第10話:臨界点
まるで人間以下の存在か何かのように、俺はファルケンはイン宮殿の廊下を引きずられていった。
衛兵たちは容赦なかった!
「早く歩けー!」
バた――――!!
一人が俺の肩をわざと石壁に叩きつけ、そのまま氷のように冷たい独房へと放り込んだ!
まるで石までもが、俺の存在を嫌っているかのようだった。
「くっ...」
肋骨は軋み、顎はズキズキと痛む。
だが、それ以上に胸の奥が焼けるようだった。
痣のせいじゃない。
誇りだった。
反抗だった。
そして…神々よ、俺は…勝った気がしていたんだ!
俺はあいつを掴み、押し倒したんだ―――!
「従順な飼い犬」じゃないことを、ブーツで蹴り飛ばせるおもちゃなんかじゃないってことを、見せつけてやったんだ!
ほんの一瞬でも、俺はあいつの目に映った。
...所有物じゃなく、
ペットじゃなく――
一人の『男』として!
........................
だが今、このクソみたいな地下牢に独りきりでいると、嫌でも気づかされる。
――あの瞬間の反抗的行動への代償は、あまりにも大きいかもしれない。
上の裁きの間によって!
「畜生ー!」
......上の豪華な広間では、何が話されていたのか俺には分からない。
ただ、想像するしかなかった......
きっとシルヴィアーヌは背筋を伸ばして立っていたんだろう。顎を上げ、何事にも動じない完璧な令嬢の顔をして!
あいつはいつだってそうだった......
取り乱さない、冷静、堂々――、でも、俺は知ってるんだ!
(確か、あの時だ!)
あの時、俺が押さえつけたところに見た、あの目の奥の揺らぎ!
迷い。恐怖。そして…本人すら認めたくない「何か」!
シルヴィアーヌの父、ファルケンハイン公爵.....
本人に会ったことはないが、噂なら山ほど聞いた。
鉄のように冷たく、容赦のない男。公爵という肩書なのに大公のように振る舞い宮殿の奥の間には王様みたいに王冠をかぶったろくでなし!
俺によって彼の娘が手を出されたことだけじゃなく、従うことを拒んだことに、怒り狂っていたに違いない!
――結局のところ、問題は「支配」なんだ.....
そして俺は、その鎖を藁のように引きちぎってみせた!
.................................
............
数時間後の独房にて:
「.....」
冷たい床にうずくまり、俺は自分のやったことを頭の中で繰り返していた。
手が震えていた。痛みのせいもあるが、それだけじゃない。
これは恐怖か? 罪悪感か?
いや、多分、...あの瞬間、自分のために立ち上がった「誇り」の残り火だ。
もし…このまま殺されたら?
この国では、誰も俺を惜しまないし、悲しんでくれたりもしない。
......他所の土地から来た、下働きの黒人ひとり。
飾りみたいに扱われ、ゴミのように見下されてきた。
このまま俺を消しても、きっと貴族たちは酒を掲げて笑うんだろう.....
それでも――!
たとえ死が待っていようとも、俺は後悔しなかった。
誇りを最後の瞬間で守り通せたことに関しては悔いがなかった!
シルヴィアーヌの、あの顔を思い出すたびに!
...あの瞬間、自分の意思で立ち向かった感触を思い出すたびに!
.................................................
..................
貧相なマズイ食事が運ばれてきて食べた後の2時間後:
「...くそぉ......」
どこかの綺麗な部屋で、シルヴィアーヌは今ごろ歩き回っているかもしれない。
怒ってるかもしれない。混乱してるかもしれない。
もしかしたら――ほんの少しでも、俺の言葉や行動を考えているかもしれない......
この冷たい監獄みたいな独房の簡素ベッドに横たわって想像を巡らせてる俺......
きっと、俺があいつに『人間らしさ』を思い出させたことが、たまらなく嫌だったんだ。
脆さ。心の揺らぎ。
あいつは、それに慣れていないはず――!
貴族なんて、絹と鋼の仮面の裏に隠れて、それを「威厳」と呼ぶだけだ。
でも、...あの時、俺が見たあいつの目には、「高貴」なんてものはなかった...
そこにいたのは、ただ一人の怯えていた少女...
心を揺さぶられた、ただの女の子だった!
もしかして、あいつは今も俺のことを考えているんじゃないかー?
..........................
翌日の裁きの日:
カチャカチャ――――!
戦の太鼓のように、衛兵の足音が牢の通路に響いた。
鍵を開けた衛兵は、目すら合わせてこない。
「公爵の前に出る時間だ。出ろー!」
「.......」
俺は立ち上がった。手首は縛られていたが、俺の心は折れてなどいなかった。
自らの意志で歩き出した!
タタタ......
....................
「ほう、ヤツはあの悪名高い『アシェンダリ人の反逆者かあー?」
「確か、死刑を免れるために、ファルケンハイン公爵に自分の娘に仕える一生の下僕として免除されたんだと聞いたが...」
「まあ、結局はただ徒労に終わっただけの無駄なことだったな、ガハハハッ!」
裁きの間は人で溢れ返っていた。
張り詰めた沈黙。息苦しいほどの重圧......
...俺はまるで、処刑される獣のように見られていた...
「ふむ...」
ファルケンハイン公爵は威風堂々と玉座に座っていた―!自らの髭を撫でつけて俺の方へ視線を向けてきた。
「......」
表情は石像のように冷たい。やっぱり、この国では貴族の権力は、王様に発言できる公爵までもいることを見るに、かなり絶大な影響力を持っているようだ、位の高い貴族家であればある程......
その隣にはシルヴィアーヌ!
硬直した姿勢で立ち、何を考えているのか分からない表情だった――だが、目だけは違った!
俺が入った瞬間、あいつの視線はまっすぐ俺に向けられたー!
逸らさなかった!
――それでいい...
ちゃんと見てろ。
自分が生み出した「存在」をな。
「オバシ、お前は罪人としてここに立っている」
公爵の声は、氷の川を凍らせるような冷たさだった。
「身分を弁えず、我が娘に恥をかかせた。その罪、償ってもらうぞ?」
「......」
俺は眉一つ動かさなかった。
耳元で脈がうるさく鳴っていたが、声は静かだった。
「好きにすればいい。焼くなり煮るなり好きにしろ。だが、一つだけ言わせてもらう」
俺は顔を上げ、公爵の目をまっすぐ見つめた。
「俺は、あんたの『下僕』には絶対にならない。這いつくばって生きるつもりもない」
その瞬間だった。
シルヴィアーヌが、ほんの一度――、瞬きをした!
一瞬だけ、困ったような、自信が持てないような顔をしたー!
もちろん、直ぐにいつもの無敵な冷たくて、全てを下に見るような、ゴミを見るような顔で俺を見ることに戻ったけど......
それだけでも、俺には十分過ぎる程の大進歩だったのだ!
彼女に、動揺させることが出来たんだから!
そして、さっきの俺の発言を耳にしたファルケンハインの目が鋭くなった。まるで刃のように。
「我に逆らうか?」
「そうだ。逆らってやる」
俺は即答した。
............................................
沈黙が、壁を砕くほどに張り詰めた空気にした。
だが俺は、背筋を伸ばして立っていた!
俺は獣じゃない。
おもちゃでもない。
誰の所有物でもない。
――この呪われた鋼と金と鎖で出来てる檻の中で、
初めて、俺は、......「自由」の気分を味わえたー!
たとえ、それがほんの少しだけの間で、このまま殺されるとしても。
俺は、最後まで自分の誇りを守ったんだ!
..........................