一章 悔しさだけは忘れなかった その3
茜色に天が染まり、どことなく物寂しい気分になる夕暮れ時。
俺は駅前のうんざりする雑踏の中を歩いていた。スーツ、学生服、私服。この時間帯と朝方はさしずめファッション・サラダボウルが出来上がる。
ただ、目的の人物はそれにまったく溶け込まない格好をしているはずだ。サラダの中に水羊羹をぶちこんだような。
まあ、アイツは待ち合わせ場所のカフェにいるはずだが……と思った矢先。
いきなり肩をバンッと叩かれた。
「うっ、うおぉっ!?」
「よく来たな、我が盟友よ」
どことなく幼さの残る女の声。
振り返ると背後すぐに、真っ黒なフード付きローブに全身を包んだ女がいた。背丈は俺の胸元ぐらい。フードを目深にかぶっているため、人相はわからない。
怪しげな格好をしているうえに、芝居がかった笑い声に中二病じみた独特のしゃべり口調。
周囲を通る人々は胡散臭そうに見やった後、すぐに素知らぬ顔をして去っていく。まあ、こんな変なのに関わりたくないよな……。
だがコイツこそが、待ち合わせていたヤツだ。
「カフェで待ってるって言ってなかったか?」
「ククッ、そなたを驚かせようと思ってな」
俺は軽くため息を漏らして言った。
「人前でそんな変な格好をするなって言ってるだろ、まな子」
名を呼ぶやいなや、少女――まな子の変に偉ぶっていた態度がたちまち壊れて、頭からぷんぷん蒸気を噴き出し怒りだす。
「そっ、その名で呼ぶではない! 我は冥界の王、魔光であるぞッ!」
「はいはい。とりあえず、顔見せろよ」
「ちょっ、勝手に……!」
海藻みたいに踊る手を躱してフードをつまみ、ひょいと取っ払う。
その下からはらりと銀色の髪が舞い、顔が露わになる。
声と同じく、卵みたいに丸みを帯びたあどけなさの残る童顔
右目には紅いカラーコンタクト、左目は黒い革製の眼帯に隠れている。
ただまあ、見た目は中二っていうよりは小学生だよな……と失礼な考えが頭をよぎった。
俺の視線をどう勘違いしたのか、彼女はまな子は「クククッ!」と愉快気に笑いだした。
「なんだ、じっと見てきて。もしや我が美貌に見惚れていたか?」
「いや。眼帯をむしり取ろうかどうか考えてた」
「むっ……、それはならぬ。この封印を解いては、我の体に眠りし邪龍が眠りから覚めてしまう。そうなればこの大地は紅き血の海に沈むことになるであろう」
眼帯を押さえて芝居がかったように言うまな子。ちなみに彼女は別に目を怪我をしているわけではない。軽いかすり傷程度の怪我でもSNSで報告してくるから、体調に関しては本人の次に俺が詳しいはずだ。
俺がどう返すか考え閉口している間にも、まな子は自分の世界に浸りきったまま先を続けていた。
「我は徒に地上の平和を脅かす気はない。まあ、いずれは森羅万象全てを冥界が支配し、人の子は我が僕となるのだがな」
「別にお前の手下になる気はないが?」
「クハハハハハ! 安心せよ、盟友であるそなたは我が側近にしてやる」
「盟友で側近って、なんか矛盾してないか?」
「ふむ、確かにな」
「……はぁ。バカなこと言ってないで行くぞ」
俺はまな子の包帯が巻かれた右手――なんか黒いマジックで安っぽい魔法陣が書かれている――を取り、軽く引いて歩き出した。
「なっ、何をする!?」
「人を待たせてるんだ。いつまでも無駄話してるわけにもいかないだろ?」
「そういえば、馬車で迎えに来ると言ってたな」
「……喜べ。お前の好きな汗血馬が待ってるぞ」
「アハルテケか?」
「それは黄金の馬だろ……と、あれだ」
俺はロータリーに停まっている一台の車を指差した。
それを目にした途端、まな子は地面に顎が突き刺さるぐらい大きく口を開いた。
「どうだ、見事な鉄の馬だろ」
「あ、あれは、もしや……」
彼女が驚いたのも無理はない。
やや平たい車体、惚れ惚れする真紅のボディ、スタイリッシュなデザイン。極めつけは跳ね馬のエンブレム。
「ふぇっ、フェラーリではないか……?」
「正解だ。あれ一台で三千万円以上するらしいぞ」
「……もしや迎えの者とは、あれに乗っているのではないな?」
「そのもしやだ」
俺はまな子の手を引いたままフェラーリに近寄っていく。その最中、周りのヤツ等の目が真紅の車体に釘付けになっているのに気付いた。まあ、当然だろう。札束が山となって道路に積み上げられているようなものなのだから。
車に凭れてスマホをぼんやりした顔で眺めていたヴィンカが、こちらに気付いて顔を上げた。
ブロンドヘアが風に吹かれて舞い踊り、夕日に輝く様――なかなか絵になっている。
だがぱっと笑みを浮かべて口を開いた途端、そんな雰囲気は跡形もなく砕け散った。
「ワォ、ベリー・キュートガールデスネ!」
……口を閉じてれば、花も恥じらう美人なのだが。まあ、この天真爛漫なところもヴィンカの美点だしな。
気を取り直しつつ、俺はヴィンカにまな子を紹介する。
「コイツは俺の親友の明智まな子だ」
「失敬な! 我は冥界の王、魔光であるぞッ!」
「マッコウクジラだそうだ」
