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無口な幼馴染に騙されて(リメイク版)

作者: 青空のら

本作は『無口な幼馴染に嵌められて』のリメイク版になります。

本作品のみでもお楽しみ頂けます。

 上神直樹うわかみなおき下川尚しもかわなおは小さな頃からの幼馴染だった。当時から家は近所だったが面識はなく、お互いの母親に連れられてママさんバレーの練習に付いて行った時に初めて顔を合わせた。

 そして、小さい頃から身体を動かすのはいい事だと勧められるままに二人とも児童バレーボールクラブに参加させられたのだ。

 同じ目標に向かう同志として性別を超え、年齢を超え、幼馴染という腐れ縁すらも超越していた。その関係は挫折という現実が二人の前に立ちはだかるまで、あるいは勝利の美酒に酔いしれて気付かぬうちに変わってしまうまで続くのだろう。

 今日も今日とてもいつもの様に直樹の部屋に集まる二人だった。

 二人の前のテーブルには書類が置かれている。

 何も言わずにお互いに書類を見つめて、すでに5分はたっていた。

 痺れを切らした直樹が口を開いた。


「こんないい条件はないと思うけど、何が気に入らないの?」


 直樹の言葉に反応して、ゆっくりと顔を上げた尚の視線が直樹の視線をとらえた。

 しばらく直樹の顔を見つめた後にゆっくりと首を振る。

 ショートヘアーの似合う尚の髪がふわりと揺れた。二人ともスポーツをしているので半分あきらめた気持ちで仕方なくショートヘアーにしているのだが、直樹の場合はお世辞にも似合っているとは言い難い。

『どこで差がついたかな?』と直樹は愚痴の一つでも言いたくなった。小学校卒業までは似たような身長だった筈なのに中学に入る頃には抜かれて、今では頭ひとつ分は違っている。

思春期の異性からのアプローチも尚の方が圧倒的に多い。というよりも直樹の方が全然、さっぱりと壊滅的な状態だった。

 そもそもレギュラーと補欠というカーストの差は如何ともし難い。さらに言えば直樹は幽霊部員にも近い存在でろくに部活に顔を出さずにもっぱら尚の専属マネージャーをこなす毎日。若さゆえに見た目、肩書き、ステータスで線引きし、最初から論外と切り捨てるのは世間一般的であり、あながち間違いではない。したがって、どう間違えても直樹がモテる要素はなかった。


