二人だけのウエディング
【登場人物】
澄白由紀:31歳。会社勤めのOL。長年付き合っている彼氏がいるが遠距離恋愛中。結婚願望はあるが彼氏が乗り気でないのが不満。
橋立聖花:30歳。結婚相談所に勤めるアドバイザー兼ウエディングプランナー。人当たりがよく、凜とした女性。
私が初めてウエディングドレスを見たのは小学校の低学年のときだ。
よくしてもらっていた担任の女性の先生が結婚をするというので、両親と一緒に私を結婚式に呼んでくれた。
どんな式だったかとか何を食べたかとかはほとんど覚えていない。私の記憶にあるのは花束や手紙を渡したときの先生の笑顔と、真っ白のドレス姿だけ。
こんなに綺麗で可愛くてきらきら輝いて見える服があるんだ、と子供ながらに感動したものだ。
結婚式のあとお母さんに『わたしもあのドレス着たい』とお願いしたら『由紀が結婚をするときに着るからそのときまで楽しみにしてて』と優しく返された。
後日お母さんが何処かから取り寄せてくれたウエディングドレスのカタログみたいなものを一日中眺めながら、このドレスがいいこっちのドレスもいいと一人で悩んでいたっけ。
あれから二十数年。三十歳を超えて尚、私はまだウエディングドレスを着たことがない。
『久しぶりー。元気してた?』
「元気元気。久実も元気そうだね」
『まぁそれなりにねー』
平日の夜。友達の入江久実から電話が掛かってきた。
久実は高校まで一緒だった仲が良かった友達で、別々の大学に行ってもお互いが地元に戻ってきたときには必ず遊んでいたくらいには親交が厚い。社会人になってさすがに会う頻度は年一回くらいに減ったが、こうしてたまに電話もしている。
「で、何かあったの?」
『え?』
「久実の方から連絡してくるときってたいてい私に何か聞いて欲しいことがあるからでしょ」
数カ月前に電話があったときは彼氏と別れたことについての愚痴やら呪詛やらを延々聞かされた。
『えーと……』
久実が小さく咳払いをして声を整える。
『この度私、入江久実は、結婚をすることになりました』
「……え」
『なのでそのご報告と、結婚式の招待状を送りたいから住所の確認をしようかと……』
「ちょっと待ってちょっと待って! え、マジで言ってる? ドッキリとかじゃなくて?」
『いやー、私もドッキリかと思ったけどこれはマジで現実』
突然の報告に頭の整理が追いつかない。疑問をまくしたてたい気持ちを押さえて言葉を捻り出す。
「ん~~~~っ、とりあえず、おめでとう!」
『ありがとう!』
「で、相手は誰? 元彼?」
『違う人。ちょうど別れた後に仕事先で出会ってさ、一緒に飲みにいった拍子にあれこれ話して、まぁその、あとは流れでこうなりました』
「今度はちゃんといい人なんでしょーね?」
『すごくいい人だよ。向こうのご両親も優しいし』
向こうのご両親。結婚まで決まっているのだから挨拶も済ましているのは当然だけど、そう言われると途端に現実味が増してくる。
「はぁ……久実もとうとう結婚かぁ」
『由紀の方はどうなの? 彼とは続いてるんでしょ?』
「まぁ、ね」
私にも現在、大学生のころから付き合っている彼氏がいる。二人とも同じ地元で就職をしたまでは良かったが、二年程で彼が本社へ異動。それからは年に数回しか会えない遠距離恋愛が続いている。
『もうそろそろ結婚のこと真剣に考えた方がいいんじゃないの?』
「私は考えてるよ」
『相手は何て?』
「いつまた異動になるか分からないし、もうちょっと落ち着いてからって」
『それで何年待たせるのよ』
「まぁしょうがないよ。私だってこっちの仕事急に辞められないし」
『でも結婚はしたいんでしょ?』
「……そりゃしたいけど」
『だったら行動を起こさないと! このまま待ち続けておばあちゃんになったらどうするの!』
休日の昼下がり、私は車で駅近くのビルに訪れていた。そのビルの三階の看板を見上げる。
ブライダル相談センター。
緊張や不安からか胃のあたりがきゅっと縮んで痛い。本当にここに来て良かったのだろうか。
『ブライダル相談センターってとこに行ってみたら?』
あの電話を終えたあと、久実が改めて連絡してきた。
あまり聞き覚えがなかったので調べてみると。
「結婚相談所でしょここ!?」
結婚相談所とは、会員登録をして自分の希望する結婚相手を探してくれるところだ。当然それは、現在結婚したい相手がいない人達が利用するのであって、彼氏がいる私が行くところではない。
『別に登録しろってことじゃなくて、無料でカウンセリングしてるみたいだからアドバイスとか聞いてきたらどう? ってこと。その道のプロなんだから有用なアドバイスの一つや二つくれるでしょ』
「それはちょっと自分勝手すぎない?」
タダだからと試食を食べまくるみたいな。
『結婚っていう人生の一大事が掛かってるのにつべこべ言わない! 次の休み空いてるなら予約するよ!』
あれよあれよと言う間に久実が予約を取り、今日がその約束の日。ブライダル相談センターとやらにやってきたわけだ。
ここまで来て引き返す訳にもいかない。
意を決してビルに入った。エレベーターで三階に上がりブライダル相談センターの中へと進み入る。
受付の人からにこやかに挨拶をされ、予約してある旨を告げてソファーで待つこと十分程。
「お待たせいたしました、澄白由紀様」
一人の女性がやってきて私を奥の部屋へと案内した。
椅子と机だけの簡素な部屋。私とその女性は向かい合う形で腰を降ろした。
「改めまして、私、婚活アドバイザーの橋立聖花と申します」
そう言って微笑みながら名刺を取り出し私に手渡してくる。
「あ、どうも」
受け取って名刺に目を通すと肩書のところに『婚活アドバイザー・ウエディングプランナー』と書いてあった。
すごいなぁ、とひとりで感心する。
橋立さんは見た感じおそらくほぼ同年代だ。片や自分の結婚すらまごついている私と、片や人様の結婚をサポートすることを生業としている橋立さん。正直私には他人の結婚の面倒なんて見られる気がしない。自分で手一杯だから。
(薬指が輝いてらっしゃるよぉ)
橋立さんの左手の薬指にはめられた指輪に気付き、打ちのめされた気分になる。
自らが満たされているからこそ他人にも優しくなれるのかもしれないな、と胸中で乾いた笑いが出た。
「それで本日は結婚についてのご相談、ということで承っているのですが」
話しかけられて正気に戻る。そう、結婚についての相談には違いない。違いないが、話すのは気が重い。
「え、えぇ、まぁ」
「どういったことでしょうか?」
「あの、相談ってどんなことでもいいんですか?」
「はい、構いませんよ」
たとえ営業トークであっても先方がこう言ってくれてるんだ。ここはお言葉に甘えよう。
「実はですね、私、今付き合ってる彼がいるんです」
それだけ聞いて橋立さんが何かを察したかのように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。お付き合いされている方がいても登録は出来ますし、現にそういった女性も数多く弊社をご利用されています。現状に満足せず最良の相手と結婚をしたいと望むのは何もおかしなことではありませんので」
「いや、そういうことじゃなくて――」
私のことを、彼氏がいるのに違う相手を探そうとして罪悪感を感じている女性、だと思ったのだろう。
疑問符を浮かべている橋立さんに向き直り、今度こそきちんと伝える。
「あんまり結婚に乗り気じゃない彼とどうやったら結婚出来るか教えて欲しいんです!」
橋立さんの表情が真剣になる。
「……なるほど」
「す、すみません。ここで聞くようなことじゃないですよね? でも友達がどうしても聞いてこいって言うから――」
「別に構いませんよ。そういった相談もたまにありますので」
ほっと息をつく。とりあえずは追い出されたりする心配は無さそうだ。
橋立さんに私と彼が現在どのような状態かを包み隠さず教えた。交際期間、住んでいる場所、業種など。
全部を聞いたあと、橋立さんが神妙な面持ちで口を開いた。
「結婚したいという話は何度かされたんですよね?」
「一応は。強く迫ったりはしてないですけど、同級生の誰々が結婚したんだって、みたいな話から入って『私達もそろそろどう?』とかは何度か聞いてみました」
「でも良い返事をされなかった、と」
こくんと頷き返す。
橋立さんが慎重に言葉を選びながら尋ねてくる。
「澄白様から見て、彼が快く結婚を承諾しない理由というものに心当たりはありますか?」
婉曲的な聞き方だが要するに浮気の類いは無いか、ということだろう。遠距離恋愛が長くなればどうしてもそこの心配は出てくる。けど少なくとも今現在は私から見て怪しいところは無い。定期的に連絡は取り合っているし、連休になったらどちらかが会いに行ったりしている。
