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第95話 3日目~視線の主は?~

―――三日目、黄昏時。



「さて、これからどう動くか?だな。」


 平原(ステップ)の中に拓かれた交易の町。その小さな木賃宿の一室。

 ツキカゲがコーヒーカップを傾けながら口を開いた。


 二日目の夜、なんとかポイズンリザードタイラントの群れを振り切ることに成功したものの、予定外に銀狼化したまま長距離の行軍を強いられたマルハチが疲弊したことにより、彼らの道程消化は想定の半分程度に留まっていた。


「マルハチさんが根性無しなのがいけないんですよ♪」


 つい今しがた、村の武具店で新調した鋼鉄の鎖で仕立てられた鞭を撫で回しながら、ミャシャがマルハチを非難し始めた。


「何度言えば分かってくれるんだ?銀狼化の全速力で長距離を走るのは、無呼吸で長距離走するのと大差ないんだぞ。」


「ミュシャなら無呼吸で大陸往復出来ます!」


「ならそうしてくれれば良かったんだけどね!振り切ったにも関わらず『来ます!来ます!』と嘘ついて囃し立てたのは君だろう!」


「それを真に受けて走り続けた貴様もどうかと思うがな。」


 ふたりのやり取りに、ツキカゲが呆れたように頭を振っていた。


「だってミュシャ、乗り物大好きなんですもの♪」


 ミュシャは照れたように頬を赤らめ、もじもじしながら目を伏せていた。

 

「だってあまりに熱狂してるから、つい。」


 マルハチも頬を染め、そっぽを向いた。


「バカ共めが。」


 ツキカゲはこめかみに青筋を浮かべ、模範的な怒りを顕にして見せた。


「そもそも、何故プージャがこの行軍に貴様らを指名したのか理解してるのか?貴様ら以上に信頼のおける者は他にいないからだろう。その信頼を裏切るような真似を、その貴様らがしてどうする。少しは自覚を持て。」


 マルハチは心中で首を竦めていた。彼女の言うことが尤もだ。だがしかし、

 まさか、この魔血種族の女帝からこのような的を射た説教を受けるとは思ってもみなかった。


「すまない。」


「すみません。」


 素直に謝ったマルハチを見倣ってなのかは知らないが、ミュシャも呆気なく謝意を述べた。


「それでだ、貴様、視線はまだ感じるのか?」


 ふたりの謝意に納得をしたツキカゲが、改めてマルハチを見据えて問い掛けた。


「ああ、変わらず。」


 マルハチが首を横に振った。


「そうか……」


 ツキカゲは鼻から息を吹き出すしながら続けた。


「また待ち伏せでもされたら厄介だな。」


「だが、だからと言って立ち止まる訳にはいかない。」


 マルハチの表情が険しくなった。


「それは、相手が誰か?によるな。」


 が、マルハチとは対照的に、ツキカゲの口調は比較的軽いものだった。


「相手?それは天霊に違いないと思うが?」


「あたしなら、監視下に置いた侵入者など、泳がせたりはしない。引き込む意図が無ければな。」


 それはツキカゲの言う通りだった。


「なら僕たちは誘い込まれていると?」


「知らんな。だが少なくとも、始末する気ならとっくに軍勢を送り込んでいる。」


「確かに。」


 マルハチは顎に手を当てると思いを巡らせていた。

 天霊に気付かれているとして、自分達を放置しておく意図。それは何なのだろうか?少なくともポイズンリザードタイラントを送り込んだ時点で歓迎はされていない。

 かと言ってツキカゲの言うことも尤もである。こちらの目論見通り、もしマリアベルの大公に領内への侵入を許したとあれば、それは由々しき事態。本気なら、もっと確実に潰しに来ておかしくは無いのだから。

 見くびっている?それとも、潰すに値しない?しかしポイズンリザードタイラントという、確実性は低いものの相当な驚異は差し向けている。少なくとも、それなりの本気は感じられる。 

 ならば考えられる可能性のひとつとして……


「天霊ではない、と言いたいのかい?」


 ツキカゲは眉を上げた。


「あたしはその可能性が強いと見ている。仮に、辺境の天霊配下の小領主が何かしらの監視能力を有する者だとして、貴様を発見、監視をしているとしよう。そいつが首都まで伝令を飛ばすのに、何日掛かる?ドラゴン族の秘術などが絡めば分からぬが、あたし達ほどの速度で移動する者より先に首都まで到達する方法など滅多に有るものでは無い。単体であたし達の足止めをせざるを得ないだろう。もしくは要らぬ功名心に目を眩ませる間抜けだという可能性も捨てられない。その方がよほど好都合だがな。どちらにしろ、相手が力の無い者だとすれば、ポイズンリザードタイラントを差し向ける行為は全力の結果とも捉えられる。」


 口早に言葉を紡いでゆくが、その内容は非常に納得のいくものだった。

 マルハチもミュシャも、異論無く彼女の説を受け入れた。


「確かに、筋は通るね。」


「現状から考えるに、あたしはそちらの可能性の方が高いと見ている。ならこちらがやることはひとつだ。」


「全速前進ですね?♪」


 ミュシャが嬉しそうに声を弾ませた。


「ああ。用心しすぎて下手に移動速度を落とすよりも、その方が賢明だ。どちらにしろ遅れも取り戻さねばならないしな。」


「分かった。そうしよう。」


 マルハチもまた、ツキカゲの提案を飲んだ。


「幸いにもここから先はベルギオ山脈の樹海が広がり始める。監視は一先ず置いておき、天霊直轄の目を気にしながら進むには適している。」


 地図を指差すマルハチにツキカゲが頷いて見せた。


「ああ。むしろ天霊に見付かる方が厄介だ。伝令が渡る前に首都へと到達する必要も出てくるしな。」


「その通りだね。」


 方針は決まった。


「今夜ここを出たら、もう止まらずにベラージオを目指す。いいね?」


 ミュシャとツキカゲ、双方に目配せをするマルハチ。黄金と紺碧の眼差しが輝きを放ち、白銀の輝きと絡み合った。





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