「二人揃って進路が決まったんだから素直に喜ぼうぜ!」

「むう!」


 尚が唇を尖らせてそっぽを向いた。

 高校3年にもなっても相変わらずな尚の拗ね方に直樹は思わず苦笑いする。本気で拗ねた尚の機嫌を取るのは一苦労だが、まだまだ想定の範囲内だった。


「拗ねるような事はなにも無いだろう?あとはこの書類にサインして提出すれば完了――」

「直樹、ズルした」


 ギクッ!遮るように呟いた尚の言葉に直樹の表情がこわばる。


「な、何のことかな?昼間の試験で二人揃って合格。めでたいじゃないか!」

「ふーん?」


 尚が振り返り強い視線で直樹を睨みつけると反射的に直樹は視線をそらした。


「書類は後回し。マッサージお願い」


 尚は返事も聞かずに前に立ち上がると部屋の隅に置いてある直樹のベッドに倒れ込む。

 『チーム尚』の二人にとってはいつもの事だった。

 『チーム尚』とは直樹と尚の二人で構成されたチームでオリンピック出場を目指している。

 小学校高学年時に

『同じ実力なら背の高い方を選ぶ』

と直樹が身長を理由にレギュラーを外され、努力だけでは夢は叶えられないとオリンピック出場の夢を諦めよとした際に、それを見ていた尚が

『代わりに私がオリンピックに出場する』

と直樹に宣言し、それならば

『僕が尚のサポートをする』

と直樹が宣言し返して結成されたチームだった。

 全てにおいて尚を中心として動いている。その為に尚の主張が優先されがちである。

 以前は直樹もきちんと主張していたのだが

『せめて床の上で』

と直樹が言っても

『痛くなるから嫌』

と拒否する。それなら

『マットを敷くから』

と直樹が言っても

『それでも痛くなるから嫌』

と拒絶する。練習後で

『汗臭くなるからベッドはやめて欲しい』

と直樹が頼んでも

『シャワーを浴びているから大丈夫』

と押し切られる形で、部活後の尚に対するマッサージは直樹の部屋で行う事が習慣化していた。


「そんなに疲れたのか?まあ、普段とは違ってギャラリーもいたし、環境も違ってたから仕方ないか――」

「直樹が鬼だった」

「いや、普段と変わらなかっただろ?」

「普段通り鬼だった」

「――そうか」


 話題が変わった事をこれ幸いと、直樹はマッサージに専念する事にした。そもそも、マッサージをしないという選択肢は二人の頭の中には存在していない。


「うん、良い。そこ」

「確かにいつも以上に筋肉が張ってるな」


 部活後に直樹の部屋に集合し、ストレッチ兼マッサージを20分、その後に勉強会を1時間程するのが二人の日課だった。


「この後は有終の美を飾る為にもいつも通り勉強だぞ」

「――むう」

「文武両道の才女様、頑張れ!」


 赤点による補習で練習時間を削られるのが勿体無い、塾などに通うのも時間の無駄、と幼い頃の直樹が無い知恵を絞って考えたのが『自分が尚を教えればいいじゃないか!』という結論だった。

 その成果もあってか尚はスポーツ組としてはかなり優秀な成績で文武両道だと学生間だけではなく先生ウケも良かった。

 しかし、教える側の直樹の成績は残念な事に低空飛行で赤点スレスレ、普段から『この内容をどのように尚に教えたら良いか?』という偏った視点で授業を受けている為に、結果としては尚の成績は上がったが、それに反比例するように直樹の成績は低空飛行。計算方法を知っていて理解しているのと、計算力を鍛えているかどうかは別問題だから当然と言えば当然。尚に勉強を教える為に時間を取られて直樹自身の勉強時間が疎かになったのは仕方ない事だった。

 尚をマッサージをしていても直樹が尚に対して劣情を催す事は決してない。可愛らしい尚の青春を自分のわがままに付き合わせて奪っている。その事が直樹の自制心の要だった。

 無防備に部屋着のまま目前に横たわる尚。年頃の異性を前にして邪な気持ちが湧き上がりかけるたびに直樹は抑えつける。信頼して協力してくれている相手に手を出すなんてもっての他、たとえ同意があったとしてもそんな事に時間を割いている時間はない。サポートするどころか邪魔をするのは論外だった。


『バレーボール一筋で恋人ができずに行き遅れたらお嫁さんに貰ってね』


 幼い頃にそんな約束を交わした記憶があるもの、いわゆるセーフティーネット、最悪回避の救済策。万が一の時の話であり、幼い頃の無邪気な約束である。言った当人の尚が覚えているとは限らない。直樹は受け皿を用意しておくだけであり、必要なくなれば尚の幸せを祝福すればいい。

 尚の恋愛、誰かを好きになるのも、誰かと付き合うのもを否定する気はない。結果がどうであれ『チーム尚』が解散する時が直樹と尚が対等になる時なのだ。

 今日とて尚の頑張りのお陰で直樹の進路が決まったのだ。その為、尚にズルと言われても否定は仕切れなかった。



 ******



 ホワイトラビッツの男女兼任コーチ、白川広俊は目前の光景に言葉を失っていた。


「どうした!こんなものか?」


 超高校級スーパーエースの下川尚が打ち込むスパイクが簡単に拾われている。手加減しているようには見えなかった。

 目の前にいる青年はゴロリと右に転がりスパイクを拾い、そのまま反転して中央に戻る。


「人前で緊張するタマか?どうした!」


 叫ぶとそのまま左前に落ちる球に反応し、飛びつき拾い上げるとそのまま一回転した。


「余計な事を考えずに全力で打ち込め!」


 男女の体格差があるとはいえ、まだ高校生だという事を差し引いても全国クラスのスーパーエースの決め球をやすやすと拾い上げる光景は異様だった。


「早くもバテたのか!次、来い!」


 中央に戻るとともに青年からの掛け声が体育館中に響き渡った。

『どうしてこうなった?』

 白川は一連の流れを思い返す。



 弱小チームといわれていても腐ってもV2に所属するホワイトラビッツ。飛び込みでの売り込みは滅多にない。というか、白川の記憶する限りでは一度もなかった。

 たとえ世間知らずの若者だとしても肝の据わったツワモノ一瞥いちべつもせずにただ帰すのは愚将のする行いだと面談を許可したところ、白川の前に現れたのは女子チームメンバーと比べても頭一つ分、背の低い青年だった。

「入団希望だって?ポジションはどこかな」

 身長からしてもリベロ(守備専門)以外はなさそうだが、白川にはサッパリと見覚えはない。全国区の知名度はないとしても、スカウトから渡される資料でも見た覚えはなかった。