まぁもちろん私の知らないところで良からぬことをしている可能性はあるが、そこを疑いだしたらキリが無い。
「多分そういうのはないと思います」
私が答えると橋立さんが少し表情を和らげた。
「でしたら、そうですね。今後澄白様がどうされたいかをきちんと伝えてはどうでしょうか」
「私がどうしたいか、ですか」
「結婚したら一緒に住むおつもりですよね?」
「まぁ、はい。出来れば地元で住めたらいいんですけど、多分私が向こうに行くんじゃないかなとは思ってます」
「その一緒に住みたいという気持ちを伝えるんです。例えば、妻としてあなたを支えてあげたいとか、夫婦として共に過ごしたいとか。結婚をしなくても同じようなことは出来ますが、結婚という法的な繋がりを持つからこそより深く相手とも繋がれるのです。そこに掛ける澄白様の想いをお相手に伝えてみてはどうでしょうか?」
「…………」
正直そこまでは考えてなかった。長く交際をしているから結婚をする。結婚をするから一緒に住む。そのくらい。多分それは相手も同じ。
「……今度話すときに伝えてみますけど、『何かのドラマにでも影響された?』とか言われそうです」
「まぁあくまで一例ですので」
苦笑いを浮かべる橋立さんだったが、カバンから冊子をいくつか取り出してきた。表紙には教会の前で笑顔を見せる新郎新婦の姿があった。
「あとは実際に結婚式がどのようなことかを明確にイメージしていただくことで、結婚に前向きになったりすることもありますね」
パラパラとページをめくって私に見せてくる。
「この結婚式とか私が企画したものなんですよ」
「へぇ、すごい」
「もし澄白様がご結婚されるとなったら是非私に結婚式のプランを立てさせていただけないでしょうか? 必ずご期待以上のものを企画してみせますので」
なるほど。こういう相談で嫌な顔一つしなかった理由は、こうやってウエディングプランナーとして売り込みも出来るからか。
「分かりました。もし結婚することになったら橋立さんにお願いします」
「ありがとうございます!」
ここで会ったのも何かの縁だ。そのくらいなら構わないだろう。
冊子に載っている写真を眺めていて、ふと視線が止まった。
「この庭みたいなところでしてるのも結婚式なんですか? 二次会とかじゃなくて」
「はい、人前式と言って神仏に誓う代わりに、来ていただいた人達に証人になってもらうんです。宗教など気にせずに場所を選べますし、自由に進行を決められるので若い人たちから人気がありますね。読み上げる誓いの文も夫婦で好きなように考えていいんですよ」
「へぇー」
ちょっとだけ面白そうだ。実際やるとなったら両親や親戚に色々言われそうだが。
ただやっぱり、私の目を惹くのは真っ白のウエディングドレスを着た花嫁だった。
こんな綺麗な衣装を纏ったときの気持ちとはどういうものだろう。着心地、手触り、歩く感覚……想像するだけで顔がにやけてしまいそうになる。
「何か気になるものでもありましたか?」
私の表情から読み取ったのか橋立さんが聞いてきた。
「あ、いえ、ウエディングドレスが綺麗だなーって見てただけです。その、子どものころから憧れていたので」
「分かります。私も小さいときに結婚式で見たウエディングドレスが忘れられなくて、結局仕事で関わるまでになっちゃいましたから」
「え、橋立さんもですか?」
自分と同じきっかけでウエディングドレスに憧れを抱き、そこからウエディングプランナーにまでなったなんて。親近感とともに尊敬の念すら覚える。
それからはお互いに初めてウエディングドレスを見たときのことを話し、ウエディングドレスのカタログを見ながら好みを語り合った。
「ドレスのラインによって種類があるんですね」
「そうですね。日本で一般的なのはAライン、プリンセスライン、マーメイドライン、スレンダーラインの四つです」
AラインはアルファベットのAの形のように見えることから名付けられたラインで、上半身はすっきりと、ウエストから裾にかけては徐々に広がっていくシルエットをしている。
プリンセスラインは、Aラインよりもスカートの膨らみが大きくて、よくある西洋のお姫様ドレスに近い。
マーメイドラインは、膝までは身体にぴったりとフィットしていて、裾が人魚の尾のように広がっているドレス。
スレンダーラインはその名の通りスレンダーなシルエットで、スカートに膨らみがなく全体的に細身ですっきりとした印象。
「私が子どものときに見たのは多分プリンセスかAラインかな」
「その辺がやっぱり人気ありますね。Aラインでもパニエでボリュームをつけたりすれば華やかさが出ますし」
「身体にぴったり系は……うーん、ハードル高そう」
「どうしても身体のラインがそのまま出てしまいますからね。背の高い人やスタイルのいい人にはおすすめなんですが。あっ、決して澄白様には合わないとかじゃなくて――」
「あはは、分かってますよ。背が低めなのは自覚してるので。むしろ絶対似合うって言われた方が困ります」
すみません、と謝る橋立さんに笑い掛けてから、「そういえば」と質問する。
「橋立さんは結婚式でどういうドレスを着たんですか?」
「……そうですね、このプリンセスラインのドレスなんか似てますね」
「いいなぁー」
一瞬変な間があったのは気のせいだろうか。
ともかく、こうやってウエディングドレスを眺めていると心が幼少のころに戻ったかのようにわくわくする。
「もしよければウエディングドレスを試着してみますか?」
「へ?」
突然の提案に耳を疑った。
橋立さんが控えめに微笑む。
「あまりに着てみたそうにされていたので。試着だけならタダですし」
「タダ……タダかぁ」
「それに実際に着てみることで結婚式を挙げる自分を明確にイメージしやすくなりますよ」
「……結婚前にウエディングドレスを着たら婚期が遅れる、なんて」
「迷信です」
うんうん唸ること数秒。私はとてもいい表情で「お願いします!」と言った。
一週間後。橋立さんから連絡をもらってウエディングドレスの貸し出しをしているショップに赴いた。
少し緊張する私を橋立さんと店員の人がにこやかに出迎え、店の奥へと連れていく。
「――――」
息を飲んだ。広い空間に純白のドレスたちずらりと並んでいた。その輝きを相乗させるかのように天井からはシャンデリアがいくつもぶらさがっている。舞踏会をするようなお城のクローゼットはこんな感じなのかもしれない。
「……すごい」
さっきから口が開きっぱなしだ。正直何時間でもここにいられる。
「じゃあさっそく試着してみましょうか」
「あ、は、はい、よろしくお願いします」
すでにサイズは伝えてあるし、どのウエディングドレスを試着するかも決めてある。
店員の女性とともに試着室に入り、手伝ってもらいながら初めてのウエディングドレスを身に付ける。勝手がまったく分からないので借りてきた猫状態で諸々をお任せし、十五分程掛けて無事着終わった。
店員さんが細かいところを整えてから微笑んだ。
「いいですね。外に出て見てみましょうか」
試着室から出ると、橋立さんが両手を合わせて私に笑顔を向けてきた。
「すごく似合ってますよ」
「あ、ありがとうございます」
選んだのはプリンセスラインのドレスだ。ビスチェタイプの上半身とふわりとボリュームのあるスカート。レースには細かな刺繍があしらわれていて華やかで可愛らしい。持ってきたネックレスが胸元でアクセントとして輝いている。
大きな鏡の前で立ち、改めて自分の姿に視線を向け、見惚れた。そこには私がずっと憧れていた私がいた。純白のウエディングドレスに包まれた私は紛れも無く子どものころに見た花嫁そのものだ。いや、それ以上かもしれない。ドレス一つでここまで美しく見えるなんて魔法のようだ。
(まぁスタイルが良く見えるのはインナーと店員さんのお陰なんだけど)
ウエディングドレスの下に着るブライダルインナー。お肉を寄せてバストを整えたりウエストを引き締めたりしてくれる。もちろん店員さんが着けてくれた。
スカート部分が少し重いし、高めのヒールも締め付けるインナーも決して楽とは言えないが、それら全ての結果が鏡に映った自分なのだとすれば全然苦ではない。
「実際に着てみてどうですか?」
橋立さんに聞かれ、私は満面の笑みで迷いなく答えた。
「最高です」
橋立さんに私のスマホで何枚か写真を撮ってもらった後、店員さんの勧めでAラインとマーメイドラインのドレスも試着させてもらった。
幸せな気分のまま帰宅し、さっそく写真と一緒に彼氏にメッセージを送る。
