第92話 2日目~平原ルート~
―――マルハチ達がサルコファガスを出発してから二日目の夜が訪れようとしていた。
いくら往来の多い街道を避けて進行するとは言え、日の高い時間帯に高速移動を行うのは目立ちすぎる。
彼ら3人の行動は主に夜、行われることになっていた。
「くくく。昨日はあたしの勝ちだったな。貴様ら、口ほどにも無い。」
小さな木賃宿の小さな部屋のボロ椅子に優雅に腰掛けたツキカゲが、満足げに顎を上げながら言った。
「そうだな。まさか最後に僕らの足元にサルディナを放って足止めするなんて、思いもよらなかったよ。」
「そうですよ!相変わらず卑怯さんですね!そう来るのなら、次はミュシャ、本気出しちゃいますよ?」
どうでも良さげに地図に目を落としながら答えたマルハチとは対照的に、ミュシャは真剣に怒っているようだった。
「まぁまぁ、ミュシャ。先は長いんだ。本気は有事の際まで取っておくんだ。」
「マルハチさんには負けませんからね♪」
そもそも、ツキカゲは宿で最高の部屋を所望した。
だが実際に彼らが取った宿は部屋にランクなど存在しない場末の木賃宿。勝者に贈られるべき賞品などは有りようも無いのだが、それでも満足そうにしているツキカゲを見て、マルハチは内心で驚いていた。
(目の前の事柄に惑わされっぱなしだが、もしかしてこいつ、頭の良いバカなのかもしれないな。)
そんなマルハチの分析など知る由も無いツキカゲが、マルハチの広げる地図を覗き込んできた。
「今夜はどのルートを通るんだ?」
「本来ならば昨夜同様に、出来れば森林地帯を通りたいところだが……」
マルハチの返答はなんとも歯切れの悪いものだった。
「視線を感じるのか?」
ツキカゲが顔を上げた。
「あぁ。うっすらだが。室内に居ても感じる。」
「うっすらってことは、よっぽど遠くにいるんでしょうか?」
こういった話題にはほとんど意見を出すことの無いミュシャが、珍しく口を開いた。
「千里眼の術の可能性もあるな。」
ツキカゲが腕組みした。
「千里眼の術であれば、取り憑かせる使い魔が必要なんじゃないのかい?使い魔を視認させないほどの高い魔力が込められているとして、君達に見せないレベルの使い手がそうそういるとは思えないが。」
その疑問は尤もだった。魔術に優れるソーサラーの王であるツキカゲは言わずもがな、一般的な魔族とは強さの成り立ちの違うミュシャは、内包する魔力の全てが身体強化に注がれている特異体質。そして彼女の強さの源である魔力量は常識を遥かに超えているのだ。
マルハチの意見に対し、ツキカゲが顔を向けて答えた。
「そうだ。そうそうは、な。だが相手は天霊率いるドラゴン族だぞ?あたし達の常識などは無意味だ。」
「君ともあろう者が、随分と下手に出るんだな。」
「ドラゴン族は未知過ぎるからな。慎重に慎重を期して損はなかろう。」
(やはり頭は良いな。)
マルハチは前髪を指で摘まむとねじり上げるように弄んでいた。
「そこでだ。」
会話の脈絡を断ち切るように、マルハチが地図を指し示した。
「今夜は平原を通ろうと思う。」
「確かに、南部の広大な平原であれば、どんなに使い魔を隠匿させたとしても、森よりは本体を視認することも容易だな。」
「ミュシャ、千里先まで見えますよ♪」
「……千里がどのくらいの距離か知ってるのか?そんな視力の子が普通に生活してたら目を悪くするぞ。」
「ミュシャの目は筋肉すごいから大丈夫です♪」
言いながら腕を構えて見せる。
無論、無視だ。
「少し危険ではあるが平原を行くことで、敢えて敵を誘き出そうかと思うんだが、どうだい?」