「貴重な時間を割いてもらってありがとうございます。上神直樹といいます。川上高校の三年です。入団希望というか、少しややこしい話ですが――」


 川上高校という名前は聞き覚えはあるが、目の前の青年、上神直樹という名前には聞き覚えがない。女子バレーボール部は有名で全国大会に行く一方で、男子部は県大会を一度も勝ってないはずの弱小チームだ。


「下川尚はご存じだと思います。彼女をこちらに斡旋というか、所属するように働き掛けるので、こちらのチームに所属するようになった場合は一緒に雇って貰えませんか?専任マネージャーとか――」


『下川尚』

 V1含めて各チームが争奪戦を繰り広げている高校王者のスーパーエース。もったいない話だが、大学進学が濃厚だという噂話が白川の耳にも聞こえて来ていた。当然、弱小チームのホワイトラビッツに来る可能性は皆無だった。金銭的にも環境的にも、将来性を考えればあり得ない話だ。立場上、口が裂けても言えないが、彼女の才能を今以上開花させるより、酷使してすり潰す確率の方が断然高い。


「今季限りで寮母さんが退職すると聞いています。なので後任を任せてもらえないかなと思いまして!」

「寮母志望!?」

「寮母というか寮父ですね。空き時間で下川尚のサポートをしようと思っています」

「うちは男女別寮だ。下川尚が入寮するのは女子寮。そちらで寮父をするって?曲がりなりにも年頃の男女が同じ屋根の下に暮らすというのは如何なものだろう?」

「尚とはこれまでもこれからも『チーム尚』ただそれだけですし、身長も低ければ属性も低い僕が他の女性陣に相手にされると思う方が失礼ですよ。彼女たちにも選ぶ権利がありますから」


 にこやかに身も蓋もない事を簡単に言う。しかし、本人たちがどう思っていようが他人からどう見えるかが問題なのだ。


「そもそも『チーム尚』としてオリンピック出場までは全力でサポートするだけで、色恋とかしてる余裕はないです」

「オリンピックとは大きく出たな」


 ハッタリとだとしても『目標、オリンピック出場』と大きな事を平然という物言いに感嘆の声が漏れ、目前の青年の姿を見つめる白川の心の奥底にいたずら心が芽生えた。


「それじゃあ、都合のいい日を教えてくれるかな?下川さんときみ、上神君の入団テストを実施しよう。下川さんのサポートに付く実力がなければ寮父の件はなしという事でいいかな?」

「ありがとうございます!それでは来週の土曜日か日曜日、そちらの都合のよい時間でお願いします」



『チーム尚』

 上神の言葉から推測するに、下川尚のスパイクに特化して練習をしているのは想像するに容易かった。

 確かにこれだけスパイクを拾うのであれば、アタッカーとしては手応えがある練習をこなせるだろう。地方の県立高校で練習環境にも恵まれない中では頑張っている方だと思う。

 そもそも下川尚自体が彗星のように突然に現れた存在だった。

 川上高校はアタッカーの下川尚を中心とする攻撃的なチームであり『柔よく剛を制す』と、のらりくらりとかわす戦法を取れば苦戦するようなチームではない。

 実際に県大会の準決勝、決勝は僅差の接戦をなんとかモノにした程度、所詮は田舎チームのどんぐりの背比べという印象が拭えなかった。

 だがその後、全国大会が開催されるまでにSNSを中心として


『川上高校に勝ちたければ下川尚と勝負しなければいい。下川尚のアタックを受けなければいい。勝負を避けて試合に勝てばいいんだ』


 という文言が拡散された。

 これに強烈に反応したのが強豪と言われるチーム。


『高校生らしく試合に望む、勝ち負けにはこだわらない!』


と下川尚との真っ向からの打ち合いに挑んだ。

 しかし、勝負は非常なもの。高校野球でホームランバッターに毎回全力真っ向勝負して勝てるはずがないように、アタッカーとしては頭ひとつ以上ずば抜けている下川尚に軍配が上がった。

 対戦チームは下川尚のアタックを真正面から受け続けてダメージが蓄積した為に、後半は見る見るうちに動きが鈍くなる結果となった。そのせいで守備どころか攻撃さえも精彩を欠くこととなり、ほぼ自滅という結果になった。

 全国大会の一回戦、強豪との試合を真っ向からの打ち合いで降した。その結果がますます強豪と呼ばれるチーム達の退路を断つ事となり、意地を掛けた真っ向勝負に出、そして敗退し、その結果、川上高校が全国を制する事となった。



 今となっては白川にも理解出来た。高校バレーボール全国大会直前のSNS上で起こった一連の騒動の仕掛け人は上神直樹であるのは間違いない。

 だとすると、今回は何をたくらんでいるのだろうか?