『今日ウエディングドレス試着させてもらった! シルクで出来てるから肌触りがすっごく良くて、ちょっと動くとレースがふわりと揺れたりしてほんとのお姫様になったみたいでさ! 最初の写真とかすごくない!? スタイルめっちゃいいでしょ!』
本当はもっともっと語りたいことだらけだったが、長くなり過ぎない範囲で抑えておいた。彼から反応があったら電話して思いっきり胸の内を語り尽くそう。
うずうずしながらしばらく待ち、やっと既読がついた。彼のリアクションは。
『どした? 結婚したいアピール?(笑)』
「…………」
そりゃ正直なところ期待がなかったとは言わない。私のウエディングドレス姿を見て『いいなぁ』と思ってくれれば結婚への関心も高まるんじゃないか、とは考えた。
だからって綺麗だとか似合ってるとかの感想もなくいきなり『結婚したいアピール?(笑)』なんて言わなくてもいいじゃないか。
結婚に対する温度差。お互いの価値観の相違がその返事に全て集約していた。
上っていたテンションが一気に下がり、同時に自分の気持ちが冷えていくのを感じる。
この人とこのまま付き合っていても結局同じような思いをし続けるだけなのかもしれない。
返信をしなくなった私に疑問を抱くことすらなく彼が普通に世間話を始めたのを見て、暗澹たる感情が底から浮かび上がってきた。
「…………」
迷信がこんな形で本当になってしまうなんて。
しばしスマホの画面を見つめ、指を動かす。
この関係に終止符を打つために。
二週間後。私はブライダル相談センターを再び訪れていた。
二人きりの小部屋で橋立さんが前と変わらず笑顔を向けてくる。今はその笑顔が痛い。
「お久しぶりです、澄白様。ご結婚への進展はいかがですか?」
「あー、はは。それはもういいんです」
「……と言いますと?」
「別れたので」
私があっさり口に出すと、橋立さんの表情が固まった。まさかそんな話を聞かされることになるとは思ってもみなかったのだろう。
「……本当に、別れたんですか?」
「はい。まぁとりあえず私の中では、ですけど」
「詳しくお伺いしても?」
私は頷き返して経緯を話した。
ウエディングドレスを着た私を見たときの彼の第一声。それを受けて私の気持ちが冷めてしまったこと。話し合って謝罪はされたが(本人曰く、綺麗だとは思ったが照れ臭くて言えなかったとか)、私の中に渦巻いた諸々の感情が消えることはなく、一旦距離を置こうと提案したこと。もし距離を置いて互いに相手が必要だと感じなければそのまま別れようと言ったこと。
「二週間経ちましたけど向こうから連絡があるわけでもないし私も連絡する気がまったく起きないしで、もう別れたものだと思ってます」
「――申し訳ありませんでした!」
橋立さんが頭を深く下げて謝罪する。
「私が余計なことをしたばっかりに澄白様たちを仲違いさせてしまって……」
「そんな、橋立さんのせいじゃないですよ。こちらこそせっかくアドバイスしてもらったのに何も活かせず申し訳ないです」
「ですが私が試着を勧めなければ……!」
「多分遅かれ早かれ同じことは起きたと思うので、むしろ結婚する前に分かってよかったです。ウエディングドレスを試着させてもらったのは本当にいい経験でしたし」
気にしないでというように私は笑ってみせた。この二週間で気持ちの整理はついた。済んでしまった過去よりも未来のことを考えた方が建設的だ。
いまだ恐縮している橋立さんに本題を告げる。
「それで今日なんですけど、こちらで登録しようかなと思いまして」
「……弊社の会員になる、ということですか?」
「はい。やっぱり結婚したいなら相手も結婚したい人を選ぶべきじゃないですか。なので真面目に婚活とやらをしてみようかなと」
「気軽に会員になれる料金ではないのはご存じでしょうか?」
「知ってます。ホームページ見ました」
このブライダル相談センターでは会員期間やお見合い人数の上限などによって料金が異なる。例えば一番短くて安いのは期間六カ月でお見合い人数上限六人のコースだが、入会費で五万円、月会費が一万円、お見合い一人につき一万円がかかる。さらにはもし成婚したなら成婚料として二十万円を支払わなければならない。
他には一年間集中して婚活をしたいなら一年限定でお見合い人数無制限のコースもある。そっちは入会金が三十万円の代わりに各種料金は無料。二年間コースにするなら入会金は四十五万円也。
「一年のコースにしようかなと思うんですけどどうですか?」
「……本当にご成婚を目指されるのならそのコースが一番お安くはなると思いますが。結婚相手の明確なビジョンなどはございますか?」
「うーん、結局経歴や自己PRを読んだところでその人となりは分からないので、とりあえず手当たり次第会って話してみようかなと思ってます」
「年齢や収入などは?」
「年齢は……十歳差くらいまでかなぁ。収入とかは特に気にしないです」
橋立さんは渋い表情のまま黙考するように視線を机に落とし、ややあって重々しくその唇を動かした。
「こんなことを言うのは失礼だとは存じておりますが、澄白様は誰でもいいから結婚したい、とお考えではありませんか?」
「え? いやいや、誰でもはよくないですよ」
「容姿も職業も収入も希望はなく、年齢すらも曖昧なのに誰でもよくないと? でしたら弊社に登録するより街なかで声を掛けていった方が結婚出来るかと思います」
その言い方に少しムッとした。こっちは会員になろうとしてるお客の立場だ。これから契約を結ぼうというのにダメ出しをされたくはない。
ふん、と息を吐いて語調を強める。
「たとえ誰でもよかったとしても橋立さんには関係ないですよね。私が会員になったら橋立さんのお手柄でしょう? さっさと申し込みの紙か何か出してくださいよ」
言い終わって橋立さんの悲しそうな表情が目に入った。胸がちくりと痛むが気にしない。私は間違ってない。
橋立さんが弱々しく答える。
「……嫌です」
まさかここまで言って拒否されると思わなかった。
「お客の要望を拒否するって問題じゃないですか?」
「報告するならしていただいて構いません。でも私には澄白様が自暴自棄になっているようにしか見えないんです。そんな方をこのまま登録するわけにはいきません」
「…………」
先程ちくりと胸が痛んだ理由は分かってる。図星だったからだ。
長年付き合った彼氏と別れ、年齢的にもそろそろ厳しくなる頃合い。よほど変な人じゃない限りは交際をして結婚してやろうと思っていた。元彼への当てつけとまでは言わないが、こっちはこっちで幸せな家庭を築いてやったぞという心の拠り所が欲しかった。
「……婚活アドバイザーとしてそれでいいんですか?」
「よくないですね。でも澄白様の友人としては、こうした方が正しいと思います。……二・三回しか顔を会わしてないのに友人なんておこがましいですが」
友人、という言葉を聞いて苛立ちや鬱屈していた感情が引いていく。
そういえば誰にも彼と別れたことを相談してなかったな。幸せ真っ最中の久美に話すのは申し訳なかったし、両親に話すのも論外。もし今の自分に恋愛のことを何でも話せる友達がいたなら、私が結婚相談所に登録しようとするのも止めてくれたんだろうか。
ある程度冷静になり、私は橋立さんに頭を下げた。
「私の方こそ橋立さんに八つ当たりみたいなことをしてすみませんでした。友人としての助言ありがとうございます。自分なりにもうちょっと結婚について考えてみようと思います」
「こちらこそ差し出がましくて申し訳ありませんでした。もし良ければご友人たちとたくさんお話をしたり遊びに行ったりしてリフレッシュされてはいかがでしょうか」
「んー、そうしたいんですけど地元に残ってて仲が良い友達ってもうほとんどいないんですよね。まぁしばらくは一人で出掛けたりゆっくりしときます」
「だったら私と行きますか?」
「……え?」
驚いて見返すと橋立さんがしまったと口を押さえてから恥ずかしそうに笑った。
「あ、いえ、私なんかで良ければ遊びに行くのにご一緒しますよ、と思っただけで。それにほら、私相手なら愚痴とかも話しやすいでしょうし」
ふむ、確かに橋立さんなら事情を分かってるから面倒がないし、誰かがいた方が行ける場所も増えるというもの。
それに、知り合ったのは最近だが彼女の人となりは分かってるつもりだ。プライベートになって態度が急変したりする人では断じてない。
要するに、橋立さんは一緒に遊びに行くのに何も問題がない相手だということ。
「じゃあ、行きましょうか。遊びに」
「え?」
今度は橋立さんが驚く番だった。
「遊びに行くの付き合ってくれるんですよね?」
「は、はい! もちろんです」
「今更社交辞令だったなんて聞きませんからね」
「違いますよ! 何だったら今から予定を立てても構いません」
