な負担が増える傾向があります」


「皮肉ですね」


「ええ。

 けれど、制度としては“平等”です。

 誰かが辞退してもしなくても、全体の平均値は同じところに収束します」


「……俺が何をしても、結局変わらないってことですか」


「そうですね」


 あまりにもあっさりとした肯定だった。


「それでも、人は何かを選ばずにはいられません。

 制度外のところで、自分の“物語”を作ろうとします」


「物語?」


「はい。

 “あのときこうしていれば”“これを選んだ自分は間違っていない”といった、個人の納得のための物語です。

 平等くじは、その物語とは無関係に作動します。

 ですから、安心してご自分の物語を紡いでいただければと」


「安心、ね」


 どこにも安心材料は見当たらなかった。


     ◇


 しばらくして、村田から再びメッセージが来た。


「この前の件、どうする? いつまでも待たせるのも悪いからさ」


 慎也は、しばらく画面を見つめていた。

 そして、「ごめん、やめておく」とだけ打ち込んだ。


「そっか。

 ……わかった。お前がそう決めたなら、応援する」


 応援。

 何を応援されるのか、わからなかった。


 その夜、ニュースでまた平等くじの話をしていた。

 成功例として、村田の会社が紹介される。

 画面の隅に、小さく「運の供出元:複数名」とだけ表示されていた。


     ◇


 数カ月が過ぎた。


 慎也は、福祉系の職業訓練を受けていた。

 義足の扱いにも慣れ、介護施設での実習が始まる。

 収入は少ないが、どんな仕事であれ、誰かの生活に直接関わるものの方が、少なくとも“運の再分配”よりは実感があった。


 ある日、訓練センターで休憩しているとき、スマホが震えた。

 画面には、役所からの通知アプリのアイコン。


〈平等くじ 結果のお知らせ〉


 心臓がどくんと鳴る。

 開封する指が、ほんの少し震えた。


〈おめでとうございます。

 あなたは今回の平等くじにより、“不幸の受給”から除外されました〉


 奇妙な文面だった。


〈理由:主要供出者の死亡に伴う運ポイントの再評価〉


 続いて表示された名前を見て、息が止まりそうになった。


〈主要供出者:村田悠斗〉


 画面をスクロールする。


〈村田悠斗様は、本日未明、高速道路での多重事故に巻き込まれ、死亡されました〉


 あの日、彼が避けたはずの場所。

 今度は、そこから逃げられなかったということか。


〈当該事故は、平等くじ制度における“運の収束”によるものと推定されます。

 これにより、過去に村田様が取得された運ポイントの一部は無効化され、供出元であった相川様の“運残高”が再評価されました〉


 数字が表示される。


〈幸福残高:0〉


 ゼロ。


 プラスでも、マイナスでもない。

 真ん中。

 何もない場所。


 最後の一文が、とどめのように表示される。


〈これにより、相川様は今後、平等くじにおける“特別な不幸の割り当て”から除外されます。

 平等な人生を、お楽しみください〉


 スマホを握る手が、汗ばんでいた。

 楽しめる要素は、どこにもない。


 村田の死を悼む暇もないほど、通知文は事務的だった。

 悲しみも、怒りも、何もかも、文字の隙間に置き去りにされている。


 数時間後、ニュースが速報を流した。

 高速道路の多重事故。

 死亡者の中に、若手起業家の名前がある、と。


 インタビュー映像が流れる。

 「運が良かっただけですよ」と笑っていた、あの日の村田。

 テロップには、「平等くじが生んだ成功者の悲劇」とあった。


     ◇


 数日後、慎也は、また市役所を訪れた。

 三番窓口。

 そこには、相変わらず佐伯がいた。


「またお会いしましたね」


「ええ」


「本日はどういったご用件で」


 慎也は、スマホの画面を見せた。

 平等くじアプリの通知画面。


「これの、意味を確認しに来ました」


 佐伯は、一瞥すると、端末を操作した。


「相川慎也様。

 運残高、確かにゼロになっていますね。

 今後、特定の誰かの成功や失敗のために、大きく運を取られることはありません」


「じゃあ、普通に、不幸になったり、幸せになったりするってことですか」


「はい。

 一般的な、平均的な範囲で」


 それは、慰めにはならなかった。


「村田の……死は」


「制度上、説明可能な範囲にあります。

