第五話
「君が死ねって言ったから死んだんだ」
「あ〜あ、人殺し、はっい、人殺し‼︎ 人っ殺し、はいっ‼︎」
私は木椅子の上で俯き、正座をしていた。丁度、膝の間、木椅子に緑の芽が生え、育ち、木と成り、捻れ、伸びる。
顔の先では、黒色のインクで塗り潰された様な顔を持つ裸の女達が、見下ろしてくる。お前が殺した、人殺し、と聞かされ、目の前でグルグルと踊られ、時折腹や腕を殴られる。痛みは無いが殴られた感覚は理解出来てしまう。以前、本で読んだ事があり、知っている。これは明晰夢だ。
自分の顔の位置に、蕾が出来た。開くと、中には鏡があり、私は自身の沈鬱な表情を嘲笑った。
風でガラスが叩かれたのだろう。ガタンと音を聞き、私は目を開け、薄暗い現実の借り部屋の天井を眺めた。
身体を起こそうと、掌を突き、
「っ痛……」
喘ぎ、肘をついた。
身体の節々が痛み、自分を見回し、触れ回ると、左腕には包帯が巻かれており、頬には絆創膏が貼られている。左脛には大量の痣があり、左目は瞬きをするだけで痛む。全身を使い、周りに気を配りながら、身体を起こす。膝付近では、サクラさんが涎を垂らしながら眠っており、枕付近には、私が今日の昼に読んでいた小説と、その続巻が置かれていたのだ。
私は身体を起こし終えると、畳上の至る所に置かれている大皿に、首を傾げ、本で作られた五〇センチ程の山を一瞥し、恐らく薄ら笑いを浮かべた。ここへ来た日を、四日前を、思い出したのだ。
その日、その瞬間は特に、私は彼女達を警戒していた。
手を繋ぎ歩く彼女達の後ろを、廊下を、私は強く拳を握って、歩いていた。自己紹介をするタイミングは無く、部屋の案内が始まっていたのだ。後に自己紹介は行われたのだが、その時は忘れていただけらしい。
「家にあるものは自由に使って貰って構わないよ」
その言葉以外にかけられた言葉は、無く、レイギルトさんはサクラさんが舌を回す事を注意していた。それに反抗する様に、サクラさんが彼の手を強く握る。
ある部屋の前で私は息を呑んだ。そこには無数の本が並んでおり、金と黒をベースにした、絵本に出てくる美しい図書館の様な部屋だった。レイギルトさんの書斎だ。
「これ読んで良いんですか? 本当に自由に読んでも?」
私は、今先程まで抱いていた警戒を忘れ、眼を光らせていたと思う。
「……やった」胸の前で拳を握って、思い出した様に、顔を熱くし、冷静を繕い、しかし、彼に勧められるがままに、本を選ばせて貰い、一冊の心理学書を抱いていた。笑顔だったと思う。
本の山を一瞥後、私は、腕を枕にして眠っているサクラさんの横顔を眺め、目を逸らした。
都合の良い時だけ笑うのかな。
彼女の手を払った自分の右手を凝視め、首を傾げた。
「謝るのも不自然かな……」窓の外から聞こえる雨音よりも小さな声を溢していた。
私は暗然と銀色の雲を眺めていた。晴れている時に揉めて、雨が降る、母の死んだ日と重なって、時折目を逸らして、また眺め始める。
四年前の誕生日に、私が両親にお願いしたのは、お母さんお手製の刺繍が入ったお洋服だった。その頃、私の周りでは、親に刺繍を入れて貰う事が流行っていた。その時の私の世界に存在するみんなの流行りだった。
でも、私は一枚しか持っていなかった。友人の母が量産して配っているポーチしか持っていなかった。
私の家は裕福とはいえなかった。父は私が寝た頃に帰ってくる。仕事人間だ。母は父が働きに行っている間も、大抵昼寝などをしており、ギリギリ家事を終えている。ダメ人間だ。でも、二人は優しく、そんな両親のことが私は好きだった。
刺繍には多少の手間はかかるだろうが、お金は掛からず、丁度いい、と思い、刺繍の入った服をお願いした。でも、誕生日、私はそんな些細な物さえ貰えなかった。
夕方、父が仕事を切り上げて、帰ってきた。笑顔で、ジャーン、と言うと、赤い華の刺繍が入った白いワンピースを手渡された。でも、恐らく、私の笑顔は一瞬にして消えたと思う。私は、直ぐにそれが、ポーチの製作者、つまり友人の母が、刺繍した物だと察して、首を傾げたのだ。
「誰が作ったの?」
父は目を逸らし、母は何かを言おうとした。私は何も言わせず、同じ言葉を連呼した。
「誰が作ったの?」
彼女達が口にする全てが言い訳に聞こえた。私は激情し、机を叩いた。
「なんでみんなはして貰ってるのに、私だけして貰えないの? なんで……私だけ……もういい」
唇を噛み締め、涙を見せるのも格好が悪いと思い、強い言葉を考えながら、部屋を後にした。
