7日目
クロが召喚されてから七日目。
時告げ砦にとって、この日はとても重要な日だった。
別にクロそのものとは関係ない。
前回の儀式に費やした魔力が再び溜まり、三度目の召喚術を行えるからである。
「…調いました。先生」
「ありがとうございます。では、まいりますよ」
描いた魔法陣に魔力を走らせる。
前回と違うのは術師の立ち位置だ。陣本体から十歩ほど、同じ塗料で引いた直線が両者を繋ぐ。
クロの発案である。マクダとカールは話せたが、次も安全とは限らない。
そのマクダとカールも、今日はここに呼び出されていた。
半分は護衛、もう半分は顔合わせが目的。
ただでさえ勝手な理屈で呼び出し、なおかつ元いた場所へ戻れないのだ。
適宜情報を開示したほうが反感は少ないだろうと、術師とクロの意見が一致した。
無論クロとて被害者である。理不尽が過ぎれば、マクダ達につくくらいのことはするだろう。
「来るぞ……っ」
両手剣を構えるマクダが最前列。すぐ後ろに一応武装したカール、横に少し離れてクロ。
実質的に、マクダ以外は意味がない。魔法で戦える術師も、今は儀式に集中している。
子供以下の戦力しかないクロが前に出るのは、いち早く声をかけるため。
前回の経験からして、召喚されてくる相手は確実にここの言葉を理解できない。
それでも意思疎通ができると判れば、余程の野蛮人でもない限り攻撃をやめるだろうと。
床が虹色の光を放ち、一瞬ホワイトアウトして晴れた。
じんわりと中央から魔法陣の光が消えてゆく。上書きできそうな痕跡を残して。
「や……や、や、や、や。どこですかな、ここは……?」
落ち着いた男の声がする。中年に差し掛かった、耳障りのよい柔和な印象の。
例によって、言葉の意味が分かったのはクロだけ。
しかし直接的な脅威にならないことは、誰が見ても分かる。
剣の切っ先を下ろし、やや気抜けした顔で半身振り返るマクダ。
視線を受け止めたカールは、どうにも面白くなさそうだ。
それは今召喚されてきた男の、いかにも素性の分かりやすそうな格好のせい。
雑多な荷物をこれでもかと背負っている。そして草臥れた旅装。
旅商人。そう考える……この時代、この国に住む者なら。
「…なん、だこれ……うわっ」
「ああ、怖がらなくていいよ。大丈夫大丈夫」
物騒な両手剣を軽々と携えたマクダに悲鳴をあげる。
そして逃げ場がないことを確かめると……あっさり降参した。
見た目のとおり、腕ずくで生計を立てる者ではないのだろう。
「はあ、ダメですね。敵いません。命だけは助けてほしいのですが……」
「……まあ、ねえ。オレが言うのもなんだけど、あんた弱そうだし」
「おや、言葉が通じる?とするとここは、エフリカ大陸のどこかですか?」
「その名前は知らない。多分、あんたの言葉が分かるのはオレだけだ。
そしてオレ達は、あんたと同じ被害者であり加害者でもある……」
あ、でもあっちの人だけは百パー加害者ね、と付け加えるのを忘れない。
「……クロさん……」
「訂正。被害者と加害者が半々。オレは7:3、そっちの二人は9:1かな?」
軽く笑い、大きく開いた右手を差し出す。
互いの手を握るには、少しばかり遠すぎたが。
「オレはクロ。あんたの名前は?」
「…ゾンダーク。見てのとおり、商人ですよ」
ゾンダークと名乗った男は、驚くほど早く砦の暮らしに馴染んだ。
簡単に、という意味ではない。時間が短いというだけである。
何しろ召喚された日の夕方には、兵達を相手に商いを始めたのだから。
「チョコレート3粒にタオルですね。まいど」
言葉は通じていないが、笑顔で軽く頭を下げる。
それだけで買った客は気をよくするものらしい。
話ができないのに商売が成立するのは何故か?
