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お飾り妻なんて願い下げ!~私の顔だけが好きな王子に婚約破棄されたいのに、なぜか溺愛が止まりません~

作者: YoShiKa

「ああ、シンシア。君は、なんて素晴らしいんだ」


 また始まった。

 王子殿下こと、ルーファス・アルセイン・シフォニア。

 私の婚約者にして、この王国の第一王位継承者。見目麗しく、頭脳明晰、剣の腕前も一流――と、世間ではもてはやされているが、私にとってはただの“顔フェチ”男でしかない。


「今日も本当に美しい。君のような女性が同じ時代(とき)に生まれたことは、まさしく奇跡だ」

「ありがとうございます、殿下。今朝のメイドもそのように言っていましたわ」


 微笑みと共に皮肉っぽく返してみても、ルーファスは頬を緩めるばかり。違うのよ、あなたに微笑み返してほしいわけではないのよ。


 私――シンシア・セルディオは、王家の血脈者である母を持つ公爵家の娘。この婚約は、私の意志とは関係なく親――ひいては家同士の取り決めによるもの。

 王族である彼との婚姻は公爵家に生まれた者としての責務でもある。私が男性だったとしても、何らかの形で王家に関わることにはなっていただろう。


 それは理解している。けれど。


(……中身を見ようともしない人の隣で、一生を過ごすだなんて考えられないわ)


 ルーファスは、私の容姿をいたく気に入っている。

 そう、私の容姿、だけ。

 褒めるときはいつだってそう、髪や瞳、肌、手や腕、指、脚、唇至るまで、そして装飾品やドレス、目に見えるものはすべて褒められてきたといっても、きっと過言ではない。

 一方で、私が何に興味を持っているのかなんて、ちらりとも気にしていない。

 例えば、どのような書物を読んでいるのか、どのようなお茶を気に入っているのか、お茶請けは何を好んでいるのか。どのような景色が好きなのか、どのような音楽が好きなのか、どのような観劇をしているのか――そんなことには、一切興味を持っていない。


 もちろん、最初は褒められることが素直に嬉しかった。

 美しさを保つ努力はしている。姿勢だって、立ち振る舞いだって、私は完璧であろうと努めてきた。指先の所作ひとつ取っても、どのように見られるかを意識している。

 でも、それにしたって見た目だけ、外見だけ、見て分かるところだけにしか言及されない。そのことに気が付いてからは、いくら褒められても嬉しくも何ともない。まるで人形のような扱いに感じられて、むしろ空虚だった。

 着飾っていれば良いだけ、中身なんて必要ない――まるでそう言われているように思えてくる。


 私は、ただの綺麗なお人形として、愛でられたいわけではない。

 人として対等に、私自身を見てくれる人と人生を歩みたい。


「今日のドレスも素敵だよ、シンシア。まさしく、君のためのドレスだ。この世の誰にも着こなせない、君にしか似合わないだろう」


 ルーファスは、私の手を取りながら目を細めた。

 こうやって手を取られることも、そして指輪に口付けられることも、最初はドキドキしていた。

 そう、最初は。


「ああ、まるで夜に咲く一輪の月下美人のようだ。花の妖精を連れて来てしまったのではないかと思うほどだよ。君は本当に美しい」


 私がどのように意見をしても、彼はあっさりと受け入れる。

 王政について多少批判的なことを言ったとしても、口付けを受けた手をさっさと引いてしまっても、彼は表情ひとつ変えずに微笑んだまま。

 彼の中には、私の容姿しか存在していないみたい。私の反応なんて、何とも感じていないとしか思えなかった。


「まあ、殿下。お上手ですわね。まるで観劇をしているかのようですわ」


 少し失礼な言葉を返したところで、彼はその美しい碧眼を細めるだけ。聞こえていないのかと思うくらい。私の言葉なんて届いていない――そうとしか思えなかった。


 この婚約が婚姻に繋がり、私が王妃になれば彼との関係は永遠のものになる。

 でも、彼の興味は私の美しさにしかなく、逆に言えばその価値が揺らげば、全く無関心になってしまうに違いない。

 美しさは年齢と共に陰りが見える。いくら頑張っても、永遠には続かない。ひとときの花として枯れるまでの間だけ飾っておかれるだけの王妃だなんて、少なくとも私は望んでいない。

