第一話
「君はパライバトルマリンって知ってる?」
「聞いた事もないけれど、そうだな、バトルって入るぐらいだし、戦闘ものの小説のタイトルかい?」
「いいえ、違うわ。もっと、高価よ」
「だったら……花かい?」
「外れ。もう、君は何も知らないのね。花を君との会話で出すと思う? 何度も興味ないって言われたのよ。軍人さんって……いいえ、何でもないわ。宝石よ、土地の名前がついた石の名前」
「軍人には乙女の心は無いよ。童貞の気持ちは忘れないけれどね。みんな、ロマンチストじゃないんだ、仕方が無い。軍人病とでも名付けようかな。というか、今の問題は少し意地悪じゃないかい? 作家や写真家、ジュエリー屋さん、そういう仕事をしている人達にしか答えられない問題じゃないか」
「いいえ、ユリリアスは答えてくれたもの。彼、学生さんよ? 何処かの軍人さんよりも知的ね」
「残念だなぁ、軍人がロマンチストじゃないって確固たるものが壊れてしまうじゃないか」
「あら、どうして?」
「あいつ、来月から僕の下に就くからね」
「下なんて、嫌な言い方」
「そうかい? 軍人は上下がハッキリしているからね。それで、そのバトル何とかが、どうしたんだい?」
「いえ、ただ……ただ君の瞳によく似た色をしているのよ。それだけ」
「それだけ?」
「そうよ」
「美しいんだろうね?」
「さて、どうでしょう」
「バトルなんだっけ?」
「今度本で見せてあげるわ。お家でね」
「下品だなぁ」
「そうかしら? 君程じゃないと思うわよ」
彼女と交わした会話を思い出していた。僕は自身に向けられた銃口を凝視め、鏡の様に、相手に銃口を向けた。僕達は、すまないな、ありがとう、と二言揃えると、互いに引き金を引き、眉間に撃ち込み合った。弾ける様に背後に倒れ始めた。耳鳴りを感じる。意識が遠退く。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ──死ねる。
「「アハハハハハハハハハハハハッ──」」
僕達は目を見開き、大声で笑いながら、倒れ続け、後頭部を打った。意識が途切れる瞬間に、僕は目を覚まし、いつもの様に呟いた。
「またか……──は⁉︎」だけれど、夢現は直ぐに途絶え、僕は目を見開いた。ドクンドクンと鼓動の音を聞いていた。僕は、僕に跨り腰を振るツノの生えた華奢な女を、一瞥し、首を振い、その笑顔を睨む。犯されていると漸く気が付いた。
「うぁぁぁあああ‼︎」左腕が肘先までしかない僕は、彼女の左腕を掴み、足掻いた。だけれど、直ぐに嘆息すると、瞼と腕を下ろした。
どうせ相手は吸血鬼なのだから、腕力で敵うはずがない。それに殺して貰えるなら、本望じゃないか。何がいけない。罪悪感か? まだ生きた方が償えるか? 僕は生きていて本当に償える人間か?
「いひひひひひっ」僕は、自分の笑い声を聞いていた。恐らく戦時中に得た防衛本能の様な癖で、困った時に笑ってしまうのだ。
僕は、揺らされながら、彼女を眺め、美しいな、と呟いていた。
彼女は泥に塗れていた。白っぽいワンピースは破けており、薄水色の下着も付けている。髪は桃色で、胸に掛かる程の長さ。眉間辺りから生えている牛角の様な形の小さなツノは、薄桃色。服の下から見える肌は、雪の様に白く、顔や腕は、日に焼けたのだろう、紅くなっていた。瞳はミントグリーンベリルの様であり、僕はその瞳を眺め続けていた。
「ギィギ?」彼女の表情に柔い笑みが浮かんだ。大きくなる瞳を、僕は見詰め、彼女に唇を奪われ、見失い、彼女の髪の下で目を閉じた。
口の中で、桜の花の匂いが広がった。髪からも同じ匂いがした。僕は彼女の背に手を回していた。彼女の舌が口から離れ始め、瞼の裏が赤くなった。
「殺さないで下さい」「危害を加えるつもりはありません。直ぐに離れます」「殺す、殺す、殺す」「お願いします」「お前だけは絶対に許さない‼︎」
僕は、脳裏で聞こえた声に首を振るい、息を切らして震えながら、目を開けた。彼女の涎が頬に落ちてきた。
死ぬ……死ねる。殺して貰える。
僕は彼女の八重歯を見て、彼女が凝視める首を、傾けて差し出した。
「……殺すなら、残虐に頼む」囁く様に言うと、僕は目を閉じた。
胸に手が置かれた。唇の上を髪が掠めた。耳元で吐息を聞いた。だけれど、首筋に感じたのは、柔い舌が肌を撫でる感覚だけだった。僕はゆっくりと目を開いた、その瞬間、歯が肌を突き抜け、肉に食い込んでいっている事に気が付いた。実感を得てはいるが、全く痛く無かったのだ。
「ギギギギィ‼︎」
彼女は唇の上で舌を回すと、妖艶だけれど無邪気でもある小悪魔の様な笑顔を浮かべた。僕は、彼女の唇を受け入れ、彼女の桜の匂いを嗅ぎながら、揺らされ続けた。
朝の九時になったのだろう。玄関で電話の音が鳴り響いた。
彼女は音源の方を、扉の方を、一瞥すると、僕の目を一瞥し、身体を起こし、僕から離れ、ベッドに座り、寝ている僕を眺める様にして、首を傾げた。
「ギィギ?」
僕は頭を掻きながら、立ち上がり、部屋を後にし、電話を取った。いつも通り、ユリリアスからだったが、彼との話など頭に入らず、疑問ばかりが頭の中で騒いだ。
どうして彼女は僕を殺さなかったのだろうか。彼女は、人間が恐怖心という化け物を飼っている化け物だという事を、知らない純粋な子なのだろうか。僕を生かして新鮮な血を生み出させるシステムを作りたいのだろうか。どうして彼女の身体は何処も桜の花の匂いがしたのだろうか。どうして彼女は話せないのだろうか。
いつの間にか、いつもありがとな、と付け加える事も忘れて、僕は通話を終えていた。
湖で冷やされた心地の良い夏風を感じながら、部屋に戻ると、彼女はベッドの上でちょこんと正座をしていた。普通の女の子に思えた。
彼女は窓の外を眺めていた様だった。部屋に戻った僕に気が付いた様で、
「ギギギィギ」
と言い、ツノの生えた頭を深々と下げてきた。
反射的に頭を下げていた僕は、顔を上げると、彼女の横に置かれた瓶を一瞥し、彼女が慈母の様な笑顔で抱いて撫でている瓶を、凝視めた。その瓶の中には、変色した血や体液、人骨が入っていた。
やっとだ。やっと、死ねる理由が見つかったかもしれない。
僕は薄ら笑いを浮かべていた事だろう。
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