「よかろう。不安要素を持ち歩くよりはマシだろう。」
「はい♪ミュシャが必ず見付けてみせますから!最初に見付けた人は、欲しい物を買って貰えるんですよ♪」
ふたりの同意の元、マルハチ達は人目に触れやすい平原を進むこととなった。
「それで、どこを通るのだ?この湿地に近いルートであれば直線距離も短い。行程短縮にも繋がるようだが。」
ツキカゲの指差したルートにマルハチは首を振った。
「実は先ほど買い出しに行った際に、店の者に聞いたんだ。その湿地帯はポイズンリザードタイラントのテリトリーだそうだ。」
そのマルハチの言葉に、ミュシャが目を輝かせた。
「ポイズンリザードタイラント!?本当ですか!?」
マルハチは顔をしかめた。
失敗した。何故かは知らないが、この少女は彼の有名な【生ける強酸】に対して並々ならぬ憧憬の念を抱いているのだ。それがあまりにも強すぎて、劇薬として悪名高いポイズンリザードタイラントの糞すら闇市で手に入れて隠し持っていたほどだ。
「会わないからな。」
次にミュシャが何を言うかなど大方の予想はついている。マルハチに無下に却下されると、ミュシャは口を尖らせて俯き、しきりに指先をもじもじと動かしていた。
「そうだな。平時ならまだしも今は厄介事は避けるべきだ。ならば少し遠回りになるが砂岩地帯寄りのルートを取るか?」
「あまり近付き過ぎると視線の主にまた隠れ場所を与えることになるから、少し気は進まないが、それが妥当だろうな。砂岩を行こう。」
不貞腐れたままのミュシャは置き去りに、マルハチとツキカゲは計画を進めていった。
カーテンの隙間から射す日差しが途絶えた。
3人は静かに村を後にした。
―――ガルダの体が大きく震えていた。
広大な天霊郭のどこの部屋なのかは分からない。天井が高い。窓はない。少しの行灯のみで明かりを採るも、あまりの広さにより部屋の一部のみが照らされるばかり。ほとんどが暗闇だった。
「……初日は……城主の寝室……で構いませんが、……それ以後は……毎晩必ず……寝室は……変え……て下さ……い。」
一言一言を紡ぎ出す度に、ガルダの体が大きく震えた。
「ふぅん。で、初日からいきなり、指定の部屋には居なかったわけだけど、兄貴殿。あんたの半身は信用されてないんじゃないですか?なんかあの黒子族も、勝手に毒なんか飲んじゃうし。調子狂いますよね。仲間としてせめて身バレしたくないって忠誠心?ってやつ?」
「………………。」
「ねぇ、なんとか言って下さいよ。」
天霊が笑った。それと共に行灯の火が揺らめいた。
ガルダの影もまた、揺らめいた。
ガルダの体は無数の糸のようなものに吊り下げられ、それはまるで操り人形のように、だらしなく四肢を垂らしていた。
………吊り下げられていたのではなかった。
糸ではない。糸のように細い針だ。無数の長大な針に貫かれ、ガルダの体は己の意思とは関係無く立たされているのだ。
針は放射状に、ガルダの脳を目掛けて収束しているようだった。
「まぁいいや。遊びは長く続いた方が楽しめますしね。それで?もう一方はどうするんですか?ねぇ?」
ブローキューラが指を動かした。
それと同時に、ガルダの体が激しく震えた。
「あまり……近付き過ぎる……と……視線の主に……また隠れ場所を……与えること……になる……から……少し気は……進まな……いが……それが妥当だろ……うな……砂岩……を行こう……。」
ブローキューラの流す電流がガルダの体を駆け巡るたび、ゆっくりと、たどたどしく、言葉を紡いでいく。
「なんだ。いいとこ通るんじゃないですか。なら……けしかけるしかないですよねぇ?ええ?兄貴殿。」