「お、いいですね。今決めちゃいましょう」
やっぱり橋立さんの言う通りだ。
こうやって誰かと出掛ける計画を相談するだけでもだいぶ心が軽くなった気がする。それだけ知らないうちに色々と背負いこんでしまっていたということかもしれないが。
なんにせよ、すでに橋立さんと遊びに行くのを楽しみにしている私がいた。
翌週の土曜日。市内から橋立さんの運転する車で移動すること一時間半、市街地からはかなり離れた山奥にその施設はあった。
みやまの里、という名前のその場所は遊園地やプールなどが一緒になったレジャー施設だ。建てられたのが古いのでところどころレトロな面影があるがそれもまた味だろう。
私と橋立さんはさっそくフリーパス付きの入場券を購入してゲートをくぐり中に入った。
少しヒビ割れが目立つアスファルトの道を歩きながら周囲を見回す。家族や友達グループ、カップルたちが楽しそうに話しながらアトラクションへ向かっていた。
「この遊園地来たのいつぶりだろ。高校のとき来たような記憶があるんだけど」
「私もそのくらいぶりです」
「あ、そうなんですね。旦那さんとはこういうとこ来ないんですか?」
「え、えぇ。あまり外には行きたがらなくて」
「へぇー、なんかちょっと意外。橋立さんだったら色んな場所に出掛けたり旅行とかしたりしてそうだと思ってました」
「別にそんなことないですよ」
「あぁそっか、橋立さんが土日仕事だと休み合わせるのも大変ですもんね」
「そ、そうんです。なかなか時間が取れなくて」
「じゃあデートとかはしてないんですか? それとも外に行かない分、家の中で二人の時間を大切にしてるとか?」
「えっと、まぁ普通に仲はいいですけど……私のことはいいんです! 今日は遊ぶ為に来たんですから、ほら、早く行きましょうよ!」
はぐらかされてしまった。自分の色恋について話すのが恥ずかしいタイプなのかもしれない。
さて、とパンフレットを広げて園内のガイドマップを見やる。
今日の目的は『絶叫系アトラクションに乗って思いっきり叫ぼう』だ。某有名遊園地のように絶叫に特化したものはないが、ジェットコースターにウォータースライダー、バイキングに空中ブランコと定番ものはだいたい揃っている。
幸いにもどのアトラクションにも長蛇の列は出来ていないので全部乗れそうだ。こういうのも地方の遊園地のよいところだと思う。
ジェットコースターの座席に座り、安全バーが降ろされる。固定されたことを確かめながら私は声を弾ませた。
「あーこの感じ。なんかドキドキしますよねー」
「初めて乗ったときはこのバーが外れないか心配しませんでした?」
「しましたしました。だから前の手摺りをぎゅっと掴んで足を突っ張って、『たとえ外れたとしても耐えてやる!』とか考えてましたもん」
コースターがゆっくりと動き始め、坂を上っていく。すでに地上からはだいぶ高い場所にいる。しかし高さに対する恐怖よりも正面に広がる空や眼下に続く山の木々を眺める楽しさの方が勝っていた。
「なら今日は、手を離してみませんか?」
「え、本気ですか?」
左隣りを見ると橋立さんが笑みを浮かべていた。
「このジェットコースター、多分普通に乗ってたらそこまで怖くないと思うんですよ。なのでより怖さを味わう為に。嫌だったらやめておきますが」
「……やりましょうか!」
実際このジェットコースターは全長もあまりないし、下りの角度が急なわけでもアップダウンが激しいわけでもない。だったらそのくらいの刺激があった方が面白い。
コースターが坂の頂上に到着した。僅かに停止した次の瞬間、猛スピードで降下を始める。
襲ってくる浮遊感。全体重が安全バーのみで支えられているという不安感。もし安全バーがなかったらたちまち上空に放り出されているだろう。
両腕が持ち上がり、速度に置いていかれて後ろに流れる。風圧を体中に受けながら、気付いたときには口から悲鳴が出ていた。隣の橋立さんも同じく。
「「キャーーーッ!」」
怖い。怖いけど楽しい。
降下が終わったコースターがその速度のままレールに沿って蛇行し、斜めに傾いて円を描く。今度は遠心力で引っ張られるような感覚だ。
たまらず橋立さんに大声で話しかける。
「これいつまで両手離しとくんですか!?」
「終わりまでです!」
「うへぇ、了解です! でも手を伸ばしたら支柱とかに当たりそうで怖いんですけど!」
「じゃあこうすればどうです!」
橋立さんが私の左手を握り、斜め前に伸ばした。
当たらない位置に手を持っていってくれたのだろうが、それより手を握られたことの安心感でほっとする。命の危機を感じるときに何かに触れるというのは大切なことなんだな、と身に染みて実感した。
橋立さんの手をぎゅっと握り返し、テンションに任せて叫んだ。
「フゥーーッ!」
今日はとことん楽しんで羽を伸ばしてやる!
年齢もプライベートのあれやこれやも忘れて、私と橋立さんは次々とアトラクションを制覇していった。
ハンマーみたいな形をしたアトラクションで振り子のように大きく揺られながら叫んだり。
「お、お、おぉぉぉぉーーーっ!」
「これは手を離すの怖いですねー!」
「180度超えるのは反則だってぇぇぇーーーっ!!」
ブランコに乗ったまま空高くをぐるぐる回って眺望に感動したり。
「めっちゃ景色いいー!」
「空を飛んでるみたいで気持ちいいですね!」
ウォータースライダーで水が掛かってはしゃいだり。
「水跳ね過ぎ!」
「あはは、私も結構濡れちゃいました」
他にもゴーカートに乗ったり子ども達に交じってメリーゴーランドに乗ったり、アスレチックに挑戦したりフードコートでご飯を食べたりと全力で遊園地を楽しんだ。
日も沈み、辺りも暗くなってきた。しかしまだ帰らない。本日のメインイベントがもう一つある。
広場のベンチに橋立さんと座り、時間が来るのを待った。周りにも徐々に人が集まり始めている。
まもなく17時30分。「10! 9! 8!」とどこからともなくカウントダウンが聞こえてきて、みんながそのカウントに声を合わせていく。私と橋立さんも顔を見合わせ笑いながらそれに加わった。
「「3! 2! 1!」」
ゼロのタイミングで園内に色とりどりの明かりが灯った。季節限定のイルミネーションだ。ピンクに光る植え込みや、ハートや花がかたどられたオブジェ、幹が白く発光している木々たち。通路や建物だけでなく、アトラクションまでもライトアップされて虹色に光っている。
点灯の瞬間をみんなと一緒に拍手をして迎えてから、橋立さんと園内をぐるりと見て回った。スマホで映える写真を狙って撮りまくる。
そうこうしていて否が応でも目に入ってくるのが、ベンチや木の側でくっついているカップルと思しき男女。
まぁ場所柄カップルがいるのはおかしくないし、イルミネーションもあって良い雰囲気になるのは分からなくもない。
ただ、今の私はそれを見て『微笑ましいわね、うふふ』と言えるほど寛容ではないわけで。ついつい悪態が口から出る。
「いちゃつくなとは言わないけどさ、もうちょっと見えない所でやってくれないもんですかねぇ」
「まぁまぁ、仲が悪いよりはいいじゃないですか」
お手本のような回答。さすが結婚相談所に勤めているだけのことはある。
「そりゃそうですけどね。別れたばっかりの私にはなかなかに目の毒ですよ」
「それは羨ましいっていう意味でですか?」
「羨ましい……うーん、どうなんでしょう」
「例えば、自分も恋人といちゃいちゃしたいのに、とか」
「恋人と……」
元彼を思い浮かべてみたが、別にここに来ていちゃいちゃしたいかと言われると微妙なところだ。単に恋愛対象として見られなくなっているからかもしれないが。
「そういうわけじゃないですけど、多分私の価値観的にいちゃつくなら周りに人がいない場所がいいって思ってるからですかね」
「わ、私は別に誰かに見せつけるようにいちゃつくのがいいとか言ってるわけではないですよ」
慌てる橋立さんに「分かってますよ」と笑ってから、ふと気になって顔を見つめる。
「どうかしましたか?」
「いや、いつも凛としてる橋立さんが家だとどういう風に旦那さんといちゃいちゃしてるのかなーと思って」
「ふ、普通です! 普通!」
「普通かぁ、どういう感じに普通なんですか?」
「ご想像にお任せします」
「えー、そんなこと言うと好き勝手想像しちゃいますよー」
「じゃあ想像しないでください」
「どっちですか」
言動が右往左往する橋立さんが面白くて笑いが零れる。
相変わらず自分の恋愛の話になると乙女のような反応をする人だ。そこが可愛らしくもあるのだけど。
「今日はありがとうございました。すっごい楽しかったです」
家の近くまで橋立さんに車で送ってもらい、改めてお礼を口にした。
