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神話より 『雷神』

作者: 藤田桜


 世にたぐいなく美しい 女の人がおりました

 髪毛(かみげ)濡れ羽(ぬれば) 肌は白絹(しらぎぬ)

 吐くため息は甘やかで みながこぞって恋をした

 人だけでなく 獣さえ してはならない神さまさえも

 空の遥かに住まう神 蛇の姿で降りる神

 孤独な彼が 恋をした


 何としてでも手に入れたいと 悩み苦しみ い寝もせず

 夕日で染めた茜の(ころも) 夜をけずった首飾り

 雲を集めた靴を履き 三日三晩でその身を飾り

 降りてくる、落ちてくる、地鳴りのような音を立てつつ


 ――吾が妻よ 君の夫が迎えに来たよ

   吾が(つま)を 取って。空へと連れてゆくから


 女の人はおどろいて 家の奥から矛を出し

 彼を真っすぐ睨みつけ 立ち去るようにうながしました


 ――押しかけて 妻だなんだと恥もないのね

   去りなさい。その(つま)とやらを たち切る前に


 彼はどうにも悲しくなって なおも彼女を誘いつづける

 それでも彼女は頷くことなく 彼を拒んだ 彼を嫌った

 玻璃(はり)の飾りも見事な(きぬ)(たま)黄金(こがね)白銀(しろがね)

 広い宮居(みやい)も大きな庭も 百の家来も千の()

 彼の持ちうるすべてのものが たったひとつも届かなかった

 空虚になった 泣きたくなった ――ひとつ残らず捧げれるのに

 ――どうすればいい? 分からなくなり むりに抱きよせ攫ってしまった

 のぼってく、駆けていく、地鳴りのような音を立てつつ


 彼女はそれから口を閉ざして なにも食べずに日々を過ごした

 花を贈れば打ち捨てて 果実を贈れば突き返します

 目は落ちくぼみ、痩せ細り 美しさなどは色褪せていた

 それでも彼は愛を求めて 彼女のそばを離れなかった

 投げうつような献身に ほだされていく、弱りもぞする

 けれどもそれは遅すぎました


 空の乾いたある朝に 彼女は静かに目を閉じた

 もう動かない 怒りもしない 真っ白な頬は冷たくて

 分からなかった 知りたくなかった これまで通りに暮らしつづけた

 やがて彼女は朽ち果てた 彼はおのれの罪を呪って


 ――知りもせず 出会いもせずに いたならば

   しあわせにだってできただろうな


 彼の涙が空を潤し 抜けた白髪(しらが)が冬を覆った

 彼の叫びが海を揺るがし 吐いた嘆きが街を包んだ

 償うことも許されないで 永遠(とわ)にひとりでながらえるでしょう

 この世か涙が枯れる時まで 彼は天地(てんち)彷徨(さまよ)うでしょう

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