 素直に寮父として下川尚のサポートに付くという話も素直に受け入れ難く、眉唾ものだ。

 下川尚をダシにして自らの売り込みか?

 それ程の自信と実力を備えているのか?

 そんな事を考えながら白川は目の前の光景を見つめ続けた。



 ******



 如月沙月きさらぎさつきが上神直樹の存在に気付いたのは高校に入学してしばらくしてからだった。

 親が社長をしているお嬢様の沙月は本来ならもっと上級子弟が通う私学の女子校に入学させられるところだったのだが『庶民の暮らしも体験してみたい』という沙月のわがままとの折衷案で、数年前から共学となり男女比が3:7という川上高校に入学したのだった。

 男女比のせいか男子生徒が一段低い扱いをされる校内にあって、直樹はさらに一段低い扱いを受けていた。

 ところが本人の様子からは嫌がる様子もなく、逆に嬉々として受け入れている気配があった。

 容姿の優れた男子は他校以上の人気を博するが、それゆえに他の男子の扱いはゴミ同然。

 バレーボール部の下川尚を専属で世話をする直樹はそれ以下に扱われていた。落ちこぼれの幼馴染が情けなくもすがりついて同じ高校に進学したと公然とささやかれていたのだ。

 部活に籍を置くだけの幽霊部員、する事といえば尚の世話を焼くだけ。勉学においても上位グループにいる尚と比べて中団下位グループにいる直樹は確かに口さがない連中の言う通りにみっともなく見えた。

 ただ、冷静に公平な立場で見れば直樹の容姿は悪くはない。似合わないショートヘアを別の髪形にするだけで印象は変わるだろう。さらに身長も極端に低いわけではない。頭一つ分背の高い下川尚と常時行動を共にしている為にどうしても比較してしまい、背が低いと感じてしまうのだ。

 成績についても、部活をしている生徒のほとんどは成績上位グループには所属していない。勉強より夢中になれるものに全力を注ぎ込んで頑張っている。そう考えると特別に悪いというわけではない。

 直樹の場合はそれが下川尚のコバンザメに見える、というのが問題点だった。

 校内の男子数が少ないとはいえ、直樹を恋愛対象にする為には『下川尚』から引き離す必要があり、その労力を考えると『すっぱい葡萄』として最初から除外する方が簡単なのだ。



 ある日、通りすがりに何気なく耳に飛び込んで来た単語『チーム尚』その言葉が胸に引っかかった沙月はその意味を知るべく尚と交流を持つ事にした。

 そして、ある程度尚と親睦が深まった時点で試験勉強を一緒にしようと持ちかける。

 渋る尚を強引に説得して集まった尚の部屋には当然のように直樹がいた。驚く沙月を尻目にそのまま直樹指導の勉強会が始まった。

 期待せずに聞き流すつもりでいた沙月だが、その内容は『すごくわかりやすい』その一言だった。塾で講師を出来る程のレベルで理解しやすかった。

 そして沙月の頭に疑問が湧いた。なぜこれだけの実力があって成績が振るわないのか?

 その後、注意深く観察を続けた結果、直樹は自分のテスト結果には全く興味がないという事がわかった。

 直樹の頭にあるのは『尚が赤点を取らないようにするにはどうすればいいのか?』ただそれだけのようだ。

 その行動原理を踏まえて彼の行動を振り返ると全てが納得いった。

『チーム尚』すなわち、直樹の行いは全てが尚優先でなされているのだ。

 尚は自分の為に、直樹は尚の為に。

 直樹も男であり、他の男たちと同じように尚に下心があって接しているのかもしれない。それでも沙月の目には滅私奉公してる直樹の姿から下心を感じ取れなかった。

 他人の本性を見抜く、それは幼い頃から鍛えられた帝王学にも含まれている。たかが一学生の本性すら見抜けなくて父親の後を継ぐなんてとてもじゃないが無理な話。沙月には絶対の自信があった。

 ある日、尚が席を外して直樹が一人でいたので沙織は疑問に思っていた事柄『将来どうするつもりなのか』問いかけた。


「あなただっていつまでも彼女と一緒にいられるわけじゃないでしょ?彼女にだって彼女の人生があるもの。無事にオリンピックに出場したとして、その先がね」

「そうだな。引退したり、尚が恋人を作ったり、他にもっと信頼できる人間を見つけて俺がお払い箱になるかもしれない。でもそんな先の事を心配しても仕方がない。変わらずにずっと同じままでいる方が難しい。いや、変わらない人間なんていない。だからこそ俺は今、全力で尚のサポートをするんだ。尚が俺を不要とする時はもっと恵まれた条件、環境にいるって事だからな。その時はその時、新たな道を探すさ」

