序章 その3
全ては自業自得。もっと慎重に行動していれば、違った結末もあっただろう。
だがもういくら悔いたところで、後の祭り。取り返しはつかない。俺に許されるのはただ負け犬らしく、こうしてめそめそ泣くことだけた。
体中から穴の開いた浮き輪みたいに一気に気力が抜けていく。
いっそのことこのまま息絶えてしまったら……、と自暴自棄の念さえ浮かんできた。
意識を握る手から力を抜き、目を閉じかけた――その時だった。
「いっ、いやぁあああああッ……!」
少女のものらしきか細い悲鳴が聞こえてきた。
薄れかけていた意識が一気に覚醒する。ねじが巻かれたみたいに身体中にエネルギーが満ち溢れた感覚があった。
俺は跳ね起きて悲鳴の聞こえた方へと駆けだした。
人気のない通路に、小柄な少女が一人とガラの悪い大柄な男が二人いた。
思わず息を飲んだ。
少女にはどこか儚い雰囲気と、神秘性のようなものがあった。
薄く赤みがかった茶色の髪、白い肌、淡い灰色の瞳。どれも美しく煌めいている。
まだあどけなくも、顔立ちは神だか人形技師が手掛けたように整っている。胸をくすぐるようないじらしさと、甘やかな美しさ。眺めているとなんだか現実感が薄れていく。
着ているのは長袖のワンピースで、その上からカーディガンを羽織っている。どちらも遠目からでもかなり値が張りそうなのがわかった。
少女は恐怖ゆえか、感情の抜け落ちた顔で男達を見上げていた。
対する男達は欧米風の顔立ちで、どちらもさっきの古吉を思い出させるようなせせら嗤いを浮かべていた。
何やらしゃべっているが、遺憾ながら俺は日本語以外は理解できない。
スマホの翻訳アプリを起動し、画面に映る日本語の文を見やる。
『コイツ、英語わからないみたいだな』
『どうだっていい。オレ達のやることは変わらない』
『ハハッ、そりゃそうだ』
『指示を受けたルートは覚えているか?』
『もちろんさ。監視カメラはないはずだ。警備員へのお友達料金も払っておいた』
『よし。とっとと連れて行くぞ』
人攫いかっ……!
俺は角から踊り出て、男達に向かって声を張り上げて叫んだ。
「おいっ、その子から離れろッ!!」
ヤツ等はギョッと肩を跳ねさせてこちらを見やった。
「フー・イズ・ディス!?」
「アイドンノーッ!」
「わけわかんねえこと言ってねえで、離れろってんだよッ!!」
床を蹴って駆け出し、男達目掛けてタックルをかました。
俺は大して脚も速くなければ、体もちっぽけだ。だからよろめかせられたのは相手の油断と運のお陰だろう。
そのまま男達と少女の間に割って入り、彼女を庇うように腕を広げた。
「どっか行っちまえッ! じゃねえと警察呼ぶぞッ!!」
睨みを利かして言うと、ヤツは眉間に皺を寄せて目を眇めた。視線の先には俺の左胸――『エデン』のロゴがあった。知恵の実とやらをモデルにデザインされている。
男達が何かを言った。すぐにスマホの画面に文字が浮かぶ。
『……コイツ、『エデン』の選手だ』
『スターのご登場ってわけか。面倒なことになったな……、ずらかるぞ』
『いいのか? この嬢ちゃんは多分上玉だぞ』
『捕まったら元も子もないだろうが。引き際を誤ったヤツは豚箱行きだ、覚えておけ』
『オーケー、帰ったらトイレットペーパーにでもメモっておくよ』
『……行くぞ』
男達は背を向けると、巨体に似合わない猛然たる駆け足で逃げていった。
俺は額の汗を拭って息を吐き、少女の方を見やった。
「大丈夫か……、っ!?」
いきなりぎゅっと、力一杯に抱きしめられた。
少女は小柄だが、俺の身長もまったく高くない。
彼女の頬が、俺の顔に直に触れていた。柔らかくて燃えるように熱い。それがとても気持ちよかった。
「……会いたかった」
少女の囁くような声が耳をくすぐる。ドキン、と心臓が高鳴った。
彼女は同じ声音で繰り返す。
「あなたに会いたかった……、アイル」
アイル――それはかつてのeスポーツ選手の名前で、そしてついさっき存在を抹消された男の名前だった。