 

 この婚約を無効にする方法はひとつ。

 婚約から一年以内に、王族であるルーファスの方から国王陛下に対して、この婚約を無効とする求めを出すこと。

 これは例えば不貞行為の発覚や、身体的あるいは精神的な問題で世継ぎが望めないなど、王族としての務めを果たせない場合に適用される。

 婚約を解消するに足る正当な理由であると国王陛下が認めてくだされば、それだけで済む。


 とはいえ、いくら婚約を取りやめたいからといって、さすがに私が不義を働くわけにはいかない。

 もしそうなれば、公爵家――父や母どころか、一族すべてを巻き込むことになってしまう。それに、私は愛されたいのであって、罪びとになりたいわけでもなければ結婚が嫌だというわけでもない。


 ただ、婚約無効の申し出は王族が判断すること。

 この婚約を、ルーファス側から取りやめてもらわないといけない。

 可能なら、私に非がない形で。例えば、他に適した女性がいる――とか。


「――失礼いたします。シンシア様、お茶の用意が整いました」

「すぐに行きますわ」


 侍女――パメラの声に、私は小さく頷いて立ち上がった。

 婚約の日から既に六ヶ月目。つまり取りやめを求められる期限まで、あと五ヶ月と少し。


(……やるなら、今しかないわね)


 ルーファスが夢中になるかもしれない可能性を秘めた女性がこれからしばらくの間、王城へ滞在することになっている。

 交流と視察のためにこの国を訪れている隣国の――リリー・ルシール・ヴァレリー王女。彼女の母君が、ルーファスの母上――現在の王妃殿下から見て従姉妹にあたり、家柄と血筋ともに婚姻相手として問題はないはず。

 リリー王女当人も、幼い頃はルーファスと結婚するのだといっていたほど懐いていたと聞く。それはまだ、婚約が可能な年齢である14歳になる前の話で、本当に昔のことになってしまうけれど。

 でも、もしもまだその気持ちがあるのなら。そして、ルーファスが少しでも目移りしてくれるのなら。

 悪いことかもしれないけれど、私はそこに一縷の望みを見出していた。

 ルーファスが婚約を取りやめる気持ちになってくれたら、私はこの『美しさだけが価値とされる檻』から解き放たれる。


 公務の予定があるルーファスに別れを告げた私は、リリー王女とのお茶会の場へと向かった。

 色とりどりの花々が咲き乱れる庭はとても良く手入れされていて、私にとってお気に入りの場所のひとつ。

 パメラに引かれた椅子へと腰を下ろして少し待っていれば、リリー王女が姿を見せた。さすがはパメラ、ナイスタイミング。

 私の姿を見つけた途端、ぱぁっと顔を明るくしたリリー王女が近づいてきた。


(まぁ、なんて可愛らしいのかしら)


 もちろん顔立ちも愛らしいけれど、この人好きのする性格はなかなか手に入れられるものではない。

 リリー王女とは、ルーファスと婚約したその月が初対面で、正式な挨拶のために社交の場で形式ばったやり取りが主だった。その後、幾度か手紙のやり取りをして、非公式なお茶会を設けたことで話しやすさは確保してきた――つもり。


「シンシアお姉さま!」

「先月振りですわね。どうぞ、お掛けになって」


 いそいそと椅子に座ったリリー王女は、先月14歳になったばかり。美しいというよりは可愛らしいタイプ。特にふわふわの巻き毛とくりくりの大きな瞳が本当に愛らしい。

 家柄と血脈ともに申し分ない彼女が本当にルーファスを好いているのなら、立派な王妃候補だといえる。末の娘として多少甘やかされているきらいはあるものの、公式の場ではきちんと振舞えていたのだから許容範囲内に違いない。


