5日目
兵卒用の食堂、その近くの廊下にて。
「よ」
「ああ……オハ、ヨウ」
「あのガキ、どうよ?」
「カール、カ?…ムズカシイ、ヨウダ」
「強くなりたいってなら付きあうぜ……っててて!」
「コノテ、ナンダ。オマエモ……ツヨクナリタイノカ」
悪い癖があるらしい腕をマクダが捻り上げたところ。
こちらは士官食堂へ向かう途中のクロが通りかかる。
ちら、と視線を向けるだけで立ち去ろうと。
「こら。おはよう」
「…いや。取り込み中みたいだったから……」
「い、いやいやいや。術師見習いさん見捨てないで助けて」
……えぇ、と面倒くさそうに呟く。
やはり分かったうえで無視していたらしい。
救いの手は、別のところからやってきた。
やや疲れ気味のカールである。
「マクダカツ……ヒャクネンハヤイ」
「…ガキのくせしやがって何でお前が偉そうなんだよ……
いやいや悪かったって!マジ離して、そろそろ折れる」
「オル。テクセ、ナオルカモ」
ゴキ、と鈍い音。一瞬蒼褪めたが、折れてはいないらしい。
強張っていた関節を鳴らして解しただけのようだ。
すごすごと逃げてゆく。へっ、と笑うカール。
何故彼が得意げなのか、相変わらず分からなかったが。
改めて士官食堂へ向かおうとするクロを呼び止める。
「なっさけねぇの。そんなんのくせに士官扱いかよ……ずりぃぞ」
本音はどうやら、最後の部分のようだ。
士官は少しだけ、ほんの少しだけ兵卒より食事がいい。
「オレは頭脳労働者だから」
「はっ。召喚なんかより剣のほうがカッコいいね。
俺はマクダみたいに強くなるんだ」
クロは興味がないようだ。そこへ術師がやってくる。
「おはよう、クロさん、マクダさん、カール君。
元気そうで何よりですよ」
「おはようございます、先生」
「オハヨ、ゴザイマスジュツシドノ」
「オ、ハ……ヨウ」
「まだ難しいですかね、こちらの言葉は……
でも作戦を理解できないと命にかかわりますから、
こればかりは頑張ってもらうしかありません」
その点に関しては、幼いカールのほうが適応力を見せていた。
宿屋の息子だったという彼は、元々母語の読み書きができた。
宿帳を書いたり書かせたりするためである。
他にも仕入れの契約を交わしたり、読み書きは重要だ。
その村に偶然立ち寄ってカールと仲よくなり……というか
懐かれただけのマクダは、意外にも教養がさっぱりだった。
職業は傭兵まがいの冒険者。盗賊を退治したり、商人を護衛したり。
領主同士の諍いが起こったときなどは、戦場に立つこともあるとか。
そういうわけで、あの腕前らしい。まあ納得できる。
それはさておき、二人に言葉を教えるのもクロの仕事だった。
「先生。明後日の、儀式の準備ですが……」
「それはまだいいので、二人についていてあげてください。
大丈夫だとは思いますけど、マクダさんは女性でカール君はまだ幼い。
カール君向きの仕事を探してあげるのも、君の仕事ですよ?」
「あ……はい」
「とりあえず食事にしましょう。明後日のことは、そのときにでも」
では、と会釈をして二人と別れる。
席に着くや術師は、いつも悩み深そうな額の皴を一層深く刻んで言った。
「……先程も言いましたけど、問題はカール君だけじゃないんです」
「マクダさんが女性だから、ですよね。妙に砦の中が浮ついてます」
「ええ。彼女が強いから何も起きてませんが、あくまで今のところ」
「言葉を覚えたら、騙される可能性が出てくる?」
「君の見たところ、素直な性格なのでしょう?」
風紀の乱れは、規律の乱れ。戦わずして軍が崩壊するなど、
あってはならないことだがありそうだから頭が痛い。
「…もうひとつ懸念があります。そういう連中ほどカール君を邪険にします。
万一殺されでもしたら、マクダさんは私達を敵とみなすでしょう」
ごくり、と生唾を飲み込むクロ。
「そうならないようにするのが、わたしの仕事……?」
「儀式の細部を覚えるよりも、重要な役目です」
元よりクロが、自分から言い出したことである。
「…分かりました」
「それと、もうひとつ。二人にも何か特別な能力があるのでは?
