第88話 Days4~囮~
―――四日目。
自室として割り当てられていた手狭な使用人の寝室で、クロエは執筆活動を行っていた。
彼女の生業のひとつではあるものの、それは趣味の延長線でもある。気晴らしにはこれが一番だった。
思うことはいくらでもある。が、君主の怒りが収まるまで、ここは待つのが無難ではある。クロエは無心で机に向かっていた。
しばらくした頃。
お茶を煎れようと机から離れた時だった。
扉の下。隙間から紙が差し込まれているのを見付け出した。
(いつの間に?)
不可解には思ったが、クロエはそれを取り上げると、紙の折り目を広げた。
そこには、無駄に均整のとれた丁寧な字が書き綴られていた。
『親愛なるクロエへ
今夜、私は一階の使用人の控え室におる。クロエとライリーには私の部屋の警備を任せたい。他の者は邪魔にならぬよう、城主の寝室に集め謹慎させることにする。頼むぞ。 プージャ』
その手紙を読み終えると、クロエはカタカタと顎を鳴らした。
(分かった、姫殿下。私が全力で守るからな。)
同じ頃、自室に差し込まれた手紙にゴルウッドもまた、目を落としていた。
『親愛なるゴルウッドへ
今夜、私は三階の客間におる。ゴルウッド、アイネ、ララには私の部屋の警備を任せたい。他の者は邪魔にならぬよう、一階の使用人の控え室に集め謹慎させることにする。頼むぞ。 プージャ』
宛名だけが違う同じ文面の手紙は、アイネとララの部屋にも差し込まれていた。
そしてミリアもまた手紙を広げ、書き込まれた丁寧な字面に見惚れていた。
『親愛なるミリアへ
今夜、私は城主の寝室におる。ミリア、フォスター、ナギには私の部屋の警備を任せたい。他の者は邪魔にならぬよう、三階の客間に集め謹慎させることにする。頼むぞ。 プージャ』
無論、こちらも宛名のみを変えた手紙がフォスターとナギの部屋にも差し込まれていた。
今夜、プージャの居所を知るのは、この手紙を受け取った者のみ。
プージャからの勅命とあり、手紙を受け取った者は無論、他言しないだろう。プージャは自分達を信頼してこの手紙を寄越した。受け取った誰もがそう思ったに違いない。
そして、もし刺客が現れたのなら……その時はっきりする。
……誰が内通者なのか。
―――プージャは、ひとり夜空を眺めていた。
(一体、どこに来るんだろう。本当は来て欲しくはない。別に、ビビってるわけじゃないかんね。来てもいいんだけど、来ても対処出来る自信はあるんだけど……あるんかな、自信。なんとなく出来る気はしてるんだけど、まぁそれはいいや……)
溜め息はマルハチのお株なのだが、プージャにも移ってしまったようだ。
(一日目、私がこのサルコファガスにいると知っていた者、城主の寝室にいると思っていた者。
二日目、私が城主の寝室にいないと知っていた者、だけど、どこにいるのかは知らなかった者、探索をせねばならなかった者。
三日目、警備に全力を注ぐと知っていた者。
四日目……四日目…………)
ゆっくりと目を閉じると、頭の中で繰り返した。
(この全てに当てはまる者……当てはまる者……当てはまる者……)
何度も何度も繰り返す。
(この全てに当てはまる者……当てはまる者……当てはまる者……)
何度も繰り返し、そして出た結論。ひとつだけ、プージャの中に結論があった。
だからこの部屋へと来た。
(四日目……この部屋に私がいると、知っている者……知っている者は……)
プージャは目を見開いた。天窓に何者かの影が映る。刹那だった。
凄まじいスピードで天窓が突き破られた。
天窓のある部屋。
それは、最上階である五階の部屋。
「な!?今何か音がしたぞ!?」
「姫様!?姫様!?お返事を!」
「鍵が掛かってる!殿下、お開け下さい!」
階下から聞き覚えのある声がする。
しかし、それに構っている余裕は無い。
プージャはゆっくりと立ち上がった。天窓から降り立った影から視線は外さずに。
逆光になった淡い星明かりだけが差し込む。
人影……男。背の高い痩せ型……。よくは見えないがシルエットが大きい。
プージャは思い出していた。
『もし万一の際、サルコファガスには隠し部屋が用意してあります。城主の寝室の屋根裏。そこに隠れて下さい。』
そう、今夜プージャがここにいるのを知っているのは、ひとりしかいなかった。
刺客が一歩近付いた。
プージャは両の掌に力を籠め、ようやく声を振り絞った。
「ここで何をしているのさ?」
刺客は何も答えなかった。
代わりに、大きく翼を広げた。狭い屋根裏部屋をほとんど覆い尽くす、巨大な翼。ドラゴン族しか持ち得ない、蝙蝠の如し皮膜の張った翼を広げ、プージャを威嚇するように包み込んだ。
「それ以上、近付くなよ……」
プージャの両手から黒の炎が燃え上がった。
星明かりを反射するブロンドの癖毛。グレーに輝く双眸がこちらを睨んでいた。
「……マルハチ。」
巨大な爆音と共に、最上階の屋根が吹き飛んだ。
真っ黒い炎を噴き上げながら。