「なら予約を入れておくわね『チーム尚』から解放されたら私の秘書になりなさい。あなたの席は空けておくわ」

「そりゃあ、食いっぱぐれなくてありがたい」


 明らかに口先だけのおべっかだった。いや、直樹はまだ真剣にそんな先の事は考えていないのだろう。まずは今をどうするかで全力投球。失敗なんてチャレンジする前から考えない。


「その気もないくせに!まあいいわ。あてにせずに待ってるわよ」

「結構本気なんだけどな」


 直樹からすれば職の心配をしなくてもいいというのは将来に対しての安心感が全く違う。とはいえ、そんな先の事は相手が心変わりすれば終わりの話なので、本気にする方が失礼だとしか思っていない。縁があればその時に、くらいの感覚だ。

 社長令嬢の沙月の事だから、大学卒業後はそれなりの待遇で親の会社に就職するだろう。そしていずれは重要なポストにつくはず。

 コネって大切だなと直樹は痛感する。ついでにスポンサーとして尚の後押しもして欲しいところだが、今はまだ学生という身分。お互いに身の丈に合わない背伸びは難しいだろう。


「その時はよろしく」


 直樹は手を出しながら差し障りなく、角を立てないように社交辞令を言う。


「ええ、楽しみに待ってるわね」


 沙月はほほ笑みながら直樹の手を握り返した。

 一途に信頼し、信頼されて決して裏切らない主従関係、それがどれだけ得難いものなのか。きっと直樹も社会に出れば理解するだろう。

 そんな事を考えている沙月自身、自分の心の奥底に留まりモヤモヤとして拭い去る事の出来ない感情がいったい何なのか理解してはいなかった。

 嫉妬、妬み、憧れ、憐憫、慕情、独占欲、劣情。恋愛経験のない沙月にはどれも無縁の感情だった。



 ******



『とても大切な人に大切な気持ちを伝えるので、みんなの勇気を分けて下さい』



 下川尚にとって、上神直樹は大切な幼馴染だ。初対面は母親に連れられて行ったママさんバレーの練習で、人見知りの尚が母親の後ろに隠れている時に

『僕と一緒に遊ぼうよ!』

と声を掛けてきたのが直樹だった。

 母親たちの練習の邪魔にならない体育館の片隅で児童用の柔らかなボールを使い、母親達の様子を見様見真似でバレーボールのような事をし、走り回り転がり回って遊んだ。母親達の練習が終わる頃にはすっかりと直樹に懐いていた。そして、次からのママさんバレーの練習には直樹と遊ぶ為に積極的について行くようになった。

 人見知りで友達が出来ないことを心配していた両親達は尚の変化にとても驚き、好意を持って受け入れ、直樹と一緒に行動させようと直樹の親も巻き込んで二人を児童バレーボールクラブに参加させる事にしたのだ。

 尚は単純に直樹と一緒にいられる事が嬉しくて練習に励んだ。乾いたスポンジが水を吸い込むように幼く柔軟な思考を持つ二人はメキメキと実力をつけ、小学校高学年になる頃には二人揃ってレギュラーで試合に出る程になっていた。

 しかし、尚の幸せも続かなかった。直樹がバレーボールを辞めるというのだ。同じ学校に通っているとはいえ直樹とはクラスが違う為、共通のバレーボールが無くなれば会話をする機会も合う機会も激減、いや、皆無になるのは目に見えていた。


