二章 昨日までとは違う、本当の自分……? その7
更衣室で着替えさせられた後、俺はパウダールームで人生初めての化粧をされていた。
今までメディア露出される時に軽く手入れをされることはあったが、ここまで唇やまつ毛の一本一本まで念入りにいじくりまわされた経験はなかった。なんか人形にでもなったみたいで落ち着かない。
「……後はウィッグをつけて、と。はい、できマシタヨ」
俺は「はぁ……」と長めの一息を吐いて訊いた。
「やっと終わったのか?」
「イエス。素材がグレイトだったので、お手入れもミニマムで済みマシタ。予想していたよりアーリーデシタヨ」
「……早かったか?」
「イエス! ガールと変わりないタイムデシタ」
「そ、そうか……」
ヴィンカは愉快なメロディを鼻で奏でだした。それは孤独に歩いている時に街中で耳にするクリスマス・ソングや、ニュース番組で流れる無駄に爽やかなテーマ曲のようだった。
瞼の闇の中でもう一つため息を吐いていると、彼女が無遠慮な明るい声で訊いてきた。
「いつになったら、目を開けるんデスカ?」
「……いや、その、心の準備がだな」
なんかよくわからないが、俺は今すごく緊張していた。
元々、自分の顔を見るのが好きでないのもあるのかもしれないが。
「……モンスターを目の当たりにして、吐き気が込み上げるような予感がしてな」
「安心してクダサイ、ちゃんと可愛いガールになりマシタカラ」
「お前は衣服店の店員の『よくお似合いですよ』っていうフレーズを信用できるか?」
「信用できた方が、人生楽しいと思いマスヨ?」
「……質問には答えてないよな?」
「ほらほら、そんなつまらないこと考えてないで、目を開けてクダサイ」
強引に押し切られ、渋々俺は瞼を持ち上げた。
……心臓を撃ち抜かれた気がした。
鏡の中には、見目麗しく愛らしい少女がいた。
線が細く、輪郭はすっきりとして、顔立ちが整っている。
艶やかなロングヘアのツーサイドアップ――のウィッグ。長いつけ睫毛は跳ねさせているからか、いつもより瞳がぱっちりとしているように見える。白い素肌は化粧でほんのり紅く染まり、唇もリップグロスで瑞々しく煌めいている。
細部に至るまでまんべんなく手入れされており、瑕疵がない。
まさに絶世の美女。世界に一輪だけの花。人形師が丹精込めて作り上げたドールさながらである。
魅力的だった。街中で見かけたら、その日一日頭の中で思い描き続けるぐらいに。
「これが……俺?」
「ね、キュートデショウ?」
「あ、ああ……」
ほとんど躊躇いなくうなずいていた。
ヴィンカは「フフフ」と笑って、背後を手で示して言った。
「姿見で見てみたらどうデスカ? きっと、もっとドキドキしちゃいマスヨ」
もはや抵抗する気はさらさらなかった。
俺は椅子から立ちあがり、いつもよりしずしずとした足取りで――おそらく草履を履いているせいだけではないだろう――姿見の元へ向かった。
そこに映る女の子は、髪型のせいで正式な巫女らしくはなかった。でもやっぱり思わずうっとり見惚れるぐらいに……。
「よくお似合いデスヨ、ミスター……いえ、マドモワゼル」
肩に手を置かれて、優しい声音で語りかけられた。その扱いがこそばゆいせいだろう、急に心臓の鼓動が激しくなった。
「そ、それフランス語だろ?」
「フフ、よくご存じデ」
と、その時、コンコンとドアがノックされるのが聞こえた。
続けて、和花の淡々とした調子の声。
「……もう、終わった?」
「イエス。もう入ってきていいデスヨ」
ドアがゆっくりと開かれる音が鳴る。その微かなはずの音が、今はいやに大きく響いて聞こえた。
部屋に入ってきた和花とまな子は、俺を見て息を飲んでいた。
俺は顔がたちまち熱くなるのを感じながら、鏡と彼女達から目を逸らして言った。
「……わ、嗤えよ。罰ゲームだからな……、別に俺は気にしないぞ」
おそらく、思い切り嗤われるのだろうな……。
そう予想した瞬間、なぜか無性に悔しさが込み上げてきた。
今の俺は可愛いという自信があるからだろうか?
