3日目
下士官と兵卒用の食堂にて。
「なあ、聞いたか」
「何が?」
「こないだの戦で召喚された奴」
「ああ、あの黒いの。全然期待外れだったよな」
「それがさ、案内役ってのになったらしいぜ」
「何だよそれ。偉いのか?」
「術師様の弟子だからな。士官扱いだとよ」
「…はぁ~。上手くやりやがって」
「俺達とは、食いもんも違うわけか」
「部屋も個室だ。納得いかねえよな」
士官食堂にて。術師とクロは、対面で食事を摂っている。
献立は「何なのか判らない干し肉」と「炒った豆」それに水。
二人が話しているのは、召喚術に関する事柄だ。
召喚は三日に一度。魔力が豊富なここでもそれが限界。
ここを実験場に選んだのは天然の魔力が豊富だから。
概要の説明が終わった。今はクロの質問に答える形となっている。
いきなり言葉が通じた理由を訊いたが、術師も解らないらしい。
「三日……てことは、次は明日ですか」
「そうなりますね。今度は失礼のないようにしたいと思います」
「そのためのわたしですから。先生は気に病まないでください」
「そう言ってくれると休まります。ところで今日の午後……
私は砦将の名代として、増援と補給の依頼に行かねばなりません。
来たばかりのあなたを放っておくのは心苦しいのですが、
本当に申し訳ありません」
とんでもないとばかり、横に首を振るクロ。
「それより大丈夫なんですか。今からそんな遠くへ行って」
召喚の儀式は明日。自分で言ったばかりである。
「ええ、まあ。私がいれば四時間で戻れますし」
術師、珍しく自慢げに片眼を瞑る。
「分かりました。明日の準備、しときます」
朝食後。術師はすぐ出発した。
クロも砦の門まで見送り、それから自室へ戻る。
仰向けになって硬いベッドへ倒れこむ。
「あっははははははは!」
笑った。
「ははっ、はははは……っは」
すぐ起きあがって儀式の間へ向かう。
クロの部屋からは少し遠い。
物見と狙撃用の屋上回廊を抜けた反対側だ。
やや冷たい風に首を竦めて駆け抜ける。
預かっていた鍵を使い、隣の倉庫を開けた。
埃に咳きこみながら、必要なものを選び出す。
見る角度によって色が変わる液体が入った瓶と細い筆。
燭台、蠟燭、長さを測るための印がつけられたロープ。
術師から預けられた書物と暫く睨めっこしていたが……
やがて溜息を洩らし、ぱたんと閉じた。
それらを隣の部屋へ運ぶ。
再び書物を開き、そのページに描いてある図柄を見る。
虹色の液体が入った瓶を開け、細い筆の先を差し込む。
自分が呼ばれたときの魔法陣を、なぞるように描いてゆく。
一時間後。クロは額の汗を拭って立ちあがった。
書物の図柄と見比べ、満足そうな笑みを浮かべる。
見習い術師にしては、なかなか上出来だった。
クロは、儀式の間を出た。
足取り軽く、微かに頬が緩んでいる。
「お……っと」
不意の突風によろめいた。
逞しいとは言えない両腕と両足を突っ張る。
砦の外壁はレンガ造り、摑まる凹凸に事欠かない。
風がやむのと同時に、翳りを覚えて仰ぎみる。
そして後退った。
小柄なクロを、見上げる巨漢が見下ろしている。
にたりと笑ったのを見て、激しく怖気をふるう。
「お前、もしかして――」
「忘れろ」
「みんな忘れろ」
「今考えたこと全部忘れろ」
「そして死ね」
「今すぐ死ね」
「ここから飛び降りて死ね」
「死体が邪魔だから外に飛び降りて死ね」
衝撃が走る。レンガを伝って、城壁の上にまで。
地面に吸い込まれる赤。騒々しい見張りの兵士達。
自分の肩を抱きしめ、逃げ去る影に気づく者はない。
士官用、夕食の席。
「…クロさんは、まだ来ていませんか?」
用事があったらしい術師に、司厨長と先客の騎士達が頷く。
「風邪ですかね。あいつ華奢だし」
「槍持って後ろに隠れてましたよね」
「あんだけ弱かったら仕方ねえだろ。術師様、次こそ頼んますよ」
「逃げなかっただけマシさ。意外と根性、座ってんじゃね?」
「どうせ逃げ場なんてねえんだけどな!」
困ったような術師の声に、豪放な笑いが次々重なる。
用が済むと、術師は屋上の離れへ向かった。
クロの部屋。軽く二度、ノックする。
「私です。食事は済みましたか?」
頼んだ仕事はできていた。期待以上の出来栄えだった。
字が読めないらしく、直接言ったことしかされていなかったけれども。
特に、魔法陣。あれほど綺麗に丁寧に描くのは、さぞ疲れたはず。
「寝ているのかな……?」
弟子の顔を見るのは諦めた。改めて明日、褒めればよいと。
たくさん魔法を使って、術師も疲れているのだ。
「…おやすみ」
その晩。クロは自室から一歩も出なかった。
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