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カサネガサネ

作者: 深海

「なかなか、ってなんて意味だっけ」

「単語帳は?」

「忘れた」

 もー、と言いながらもユキはいつも調べてくれる。

「かえって、だよ」

「おー。そーいやそーだったな」

 さんきゅー、と言うと、ユキは「古単は毎日持ち歩きなよ」と釘を刺してきた。

「今めかしき、は現代風の、でよかったっけ」

「いいんじゃね?」

 髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりも、こよなう今めかしきものかなと、あはれに見たまふ。

 俺も同じだよ、源氏。俺は髪が長い人はなんとなく苦手で、肩よりも少し上くらいで、すぱんと切り揃えられているのが、綺麗だと思う。

 隣のクラスからぎゃーぎゃー奇声が聞こえてくる。「テスト前なのになんであんなに遊んでいられるんだろ」とユキが溜め息を吐いた。

「あれ絶対神野くんのグループだろうね」

「だろうな」

 誰もいない教室で、隣同士で座っていられるのもあと数日しかない。テスト期間の放課後は、みんな我先にと帰ってくれるから必然的に二人きりになる。ユキはテスト前に必ず教室に残って勉強をする。塾の自習室は二年になってから他の進学校の奴らが占領していて居心地が悪くなり、俺も教室で勉強をするようになった。ついでにユキに教えてもらったり。今は古典の復習として、原文から直接現代語訳をしている。

 来年、俺とユキが同じクラスになる確率は限りなく低い。俺は文系では少数派の地理を選択し、ユキは大好きな日本史を選んだ。こんな風に、俺とユキはこれからどんどん違う選択肢を取って進んでいって、気付けばお互いが見えないほど遠く離れてしまうのだろう。

 俺のペン先がある一文で止まる。

 限りなう心を尽くしきこゆる人。

 ばれないようにそっとユキの真剣な横顔を覗いた。これから、この、ボブよりは長くてロングよりは短い髪を耳に掛けている姿は、わざわざ他のクラスに行かないと見られなくなる。 

「手、止まってるよ」

「はいはい」

 本当は、わかってる。こんな訳、見ただけでわかる。

 単語帳なんて開かなくても『なかなか』の意味くらい覚えているし、『今めかし』は現代風で華やかだ、の方が意味としては適切だと思う。古典単語のテストは外したことがないし、ユキには言ったことがないが、定期テストの古典の点数はクラスで俺が一番高い。

「あ、風花舞ってる」

 ユキの鈴の音のように聴き心地の良い声で顔を上げると、窓の外では真っ白な空からちらちらと花弁が降っていた。

 そんな雪の表現、よく知ってるよな。

「あー勉強しんどい」

 大きく伸びをしてから、ユキはリュックから分厚い国語便覧を取り出して開いた。

「そんな重いもんよく毎日持ってられるな」

「だって面白いでしょう」

 ほら見て、とユキが俺に近付く。

「襲色目の一覧とかずっと見ていられるよ?表と裏で色が違ったり、薄い布を重ねて四季や自然を表現するのってすごく素敵じゃない?」

「ふーん」

 見覚えのある言葉に目が惹かれた。

 桜の唐の綺のお直衣。

 少し透ける白の織地を、赤地の布にかさねた襲衣装。下の赤が上の白から透けて、淡い桜色に映る。

確か源氏物語の花の宴に出てくる言葉だ。

「このテスト終わったら私達三年生だね」

「やっとお別れだな」にや、と笑うとユキは「ほんと、一人でも勉強しなよ?」と人差し指を向けてくる。

 重ねて、重ねて。

「来年は神野くんと同じクラスだといいなー」

「そうだといいな」

 ユキの頬がほんのり桜色に染まる。ユキにはあんな先の尖った花より、梅の方が似合うと思うけど。

 古語で言うなら、そうだな……心憎し、がぴったりなユキは、ずっとあのきらきらした男子高校生の象徴のような神野から目が離せないでいる。話したこともほとんどないくせに。

 重ねて、重ねて。

 この鮮烈な赤がわからないように。見えなくなるように。こんなに近くにいても気付いていない鈍感なユキには心配要らないけど。

 気づけよ、と心の中で呟くと、あのバンドのあの曲が頭の中で流れ出しそうになる。

「早く終わらせて帰るぞ」

「うん」

 俺はまた、嘘に嘘を重ねて、春を迎える。

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