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第91話 1日目~視線~

―――マルハチ達がサルコファガス砦を出発し、夜が明けた頃のことだった。


 3人は、うっそうと繁った森林地帯を、我先にと猛スピードで進行していた。

 初日の目的地である村に最初に到着した者は、負けたふたりに何でも好きな物を要求出来る。そんな子供じみた賭けをしたが故に、3人は予定よりもかなりのハイペースで道程を消化していった。

 夜のうちにその道のりのほとんどを踏破し、後はこの森を抜ければ村が見える。

 そんな時だ。


「ふたりとも。」


 それまで無言で走り続けていたマルハチが、何やら不穏な声色で声を掛けた。


「なんですか?もうバテちゃいましたか?」


 少し前方を駆けるミュシャが振り返り、バカにしたような笑顔で答えた。


「ちょ!なんだ!?その顔は!」


「オリハルコンの鎌はミュシャの物ですね!と思いまして♪」


「意外と君、物欲が強いんだな。」


「いいえ?本当はマルハチさんが負けて悔しがる姿を見るのが楽しみなだけですよ♪」


「そういうことは心の奥底の押し入れの更に奥にしまっておくんだな!」


 走りながらも軽口を叩き合うふたりだが、そんな様子にイラついたように、頭のすぐ上を浮遊魔術で飛行していたツキカゲが割り込んできた。


「バカめ。勝つのはあたしだ。今夜の宿で最も良い部屋を所望するからな。」


 ジョハンナとミュシャの影響力のなんと強いことよ。暴君ツキカゲにここまで庶民的な感覚を植え付けるとは。もはや洗脳に近い。

 マルハチは心中で下を巻いていた。


「君も乗っかるな。それよりもだ、サルコファガスを出てからずっと、何者かに見られているのは気付いてるな?」



 ここまで相当な距離、しかも異常とも言える速度で走り続けている。その内、引き剥がせるだろうと高を括っていた。にも関わらず、マルハチはずっとその感覚を拭えずにいた。

 あまりにも異様なその感覚にいよいよ違和感を覚えたマルハチは、休息地点に到着する前に解決すべきと決心し、ミュシャらと話すことに決めたのだ。


 しかし、ミュシャから返ってきたのは予想外の答えだった。


「なんですか?何も感じませんよ?」


 マルハチは驚きを隠せなかった。こと嗅覚に関してはマルハチの能力がこの3人の中では際立っている。

 だが、この纏わりつくような気配。

 この言いようの無い不快な気配に、この少女が気付かぬわけが無いと思っていたからだ。


「貴様、よもや虚言であたし達を出し抜くつもりではあるまいな。」


 頭上から別の声も降ってくる。

 とんでもない言いがかりだ。ではあるが、これを言った時点でどうやらツキカゲも気が付いて無いということだろう。

 が、その事実がマルハチに急速な焦燥感を抱かせた。


「ちょっと待て!」


 マルハチがその場で立ち止まった。


「なんですかぁ?」


「図星か。」


 その行動にうんざりした様子で、女性陣も合わせるように移動速度を緩めていった。


「まさか、君らが感じないだって?」


 ここまで露骨な違和感。ふたりが自分をからかうために冗談を言っているなど、おおよそ考えられない。その事実が彼の焦りに拍車を掛けた。


「だがしかし、僕にしか感じないなんてこと、あるのか?」


 立ち尽くし、何かを逡巡し始めるマルハチの様子に流石のミュシャも異常を感じたのか、足を止めると歩み寄ってきた。


「それで、どこから見られてるんですか?」


 いつもならばそう見せかけて勘違いをぶつけてくるのがミュシャのはず。だが今回は違った。


「それが分からないんだ。」


 マルハチが答えた。


「種類はなんだ?」


 ツキカゲも宙を旋回すると、ふたりの傍らに降り立ってきた。


「……それも分からない。監視……でもない。かといって照準でもない。殺気は感じない。」


 顎に手を当て、不用意にも周囲を見渡すマルハチに向けて、ミュシャが笑顔を浮かべた。


「気のせいじゃないんですか?ずっとって、ミュシャ達にずっと尾いて来られるような敵さんなんていますか?」


「そうだ。あたし達と同等の速度でこの長距離を走れる生物などそうは存在せんぞ。渡り鳥の類いも無い。上はあたしが気に掛けてるからな。」


 ふたりの意見は尤もだ。仮に尾けているんだとして、それが監視以外の目的とは考えにくい。だが、言った通りに監視の意図は感じられないのだ。


「確かにそうだ……そうなんだが、見られている。何故かは分からないが。」


 言いながらもしきりに周囲を気にするマルハチ。その不自然さはふたりにも十分に伝わった。


「分かりました。そうしたら、ちょっと手分けして捜してみましょうか♪」


 ミュシャが言った。まさかミュシャからこんなマルハチの意見を汲んだ発言が飛び出すとは。奇跡だった。

 冗談はさて置き、ふたりにはその提案に異論は無かった。

 3人は、日の出まで、集合場所はここ、と取り決めると散開していった。


 平均気温が高く雨量も多い南部の森林は、北部とは比べものにならないほどの密度で生い茂っている。相当な時間を掛け、相当な範囲を樹上から下草の根元まで、丁寧に探索していった。

 しかし日が昇っても収穫は無く、3人は予定通りに元の場所に戻ってきた。


「見て下さい!あっちの地面でトリュフ見付けちゃいました♪」


 全く違う収穫物を手にしたミュシャが、無駄に胸を張った。


「なんだ?それは。何かの糞か?」


 ツキカゲが鼻と口を手で覆って見せた。


「違いますよ♪これはとってもお高いウンチです♪」


「自分でウンチと認めたね?何を遊んでるんだ、全く。」


 マルハチはこめかみを押さえ、頭を軽く振った。


「姫様のお土産にするんです♪きっと喜びますよ。」


 嬉々とした様子で、横向きのアヒル型を模したリュックにその黒々とした物体をしまい込むミュシャ。


「どう考えても嫌がらせにしか思えないが……それと、バッグに直接しまうなよ。せめて包んでしまうとかなんとかあるだろう。」


「貴様、いくらプージャがバカとは言え、糞を貰って喜ぶとは思えんぞ?」


 そんなふたりの心配などどこ吹く風。トリュフをしまって満足げなミュシャが颯爽と立ち上がった。


「とりあえず何も見付からなかったことですし、先を急ぎましょう♪」


「そうだな。全く、勘違いも甚だしいのか、それとも本気であたし達を出し抜くつもりなのかは知らないが……」

 

 呆れたような言葉を漏らすツキカゲ。だが、その内容とは裏腹に、


「どちらにしろ、貴様はその感覚から神経を逸らすなよ。動きがあるならすぐに言え。」


 表情には一切の疑いなど無いように感じた。


「そうですよ、マルハチさん。今回は近くにいなそうだからまだ良いですけど、距離感とかちゃんと見てて下さいね♪」


「あぁ、分かった。すまない。」


 その返事を聞き遂げると、ミュシャとツキカゲは再び前へと進み始めた。

 マルハチも気を取り直し、前に進むことにした。少なくともこのふたりと共にいれば、例え自分に何かあったとしても、最悪の事態だけは免れるだろう。それが分かっただけで、マルハチは内心で胸を撫で下ろしていた。


 それでも、マルハチに纏わりつく視線の感覚は拭えないままだった。


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