「シンシアお姉さま、お悩みがおありなのでしょう?」

「ええ、そうですの。聞いてくださるかしら?」

「もちろんです! お力になれるのなら何なりと!」


 ちょっと胸が痛いけれど、我慢するしかない。リリー王女に無理強いするわけではないのだから。


「実はルーファス殿下のことですの」

「お兄さまがっ? どうかなさったのですか?」

「いいえ、ルーファス殿下は何も。ただ、私では殿下を支えられないのではないかと不安に思いまして……」

「そんな!」


 リリー王女は、おおげさなくらいにハッキリと首を振った。


「どうしてそう思われるのですか?」

「殿下のお気持ちに、私では十分に応えられないと感じますの」


(だって、彼は私の見た目しか気にしていないようですもの)


 彼が多少なりとも興味を持っていれば、私としても我慢のしようがあった。はず。

 しかし、『お前は物理的に着飾っていれば良いだけのお飾り人形だ』と言わんばかりの扱いを繰り返されていれば、耐え切れなくなってくるというもの。

 彼は、あまりにも私に興味がなさすぎる。


 考え込む仕草をしているリリー王女を眺めつつ、そっと紅茶に口を運ぶ。

 私とリリー王女が連れている侍女同士は弁えているから、私たちの会話は聞いていない振りをしてくれている。当然、第三者に漏らすこともないだろう。

 

「ルーファスお兄さまには、シンシアお姉さましかいないと思います」

「そのようなことはありませんわ」

「いえ! そうだと思います!」


 リリー王女はふるふると首を振った。

 巻き髪が肩のあたりで跳ね上がっていて、本当に可愛らしい。


「いいえ、殿下のお心は他にあるように思いますわ」

「ルーファスお兄さまが、他の女性にお心を?」


 リリー王女は不可解そうに首を傾げた。


 (……確かに。そうね)


 どうしてその可能性に思い至らなかったのか。ルーファスは他の女性に懸想しているから、私に興味がないのかもしれない。

 それでも私との婚約を繋ぎ止めておかなければならずに、何とか容姿を褒めているのだとすれば――お相手は序列の低い、あるいは叶わぬ恋のお相手?

 もし叶わぬ身分の違いの恋なのだとすれば、それこそ私はお飾りの王妃にされてしまう。


「そんな! 有り得ません!」

「あなたも結婚したく思っていたのでしょう? 殿下は魅力的なお方ですもの」

「そんなの昔のお話です!」


 リリー王女は大きな声を上げてからハッとして、周囲を見回してからカップを手に取った。

 少し震える手で何とか紅茶を飲んだ彼女は、一息をついてから私を見た。

 

「シンシアお姉さまですから、言いますけれど」


 カップをソーサーに戻したリリー王女は、少し恥ずかしそうにしている。

 何だか小さな、それこそ幼い少女のような振る舞いで、本当に愛らしい。

 私に娘ができたら、こんな気持ちになるのかもしれない。彼女とは二歳差だから、せいぜい妹といった方が良いだろうけど。

 

「私、ルーファスお兄さまのお顔がとても好きでした」

「……ええ、素敵なお顔立ちですものね」


 あまりにも直球すぎて、少し反応が遅れてしまった。


「昔のことですよ! 小さな頃は憧れもありましたし、今でも素敵な方だと思います! でも、私は自分だけを見てくださる方が良いのです」


 リリー王女は、キラキラとした眼差しとともに言った。


「それこそ、白馬に乗った王子さま……リリーしか見えていないと囁いてくださるような、何があろうとも私の味方になってくださるような、障害があればさらってくださるような情熱的なお方と恋に落ちて添い遂げたいのです!」


 そうだった。リリー王女は、大層な恋愛小説好きだった。

 直接の継承権争いには関わっておらず、政略結婚は既に姉たちが済ませている末娘の立場はとても自由で、恋愛だって相手がそれなりの家柄ならある程度は気持ちを尊重されるに違いない。


(ああ、私もそのような恋をしてみたかった)