橋立さんが柔らかく微笑む。
「そう言っていただけて良かったです」
実際本当に遊園地は楽しかった。もちろん一人でどこかに出掛けるのも良い休養になったとは思うが、誰かと一緒に笑ったり叫んだりする楽しさ・充実感は何物にも代え難いものだと思う。
私の為を思って誘ってくれた橋立さんには感謝だ。
荷物の確認、忘れ物がないかをチェックしてドアに手を掛ける。
「それじゃあまたブライダル相談センターで――って、本当は行くことがない方がいいんだろうけど」
「もし来づらいのでしたらラインか電話でも相談に乗りますよ」
「え、いいんですか? あ、いやいやさすがにそこまでしてもらうのは……」
「仕事としてではなく、友人としてです。それなら構いませんよね?」
そう言われては遠慮しづらい。まぁ気軽に恋愛について話せる相手がいるのはすごく有り難い。
橋立さんがふっと笑って付け加える。
「そのかわり、私も友人として相談させていただくことがあるかもしれませんが」
「あぁもうどうぞどうぞ。恋愛でも仕事の愚痴でも何でも言ってください」
私だけが一方的に善意を受けるより対等な立場で接してもらう方が付き合いやすい。
「ふぅー……」
家に帰り、シャワーを浴びてからベッドに横になると一気に疲労感が襲ってきた。目をつぶればすぐにでも微睡みの中に落ちてしまいそうだ。
けれど嫌な疲れではない。疲れた分だけ楽しかったという証しなのだから。
「結婚、か」
今日遊びに行くことになった全ての始まり。
人は何の為に結婚をするのだろう。
愛情の為。家の為。世間体の為。生活の為。
元彼と結婚をしたかった理由は、多分そのどれもが絡み合った結果だと思う。
でも相手のたった一言でその気持ちが冷めてしまうのなら、結局私も本気ではなかったということだろうか。
分からない。今となっては確認のしようがない。
それを確かめたいが為にブライダル相談センターに登録しようとしたのかもしれないな、とようやく考えが至った。
新しい男性に対して私がどういう感情を抱くか、結婚を前提として付き合うことで違うものが見えるんじゃないかを知りたかった。
「……そりゃ自暴自棄って言われるわ」
結婚をしてどうなりたいかじゃなく、結婚をしたらどうなるかを知る為に結婚をする。なんとも馬鹿らしいし、そんな結婚が長続きするとも思えない。
どんな結婚であれ、お互いに良い家庭であろうと考え行動するものじゃないだろうか。そこが破綻してしまえば夫婦である必要もなくなってしまう。
「勢いに任せなくてよかった。うん」
橋立さんが引き留めてくれてなかったら時間とお金を無駄にするところだった。感謝してもしきれない。
優しくてフォローが出来て行動力があって……さぞかし家では良妻なのだろう。
ああいう人の結婚こそ私が参考にするべきものではないだろうか。
『夜ご飯、ご一緒しませんか?』と橋立さんから連絡があったのは次の金曜日。旦那さんが外でご飯を食べてくるから自分も、ということらしい。
断る理由がないので二つ返事で了承し、仕事が終わってから待ち合わせのファミレスに向かった。
店内に入り、店員さんの案内を断ってざっと見回す。橋立さんが二名席に座っているのを見つけた。
「すみません、お待たせしました」
「いえ、私もさっき来たばかりですので」
注文を済ませてからさっそく本題に入る。
「今日はどうしたんですか? 急に晩ごはんなんて」
「友達をご飯に誘うのはおかしいですか?」
「え、いや、おかしくはないです……」
戸惑う私を見て橋立さんがくすりと笑う。
「冗談です。あれから澄白さんの方はどうなったかな、と思いまして。登録の件、どうします?」
「あぁそれはもういいんです。もうちょっとじっくり考えてから決めることにしました」
橋立さんが安堵したように表情を穏やかにした。
「分かりました。でもあまり考え過ぎて自分を追い込まないでくださいね。出会いを求めて婚活をするのは悪いことではありませんので」
「はい、ほどほどに考えます」
会話の流れがちょうどいい。せっかくだから橋立さんに色々聞いてみよう。
「じゃああの、参考までにお伺いしたいんですけど」
「なんですか?」
「橋立さんが結婚を決めたきっかけって何ですか?」
「……きっかけ、ですか」
「恋人として付き合うのはいいけど結婚はちょっと、みたいな人もいるじゃないですか。結局私がそうなっちゃったわけですけど、橋立さんはどうして『この人と結婚したい』と思ったのかな、と」
橋立さんが少し困ったように考え込み、ゆっくりと口を開く。
「……特別に何かがあったとかではなく自然な流れでみたいな感じでしょうか」
「自然にお互いが結婚をしたいと思ったんですか?」
「そう、です」
うーん。結局相手も結婚願望がある人じゃないとスムーズに結婚まではこぎつけないのか。
「えっと、じゃあ橋立さん的に結婚相手の条件とかあります? 性格でも外見でも何でもいいんですけど」
またもや橋立さんが悩みだした。視線を落とし、右手で左手の薬指の指輪をなぞりながら口元を引き締め、やがて申し訳なさそうに小さく笑った。
「すみません。ちょっとうまく言葉には出来なくて」
「あぁいえ、別に大丈夫です。それはつまり直感的なアレを相手から感じるみたいなやつですか?」
「ではなくてその、私は普通の人と考え方が変わってる部分があるので」
「?」
橋立さんの笑みが温かくなる。
「相手に何かを求めるより、私が好きな人の為に何かをしてあげたくなるんです。その人が笑っていてくれるならそれ以外は特に何もいらないといいますか……」
「…………」
なんだこの人!? 聖母か!?
言う人が違えば愛が重いという風にも捉えられるが、橋立さんの場合はただただ相手への思いやりだけが伝わってくる。
こんな究極のお人よしじゃあ参考になる気がしないなぁ。
ひっそり溜息をついた私を不安そうに橋立さんが窺い見てきた。
「引いちゃいましたか?」
「いやいや、橋立さんはやっぱりすごい人だなーと感心してるとこです」
「それ褒めてます?」
「褒めてますよー。でも一歩間違えてたらヒモ男を養ってたりしたんだろうなとか思いましたけど」
「褒めてないじゃないですか」
「褒めてますって」
注文した料理を食べながら私達は会話を楽しんだ。
それから橋立さんは毎週のように食事に誘ってくれるようになった。毎回恋愛について話すわけではなく、仕事のことや最近のニュース、近くに新しく出来たお店のことなど他愛ない話題も多い。
多分、気を遣ってくれているんだろう。私が一人で抱えこんで自棄にならないように。
元彼と連絡をしなくなって二カ月になろうとしている。未練があるわけではないが、あのまま結婚をしていたらどうなっていただろうかという想像はしてしまう。
「結婚式はしてみたかったなぁ……」
私の関心と言えばその点に尽きた。
憧れのウエディングドレス。試着ではなく本番で着てこそ価値があるというものだ。
その為だけに適当な相手を見繕って結婚する、なんて愚の骨頂だけども。
「んー……」
ベッドにごろんと横になったままスマホを操作する。検索窓に『婚活』や『結婚式』なんかの単語を打ち込んで検索結果に指を走らせる。
あまり身になりそうな記事はなさそうだ。
なんとなく気分転換も兼ねて小説のサイトに行ってみることにした。せめて物語の中でくらいは幸せな結婚話を見たかったのかもしれない。
タイトルとあらすじをばーっと流し読みしていって、ふと指が止まった。
婚活をしていた女性が婚活中に女性と出会って仲良くなる、みたいな内容のお話だ。
正直同性愛についての知識なんてあまりない。知ってるのはせいぜい女性同士を百合、男性同士を薔薇・BLと呼ぶことくらい。
だからそのタイトルを押したのも本当に気まぐれだ。この物語の女性はどういう婚活をしたのかを見てみたかっただけ。
そうしてその小説を読み終わり、気付いたときには再び最初から読み返していた。
結婚について悩んでいた二人の女性が出会い、仲良くなり、やがて恋人となって結婚式を挙げる。簡単に言えばそれだけの内容だ。なのに何故こんなにも私の胸を打つのだろう。
年齢の近い登場人物に自分を重ねてしまったからか。運命の出会いを経験し、結婚式を挙げた彼女の人生に尊敬と羨望を抱いてしまったからか。
ともあれ、新しい知見は私に新しい視点を与えてくれた。
法律で結婚をしなくとも、愛する人と結婚式は挙げられる。
彼女たちの生き様は決してフィクションだけのものではない。
『同性愛』『結婚式』で検索すればたくさんの写真が出てくる。男性同士、女性同士が幸せそうに笑っている写真が。
