140:黒
「いったい何だ此処は……」
俺は改めて周囲を見る。
空からは黒い雨が降っている。
だが、ゴーレムから伝わってくる感触からして、水ではなく油が降ってきているようだ。
そんな油を降らせている雲も当然のように黒く、分厚いように感じる。
しかし、そんな分厚いはずの雲の向こうには強烈に輝く太陽があるらしく、雲越しでもなお眩しさを感じるほどの光が射している。
『ブブ。場所は陽泉坑道・プラヌライのままのようです』
空から地上に目を向ける。
俺が今立っているのは、屋根が無くなっているが、地下鉄の入り口の階段のような場所であると同時に少し高台であるらしく、黒い土の地面になっている。
そこから少し外れれば、降り注ぐ黒い雨が溜まって出来たのであろう黒い油の海が広がっていて、降り注ぐ雨による波紋が見える。
もう少し先に目をやれば、油の海に沈んでいるビル群が見える。
見える範囲でも数十階建てのビルが斜め、あるいは完全に横倒しになって沈んでおり、遠くの方を見れば……巨大な鉄塔のように見える何かが傾いた状態であるように見えた。
「いや、どう考えても広すぎるだろ。たぶん露天マップどころじゃないぞ」
『ブン。そうですね。とてつもなく広いです』
そして、そんな空間には腐敗臭と石油臭が混ざったような臭いが立ち込めている。
魔物たちのものと思しき声や移動音が響き渡っている。
遠くの方で点のように見える何かが唐突に起き上がり、移動し、海の中へと沈んでいくような動きが見える。
で、その遠くの方と言うのは……少なくともキロメートル単位で遠くだと思うので、この空間が途方もなく広い事はほぼ間違いないようだ。
『……。トビィ。いくつか報告があります』
「なんだ?」
と、ここでティガから報告が入る。
『恐らくはこの空間に入った時点からですが、配信が強制停止になっています。また、外部からも情報が入ってこなくなりました』
「……。ここを知っていいのはたどり着いた当人だけって事か」
『ブン。恐らくは』
配信が強制停止になった、か。
となれば此処は運営側ではなく開発側のスペースで、おまけに大多数には教えたくない場所なんだろう。
どうやら俺はかなりとんでもない場所に来てしまったようだ。
『また、この雨……と言うよりは油に似た黒い液体ですが、触れることでインベントリを侵食、インベントリ内に存在している緋炭石や特殊弾に悪影響を及ぼすらしく、既にトビィの手持ちの緋炭石と特殊弾は使用に適さない状態になっているようです』
「マジか……」
『ブン。マジです』
おまけに緋炭石と特殊弾が使用不可。
つまり、燃料補給は出来ず、特殊弾によって戦闘を優位に進める事も叶わない、と。
まあ、死に戻り確定なのは強硬偵察だからどうでもいいのだが、長時間の活動が出来ないのも、戦闘が圧倒的に不利になるのも問題だな。
『まだあります』
「まだあるのか……」
『外部との連絡が途絶しているにもかかわらず、先ほどから奇妙なノイズのようなものを受信し続けています。恐らくはこの場を支配する何者かからのメッセージのようなものでしょう』
「……。再生してくれ」
『ブン。分かりました』
メッセージか。
嫌な予感しかしないが、強硬偵察をしていると言う立場上、聞かないわけにはいかないな。
『では、再生します』
そしてティガがメッセージを再生し……。
≪lplpjs、どみょmsと。ふbるぶぇlmy≫
≪yしょdstr。rlるあぇw≫
≪dszpmsぃんs、gぅhちあいぇy≫
「っ……!?」
俺は思わず怯んだ。
メッセージの内容は分からなかったが、言葉の主が放った悪意、殺意、害意と言った負の感情が尋常なものではなく、俺でも感じ取れるほどに激しく鋭かったからだ。
なんとしてでも俺を排除すると言う意志を叩きつけられたのだ。
『以上です』
「こいつは……なるほどヤバいな……」
『トビィ?』
そうしてメッセージを受け取り、此処が敵の本拠地であると理解した事で、俺は周囲の異常にも気が付いた。
此処は飛行系の魔物が外に出ていくため通路だったはず。
であれば、こんなやり取りをしている間にも何十体と言う魔物が俺の近くに来ているはずだった。
なのに、俺が此処に来てから、一体の魔物も近くに来ていない。
これは明らかに異常な事だ。
では、相手がこちらを排除しようと言う意志を固めているのに、見張りの魔物の一体もこちらに寄ってこないのは何故か?
そんなのは決まっている。
「来るぞティガ。と言っても、今の状況じゃ、励ましの言葉くらいしかかけられないだろうけどな」
『ブ、ブン? ブ、ブブ。あれは……』
もう処刑人をこちらに寄こしているからだ。
「……」
黒い油の海の中から人影が現れる。
人影の体についていた油はあっさりと海へと落ちていくが、油が落ちた後も人影の体は黒いままだった。
それもそうだろう。
人影は全身に黒い鎧を身に着け、手ごろな大きさの黒い盾と、手ごろな長さの黒い剣を握っているのだから。
「侵入者ヲ発見」
『ブ、喋った!?』
「仮称、ブラックナイトと言うところか」
人影……ブラックナイトは剣の切っ先を俺へと向ける。
その時に覚えた感覚は、ゲームの中の俺ではなく、現実の俺へと刃を向けられたかのようなものだった。
声もどうしてか、聞き馴染みのあるように感じた。
どうすれば勝つことが可能なのか、そもそも攻撃が通るのだろうか?
「排除スル」
しかし、そんな俺の疑問を解消する時間などなく、ブラックナイトは俺に向かって切りかかってきた。