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三章 どんな願いも信じれば叶う日が来る――とはもう言えないけど その2

 廊下から顔を覗かせてきた和花とまな子は、ぽかんと口を開いていた。

 二人の丸くなった目は真っ直ぐに、俺の胸へと向けられている。その双丘は、ヴィンカの手によってわしづかみにされていた。

 和花の灰色の瞳が、途端に冷え切った視線を俺達に向けてきた。

「なに……してるの……?」

「え、や、これは、その……」


 言葉につまる俺に代わって、ヴィンカが軽快に笑い声を響かせて言った。

「今日はミス・流星にバストを作ったので、不具合がないかテストしてたんデスヨ」

「バスト……?」

「イエス。シリコン製の」

「……へえ?」

 和花はなおもじっとこちらを見続けていたが、それ以上は追及してこなかった。


 まな子はすっかり納得したようで、「ククク」と笑いながらこちらへ歩いてきた。

「よもや胸を錬成するとはな。ついに女子として生きていく気になったのか?」

「まさか。単なる装備品に過ぎない」


「フフフ、バストを武器にしてハニートラップデスカ?」

「……ぜひともお前にご教授願いたいな、手取り足取り」

 ヴィンカに対するカウンターのつもりだったが。

「ダメ……」

 なぜか和花からの横槍が入った。

「そういうのは……、好きな人同士でやるべきこと……」

「ミーはミスター・生流のことも、ミス・流星のことも好きデスヨ?」

「……分ける意味あるのか、それ?」

「ダメなものは……、ダメなの……」

「同感である。想い人以外に軽率に身体を許すなど、恥知らずもいいところだ」

 なぜか二人共、俺の方をじっと見てくる。


「……いや、発端は俺じゃないんと思うんだが?」

 反論するなり、和花が口を押さえて目を丸くした。

 それから彼女は頭を下げて言ってきた。

「その……ごめんなさい……。罰ゲームじゃないのに……、わたしのせいで女の子の格好させちゃって……」

「いや、別に和花を責めようってつもりじゃなくて……」

「ううん……、わたしが発端だから……」

 別に俺にはなんら罪もないはずだ。だがなぜか頭を下げ続けている和花を見ていると、胸がズキリと痛んだ。

「……えっと、顔を上げてくれないか?」

 言う通りにしてはくれたが、どことなく元気がないように見える。場の空気も心なしかいつもより重い。


 どうにかして雰囲気を変えるべく、適当な話題を和花に振ってみた。

「そういえば、お前の親父さんって滅多に帰ってこないんだったよな?」

「うん……。お正月の時ぐらいしか……」

「一ヶ月ちょっと早いな……。まさか俺、これから正月までずっと流星として過ごさなくちゃいけないのか?」

「多分……、そうはならないと思う……。本当に二人共……、正月の当日にしか帰ってこないから……」

「サムシング、用事があるのかもしれマセンネ」


「もしかしたら……」

 和花が僅かに瞼を持ち上げて何か言いかけたが、そのまま黙りこくってしまう。

「どうしたんだ、和花?」

「……いいえ。まだ確証はないから……、今はちょっと……」

「なんだ、気になるではないか」

「よせよ、まな子」

「だが……」

「話したくないことを無理に聞き出すのは、偉大な冥王らしいやり方じゃないだろ?」

「むっ……、そうであるな」

 まな子は乗り出していた身をソファに預け、軽く鼻息をいた。


「その……、ごめんなさい……」

 和花の無表情は、今は少し曇りがかって見えた。

「家族に会う前の顔ではないな。……それに盟友、そなたの面持ちもかなり酷いものであるが。どうしたのだ?」

「……緊張で気持ち悪くなってきた」

 鏡の中の少女が、青白い顔をするぐらいには。


「大丈夫……?」

 俺は盛大なため息を吐いて訊いた。

「……なあ、女装して隠れてれば二重で万全な策だとは思わないか?」

 苦し紛れの提案はヴィンカにかぶりを振られ、あっさりと却下された。

「一応、挨拶ぐらいはしておかないとマズイデスヨ。お客サマという立場なら、自分から家主やぬしに顔を見せるのがカーティシーデスシ……」

「カー……ティー? ……とにかく、挨拶したら退室してもいいか?」


 和花が僅かに黙考した後に言った。

「お父様が……、お許しを出してくれたら……」

「……神頼みできる状況の方が、まだマシな気がするよ」

 なんかすごく、気が遠くなりそうだった。


   ○


 嘆息が漏れそうだった。重く青い吐息だ。

 実際にそんな姿を見せるわけにはいかない。

 すぐ目の前に、和花の父親がいるのだから。

 俺とまな子は格式のありそうな調度品に囲まれた居間で、彼と初の対面を迎えていた。


 金色の髪をポマードで撫でつけた、背の高い男だった。

 ぱっと見た感じ程よく年が滲み出ており、垂れ目で温厚そうな人物だ。

 大企業の取締役を務めているだけあって笑顔も品があり、人柄のよさを窺わせる。


 ただし目の奥の冷たい光に一度気付いてしまうと、急に心臓が冷えだした。

 まるで侍が相手の技量を見極めるような、凄みのある眼光。常にそれが絶えることなく発されている。段々と息苦しささえ感じてきた。

 できれば、あまり長くは対面したくないタイプの人だ。


 ヴィンカが話していた通り、ボディーガードもいた。スーツ姿ではあるものの洒落っ気のある恰好をしており、体つきもどちらかといえばほっそりしている。見ただけじゃ荒仕事をしているとはわからない。