とりわけ私の目を引いたのはやはり女性同士の結婚式だった。純白のドレスに身を包んだ花嫁たち。全身から溢れ出た幸せが布となりレースとなり地面へ向かって流れていくような、そんなドレス姿こそ私の理想とする姿だ。ただドレスを着ればいいというものではない。心と衣装が揃って初めて私がなりたい花嫁になる。
「まぁ、あくまで想像の中での話だけど」
同性に興味があるわけではないし、出会えるような環境でもない。
こういう類いの話は妄想するだけでも楽しめたりするものだ。その道を突き詰めていくと自分で創作したりするようになるのかもしれない。
どのみち私には関係のない話だが。
「これ可愛い~」
ある休日、私と橋立さんは休みを合わせて一緒に買い物に来ていた。
現在立ち寄っているのは最近出来た小物のお店。和風の小物が並ぶ棚の前で私は桜の花があしらわれたかんざしを手に取り目を輝かせていた。
横から橋立さんが声を掛ける。
「和服も着るんですか?」
「いやー、実はあんまり。浴衣は持ってますけどお祭りのときに何回か着たくらいです」
「澄白さんの浴衣……すごく似合ってそうですね」
「えー本当ですかー」
まんざらでもなく笑って答える。かんざしを髪の後ろに当てて背中を見せると橋立さんが褒めてくれて、また笑う。お世辞だろうと嬉しいものは嬉しい。
「私より橋立さんの方が和服似合いそうですけど」
「そうですか?」
「ですです」
今度はかんざしを橋立さんの頭の後ろへ持っていく。照れた様子で橋立さんが「……どうです、か?」と上目使いで尋ねてきた。桜のかんざしの玉飾りがゆらりと揺れる。
うわぁ可愛い……。こんな反応されたら世の中の男性のほとんどは落とされてしまうんじゃないだろうか。
「めっちゃ似合ってます」
私が素直に言うと橋立さんは頬を朱に染めながら笑った。その笑顔がネットで見た結婚式の写真の笑顔と被り、一瞬ドキっとする。
いやいや、何を橋立さんにときめいてる。読んだ小説に影響され過ぎじゃないか。だいたい相手は人妻だ。恋愛対象にしていい相手じゃない。
自制するように小さく咳払いをしてから棚の方に目を移した。
「よかったら旦那さんにお土産でも買っていきます? 私払いますよ。巾着とか意外と便利だし、見た目もよくておすすめです」
「そんな、気を遣っていただかなくて大丈夫です」
「でもせっかくの休日に奥さんを借りてるわけだし」
「ほんとに大丈夫です!」
恥ずかしがる必要ないのに。別にもう知らない仲でもないんだから。まぁ本人が嫌なら無理強いするつもりはないが。
……いや待てよ。いいことを思いついた。
「分かりました。じゃあ自分のだけ買うことにします」
桜のかんざしを持ってレジに向かう。
橋立さんが棚の方にいるのを確認してから店員さんに「プレゼント用でお願いします」と伝えた。
何食わぬ顔で橋立さんのところに戻ると、その包みをそのまま手渡す。
「どうぞ」
「……え?」
「これは旦那さんにじゃなくて橋立さんにです。今日買い物に付き合ってもらったお礼」
「で、でも……」
困惑する橋立さんに無理矢理押し付けて手を離した。
「私から橋立さんにプレゼントする分にはいいですよね? 別に他意はありませんけど、そのかんざしをおうちで着けたりしたら喜んでくれる人がいるんじゃないですかね。他意はありませんけど」
他意ありまくりなのは橋立さんも分かっているのだろう。困ったように包みと私とを見た後、ふっと微笑んだ。
「……ありがとうございます。大切にします」
包みをぎゅっと胸に抱き寄せて嬉しそうに目を細める橋立さん。
うん、良かった。旦那さんのことを抜きにしても、橋立さんにはお世話になりっぱなしだし少しでも恩を返したい。橋立さんが喜んでくれるとこっちまで嬉しくなるから。
……橋立さんも同じようなことを言っていた気がする。何だっけ。あれは結婚相手に求めるものを話していたときか。好きな人が笑っていてくれるなら他には何もいらない。何もいらない、というのは極端だが、橋立さんの笑顔を見ているとその気持ちも理解出来る気がする。
あぁ、今日はダメだ。思考が全部そっちに持っていかれてる。よくない。それはよくない。
真剣に思い悩むくらいならいっそ笑い話にでもした方がすっきりするんじゃないか。
自分で結論付け、私は橋立さんとショッピングセンターの中を歩いて回りながら茶化すように切り出した。
「そういやちょっと前に女性同士が結婚する小説を読んだんですよー」
「……そんなのあるんですか?」
「はい、ネットにあげられてるやつなんですけど。それ読んだら結構ハマっちゃって、女性同士の結婚式なんてのもいいなーなんて思っちゃったわけなんですよ。あ、別に私が男性が嫌になってそっちの方に行くってことじゃないんですけど、ブライダル相談センターにもそういう人達って来るのかなぁとか思って」
「……ごくたまに来たりもしますけど、うちではご紹介しかねるのでお断りしてます。同性愛者専門の結婚相談所などもありますので」
「へぇ、そういうのもちゃんとあるんですね」
「…………」
なんだろう。橋立さんの雰囲気が変わったような。もしかして同性愛は地雷だった?
不安になっていると橋立さんが柔らかく微笑んで口を開いた。
「もし澄白さんがお望みなら女性のパートナーを探せるところを紹介しますよ」
「え!? いやいや、本当にそういうんじゃないんで! 今は誰かと付き合うよりも橋立さんと出掛けたりする方が楽しいですし!」
「――――」
橋立さんが正面を向いて私から目を逸らした。横から見ると頬の辺りに力が入っているのが分かる。心なしか耳も少し赤い。橋立さんと出掛ける方が楽しいと言ったのがそんなに照れることだったのだろうか。
その後の買い物の最中もご飯を食べているときも車で送ってくれているときも、やっぱり橋立さんの様子はどこかおかしかった。
橋立さんに何かあったんじゃないか。
私がそう心配し始めたのは前回会った日から三週間が経とうかという頃だった。
急な仕事が入ったからと一緒に出掛ける予定にしていた日をキャンセルされ、連絡をとっても反応が悪く、次いつ出掛けようかを聞いてもあれやこれや理由をつけてはぐらかされる。
一応電話で話してもみたが別に私に怒っているとか体調が悪いとかでもなさそうだった。
だからと言って無理矢理聞き出すわけにもいかず、せいぜい『困ってることがあったらいつでも力になるからね』と伝えることしか出来ない。
橋立さんが私を助けてくれたように私も橋立さんを助けたい。その気持ちは本当だ。でも相手が頼ってくれないことにはどうしようもないのがもどかしい。
『新しいコート見に行こうと思うんですけど一緒に行きませんか?』
無駄かもしれないと思いつつ誘ってみた。気が塞がっているなら尚更外に出た方がいい。
既読が付いてから一時間程経って。
『行きます』と、ようやく念願の返事をもらえた。
休日。私が車を出して橋立さんを迎えに行き、郊外にある大きな複合施設に向かった。
車内での会話は体調や近況についての当たり障りのないことに留めた。話している分には橋立さんは普段と変わりないように見える。
目的地に着き、家族連れなどで賑わう施設の中を二人で歩いて回った。特に何かを買うわけでもなく、お店で気になる服を見つけては試着したり所感を話し合ったりした。
「どこかでちょっと休憩します? 地図見たらモスとかあったし」
そう提案したのは疲れたからではない。落ち着いて話す時間が欲しかったからだ。
「…………」
橋立さんが目を伏せた。私の意図に気付いてしまったのだろうか。
困らせたくないのですぐにフォローを入れる。
「別に橋立さんが疲れてないならこのままでいいですよ」
「……いえ、その……」
何かを言おうとはしてくれているがうまく言葉にならないようだ。歩く速度がどんどん落ち、ついには立ち止まってしまった。
え、どうしようどうしよう。一人で焦りながら周囲を見回し、ベンチを見つける。
「一旦そこのベンチにでも座ります?」
こくりと頷いた橋立さんと共に通路の隅にあるベンチに座った。
今いる場所は二階のショッピングフロア。吹き抜けになっているから解放感があって遠くまで見通せる。この付近は特に女性用のショップが多いからか、歩いている人達も女性ばかりだ。
隣にいる橋立さんは座ってから一言も喋っていない。じっと床を見つめたまま身じろぎ一つしないでいる。
詳しく話を聞きたかったが、だからといって今日の買い物が楽しくなくなっても困る。
「もうちょっと休んだら行きましょうか」
だから何も聞かない。普通に買い物して遊んで食べて、笑って家に帰る。元々今日はそういう日だ。
「…………ってもいいですか?」
橋立さんが消え入りそうな声で呟いた。
「え?」
「相談、のってもらってもいいですか?」
「あぁもう全然いいですよ! 何でも相談しちゃってください!」