「我が名を侮辱するなーッ!」
ヴィンカはパチパチと瞬きして首を傾げる。
「……ええと。結局、どちらサマデショウカ?」
「明智まな子が本名、魔光はコイツのネットでの名前だ」
「アイ・スィー、ニックネームということデスネ。ではミス・まな子と呼ばせていただきマショウ」
「なぜにそうなるッ!?」
驚愕し憤然となるまな子に、ヴィンカは悪びれもない笑みを浮かべ、そろえた手を頬にやり言った。
「だって、そっちの方がキュートじゃないデスカ!」
「可愛さなどいらぬッ! 我は冥王、威厳が大事なのだッ!」
「ミーはヴィンカデス、仲良くしてクダサイネ」
剣幕をさらりと無視して自己紹介を済ませるそのマイペースさに俺は舌を巻いた。
「なかなかのコミュ術だ」
「コミュ術……って?」
「コミュニケーション術」
「オゥ、ゴット・イット」
「そんなのどうだっていいわーッ! とにかく我は魔光であるッ!!」
「……賑やかね」
後部座席のドアが開いて和花が静々と出てきた。所作の一つ一つにさりげなく華があり見ていて思わずほうと息を漏らしそうになる。
「いつまでも井戸端会議して……。ここでお花畑でも作るの……?」
「ソーリーデス。あ、こちらはミーのご主人のお嬢サマデス」
「夢咲和花。あのドリームズ・フラワーの夢咲家のご息女なんだと」
「……え? じゃあ、そのメイド服は……」
「お前のコスプレとは違う、正真正銘のメイドらしい」
餌を食べる金魚みたいにぱくぱく口を開閉するまな子。
「……実在するのだな、お嬢様というのは」
「いつか、ツチノコも見つけられるかもな」
「フフフッ。では、お屋敷に向かいマショウ。どうぞ、乗ってクダサイ」
言われて後部座席に向かったまな子に、和花は助手席をすっと差して言った。
「……まな子はそっち」
初対面の相手を平然と呼び捨て。しかしまな子はそれに気づいてか否か、平然と返す。
「ふむ、我が助手の座についてよいのか?」
「ええ……。冥王たるあなたには、役不足かもしれないけど……」
「まあ、まな子は運転免許は持ってないけどな」
俺が茶々を入れるも、まな子はさして気にした風もなく鼻を鳴らして言った。
「そんなものなくとも、運転の補佐ぐらい容易いものよ」
「じゃあ、よろしく……。冥王様」
「よかろう、我に任せるがいい!」
意気揚々と助手席に座るまな子。
俺は彼女に聞こえないように、和花に訊いた。
「……和花って人を使うのが上手いのな」
「柔よく剛を制す」
「『三略』か」
「生流はこういう言い方……好きでしょう?」
小首を傾げて微笑を浮かべる和花。まな子よりもよっぽど大人びて見えた。
前では、助手席でまな子がドアをパタパタと開閉させていた。
「スーパーカーなら、縦に開くヤツを見てみたかったのだが……」
「あの、ドアで遊ぶのはデンジャーなのでやめていただけマスカ?」
「むっ……、すまぬ」
「それと、バタフライドアなら屋敷にありマスヨ」
「まっ、真かッ!?」
「イエス。お嬢サマのお許しが出たら、存分に眺めていいデスヨ」
まな子がちょっと不安そうな顔で振り向いてくる。
和花は信号機を眺めるような目つきで視線を返して言った。
「……別に車ぐらい、好きにして構わないわ……」
「そうか、かたじけない」
「ふぁああ……」
和花は口を手で隠して、可愛らしい欠伸を漏らした。
「お嬢サマ、お疲れデスカ?」
「そうかも……、長旅だったから……」
「ほう、旅へ行っていたのか?」
「俺が参加してた大会へ観戦に来てたんだ」
「なるほど、そこで知り合ったということか」
合点がいったようにうなずくまな子。
それから彼女は少し思案するように黙りこくった後、こちらを見て言った。
「……その、なんというか。準優勝……慶賀するというか……おめでとう」
「別に気を遣わなくてもいい。もう落ち込んでないから」
「そ、そうか。いやな、我は忙しくて決勝を見れていなかったゆえ、詳しい事情がさっぱりで……。どう告げればいいものか、ずっと悩んでおったのだ」
「まな子は案件依頼を結構受けるし、移動中でも雑談生配信とかするもんな」
「決勝戦の動画なら、カーナビで視ることできマスヨ。スマホよりもずっと高画質デスシ。どうシマスカ?」
「視れるならば、視てみたいが……」
やはりこちらへ不安そうな眼差しを向けてくるまな子。
俺は思わず苦笑を漏らした。
「いやだから、気にしなくていいって。なんだったら俺、和花と寝てるし」
「……では、遠慮なく視させてもらうぞ」
「ああ。じゃあ、おやすみ」
俺は車内用とは思えないぐらいふかふかした椅子に腰掛けて、目をつぶった。
ふと手に柔らかで心までほっこりするような温もりを感じた。
薄く目を開けて見やると、小さな手が俺の手を包んでいる。腕を目で辿っていき、その手の主の顔を見やった。ほぼ同時に和花は俺の肩に頭を預け、目を閉じた。
俺もまた目を閉じて、目の前に広がる闇に意識を委ねる。
ゆっくりと眠りに落ちていく。その最後の一瞬まで、和花の手の温かみを感じていた。