 過去に過剰に取得された運を、どこかで精算する必要があった、と」


「俺の運を使ったから、そのツケが来たんですか」


「そうとも言えますし、そうでないとも言えます」


 佐伯は、少しだけ言葉を選ぶように続けた。


「平等くじは、すべての偶然を完全に支配しているわけではありません。

 ただ、統計的に“そうなりやすい方向”へ、世界を少しだけ傾けているだけです」


「だったら、やめればいいのに」


「制度の是非を判断するのは、私どもの役目ではありません」


 いつもの決まり文句。


「……一つだけ、確認させてください」


「どうぞ」


「俺が、将来何かで成功したとき。

 それが誰かの不幸の上に成り立ってないって、言い切れますか」


「言い切れません」


 はっきりとした否定。


「平等くじがあろうとなかろうと、世界のどこかで誰かが失敗し、誰かが成功します。

 制度は、それを少しだけ“計算可能”にしたに過ぎません」


 慎也は、静かに息を吐いた。


「……だったら、俺は、もう何も“おめでとう”って言えませんね」


「それでも、人は言いますよ」


 佐伯は、意外な言葉を返した。


「おめでとう、と。

 ご愁傷様です、と。

 おかげさまで、と。

 それらは、制度とは関係ない、人間同士のやり取りですから」


「あなたは、誰かに“おめでとう”って言えますか」


「業務中は控えています」


「業務外なら?」


「……なるべく、言うようにしています」


 珍しく、佐伯の表情がほんの少しだけ緩んだ。


「こういう仕事をしていると、世界中の運が数字に見えてきます。

 誰かの昇進の裏に、誰かの左遷。

 誰かの当選の裏に、誰かの落選。

 すべては、プラスマイナスゼロに近づいていく。

 だからこそ、せめて言葉だけは、計算から外しておきたいのかもしれません」


 それは、彼女なりの“物語”なのだろう。


 慎也は、窓口から離れかけて、ふと振り返った。


「村田の成功が、俺の不幸のおかげだったこと。

 その不幸の精算が、村田の死として戻ってきたこと。

 それでも、この世界は“平等”なんですか」


 佐伯は、いつもの無表情に戻っていた。


「制度上は、はい。

 これで、また少し、社会は平等に近づきました」


 その言葉は、あまりにもよく整った台詞だった。

 どこかのパンフレットか、FAQから切り取ってきたような。


 慎也は、笑うことも泣くこともできず、その場を後にした。


     ◇


 ビルを出ると、空はどんよりと曇っていた。

 雨になりそうな気配。


 通りの向こう側では、臨時の平等くじ広報車が止まっていた。

 若いスタッフがマイクを持ち、通行人にパンフレットを配っている。


「皆さんの“運”を公平に!

 平等くじで、不公平ゼロの社会へ!」


 その横を、親子連れが通り過ぎる。

 子どもが、無邪気に問いかけた。


「ねえママ、平等って、なに?」


「みんな同じ、ってことよ」


 母親は、何の疑いもなくそう答える。

 子どもは、ふうんと頷いた。


 同じ。

 ゼロに揃えることが、平等。


 慎也は、義足を前に出した。

 ひどく普通の一歩。

 どこにでもある一歩。


 何かを得れば、どこかで誰かが失う。

 何かを失えば、どこかで誰かが得る。


 そのどちらにも、名前がつくことはほとんどない。

 たまたま、今回は名前が見えてしまっただけだ。


 ポケットの中で、スマホが震えた。

 画面には、新しい通知。


〈友人の命日に、お花を贈りませんか?

 “供花くじ”で、あなたのささやかな善意を、誰かに分配します〉


 慎也は、通知を無言で削除した。


 花も、善意も、運も。

 分配され、再配分され、平均値に近づいていく。


 それでも、人は誰かに花を贈り、運の良し悪しを語り、泣いたり笑ったりする。

 平等くじの画面には映らない場所で。


 空から、ぽつり、と冷たいものが落ちてきた。

 慎也は、顔を上げた。


 曇った空は、どこまでも均一で、どこにも当たりもハズレもなさそうだった。


 それでも、雨に打たれて風邪をひく人もいれば、恵みの雨だと喜ぶ人もいるのだろう。


 世界は、今日もきっと、平等だ。

 誰かの不幸と、誰かの幸福を足して、割り切れる程度には。

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