 しみじみと、本当に深く、心の底からそう思った。

 私だけを見て、私のことを認めてくださるお方。好きなものを共有できるような、そんなお方。


「夢物語のようだとは思いますけれど、それでも信じることは自由ですもの!」

「……ふふ、そうですわね。とても素敵なことですわ」

「ですからっ! ルーファスお兄さまは有り得ません! だって、シンシアお姉さま一筋なのですからっ」


 同意を示した私の手を取ったリリー王女は、力強く頷いた。


 「ええ……?」


 それは確かに、表向きはそのように見えるかもしれない。

 あんなにも褒めてくださって、エスコートもきちんとしてくださる。決して、おざなりな扱いではない。

 何かの物語に描かれているような、他の女性を優先して私を放置するようなこともない。ない、けれど。


(……あの方は私が何を話していても、ちっとも聞いてくださらないのよ)


 あるいは私が勝手にそう感じているだけかもしれない。

 私が目を伏せると、リリー王女は両手で私の手を握り締めてきた。小さな手がぎゅうぎゅうと握ってきても、痛くはない。


「シンシアお姉さま、私にまかせてください!」

「え?」

「今夜のお夜会で証明してみせます。ルーファスお兄さまが、シンシアお姉さまのことを愛していると!」


 リリー王女は勢いよく頷いて、すぐに自分の侍女を見た。

 侍女の方もお顔に「おまかせください」と書いてある。本来なら、心強い、はずなのに不安しかない。


「い、いえ、そのようなこと……」

「ルーファスお兄さまのお心には、シンシアお姉さましかいないんです!」

「ええ……?」


 さすがに夜会の場で、婚約者以外に想い人がいるだなんてことは漏らさないに違いない。

 もし万が一にもそのようなことが表沙汰になったら、そもそもルーファスの立場自体が危うくなるだろう。

 私に同情的な目が向けられて婚約自体が解消になったとしても、双方の家にとってあまりにもよくない結末になってしまう。


(こうなってしまったら仕方がないわね)


 私は覚悟を決めることにした。

 このままリリー王女が暴走してしまっては、それこそ最悪の結末に繋がりかねない。


「白状しますわ。私は、殿下には心に決めた方がいらっしゃるのではないかと考えておりますの」

「ですから、それはないと……」

「私は」


 私は、敢えてリリー王女の言葉を制した。


「私は……もしそのようなことがあったとしても、咎める気はございません。身を引く覚悟はできております」


 リリー王女だけではなく、その侍女までもが息を飲む。

 さすがに私付きの侍女であるパメラは、顔色ひとつ変えていない。内心どう思っていたとしても。


「う、うう、シンシアお姉さま……なんてご献身を!」


 リリー王女は泣きそうな顔になってしまった。

 献身だなんて尊いものではないが、否定することも厄介だったから曖昧に微笑んでおいた。


「お気持ちは分かりました! 私、どのようなことになっても、シンシアお姉さまの味方ですから!」

「ありがとう。そのように仰っていただけて、とても心が楽になりますわ。それで……あの、何をなさるのかしら?」

「ルーファスお兄さまに確認します!」

「……ええ、それはどのように?」

「伝わるように聞けば理解してくださいますよ!」


(つまり、何をするのかしら……)


 少し勢いが強すぎるものの、とにかく味方は多い方が良い。

 リリー王女に白状しなかったとしても、そのように見られていることは刺激にはなる――はず。


 もしもルーファスに本当の想い人がいたとしたら、私はそれを理由に身を引きたい旨を陛下に申し出ることはできる。

 そこからルーファスが、そして陛下がどのように判断するかは分からないが、陛下が正式に認めるのならルーファスも晴れて想い人と婚約可能な状態になる――つまり、私はこの婚約から解放されるし、ルーファスは想い人と結ばれるし、悪いことは何もない、はず。


 しばらくリリー王女とお茶会を楽しんだのち、その場をお開きにしたあとは夜会までいつもの予定をこなした。

 ただ、何をしていても私は気もそぞろ。夜会のことばかりを気にして集中できない時間を過ごす羽目になってしまった。

 覚悟はできている。だって、私はこの婚約を解消してほしいのだから。


 (……ルーファスの、好きな人、ね)