クロさんがマクダさん達と私達、両方の言葉を話せるのは
召喚の副作用かもしれないと思うのです」
「…調べて、どうします?」
「適材適所です。カール君は兵士になりたがってますが、
当然年齢的には早いし、向いてるとも限りませんからね」
「……適材、適所……」
ぽつりと呟くクロ。
「…分かりました」
ゆっくり食事を終えると、練兵場に足を向けた。
「…術師見習い殿かよ。こんなとこに何の用だ?」
「今日は相談役のほうで」
「マクダは問題ねぇぞ。あのガキ引き取ってくれんなら歓迎するぜ。
それとも、てめーのほうを鍛えなおしてやろうか?あァ?」
「遠慮しときます。用があるのは二人ともです」
ちっ、と不愉快そうな舌打ち。それから組手中のマクダは視線、
木刀の素振りをするカールは親指で示す。
ありがとうございます、と無感動に告げてカールの許へ向かう。
「訓練中悪いね、カール。少し訊きたいことがあるんだけど」
「……何だよ」
傍に来てもやめなかったが、話しかけられて仕方なくといったところ。
木刀を下ろして一息つくが、相変わらず視線は向けない。
「オレがカール達の言葉も、ここの言葉も分かることは知ってるよな。
勉強してたわけでもないのに、いきなり話せるようになった。
オレの先生は、召喚の副作用で与えられた特有の力だと思ってる」
「……?」
カールはまだ何のことか分からないようだ。話を続ける。
「二人とも先生とは話が通じなかった。てことは、もしかしたら……
それぞれ違う力を持っているんじゃないか。そう考えたんだ」
「俺とマクダにも、そういうワケ分かんねぇ力が?」
頷く。爛々と目を輝かせ、明らかに興味を持っている。
聞いていた兵達も同じ様子だった。カールが役に立つのか、
あるいはマクダに敵わないのはその力のせいではないかと。
組手がひと段落したマクダも、クロのほうへやってくる。
「どうした。何か用事か」
「ああ、マクダさん。お疲れのとこ悪いけど、確認したいことがあって」
カールにしたような話を繰り返す。
「特別な力?…いや、心当たりはないな」
一瞬、マクダとカールの視線が交わる。
そのことにクロが気づいたかどうか。
「…そう。なら先生の思い過ごしかな」
軽く流す。マクダもカールも、あえて触れない。
「また来るよ。一応、気にかけといて」
「ああ」
その晩。兵営の一角に誂えられたマクダとカールの部屋。
二人は客分だし普通の兵士なら雑魚寝だが、その間をとっている。
士官用の部屋であり、設備や環境はまあ悪くない。
比較するなら、術師見習いのクロと同程度である。
「昼間の話だが……何かわかっても絶対に言うな。
ここで私達の味方は、お互いだけだ。
切り札は、いざというときまで隠しておくんだ」
「……マクダは、何かあったのかよ?」
「筋力だ。ここに来る前より、明らかに強い。
今までと同じ武器を使っているから、
そこそこ素早い程度に思われているだろうな」
「もっとでかい武器を使えるってことか」
「ああ。それでも今と同じくらい動ける。
今と同じ武器なら、もっと速く振れるだろう。
まあ……慣れは必要だがな。練習している」
「マジか……俺にも何かねえかなあ。
クロにもあったし、あるはずなんだよな。
術師様の考えが正しけりゃさ」
カールがどのような力を望んでいるか。それは想像に難くない。
「……何にせよ隠しておけ。分かったら、こっそり教えてくれ。
クロ達への伝え方も含めて、有効な使い方を考えよう」
「……そうだよなあ。教えてくれるわけないかー。
本当に命、かかっちゃってるからなあ……」
(6日目へ)