「同じ実力なら身長のある奴を使う」


 レギュラーを外される時に監督から言われた一言が直樹に厳しい現実を突きつけたのだ。

 その為に『将来はオリンピック出場!』という無邪気な直樹の夢は本人の努力ではどうにもならない身長という現実の壁に立ち塞がれていた。

 尚のどんな慰めの言葉も傷心した直樹には響かなかった。とにかく直樹から離れたくなかった尚が放ったヤケクソの一言


「代わりに私がオリンピックに出場する!だから直樹も一緒に応援してよ」


 その一言が直樹を変えた。


「わかった!二人で『チーム尚』だ。全力でサポートするよ」


 何かを振り切ったかのように晴れやかな笑顔で尚を見つめて直樹は宣言した。それ以来、直樹は尚のサポートや裏方に徹して表に出ようとしなくなった。


「その代わり……」

「何か問題でもあるのか?」

「バレーボール一筋で恋人ができずに行き遅れたら、お嫁さんにもらってくれる?」


 タイミングも何も考えていなかった。ただ、立ち直った直樹の笑顔がまぶしくて、その笑顔に誘われるように尚は勇気をふし絞り、どさくさに紛れるように直樹に告白した。


「心配するな、大丈夫だ!尚は可愛いんだから」


 一世一代の勇気を振り絞った告白を直樹は受け入れてくれた。それが嬉しくて尚は興奮して舞い上がり、後に続く直樹の言葉は尚の耳に届いていなかった。


「恋人なんて選び放題、すぐにできるよ」



『チーム尚』たびたびその言葉を直樹が口にする。その絆さえあれば直樹は離れていかないと尚は信じている。

 高校受験をする時も敢えて強豪といわれる高校を避けて近所の高校に進学したのは『中途半端な万能プレイヤーなんて尚向きじゃない、尚の武器を磨くんだ』との直樹の発言に従ったからだ。

 これまで、そしてこれからもずっと尚の側にいるはずの直樹だが、近頃ちょっと様子がおかしい。

 本人の行動のみならず、直樹に対する対外的な評価も変わって来ていた。三年に進級して、進学予定の生徒が真剣に勉強に向かうようになり、成績上位の尚と一緒に試験勉強をしたいという者が何人か現れた。

 仕方なく何度か直樹との勉強会に参加させたのだが、そこで直樹の教え方の上手さに気が付いたようだ。成績は振るわないが指導力はあると勉強会に参加した女生徒の何人かが直樹に目を付けたのだ。

 とはいえ、直樹は普段から尚のサポートに忙しいので尚としては心配していなかったのだが、近頃ちょっと様子がおかしい。

 詳しく調べると、どうやらホワイトラビッツでの寮父を狙っているらしい。

 男女別の完全寮生活のホワイトラビッツ。『チーム尚』としてのサポートを考えると男子寮とは考えにくい。となると女子寮の寮父。

 そうなれば直樹を狙う女狐が現れないとも限らない。学生生活と違い寮生活ともなれば距離感が今以上に近づく可能性が高い。年代もバラバラだ。一時の気の迷い、誘惑もあるだろう。今更横からトンビに油揚げを取られるような事態は避けなければならない。

 部活終わりにマッサージを、年頃の風呂上がりの身体を前にしても平然としてる朴念仁。今更他の女に靡くとは思えないけれども油断は大敵だ。

 確かに尚は人見知りで簡単に他人には馴染まない。それは他人の悪意や害意に敏感に反応してしまうからだ。だからこそSNSなど外部の知らない不特定多数の人間と繋がるツールなどは論外だった。

 しかし、大事な物を手に入れる為には不断の努力が必要だ。それは普段からの直樹の姿を見ていて痛感していた。


『私に勇気をください!大切な人に気持ちを伝えたいのですが勇気が足りません。みんなに背中を押して欲しいです』


 一週間ほど前に作って二、三だけコメントして放置してあったSNSに勇気を出して書き込んだ。

 ネットの海原。その先にはどんな人物繋がっているのかわからないけれど藁にもすがる思いで、知恵を、勇気を求めて。

 しかし、ネットにうとい尚は知らなかったのだ。1万を超えるフォロワーの人的パワーがどのようなものなのか。


『公開』『サプライズ』『人前』『逆プロポーズ』etc.


 ネットの向こうから溢れ出す過激なキーワードと共に圧倒的な熱量が尚を押し流して行くのだった。



 ******



『書類にサインする前に大事な事を確認したい』と直樹は尚に近所の喫茶店に呼び出された。

 約束の5分前に着いた喫茶店はいつもの閑散とした落ち着いた雰囲気と違いほぼ満席に近い賑わいだった。

 先に着いていた尚が奥の席から手を振って直樹に合図を送る。用事があれば直接家に呼び出される為、外で待ち合わせる事がほとんどない直樹には新鮮な光景だった。


「お待たせ」

「ううん。こっち直樹の」

「ありがとう」

「砂糖とミルクは入れてる」


 席に腰を降ろした直樹は勧められるままにすでに用意されていたコーヒーに口を付ける。猫舌の直樹にとって丁度いい温度と甘さ。長年の付き合いの中で今更格好つけて甘党、猫舌のお子様舌を隠しても仕方ない。