「私ばっかり不幸で、嫌な事ばっかり。みんな幸せなんだ。自分勝手だ。そんな奴らは、みんな全員、お母さんもお父さんも、不幸になって死んじゃえばいい」
吐き捨て、玄関の扉を叩き締めた。人生で初めて家出だ。
六歳児には家出は早過ぎたのかもしれない。絵本の中の様な、冒険感は一切無い。虚しさと寂しさを抱いては、お母さん達が悪いんだ、と地面に吐き、小石を蹴って歩く。
暇だな。お腹空いたな。知らない大人は怖いな。外も暗くて怖いな。
私はトボトボと暗い帰路についていた。
羞恥心と罪悪感はまだ残っていて、私は小さな声で、俯いたまま、ただいま、と言った。返答は無く、出迎えもなかった。
数歩でリビングに着くと、私は父親の背を見た。彼は鞄に何かを詰めており、私には気付いていない様子だ。私は呆然と辺りを見渡し始めていた。母の姿が無いのだ。
私を探しに行っちゃったのかな。
私は父に歩み寄ると、再度、ただいま、と言った。その声で父が振り返り、
「あぁ、セリシア、帰って来てくれたんだね」
と言うと、また背を向けた。
謝らなきゃ……。
私はギュッとズボンの裾を握った。
「お父さん? あの、さっき──」
「それで、いきなりなんだけど、お母さん倒れたから、今から病院に行くんだけど」
謝罪の言葉を忘れて、私は、へ、と阿保の様な声を上げると、また辺りを見渡していた。
「なんで……私のせい?」呟く様に言った声は、ドタバタと狭い部屋の中を走る父の耳には届いていない様だった。私は、首を振るって、立ち尽くしていた。
「お婆ちゃんが先に行ってくれてるんだけど、セリシアも来るか? セリシア、お父さんと一緒に来るか? 行くか?」
「……行く」反射的に返事をしていた。
私は以降母に会えていない。
数日後、私は黒い服を着て、親戚の叔母ちゃん達の話を聞き、知った。お母さんは病気を患っていたのだ。
「そんな事ないよ、私、いつも一緒だったから分かるよ。お母さん病気じゃないよ」
私は祖母にそう言っていた。母が死んだという事実は間違いだと思っていた。
今考えても、母は演技が上手かった。咳払いをしめいる姿すら数回しか見た事がない。薬を飲んでいる姿も見た事がない。
時折買い物が長い日があった。今思えば、通院をしていたのかもしれない。
母が埋められていく光景を見て、
「嫌だ嫌だ。なんで産めるの。まだ生きてるよ、中を見てよ。嫌だよ」
と泣いた。
四日程経ってから、祖母がある物を見つけた。日記だ。もう一つは、創り掛けの、花の蕾の刺繍、が入った白のワンピースだ。ワンピースには血がついており、日記には、
「セリシアが育と一緒に花の蕾も私が咲かせていきたい。セリシアが大きくなって、花が咲くまでは生きてあげたい」
「血がついてしまった、急いでやり直さなきゃ」
「後二日しかない。間に合わなかったらどう謝ろう」
「不甲斐ない、母親失格だ」
と震えて書いた様な字が並べられていた。
窓の外が光り、私は、乾いた喉を鳴らし、雷の音を聞いた。
「ギギィ……」
サクラさんが雑に自身の頬を掻くと、数回瞬きをした。私に気が付いた様で、ギ! と言う。
私は反射的に、さっきはごめんなさ──、と言い切る前に、彼女に抱き締められていた。
「痛っ」私は咄嗟に言っていた。
サクラさんは、私から直ぐに離れると、頭を下げ続けてている。
「だ、大丈夫です」
私が手で制すと、彼女は一瞬俯き、天井を見上げ、右人差指を顎に当てた。ニコリと笑うと、白のTシャツの上から、両手で自身の胸を揉み集める様な動きを始めた。彼女は、不満気な表情を浮かべる。左手で米神付近を掻くと、自身の桃色のツノを撫で、先をツンと指で弾き、私のいるベッドの下に体を潜らせ、何かを漁り始めた。
ピョコンと顔を出した彼女は、笑顔を浮かべると、猫耳の様なカチューシャを被る。ズボンをずらして、隙間から尻尾を生やす。胸の前で、両手でハートを作ると、投げキッスをして、
「ギギ〜」
と言い、優しく、抱きついてきた。私は優しく何度も何度も撫でられていた。桜の匂いがした。私はいつしか少しだけ泣いていた。
扉が開き、レイギルトさんが部屋に入ってきた。私は、二人にご迷惑をおかけしました、と頭を下げた。いいよ、いいよ、と柔い声で言われ、顔を上げる。
私は直ぐに俯いていた。レイギルトさんの瞳が以前よりも一層暗くなっていたのだ。彼が一瞥した先、サクラさんの左腕には、沢山のシミの様な治りきっていない切り傷の跡が残っていたのだ。
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