 本当にいるとしたら、どのような人なのか。少し気になった。公爵家との婚約を拒まなかったことからして子爵以下――あるいは、やはり道ならぬ恋のお相手か。

 そうやってルーファスのことを考え始めてしまうと、何をしていても気はそぞろ。どうにも集中できなかった。


 しかし、どのような気持ちになったとしても予定の時間はやってくる。そして夜会自体は、いつも通り卒なく始まった。

 国王陛下のご挨拶があり、そしてリリー王女の滞在と視察の件が紹介される。今宵の夜会では、リリー王女が主賓のようなものだったから社交のターゲットも集中していた。

 リリー王女はさすが、にこやかに談笑をこなしてエスコートを受け、ダンスをしてはまた会話に花を咲かせている。

 私もいつも通りに社交をこなしていたから、その挙動全ては見ていられなかったが昼間のお茶会とは別人のようだった。


「ルーファス殿下。少しだけ、お時間いただいてもよろしいでしょうか?」


 夜会も終盤に近付いた頃、話し相手とダンスの相手を一巡したリリー王女がルーファスと私の前に戻ってきた。私達との挨拶は既に済ませているから、そうやって会話の機会を求めること自体は不自然なことでもない。

 ただ、ふたりきりで話したいことがあるというのは誰が聴いても明らかな誘い方ではあったから、そこだけ少し懸念してしまう。

 案の定、ルーファスは私に許可を求めるような視線を向けてきた。

 仮にも婚約者。このような場で、ないがしろにはできないからだ。当然、リリー王女が何をするのかを知っている私は、にっこりと笑みを浮かべて送り出すだけだった。

 周囲の貴族達は私達の様子には気が付いているものの、だからこそ邪魔はせず自然に振る舞ってそれぞれに談笑を交わしている。


(……それでも、話は聞かれない方が良いでしょうけれど)

 

 ふたりが月夜に照らされたテラスへ向かったことを確認して、少し間を置いてからそちらに足を向ける。

 給仕からシャンパンを受け取って壁際に立ち、少し離れた位置のテラスへと意識を向けた。

 そうしていると、思いしない声が聞こえてきた。


 「ルーファスお兄様! リリーと婚約を結び直してくださいまし!――と、言ったらどうなさいますか?」


 一瞬本気で止めに行こうかと思ったけど、寸前のところで思いとどまった。


「何を言い出すんだ、リリー」


 ルーファスが当然の反応を返した。

 そんなに直球で聞くとは思わなかった――が、予見できることではあった。リリー王女はドストレートタイプだ。


「生憎だが、私にはシンシアがいる。そういった発言は冗談でも控えてくれないか」

「シンシアお姉さま以外に、懇意にしている女性はおられませんの?」


 またしてもリリー王女のストレートアタックが炸裂した。

 

「……どういう意味だ?」


 ルーファスの声が分かりやすく困惑している。

 その困惑は、どちらなのか。全く身に覚えのないことだから、なのか。それとも何か後ろめたいことがあるから、なのか。

 私はひそかにドキドキしながら、ふたりの会話を聞いていた。

 きっと私のほかにも、会話が聞こえている範囲の人たちは耳をそばだてているに違いない。

 

「そのままの意味です! ルーファスお兄さまも、側室を召し抱えるのかと思いまして」

「……また何か、そういった物語でも読んだのか?」


 ルーファスが、聞いたことのない呆れ声を出した。唐突すぎる質問も、良いように解釈してくれたみたい。

 

「悪いが、私では参考になってやれないよ。シンシア以外には考えられないんだ」

「――ですって! シンシアお姉さま、聞きました!?」


(え!?)


 明らかにリリー王女の声がハイテンションになった。

 何を言い出したのかと思っていると、リリー王女が急ぎ足でこちらにやってきて、私の手を取ってテラスへと舞い戻る。


 困惑しているルーファスの前に出された私も困惑してしまう。

 リリー王女が「シンシアお姉さまが気にされてました!」と声を上げたから、私はもう早く逃げ出したい気持ちになった。


「婚約時点で不安を抱かせるなんていけません、ルーファスお兄さま! 女性はたっぷり言葉にして行動で示していただかないと、不安になってしまうものです!」

「あ、ああ……」


(待って待って待って――!)