「うん、美味しい」




「確かに全員寮生活と書いているな」


 直樹が契約書の一文を読み上げる。無論、直樹は知っていたし、その為に、常に尚の側にいられる寮父という立場を手に入れる為にあれこれと画策していたのだ。


「ここ読んで」

「何々?ただし、婚姻してる者、又、扶養する者を抱えている者は希望すれば退寮する事が可能」


 直樹は尚が指差す箇所を読み上げた。

 人見知りで団体生活を苦手とする尚にとって寮生活は苦痛である事は簡単に想像できた。出来れば環境を変えずに自宅から通いたいだろう。

 そう考えると、なるほど確かに婚姻は良い手だ。ただしそれは相手がいる場合であって、直樹の知る限りでは尚に男の影はない。

 たまに気分転換に遊びに行くのも買い出しに行くのも荷物持ちとして直樹を一緒に連れ出す程度で男の影はない。

 付き合ってる彼氏もいなければ、言い寄ってくる男たちからの告白も片っ端から断っていたはずだ。

 それでも年頃だけに好きな男の一人や二人くらいいるかもしれない。当てがあるならそれに越したことはない。美人で有名人の尚に告白されて断る男がいるとは考えにくい。

 しかしその場合、問題となるのは直樹自身の身の振り方だ。全寮制という認識で尚の世話をする為に寮父という立場を手に入れたのだが、尚が寮に入らないのであれば全く意味がない。


「ふむ、そういう事か。それで相手は誰?俺も知ってる奴かな?」

「直樹の面倒は私が見る」

「うん?何だって」


 尚の唐突な発言の意図がわからずに直樹が聞き返す。

 尚は顔色を変えずに同じ言葉を繰り返した。


「直樹の面倒は私が見るから、直樹はいつものようにサポートして」

「つまり?」

「私が直樹を養う」

「なるほど、そう来たか」


 扶養する者がいる場合も退寮可能。直樹が尚に養われればよい。つまりヒモ。いや、良いように言い方を変えれば専業主夫をすればいいのだ。現役を引退するまで10年、長くて20年。その間、食事管理、体調管理その他マネージメント。直樹にとっては別段、普段と変わる事は何も無かった。

 立ち位置として会社から給料を貰うのか、尚にお金を貰うのか、ただそれだけの違いだ。


「なるほど、なるほど。それは魅惑的なお誘いだね」


 目標を達成する。もしくは儚く挫折する。そして引退するまでは働かなくて食っていける。

 他の要因として考えられる事は尚に好きな男が出来た場合だ。彼氏が出来て結婚するとなった場合には直樹の存在は邪魔になるだろう。もちろん直樹に邪魔をする気は一切無い。祝福する気さえある。

 その場合はその時点で契約は解除という事になるのだろう。そんな事を考えていると直樹の胸が締め付けられる様な痛みを感じた。

 尚が好きな男と結婚したからといって、その時点で夢を諦めなければならなくなると決まったわけでも無いのに『気が早いな』と思わず直樹はため息を吐きそうになった。

 そんな自分を奮い立たせるかのように直樹はいつも以上に明るい声で言う。


「二人とも誕生日過ぎて成人年齢に達しているから両親の承諾とかも要らないから話が早いよね。後々説明には行かないといけないけど――」

「そんな事はない」

「うん?説明はしないといけないだろう?」

「もう四人とも承諾してる」

「えっ?どういう事?」

「もう四人には話してる」

「そ、そうなのか?」


 普段のポンコツ、もとい引っ込み思案な尚とは思えない段取りの良さに直樹は驚きを隠せなかった。


「じゃあ、うちの両親と尚の両親共に俺が尚に扶養されるのを許可してるって事?」


 いくら子供を手元に置いておきたいからと、退寮条件を満たす為の偽装結婚を簡単に許すとは思えなかった。


「『直樹なら大丈夫』だって言ってた」

「それはそれでどうなんだろう?」


 信頼されているのか、人畜無害だと思われているのか、どちらにしろ悩む前に深刻な問題は解決している様なので直樹は深く考える事はやめた。


「それじゃあ、後は書類を書いて提出するだけ?」

「そう」

「じゃあ、さっさと済ませようか。役所に行って書類を貰って――」


 言い終わる前に尚が一枚の書類を直樹の前に差し出して来た。婚姻届だった。しかも、尚が記入すべき欄は全て埋まっていた。普段のポンコツ具合とは比べ物にならない手際の良さ。そんなにも寮生活が嫌だったのかと直樹は驚いた。尚はやればできる子。もちろん直樹は知っているが、バレーボール以外には無頓着で何もしない。それが尚という人間だ。


「普段からこれくらいやればいいのに」

「してる。足りない分は直樹の役目」

「――そうだな」


 確かに尚が対外的にポンコツに育ったのは直樹がサポートという名目で甘やかしたせいかもしれない。言い争っても時間の無駄なので直樹は自分が記入すべき欄を埋めていく。そして最後まで埋め終えた。その後は一通り見直して記入ミスのない事を確認する。