どんとこいとばかりに胸を叩く。本人が話してくれるなら私はそれに応えるだけだ。
「……恋愛、相談なんですけど」
「――――」
正直『まじかぁ……』と思いましたよ、えぇ。だって既婚者が急に恋愛相談させて欲しいなんて、アレしかないじゃないか。
私に続いて橋立さんも別れる、なんてなったら悲し過ぎる。
「……どぞ」
「あ、あの、どうすれば相手にうまく自分の気持ちを伝えられるんでしょうか?」
「……ん?」
思っていたのとは違う内容だった。浮気されたとかじゃないのか。
橋立さんに聞き返す。
「気持ちを伝えるっていうのは?」
「えっと、何と言えばいいのか……気持ちをきちんと言葉にすることが出来なくて、その……」
好き、と相手に伝えられないということか。長く一緒にいるとそういった言葉を言わなくなるとは聞いたことがある。橋立さんがそのタイプなのは意外だが。
ともかく、浮気だの離婚だのの話じゃなくて良かった。緊張が解け私の体から力が抜ける。
「言葉じゃなくて行動とかで示すっていうのはどうです? キス、ハグ、手を繋ぐ、腕を組む」
「それは、でも……」
「恥ずかしがってちゃダメですよ。こういうのは自分からいかないと。大丈夫、絶対向こうも喜びますって」
「…………」
顔を赤らめている橋立さん。もしかして自分の恋愛に関しては結構なぽんこつさんなのか? まぁ人に言うのと自分でやるのとでは大違いなのは分かる。
でも橋立さん本人が悩んでいるのにそれではダメだ。意識を変えていかないと。ひいてはそういう行いのひとつひとつが不仲に繋がっていくのだから。
ふと視線を前方に向けて、あるお店が目に入った。ランジェリーショップ。カラフルで可愛らしい下着がたくさん並んでいる。
――これだ。
私は立ち上がり、有無を言わさず橋立さんをランジェリーショップに連れていった。
「え、え……!?」
「恥じらいを捨てるには形からです。ここでめちゃめちゃセクシーな下着を買って、それで旦那さんを誘惑しましょう」
「!!?」
何か反論しようとしていたがもう遅い。陳列された商品の前に立たせ、サイズを強引に聞き出し、ハンガーを持って服の上から下着をあてがい似合いそうなものを探す。
「ぁぅ……」
心底恥ずかしそうにしている橋立さんはそれはそれで可愛いが、今は気にしている場合じゃない。
「普段の橋立さんのイメージだとピンクとか淡い系のが似合いそうなんですけど、アピールするならそのイメージとは逆にした方がいいと思うんですよ。例えば紫とか黒とか。あ、思い切ってこういうのはどうです?」
ほとんど紐のショーツを見せると橋立さんがぷるぷると首を横に振った。さすがにいきなりこれはハードルが高いか。
橋立さんの意見を聞いていたらいつまでたっても進まないので、とりあえず私のチョイスで下着を決めた。色は黒。レース地が多く透け感が強い、かなりセクシーな下着だ。
「試着してみましょうか」
「え」
「サイズは合ってても実際に着けてみないと分からないじゃないですか。すみませーん、試着したいんですけどー」
店員さんを呼んで奥の試着室へ案内してもらう。電話ボックスを二回りほど大きくした試着室は、扉の中に更にカーテンで仕切りがしてあって、連れの人が試着室の中でも待てるようになっていた。
「ショーツを試着する際は今履かれているものの上から試着していただくか、中にある紙製のショーツを着用のうえ試着してください」
「はい、ありがとうございます」
お礼を言ってから、橋立さんの背中を押しながら試着室に入った。カーテンの向こうに橋立さんを追いやり壁によりかかって着替え終わるのを待つ。
「うぅ……ほんとに着るんですか……?」
「ここまで来て何言ってるんですか。試着したからって必ず買わなきゃいけないわけでもないし、気楽にぱぱっと試着してください」
「……はい」
「あ、そんなに恥ずかしいなら別に私に見せなくていいですよ。着心地さえ分かればいいので」
こういう下着をつけるのが初めてなら抵抗もあるだろう。でもこれは自分を彩る為だけでなく相手への想いがあるからこそ着るものなのだ。
「好きな人にだけ見せる特別な衣装って考えればいいんですよ。セクシーなのも派手なのも、全部はその人の為なんですから」
「…………」
衣擦れの音だけが静かに聞こえてきた後、中から橋立さんの声がした。
「……すみません、ちょっと手伝ってもらってもいいですか?」
「え、あ、はい。じゃあ入りますよ」
断りをいれてからカーテンをスライドさせる。
そこには下着だけの姿になった橋立さんがいた。整った体に黒のブラとショーツがよく映えている。レース部分から透けて見える肌は妖艶で普段の印象とは掛け離れているが、そのギャップが余計に彼女の肢体の色っぽさを強調しているように思う。
「えっと、手伝いは、大丈夫そうです……? うん、思った通りめっちゃ似合って――」
突然、私の腕が橋立さんに引っ張られた。バランスを崩しそうになった体を受け止めるように橋立さんが抱き着いた。柔らかい感触。ふっと香る香水の匂い。
驚いて何も反応出来ずにいる私の耳元で橋立さんが囁く。
「好きな人だけに見せればいいんですよね。ハグすれば気持ちを伝えられるんですよね。私の気持ち……伝えられてますか?」
あったかい体温が私の体に浸透してきて、少しずつ状況が飲み込めてきた。
橋立さんが悩んでいた理由。何故私と距離を取ろうとしていたか。
決して嫌じゃない。むしろ橋立さんが私のことをそう思ってくれていたことが嬉しいくらいだ。
でも――。
「……旦那さんがいるじゃないですか。その気持ちは旦那さんに向けてあげてください」
「いませんよ。旦那なんて」
んん!? え!? は!?
一瞬で頭の中がパニックになった。旦那が、いない!?
橋立さんはそっと体を離すと、左手の薬指の指輪を抜き取った。
「結婚相談所に勤めているのに未婚だと説得力がないからって、指輪だけつけてたんです。なので結婚はしていませんし現在付き合ってる人もいません」
顔を紅潮させた橋立さんが潤んだ瞳を私に向ける。
「本当は澄白さんの側で応援だけ出来ればいいと思ってたんですけど、あんなこと言われたらやっぱり諦められないじゃないですか」
色々と納得がいった。だからあの日から態度がおかしくなったのだ。
「……澄白さんとずっと一緒にいたいです。友人としてではなく恋人として」
まっすぐに気持ちをぶつけられて私は小さく笑った。
「ちゃんと言葉でも伝えられるじゃないですか」
「え、あ、だって、こんな状況になったらもう言うしかないじゃないですか!」
怒った顔も可愛らしい。愛おしいと思う。大切にしたいと思う。
うん、私の気持ちもとっくに決まっていたのかもしれない。
だからそのまま思い浮かんだ言葉を口にする。
「私も、橋立さんとずっと一緒にいたいです」
「――――」
橋立さんが再び抱き着いてきた。かすかに鼻をすする音が聞こえる。
腕を背中に回して抱き締め返し彼女の背中を撫でる。すべすべの肌は触り心地が良かった。
橋立さんが落ち着いてから試着室を出て、下着を購入した。
買ったときの店員さんの優しく見守るような視線は多分一生忘れない。二人で顔を赤くして車に戻った。時間的に帰るのはまだ早かったが、このまま何事もなく買い物を続けられるほどの胆力はお互いになかった。
まぁ橋立さんを気分転換させて悩みを解決するという当初の目標は達成したので構わない。思っていた解決法とはまったく違ったけれども。
帰りの車内はほとんど会話がなかった。気まずいというより照れくさくて何を話していいのかが分からなかったから。
不意にアームレストに置いていた左手に橋立さんが触れてきた。握るのではなく手の甲と手首の間辺りに指を乗せるだけ。運転の邪魔にならないようにしているのだろう。でも私に触れていたい、と。
くすぐったい、けど心地いい。久しく味わっていなかった感情に自分で戸惑いながらも、胸の奥からあたたかいものが広がってきた。
信号で止まったとき、彼女の手を握る。すぐにぎゅっと握り返される。恋人であれば当たり前の行為が今はこんなにも嬉しい。
やがて車がお昼に橋立さんを迎えに行った場所に到着した。運転していてこんなに時間が短く感じたのは初めてだ。名残惜しさはあるが、だからといって連れ回したり連れ帰ったりするわけにもいかない。お互い、いい大人で社会人で、今日付き合い始めたばかりなのだから。
『今日はありがとうございました』と、私がお別れの言葉を口にしようとしたとき、それより前に橋立さんが切り出した。
「……さっき買った下着、澄白さんの家で着けてもいいですか?」
「――――」
人がせっかく考えないようにしていたことを何でそうぶっ込んでくるのかなこの人は!