 私はとても焦っていた。

 いや、私はもっと言葉にして褒めてほしい、というわけではなくて、この婚姻を取りやめにしてほしいだけ。

 他に想い人がいるのなら、それはそれで良いのだと伝えてそちらに舵を切ってほしかっただけ。


 なのに。

 あの夜会以降、ルーファスの行動が明らかに変化してしまった。


「……嘘でしょ」


 いつもお任せにしているお茶の時間には私好みの菓子が並ぶようになった。生菓子も焼き菓子も、どれもこれも私が一度食べて好みだと感じたもの。あるいは、その好みに合わせて作られた新しいもの。


「ええ……?」


 急に絵画が贈られたかと思えば、私のお気に入りの場所を描かせたものだった。そんな話はしたことがなかったように思うのに。

 続いて、婚約期間中は慣例として別室で過ごしている私のもとへ毎朝のように花が届けられるようになった。そして、その花もまた私が好んで飾ったことのあるもの。私の私室に彼が入ったことはなかったから、どういうリサーチをしたのか。

 挙句、続きをもっと読みたいと感じていた書物すら、いち早く手配されるようになってしまった。ついでに気に入ってつけていた装飾品と同じ宝石を使った飾りまで贈られてきて、ここまでくると――。


(ちょっと、怖い……)


 隣国からリリー王女と要人が視察に来ているということもあって、夜会以降ルーファスと過ごす時間は少し減っている。ほんの少し。

 ただ、お茶会の時間はさすがに確保できないものの夕食は基本的に一緒であり、社交の場もいつも通り同席、同伴が当たり前。

 今こうして向き合って食事をしていても、ルーファスは特別に何か仕掛けようとしているような様子はない。


「シンシア、君は本当に美しいね。花は気に入ってくれたかい?」

「え、ええ……」


 ほら、また出た。

 接しているときの態度はいつも通り。なのに、何なの。この怒涛の贈り物乱舞は。


「良かった。それと、これを受け取ってくれないか」

「……あ、ありがとうございます。こちらは……」

「寝室を匂いで満たしてはどうかと思ってね、安眠効果があるそうだよ。君の好きな花だろう?」


 色々と考えこみすぎて少し眠りが浅くなったと感じたのは昨日のことなのに、そこまで見透かされたのかと思って頬が引き攣りそうになった。

 いえ、厚意は嬉しいのだけど、いえ、それでもこの贈り物乱舞はどうしたものか。侍女長が箱から取り出した液体の入った瓶を見つめて、どのような表情を浮かべれば良いのか困惑した。

 今だけではない。夜会が終わってから今に至るまで、もう何日も戸惑いしかない。これではまるで、『あなたのことなら何でも知っている』と牽制されているようだ。


(私の方が、腹をくくるべきなのね……)