 他に室内には和花とヴィンカがいた。

 和花は父の対面……俺の隣に座り、ヴィンカはメイドらしく彼女の傍で控えている。


 俺と男は席を立ち、互いに顔を合わせていた。

 彼は余裕のある表情でおもむろに切り出す。滑舌がよく、一音ごとに声のトーンを適切な高さに変える話し方は、ベテランのナレーターや声優のようだった。

「話には聞いているよ。咲本流星さんだね?」

「は、はい」

 俺は一朝一夕の裏声と笑顔で対応する。

 正直、第一声でバレるだろうな……と予感していた。

 だが今のところそんな気配はない。この男が鈍感なのか、あるいは俺の女装の完成度が高いのか……それはわからない。


「私は夢咲ブライアンという。ドリームズ・フラワーという会社で代表取締役社長をしているんだ」

「え、あ、はい」

 考え事をしていた俺は、男――ブライアンの声に我に返り、慌てて返事をした。

「これからよろしく、咲本さん」

 言いつつ、彼が手を差し出してくる。

「よ、よろしくお願いします」

 こちらも手を出すと、瞬時にがっちりとつかまれた。緊張で冷や汗をかいていたせいで握手の最中ずっと不安だったが、ブライアンは笑顔が仮面であるかのようにほとんど表情筋を動かさなかった。


 俺との握手を終えたブライアンは、まな子の方を見やった。

「明智まな子さんだね?」

「……うむ。よろしくな」

 中二感は抑えていたものの、口調はいつも通りだった。

 いささかハラハラしたものの、やはり彼は笑みを保ったまま見た目はスマートな力強い握手をまな子と交わした。


 一通り挨拶を終えた俺達は席に着いた。

 ゆったりと椅子に腰掛けたブライアンは、ティーカップを持ち上げて鼻に近づけた。

「いい香りだ。ダージリンかな?」

 問われたヴィンカはいつも通りの弾んだ声で受け答えする。

「イエス。新芽を手摘みしたもので、ブレンドはしていマセン。純粋な香り高さを楽しむことができマスヨ。ミルクはどうシマスカ?」

「いただこう。あと、砂糖を小さじ二杯ほど頼む」

「かしこまりマシタ」


 ヴィンカは慣れた手つきでティーカップに砂糖とミルクを入れた。

 それが終わるのを待ってから、ブライアンは俺とまな子を見やった。

「今から和花と家族間の話をする」

「そうですか、では……」


「おっと、ちょっと待ってくれ」

 腰を浮かしかけた俺達を手と声とで制し、ブライアンは声音を落ち着けて続けた。

「もしも話を聞きたいというなら、君達もここに残ってくれてもいい。どうする?」

 まるで俺と和花の関係性を計るような言い方だった。

 ブライアンとはおそらく、今日限りしか顔を合わせない。たとえ薄情なヤツだと思われようが構わないはずだ。

 ただ、どうしても俺は退席しようという気は起きなかった。

 確信があったのだ。この後、和花はとても面倒な状況に置かれると。

 だから彼女の傍にいて、いざという時は庇ってやりたかった。それが一宿一飯の恩というものだろう。


「いえ、残ります」

 初めて流星の声音できっぱりとした物言いをした。

 こちらを見やった和花は、満月のように大きく目を開いていた。

 ヴィンカもまな子も呆気にとられたような表情をしている。


 ブライアンは泰然とした様子のまま、細めた灰色の目を俺をに向けてきていた。

「……咲本は残ると。それで、君は?」

 確認を求められたまな子は、慌てて居住まいを正して言った。

「めっ、盟友が残るというのだから、当然我も残るぞ」

「……ということだが。和花、それでいいかい?」


 和花は平坦な響きのない声で答えた。

「なんの話かわかってない状況で……、いいも悪いも……。それに先にお父様が同席させるか否か……、決めていたみたいだし……」

 さりげなく混じっていた毒は、ただブライアンに一笑をもたらしただけだった。

「ハハハ、すまない。今度からちゃんと和花に相談しよう」

 和花は眉一つすら動かさず、ただ灰色の瞳に父を映し続けている。彼女が眼前の光景をきちんと捉えているかどうかは、俺には確証が持てなかった。

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