せっかく誘われてるんだから受けちゃえ受けちゃえと囁く悪魔の私と、橋立さんは明日仕事なんだしやめておいた方がいいと注意する天使の私、泊まるにしてもきっちり準備してからの方が色々都合がいいでしょと提案する第三の私が頭の中でバトルしている。
橋立さんがくすりと笑った。
「冗談です。今日はこのまま帰ります」
「そ、そうしましょう」
笑って相槌を打つ私に橋立さんが急に体を寄せて――唇を私の唇と重ねた。キスの時間は数秒ほど。唇を離した橋立さんの吐息が顔にかかる。
「……明日、仕事が終わったら澄白さんの家に行きますね」
「……うん」
橋立さんが荷物をまとめて車の外に出た。ドアを閉めて歩道から私に手を振る。
私も手を振り返し、助手席の窓を開けて声を掛ける。
「また明日、聖花さん」
橋立聖花さんは一瞬驚いた表情を見せたあと嬉しそうに笑った。
「はい、また明日。由紀さん」
本日は大安吉日也。空には輝く太陽と気持ちの良い青空が広がり絶好の日よりでございます。
なんとなく口上を思い浮かべながら採光窓を見上げていると聖花さんに話しかけられた。
「由紀さん、どうかした?」
「んー? いい天気だなーと思って」
「ほんとにね。雨とか降らなくてよかった」
そう言って笑顔を覗かせる彼女は今、純白のウエディングドレスに身を包んでいた。スカートがふわりと広がったプリンセスライン。胸元と腰回りに花びらをモチーフにした装飾がなされていて可憐で美しい。ネックレスやイヤリングともよく合っている。ベールも頭に付けてはいるが、今は準備の妨げになるので上げている。
かく言う私も同様にウエディングドレスを着ていた。同じプリンセスラインだが細かなデザインは違う。腰回りにはビーズ加工があしらわれていて、スカートの裾にはスカラップレースと呼ばれるホタテ貝モチーフの刺繍がされたレースが大きく広がっている。豪華な意匠に負けないようにネックレスは少し派手なものを選んできた。似合っているのは聖花さんのお墨付きだ。私もベールを付けているが今は上げている。
ここはとある結婚式場内にあるチャペル。私達の他は誰もいない。
『結婚式挙げる?』
二人ともがウエディングドレス好きで結婚への願望があるのだからそういう話になるのも当然のことだった。
だが実際に本当に結婚式を挙げるとなると家族や友人をどうするのか、日程はいつだと都合がいいのかなど決めなければいけない煩雑なことが多い。そもそも同性同士の結婚式にどれだけの人を呼ぶのかという話にもなる。両親にさえまだ打ち明けていないのに。
結婚式はしたい。でも面倒なことにはなりたくない。その結果が『だったら二人だけで結婚式をすればいい』だった。
「時間もそんなにないことだし、始めますか」
借りた時間は二時間。衣装を整えたりデジカメのテスト撮影をしたりで時間を使ってしまった。私達のあとには違う人の結婚式がここで行われる予定だ。
三脚にセットしたデジカメの録画ボタンを押し、お互いに相手のベールを降ろして祭壇の前に立った。
差し込んだ光が私達を照らしている。それはまるで神様から祝福をされているかのようで。
見つめ合ったまま聖花さんが誓いの文を口にする。
「汝、澄白由紀は、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、橋立聖花を愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
神父のいない私達だけの結婚式。誓うのは神に対してではなく相手に対してだ。
「誓います」
力強く答え、今度は私が聖花さんに問う。
「汝、橋立聖花は、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、澄白由紀を愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「誓います」
自然と微笑み合う。
続いては指輪交換だ。ウエディンググローブを着けていると二人だけでは指輪交換がしづらいのでどちらも着けていない。
まず聖花さんが差し出してきた左手を私が左手で下から支え、右手で彼女の薬指に指輪をゆっくりとはめる。はめ終わったらそこから左手をくるりと回して上下を入れ替え、私の左手を聖花さんの左手が支えるようにして、薬指に指輪をはめる。家で何度も練習しただけあってスムーズに出来た。
聖花さんも同じように思ったのか、ほっと息を吐いて笑っている。
さて、いよいよ誓いのキスの時間だ。
体を少し屈めた聖花さんのベールを持ち上げる。髪の後ろに挿した桜のかんざしが目に入った。どうしても今日着けたかったからと持ってきたものだ。和風なかんざしではあるがウエディングドレスも花柄なのでアクセントとしてマッチしていると思う。似合う似合わない以前に着けてくれていることが一番嬉しいんだけど。
私のベールも同じように聖花さんが持ち上げてくれた。
互いの顔があらわになり改めて向かい合う。やっぱりちょっと気恥ずかしい。
「誰も見てないとはいえこういうの照れるね」
「あれ? 周りに誰もいないならいちゃいちゃしてもいいんじゃなかったの?」
「それはその……」
言い淀んでいると聖花さんがにこにこしながら近づいてきた。視界の下で手を繋ぎ、指を絡ませてくる。
「ここには私達しかいないよ?」
「……そうだね」
体を寄せ合い、可愛らしく微笑んでいる彼女の桃色の唇にキスをした。永遠の愛を彼女自身に誓う為に。
「……ん……ん、っ……む……」
キスがなかなか終わらない。聖花さんはがっちりと手を握ったまま唇を離そうとしない。それどころかどんどんキスが激しくなってきているような。
「――――」
舌が私の口内に侵入してきてさすがに顔を離した。
「せ、聖花さん……!?」
「どうかした、由紀さん?」
あ、この笑顔は本気のやつだ。
「あの、結婚式でそのキスはやっちゃまずいやつなのでは?」
「……私、常々疑問に思ってたの」
「?」
「神に誓うキスなのに軽く触れるだけの子どもみたいなキスでいいのかな、って」
「いや、日本ではそういうものだし……」
「そんな遊びみたいなキスよりも、深く愛し合ったキスを見せた方が神様だって安心すると思わない? この二人なら大丈夫だ、みたいな」
「うーん、言いたいことは分からなくもないけど」
だんだんと言いくるめられつつある私に聖花さんがとどめの一言を囁いた。
「この場所で由紀さんといっぱいキスしたいの……ダメ?」
こんな言い方されて断れるわけがない。
私の方から聖花さんを抱き寄せて唇に吸い付いた。もう遠慮も恥ずかしさもない。ここには私達しかいないのだ。求めるまま、求められるままにキスをしてもいいじゃないか。
ウエディングドレス姿で抱き合い、唇を合わせ互いの舌を絡ませる。あたたかな唾液が混ざり合い、唇の端から溢れて口の周りを濡らす。口紅で汚れたって構わない。汚れたならあとで拭けばいい。化粧が崩れたなら直せばいい。でも今はただ、聖花さんとのキスを続けていたかった。それこそ永遠に。
神前式でも人前式でもない二人だけの結婚式を何と呼ぶのだろう。
二人式? 相互式? まぁなんでもいいか。呼び方なんてなくたって結婚式には変わりない。
私は結婚式に憧れていた。それはウエディングドレスを着た花嫁に自分がなりたかったから。
結婚の為に結婚式をするのではなく、結婚式の為に結婚をする。極端に言えばそういう考えだった。
でも聖花さんとこうして結婚式をしてみてそんな考えはどこかに行ってしまった。
確かに聖花さんと結婚式を挙げるのは楽しみだった。でもそれ以上にこれからの毎日を一緒に過ごすことを楽しみにしている私がいる。
あぁ多分きっと、これはそういうことなんだろう。
胸の内側に広がるあたたかい気持ちをぎゅっと抱き締め、他の誰でもない自分自身に誓いをたてた。
私は、聖花さんがいつまでも笑顔でいられるように彼女を支え続け、生涯愛することをここに誓います。
おまけ
<ランジェリーショップ・リベンジ>
「うーん、これもいいなぁ……でもこっちもいいなぁ」
「あの、聖花さん」
「何?」
「えっと、そろそろもう勘弁していただけないでしょうか」
「下着を選んであげてるだけじゃない」
「いやえーっと、さっきからきわどいのばっかり手に取ってる気がするんですが」
「だってきわどいのを履いて欲しいから」
「さすがに布面積が小さ過ぎでしょ!?」
「自分だってあのとき履かそうとしたくせに」
「あれは旦那さんがいると思ってたから――てか理由分かってるでしょうが!」
「……すごく恥ずかしかった」
「そ、それはごめんって」
「なので由紀さんにも、好きな人にいきなり下着を決められる恥ずかしさを体験してもらおうと思いまーす」
「逆恨みだー!」
「じゃあ由紀さんも私に履かせたいのひとつ選んでいいよ」
「え……? どんなのでもいいの?」
「もちろん」
「それじゃあ、そこのピンクのやつで……」
「……やっぱり履かせたいんじゃない」
「ち、違う! 普通に似合うと思ったの!」
「別にいいよ。由紀さんが選んでくれたのだったらどんな下着でも」
「…………」
「一緒に試着しに行こ?」
「……うん」
会計をするときの店員さんの『あーはいはい、このバカップルがよぉ』みたいな視線は一生忘れないと思う。
終
大変お待たせして申し訳ありません。
今回のお話は色々と試行錯誤するところも多かったですが、最後に向かうにつれて筆が乗り楽しく書くことが出来ました。
彼女たちの結婚式を少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
尚、作中の名称等は架空です。