 私は意を決して、カトラリーから手を離した。口許を拭って水を飲んで、一息ついてから真っ直ぐにルーファスを見る。

 そうすれば、ルーファスも自然と話を聞く姿勢を作ってくれる。そういうところは本当に優しいと思う。


「殿下。殿下は本当に私の顔が好みだとお見受けしますわ」

「もちろん、君のすべてが好みだとも」


 ルーファスは何ともないことのように肯定した。

 ここで引いてはいけない、向き合わないと――私は一度ぐっと息を堪えてから再び口を開いた。


「……殿下は、私の顔にしか興味がないのかと思っておりました。いえ、今でもそう感じておりますわ」

「それは……」


 ルーファスは少し困ったように眉を下げた。

 事実だから反論ができないのかと思っていると、彼はおもむろに立ち上がった。

 困惑している私のもとに近づいてきた彼は私の手を取り立ち上がらせて、広間のテラスへとエスコートしていく。

 途中、侍従たちを下がらせた彼はテラスの柵まで歩み寄ったところで私に向き直った。


「シンシア、私は――僕は、確かに君の顔が好きだとも。しかし、それは君という存在のごく一部にすぎないんだ」

「……殿下。ルーファス殿下。私は添い遂げる上では対等な妻として、あなたの隣に立ちたいと思っております」

「もちろんだ。僕には君が必要なんだ、君のすべてが」


 ルーファスの眼差しは真っ直ぐで、月明かりに照らし出された中で真剣な表情が向けられていることに柄にもなく鼓動が高鳴った。


 「あなたが本当に私という人間を愛していると仰るのなら――その証を見せていただけますか」


 難しいことを言っている自覚はあった。

 そんなものは証明できようもない。でも、今はそうしてもらえないと引き下がれないとすら感じていた。


 ルーファスは私の手を離して膝をつくなり、胸に手を当てた。


「もちろんだ。今ここに答えることに、嘘偽りないことを誓おう」

「……では、どうして私がどのように意見をしても受け入れてしまわれるのでしょう?」


 取るに足らないことのようだと、まるきり相手にされていないように感じていたことをぶつけると、ルーファスは少し意外そうに目を丸くした。

 そして、そんなことかと言いたげに、ふっと微笑んだ。


「君の意見は至極真っ当で的を得ている。君の視点には、いつも助けられているんだ」

「でしたら、私が無礼な態度を取っても何もおっしゃってくださらないのは何故でしょう?」

「君に無礼な態度を取られたことなんてないさ」

「接吻のあとにすぐに手を引いておりましたわ」


 本来であれば、手や指に口付けを受けた際には一言くらい言葉を出してから手を引くことが基本的なマナーとされている。

 それを無視してさっさと手を引くなんて無礼に値する振る舞いで、特に公式の場では眉を顰められる部類のもの。さすがにふたりきりの場以外でやったことはないけれど、彼が認識していないとは思えない。


 「……恥ずかしがっているのかと思っていたな」


 ルーファスは少し考え込んでから言った。

 まるきり無礼な振る舞いだと思っていなかった――気付いてすらいなかったらしい。


「いつも褒めてくださるのは、私の容姿か装飾品でしたわ」

「君は聡明で努力家だとも。そして勤勉だ。そうでなければ、王政などに正しい意見を出せないと理解しているよ。ただ……」

「ただ?」

「……君を前にすると、舞い上がるというか、緊張してしまうというか……つい見たままを感じた通り口に出してしまうんだ」


 照れたように言うルーファスに、私は面食らってしまった。

 私が手を取られてドキドキしていたように、彼も私に胸を高鳴らせていたのだろうか。

 そう考えると、私がいかに的外れで幼稚なことをしていたのかと、顔から火が出る思いだった。


「陳腐で使い古された言葉かもしれない。でも、言わせてほしい」


 ルーファスは膝をついたまま、私の手を下から掬い上げた。

 そして、手の甲にふっと顔を寄せた。

 

「――僕は、君のすべてを愛している。君が隣にいない人生なんて考えられない。君とともに在るために僕はあらゆる努力をしよう。君の望みはすべて叶えたい」


 手の甲に唇が触れた。やんわりと、淡く触れるだけの口付け。

 ぴくりと指先が動いたと自覚した直後、私は自分の顔が一気に熱くなったことを感じた。


「君に誤解させてしまったことは詫びるしかない。どうか、これからも僕とともに在ってほしい」

 

 顔を上げたルーファスの真っ直ぐな眼差しが向けられる。以前なら顔を見られる度にうんざりしていたのに、今は顔を見つめられるだけで耳まで熱くなってきた。


「……はい、よろこんで」


 顔だけを見られていたはずのこの婚約は、いつの間にか――私という人間を見つめてくれる人との運命のように感じられていた。

 婚約を破棄されたいと思っていたはずなのに――今、私はこの婚約が終わらないことを願っている。


 正式な婚姻まで、あと四ヶ月と少し。すれ違い以上のできごとが起きたのは、また別のお話。





ご拝読ありがとうございました。

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