まさか、自分自身の女装姿に惚れたとでもいうのか?
心の中が霧がかったようにもやもやする。
そんな時、和花が彼女らしかぬはっきりとした調子で言ってきた。
「すごく、可愛い」
「……え?」
俺は和花の方へ、そろそろと向いた。彼女は大きく目を見開き、じっと俺のことを見つめていた。
隣にいるまな子も「ほぅ」と感嘆の吐息を漏らしている。
「なんと素晴らしい乙女か……。まさに百年の封印を施された王国に眠りし茨の姫君を思わせる美しさであるな」
「そ、そんなにか?」
二人はほぼ同時に一回、大きくなずいた。
俺は改めて鏡を見やった。
自分の名残はある。しかしその子はまったくの別人のようにも思えた。
見ている内に刻まれる鼓動が無視できないものになってきた。慌てて背を向ける。
危なかった、なんかもう少しで後戻りできなくなっていたような気がする……。
それにしても、落ち着かない。少し動くだけで背中で髪が揺れる。足元を見ると、目に鮮やかな緋袴。指の爪は切り揃えられてマニキュアで煌めき、手の甲の毛もきれいに剃られてしまっている。元々肌の色素が薄いのもあって、本当に女の子の手みたいだ。
呆けていると、ヴィンカがぽんと肩に手を置いて言ってきた。
「それじゃあ、早速ガールになってみマショウカ」
「……なっ? いや、もう女装してるだろっ?」
「イエイエ。せっかくガールになったんデスカラ、せっかくなら中身も女の子らしくなりマショウヨ!」
「言っている意味がわからないんだが……。もしかして催眠術かけたり、洗脳とかするつもりか?」
「そんな薄い本みたいなことしマセンヨー。……というか、詳しいデスネ?」
「べ、別に……」
俺はそっぽを向いて下手っぴな口笛を鳴らした。
ヴィンカが探るような目つきで見てくるが、素知らぬふりを突き通す。
「……まあ、いいデスケド」
「け、結局、中身もってどういう意味なんだよ?」
「まあつまり、ガールらしく振る舞ってみようっていうことデスヨ」
「最初からそう言えよっていうか、言われたとしてもおいおいって突っ込みたくなるな」
「あの……」
和花がちょっと遠慮気味に手を上げつつ、口を挟んできた。
「なんデショウカ、お嬢サマ?」
「女の子らしく振る舞うなら……、女の子としての名前も必要じゃないかしら……?」
まな子とヴィンカは顔を合わせて、和花を見やり。
「なるほどデス」
「確かに字は大事であるな」
ふと和花がぽんと手を打って言った。
「生流を入れ替えて……流星っていうのは、どう……?」
「ほほう。悪くないではないか」
「覚えやすいデスシ、グッドデス!」
「いやいや、覚える必要はないだろっ」
だが俺の発した言葉は道端の花のごとく、ことごとく無視される。
「生流……、何か好きなものある?」
「えっと……? ゲームと……、あとは本とかだが」
「じゃあ、わたしの苗字から取って……。夢本か咲本……」
「待てい待てい、待てーいッ!」
和花が言うなり、まな子が猛犬じみた気迫を纏い抗議しだした。
「なぜそなたの苗字から取るのだッ!?」
「発案者の特権……」
「ならば我は冥王としての権力を行使するぞッ!」
勃発した口論は、まんま小学生のケンカだった。
俺が苦笑しながら眺めていると、ぽんとヴィンカが肩を叩いて言ってきた。
「じゃあネームが決まるまでの間、こちらでガールとしての振る舞いをスタディングしてマショウカ~」
「絶対に一番楽しんでるの、お前だよな……?」
「フフフ、ミスター・生流も楽しみマショウ!」
「……いや、その」
鏡の中の自分――少女が慌てふためく。
……やっぱりこの子、すごく可愛いな。
その子が誰なのかを忘れて、思わず見惚れてしまった。