無論、一緒に中庭の片隅で座るクロの尽力があってのことに他ならない。
いい加減疲れており、案内役の務めとはいえ明らかにうんざりしている。
胡乱な眼差しを向けつつ、不機嫌そうに言い放つ。
「それで?これはいつになったら終わるの」
「まあまあ。そう仰らずに……」
また次の客を探そうとする男。
しかし、さすがにこれ以上待つわけにはゆかない。
「飯の時間なんだってば。これ逃したら朝まで食べられないよ?」
「それは大変だ。早く行きませんと」
即座に荷物をまとめ、食堂はどこですかと聞いてくる。
「奥入って左。あー……オレは将校扱いだから」
ゾンダークをやんわり止めるも、構わずついてこようとする。
「今こそ商機というものです。将校の皆様にご紹介くださいませ」
自分の食事は後回しらしかった。
本物の商人とは、こういうものか。感心するというか呆れるというか。
食い気極大の旅篭の息子、カールとは大違いである。
あるいはここに来る前、安定した暮らしを営んでいたのだろう。
「そうだ。忘れておりました」
言いながら、ゾンダークの右手がクロの胸元に伸びてきた。
反射的に身を引いて払いのける。大袈裟な反応に、一瞬戸惑う。
「これですよ。お納めください」
小さな包みだった。中身については、彼の素性を思えば大抵の者は分かるだろう。
軽く咳払い、何を取り繕ったのかはクロのみぞ知る。
「…えっと」
「少しばかりですが。あなたの取り分です」
これからもよろしく、という意味も込められていますと口に出して説明する。
どうやらクロのことを、土地柄の悪さにささくれ立つ役人の類と考えたようだった。
「……あ~。うーん……」
「どうかなさいましたか?…やはり少なかったので?」
「違う違う。これだけにしとくわ」
大銅貨2枚。店の手伝いをした時間の手間賃としても安い。
渡された銀貨を返すと、商人が弄ぶそれを掠めとった。
結論から言うと、クロは商人を将校達に紹介しなかった。
より地位の高いひとりに、改めて紹介したのである。
「先生。遅くなりました」
「おや、クロさん。随分と繁盛したみたいですねえ」
賄賂のことがバレたわけではない。そもそも賄賂というほど高額でもない。
売り子の賃金だと思えば、適正どころか叩き売りだ。
「やあ、あなたは先程の。クロさんのお師匠様でしたか?」
全く言葉が通じないながら、屈託ない笑みを浮かべるゾンダーク。
その手には、クロと同じ食事のトレイが乗っている。
料理番に銀貨の二枚も摑ませたのだろう。
術師の向かいに腰かけたクロ、さっそくとばかり報告する。
「一日一緒にいましたけど、ただの商人です。
オレと同じで、槍なんか持たせても役に立ちません」
「たは。これは手厳しい」
片手で顔を覆い天を仰ぐ。
最初から予想できたのか、術師は特に残念がるでもなく頷く。
「そもそも自分で仰ってましたからね……それで、彼にできそうな仕事は?」
「はい。前から思ってたんですが、ここは娯楽がなさすぎます。
どこかの町で潤いになりそうなものを仕入れてもらうのはどうでしょうか」
ゾンダークが口笛を吹く。身の安全さえ守れるなら、商人としては本望だろう。
だが術師の表情は、あまり芳しくなかった。
「言葉はどうするのです。クロさんを通訳に出すわけにはいきませんよ」
「…ちっ」
「クロさん?」
「いえ、なんでも……じゃあ、しばらくここで出納係。物資を管理させれば。
言葉に慣れてきたら、買い出しに行かせるのはどうでしょう?」
「そもそもの問題があるのですよ」
術師の表情は、相変わらず芳しくなかった。
「前に補給を求めたとき、少人数で行ったでしょう?
あれはここの場所を知られたくないからなんです。
植生を見れば北か南かくらいは分かりますが、詳細な位置は」
「え?じゃあここの兵達は、どうやってここに来たんです?」
「目隠しの上に、私が催眠状態にして歩かせました。
砦将と士官数名を除いては、皆ここがどこか知らないのです」
(更新中)




