第90話 天霊ブローキューラ
「へぇ。そりゃすごいや。……んで、兄貴殿はあのねーちゃんとどこで、どうやって接触するつもりなんですか?いくらあんたでも、北部に攻め入るのは骨が折れるでしょうに。」
その実、この妹の興味を引くのは相当な難題だった。だがしかし、この反応に、兄は内心で胸を撫で下ろしていた。
「言うには及ばぬ。幸運なことに、彼女の配下の中に我が半身がおる。彼を媒介に、儂には彼女らの動きがつぶさに伝達される。」
「あー、だからか。あっちに同族の気配を感じるのは。裏切り者が流れたんだったら、始末しなきゃって思ってたんですよね。」
「そういうことだ。妹よ。過去のいさかいは忘れよ。共に神の涙を討とうぞ。」
「ふーん。でもね、兄貴殿は簡単に忘れられるかもしれませんが、ね。」
頭の後ろで手を組み、その見てくれ通りの幼子のように唇を尖らせ、ブローキューラは言った。
「簡単に承服は出来ぬ、か?」
兄は少しばかりの苛立ちを覚えていた。
「承服もなにも、あんたが一方的に話してるだけでしょう。」
「やはり汝は何も分かっておらぬ。」
「そりゃ、兄貴殿なら焦りもするでしょう。…………ですがね、兄貴殿。オレは…………誰ですか?」
幼い声が低く唸った。
空色の瞳の輝きが、深い深い煌めきを放った。
「オレはね、兄貴殿。この世界を手に入れたいんですよ。無論、あのねーちゃんは殺す。神の涙も殺す。あんたも邪魔だてするならば、容赦しませんよ。」
天霊ブローキューラは、争いを嫌うドラゴン族の中では異常なほどの兇暴性を示す。
元より、共闘を持ち掛けること自体が間違いだったか。
「愚かな。」
兄が翼を広げ、腰の刀に手を掛けた。
しかし、遅かった。
ブローキューラの口が開かれた。
小さな幼女の、あどけなく愛らしい口角が耳まで大きく裂け、無数の鋭い牙が並んだドラゴン族の本性が姿を現した。
喉の奥、激しい光が顔を覗かせた。
刹那だった。眩いほどの閃光が天霊郭から放たれ、ベラージオの上空を掠めるように天を抉り取ったのだ。
兄には、ドラゴン族の本性を現す隙すら、与えなかった。
「愚かな兄貴殿。オレにそんな重要な情報を打ち明けるなんて。」
大きく削ぎ取られたバルコニーの床は、まるで溶岩の如く蒸気を上げながら赤暗い輝きを湛えていた。
その中に、半ば炭屑と化したドラゴン族が横たわっていた。
ブローキューラは、焼け焦げながらも半分剥き出しになった兄の頭蓋に足を掛け、満足そうに息を吐いた。
「オレはブローキューラですよ?兄貴殿。」
空を見上げた。高く晴れ渡っていた。
天を仰ぎ、魔王は清々しげに笑みを浮かべた。
その日、南部最大の山脈の盟主、霊峰ベルギオ山の中腹に、巨大な風穴が生み出された。
「どうなされました?天霊様。」
騒ぎを聞き付けたのか、ブローキューラの傍らに何処からかひとりの乱破が現れ出でた。
「あぁ、なんてことは無い。兄妹喧嘩だよ。」
ブローキューラは事も無さげに呟くと、兄の亡骸に片手をかざし、何やら呪文のような不可思議な言葉を囁き始めた。ドラゴン族特有の言語だろう。忍びには聞き取れなかった。
が、意図はすぐに理解出来た。
焼け焦げた亡骸は淡い空色の光を帯び始めると、みるみるうちに、乱破は元の姿を知る由もなかったが、原形へと修復されていった。
「良い手駒が出来た。」
まるで何事も無かったかのように立ち上がったが、兄と呼ばれたドラゴン族のグレーの瞳には、何も映ってはいなかった。それは、生ける骸に他ならなかった。
その生ける骸の容貌を捉えた乱破の肩が微かに波打った。
それに気付いたのかは定かではない。天霊は、玩具を与えられた幼女そのものの笑みを浮かべて見せながら、乱破へと向き直った。
「お前、名はなんと言ったか?」
「はっ!ネロにございます。」
「あぁ、そうだったね。」
天霊は微笑んだ。そして口を開いた。
「お前にはいつも訊かねばならんと思っていたんだ。お前からは……薔薇の香りがするな。……何故なんだ?」
その眼差しは濃い空色を湛え、視線を交えただけでこの黒子族の青年の魂を握り潰した。
生ける骸を目にし、体を反応させたその黒子族は、マリアベルの密偵だった。
「さて、少し遊んでやるか。」
彼女の名は【天霊ブローキューラ】。
魔血種族、魔人種ドラゴン族の王にして、大地を割るほどの力を持った、ドラゴン族最強の王。そして、魂を支配する特異な力を持つ最も神に近い存在。
そして、彼女の傀儡と化した彼女の兄もまた、
【白狼のガルダ】
魔血種族、魔人種ドラゴン族の王。
プージャ達が目指す、魔王のひとりだった。




