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第96話 4日目~近付く視線~

 ―――夜が明ける頃、平原(ステップ)を通り過ぎ、樹海へと到達した。

 四日目の朝。

 ベラージオまで残り1000キロメートル。

 その名の通りの樹の海。初日に通過した森林地帯ですら北部よりも密なものであったが、更に別次元の密度を誇る魔境だった。


「しかし、熱いな。」


 ツキカゲが辟易とした様子で漏らした。


「君はまだいいよ、飛行してるからね。この下草の長さ。走りにくいことこの上無い。」


 同じく辟易とした様子は変わらずながら、走る速度を落とすこと無くマルハチも愚痴を漏らしていた。


「ミュシャ、こんなジャングル来たの初めてです。大きなかぶと虫いますかね?姫様のお土産にします♪」


「毎度ながら、お土産にするならプージャ様の喜ぶ物にすべきだろう?なんでそう、君は自分の趣味の物を持ち帰ろうとするんだい?」


「え?マルハチさん、知らないんですか?かぶと虫はアップルパイの材料に最適なんですよ?」


「…………百歩譲って君の故郷ではそうだとしよう。そのお菓子の名前はアップルパイではなくかぶとパイじゃないのか?それとも細かく刻んでパイ生地に練り込むのか?どちらにしろ想像も付かないな……」


「はい。嘘ですから♪かぶと虫料理なんて聞いたことありません。」


「堂々とした嫌がらせじゃないか!」


「ミュシャは姫様とかぶと虫お相撲をしたいんです!」


「なら始めからそう言えばいいだろう!」


 流石のこのふたりとは言え、多少はストレスを感じ始めたらしい。ツキカゲは温かい気持ちで見守ってやることにした。

 

「どうする?少し休憩にするか?」


 珍しくツキカゲが気遣いのある言葉を投げ掛けたその時だった。


「ダメだ。視線が強くなった。」


 マルハチが声を抑えた。


「何だと?」


「近付いてるってことですか?」


「そのようだ。」


 それまでのギリギリ和やかだった雰囲気は払拭され、三人に一斉に緊張が走った。


「どこからだ?」


「今探ってる。」


「やっぱりミュシャには気配は感じ……いや、感じます!」


 周囲に視線を巡らせているであろうミュシャが声を張り上げた。


「本当だ。あたしにも感じるぞ。」


 ツキカゲも同意した。


「まだかなり遠いです。ですが、何かが近付いて来る感じがします。どこでしょう?とても遠いけど、とても速いです。」


「そうだな。あたし達よりも数段速いぞ。それに、なんだ?これは。……とても……無機質だ。マルハチ、分かるか?どこから来る?」


 確かにざっくりとは感じはするが、それでもミュシャらにはまだ掴めるほどではない。この感覚には、やはりマルハチが最も鋭かった。


「上だ!」


 言うや否や、マルハチは柔らかい地面を蹴った。


「ふたりはここで待機してくれ!」


 振り返りもせず、絡み付く(つた)を頼りに手近な大樹を猛スピードでよじ登り始めた。

 マルハチの姿はほんの数秒後には、折り重なる枝葉の雲の中へと消えていった。


「どう見る?」


「分かりません。殺気は感じませんが……それよりも何より、鼓動を感じないことの方が気になります。」


 珍しくミュシャの目に真剣な光が灯っていた。



 樹海の頂上へと飛び出したマルハチは、揺れる枝にしがみつきながら、視線を感じるその方向へと顔を向けた。

 方角は南南西。ベラージオのある方角だった。だが……


(おかしい。てっきり樹上を潜行しているものとばかり思っていたが。)


 感覚のするその先を見据えても、(もや)の掛かる樹海が広がるのみ。時折、鳥の群れが飛び立つ際に敷き詰められた緑が蠢いてはいるが、ただそれだけ。


(しかし感じる。どんどん近付いてくる。)


 マルハチの眼前を、鮮やかな羽根で着飾った鳥の群れが通り過ぎた。そこで気が付いた。


(鳥……?そうか、飛行しているのか!)


 マルハチは首を振り上げた。


(いた!)


 遂にその目に捉えた。


 遥か上空。しかも目視出来るか出来ないかの距離感。朝焼けに照らされ、凄まじいスピードで靄を切り裂いている。

 

(かなり大きいな……鷲か?だがあんな速度で飛翔する鳥類など、隼くらいしか、いや航行距離を考えれば渡り鳥だろう……だが、あんな速く翔べる渡り鳥が?)


 悠長に考えている間も無かった。

 鳥は、ぐんぐんとマルハチとの距離を詰めて来る。そして刻一刻と視線が強まってくるのを感じるのだ。


(やはりあれに間違いない!)


 マルハチが確信を得た瞬間だった。

 鳥が彼の頭上へと到達した。


(あっ!)


 声を上げることも叶わなかった。

 

 視線の主は飛翔を止めることなく通り過ぎたのだ。

 それも、マルハチには目もくれずに、だ。


(…………な……んだ……って?)


 たった今、目にした光景を、自分自身で信じることが出来なかった。マルハチは動くことが出来なかった。

 視線の先にはマルハチを無視するように通り過ぎた者を捉えたままだ。迫り来た時と同じ速度でぐんぐんと遠ざかっていく。それをしばらくの間、見送っていた。呆然と、だ。




―――しばらくの時間を樹上で過ごし、ようやくマルハチがミュシャらの元へと戻ったのは、それなりに日が高くなってからのことだった。


「一体どうした?戦闘の気配も無いから待ってはいたが……」


 再び地上に降り立ったマルハチの様子がおかしいのはすぐに分かった。

 

「……通り過ぎた。」


 マルハチの声は様相通りに渇ききっていた。


「見たんですか?」


 いかにミュシャと言えどこの様子に軽口は相応しくないと悟ったようで、慎重な口調で問い掛けてきた。


「ああ、見た。」


 歯切れが悪い。マルハチであれば、何を見たのかはすぐに報告するはずだ。

 そのマルハチの様子が、ただ事ではないと物語っていた。


「何を見た?」


 ツキカゲは息を飲んでから口を開いた。


「……ドラゴン族だった。」


 それはふたりが予想していた答えだった。恐らくマルハチも予想していただろう。ふたりはそう思っていた。だが、マルハチの様子はそんな単純な予想では陥り得ないものだった。


「言え。何を見た?」


 ツキカゲに詰め寄られ、マルハチは大きく息を吸った。


「……あれは……」





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