「あとは役所への提出だけだな」


 直樹は書き終えた婚姻届を尚に渡しながら言った。

 ラブラブのカップル達ならばもっと一大イベント的にこなすのだろうか?彼女のいない、いや、いたことすらない直樹にはわからない。

 偽装結婚なら、逆に思いを込めずに事務的に淡々とこなす方がいいのかもしれない。

 正式な本番は大好きな彼氏と尚の二人でやればいいのだ。


「ちょっと待って。その前に」


 婚姻届を大事そうにポーチにしまいながら尚が言う。


「大事な事を直樹に言うね」


 改めて直樹に向き直った尚が口を開いた。


「これから一生、直樹を養う。だから直樹は今まで通りに一生、私をサポートして欲しい」


『何を当然の事を』と口を開きかけた直樹だったが尚の真剣な顔を見て思わず言葉を飲み言い淀む。


「もちろん、今以上に真剣にサポートしていくから、しっかり養ってくれよ」


 尚に負けないようにキメ顔で言う直樹だったが、その瞬間に眩い光に目が潰れた。

 室内だと言うのにフラッシュを焚くおばかさんが複数人いた模様。いい迷惑である。


「おめでとうございます!」

「素敵な彼氏ですね。あ、もう旦那さんって呼んだほうがいいですか?ちなみに出会いは?」

「これからも応援します。握手してもらってもいいですか?」

 まだ視力の戻っていない直樹は直接様子を伺う事は出来ないが会話の流れを聞いている感じでは周りに集まった複数人が話しかけているのは尚のようだった。

 やっと視力が回復した直樹の前に見覚えのある顔があった。


「いや、おめでとう。予想外と言うか何と言うか。とにかくおめでとう」

「はあ、ありがとうございます。ところで何かご用ですか?」


 直樹の前にホワイトラビッツの白川コーチがニコニコ顔で立っている。


「婚姻届を出すんだろ?証人が必要なら僕がサインしてあげようかと思って」

「それはそれとして必要ならお願いしますけど、本題は何ですか?」


 直樹本人がつい先ほど知った事実を赤の他人が事前に知るはずがなく、本題が他にあるのは明らかだった。


「やっぱりバレるよね。新しい契約書を持ってきたんだよ」

「すみません。寮父の件は辞退する事になりそうです――」

「うんうん、だよね。だからこそ今度の契約書は気に入ってもらえると思うよ」


 白川は直樹の言葉を無視して、隣の席に座ると鞄から契約書を取り出した。


「練習生扱いだけど男子部で契約してもいいって許可が降りたんだよ。ウチに入ってくれるよね!」


 直樹の肩をがっしりと掴んで離す気はないらしい。


「いやいや、プロとはレベルが違いますから。そもそも尚のサポートがありますし――」

「そうそう、そこだよ。奥さんのサポートとプレイヤー兼任でどれくらいやれるか見る為の練習生扱いね。両立出来そうなら本格的に、駄目なら奥さんのサポートだけにしましょう」

「直樹ならやれる」


 いつの間にやら人混みから抜け出した尚が隣に戻って来ていた。


「『チーム尚』の二人ともオリンピックに行っちゃいましょうよ!」

「そうだよ、直樹」

「まあ、これ以上人数が増えられると困るんだけどね。頑張るなとも言えないけど、控えてもらえるとチームとしてありがたいかな。お腹が大きくなるとプレイに支障が――」


『偽装結婚だから心配しなくてもお腹なんて膨らまないよ!』

 不意をつく白川の発言にギャラリーがいなければ直樹は叫んでいるところだった。


「子供は引退するまで我慢」


 合いの手のように吐き出す尚の言葉に直樹は頷いた。尚にも選ぶ権利がある。子供は『チーム尚』解散後、自由になった後に好きな男との間に授かればいい。


「三人は欲しいよね、直樹」

「えっ?」

「頑張ってね」

「ええ!?」

「いやあ、ラブラブだな。熱々過ぎて近寄れないよ」

「キャー!おめでとうございます!」

「えええ??」


 頭の中にハテナマークが渦巻く直樹は知らぬ間に囲まれた群衆に胴上げされるのであった。




「直樹、逃がさないからね」


 そう呟く尚の言葉は宙を舞う直樹の耳には届かなかった。



 〈了〉

読んでいただきありがとうございます。

『無口な幼馴染に嵌められて』も読まれた方は今作とどちらが好みか、感想の一言でも頂けるとありがたいです。今後の創作の励みになります。

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― 新着の感想 ―
[一言] あんまり無口キャラ好きじゃないけどこの子はかわいいっすね とても良かったです
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