三章 どんな願いも信じれば叶う日が来る――とはもう言えないけど その5
俺は少し考えてからまな子の方へ行き、彼女の向かいに座って訊いた。
「なあ、ゲーム実況者っていうのは二年間でどれぐらい稼げるんだ?」
「……それは人によりけりであろう。鳴かず飛ばずであれば一銭も稼げぬであろうし、人気に火がつけば億単位になるやもしれぬ」
「なるほど。つまり運がよければ十億にも届くかもしれない、っていうことか?」
一拍の間を置き、まな子は訝し気に問い返してきた。
「そなたはなぜ、あやつの肩を持つ?」
「肩を持っているわけじゃない。ただ、可能なのかどうか知りたかっただけだ」
ふいにまな子は「ククク」と笑いを漏らした。
「……この世界において、不可能なことはただ一つだけであろう」
「それは?」
「不屈の魂を冥土へ送ることだ」
まな子がティーカップを持ち上げ、机の真ん中の宙で停止させた。
俺は苦笑しながら、ヴィンカがちょうど差し出してくれたカップを手に、彼女と同じようにした。
「……ダージリンですることじゃないだろ?」
「だがそなたはいつも、我の行いを尊重してくれるな?」
「まあ、お前といると楽しいからな」
俺達はティーカップの縁をカチンと合わせ、声をそろえて唱えた。
「「乾杯!」」
俺達はカップをくいっと傾け、ダージリンを呷った。淹れたてだが、飲みやすい人肌の温度だ。猫舌でも安心というのは、ありがたい。
「ふと思ったんだが。別にトストもパンだし、そこまで洒落てるわけでもないよな?」
「……そなたは我の行いは尊重してくれるが、後々冷静になってケチをつけてくるな?」
「だって気になるし」
ちょうどその時、グゥと俺の腹が鳴った。
「ククク。なるほど、空腹ゆえに気になったと?」
俺はバツが悪くなってそっぽを向いた。それとちょうど時を同じくして、自身の頬が熱を持ったのを自覚した。
「……あるいはそうかもしれない」
「じゃあ、朝食はワイントーストにシマスカ?」
俺とまな子は顔を見合わせ何度か瞬きした後、ヴィンカに向かってふるふるとかぶりを振って言った。
「いや、俺達」
「酒はそこまで得意ではないからな」
ヴィンカの笑みが苦笑に取って代わった。
「……それなのによく、あんな気取って乾杯なんて言えマシタネ?」
「甘美なる闇を秘めし命水で、喉を潤す時に唱えているからな」
「要するに、グレープジュースだろ」
俺達三人は声をそろえて笑った。
ひとしきりおかしみを発散した後だった。
「あの……」
おずおずとした調子で、和花が声を上げた。
まな子が「なんだ?」と彼女にしては気遣いを感じる声で先を促した。
和花は俯いて唇を噛んで何かに耐えるように束の間口をつぐんだが、すぐに顔を上げてまな子の目を真っ直ぐに見やり、はっきりと言った。
「わたしにゲーム実況を、教えて……ほしい」
まな子は頬杖をついて、しばらくじっとしていた。
静寂の間が空いた。
まな子と和花の中間にいる俺は、空気の質量の差を可視化できるような気がした。それは悪魔か何かによって隔てられているように、両者の間に決定的な差を生み出していた。だけどきっと、今一番息苦しい思いをしているのは俺だと思った。
やがてまな子が額をぽりぽりと掻いて言った。
「順序がおかしいと思わぬか?」
「……え?」
ぱちぱちと瞬きをして、和花が首を傾げる。
まな子がすっと指を二本立てて告げた。
「我が感じた違和感は二つある。一つずつ述べてやろう」
彼女は中指を一本畳み、人差し指を和花に突きつけた。
「まず一つ。ゲーム実況とは本来、趣味から始まった。収入が得られるようになったのはずっと後になってからのことだ。にもかかわらず、そなたは金を稼ぐことを第一の目的に始めようとしている」
いつになくまな子の声は真剣だった。和花は瞬きどころか微動だにせず彼女が語るのを聞いていた。
「多くのゲーム実況者の原動力は好きから成るものだ。そのエネルギーは、他の何物にも代えがたい。とんでもない爆発、旋風を生み出しさえする計り知れないものなのだ」
「そして時には炎上するんデスネ」
どれだけシリアスな空気だろうと、マイペースなヴィンカには関係ないらしい。
まな子にギロッと睨まれたが、彼女はペロッと舌を出して自身の頭を軽くこつんと小突いただけだった。
諦めたようにまな子はため息を吐いて、話を再開した。
「……とにかくだ。そんな血気盛んな猛者を相手に、中途半端な思いで挑もうものならすぐに返り討ちに遭うだけであろう」
「わたしだって……、ゲームをプレイするのは好き……」
和花は一歩も引かぬ頑固たる態度で言い返した。
「ふむ。では、二つ目だが……」
まな子は再び中指を伸ばし、ため息混じりに言った。
「そなた、我の動画を一本でも見たことがあるのか?」
「……あ」
ぽかんと口を開く和花。まさに鳩が豆鉄砲を食ったようである。
呆れ顔のまな子が畳みかけていく。
「というかそもそも、和花嬢は今までどれぐらいゲーム実況を見てきた?」
「プロゲーマーの試合とか解説なら……、たくさん……」
「解説動画も一応は、ゲーム実況のくくりの一つではあるが……。やはりそなた、ゲーム実況者と呼ばれる者の動画をまともに見たことがないな?」
和花の両肩が僅かにピクッと跳ねた。
半目でじっと彼女を見据えるまな子。
和花の両眼が逃れるように横へと逸れた。
「見たこと、ないのだな?」
「……ええ」
和花はきまり悪そうに、俯くような感じでうなずいた。
まな子はゆるりとかぶりを振って大きく息を吐いた。
「まさか無知蒙昧かつ非常識の極みたるような者から、弟子入りを申し込まれる日が来ようとはな……」
「ごめんなさい……」
頭を下げる和花に、まな子がジトリとした目を向けて釘を刺す。
「そなたはまず礼儀を覚えた方がいいぞ。心の広い我だったからよかったようなものの、他の者であったら雷撃の魔術を撃たれていてもおかしくない無礼を働いたのだからな」
「大企業の社長にタメで口を利くお前が言うか?」
「ククク、我は冥王だからいいのだ」
机上のクッキーを手にサクッとかじり割ったまな子は、和花の方を向き直り言う。
「我とて、時間は有限なのだ。弟子を取るということは、その貴重なる時を割かねばならぬということ。ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「うん……」
和花は頭を下げ続けていたが、その姿はもう項垂れるといった感じだった。