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第80話 楽しいお留守番。

「宜しいですか?プージャ様。くれぐれもお気を付け下さいませ。くれぐれもです。」


 プージャの両肩をがっしりと握り、その顔を凝視しつつマルハチが囁く。これが甘い言葉であればどれほど良いだろうかとプージャは心中で嘆息したが、生憎とマルハチの口から捻り出されるのはお小言ばかり。

 辟易としながらプージャは頷くだけだった。


「きちんとクロエ殿の言うことを聞くのですよ。皆に余計な迷惑は掛けないよう。お菓子ばかり食べ過ぎてはいけませんよ。」


「いいからはよ行け。」


「鼻が出たらちゃんとかむんですよ。今日は鼻くそ飛び出てませんね?」


「うっさい!いいからはよ!」

 

 言いながらプージャの鼻の穴を覗き込む。

 結局のところ、離れ難いのはマルハチの方なのだろうか。


「大丈夫だって!もう子供じゃないんだから!」


 プージャの子供時代などはとうの昔に過ぎているのだが、それでもこれを言った時点でまだまだ抜けきっていない証拠だ。だからこそだ。マルハチが心配するのも無理はないのかもしれないが。

 

「ではクロエ、後は頼むよ。」


 松明の小さな明かりに照らされながら、マルハチがクロエへと向き直った。


「あぁ、まかせろ。おぬしらも、ゆめゆめ(努々)きをつけるのだ。」


「はい♪」


 マルハチの隣、ミュシャが笑顔で返事をした。

 

「てっきりマルハチさんがワンちゃんになって乗っけて行ってくれるのかと思ってたのに、自分で走らなくちゃいけなくって面倒くさいですけど♪」


「そうだぞ。バカめ。」


 ミュシャに続いて、その背後に控えていたツキカゲも悪態をついた。


「君らな……銀狼化を維持するのは相当な魔力と体力を使うんだ。長距離を走るには不向きだと、何度言えば分かるんだ。」


「とんだ腑抜けですね♪」

「とんだ腑抜けだ。」


「そもそも!きちんと説明しただろう!このサルコファガスから最初の休息地点となる村までは750キロも離れてるのに、銀狼なんて稀少生物がそこら辺を走り回っててみろ!目立って仕方がないだろ!」


「言い訳だな。」

「そうですね♪」


「どこが言い訳だ!隠密行動をなんだと思ってるんだ!」


「きっとあれですね♪ヘロヘロになった情けない姿をミュシャ達に晒すのが恥ずかしいに決まってます。」

「違いない。」


「違いある!君らこそ体力はもつのか?途中でへこたれても僕は容赦なく置いていくぞ?」


「ミュシャの心配はご無用ですよ。」

「ふん。このツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオを舐めるな。」


「では賭けるか?初日の目的地に誰が最も早く到着するか。」


「へぇ?ミュシャとやる気ですか?」

「一体何を賭けるのだ?」


「何でも好きな物を言え。僕は負けるつもりはないからね。無論、君らが負ければ僕も好きな物を所望させてもらうからな。」


「へぇ?ミュシャとやる気ですか?」

「吠え面をかくなよ?犬だけに。」


「同じ台詞を繰り返すな!そして犬じゃない!と言うか、君らは少し黙っていてくれないか?まだプージャ様にはお伝えしないとならないことが山ほどだな……。」


 マルハチがプージャに向き直ると、そこには何かを指差すプージャの姿。


「如何しました?」


 マルハチの問い掛けに、プージャは呆れたように呟いた。


「もう行っちゃったんですけど。」


「は?」


 振り返ると、つい今さっきまで傍らで憎まれ口を叩いていたはずのふたりの姿は、綺麗さっぱり消え失せていた。

 

「な!?」


 代わりにマルハチの目には、宵闇に紛れ、遥か彼方の街道を疾走するミュシャの姿とその頭上を飛行するツキカゲの姿が捉えられた。


「変な賭けするからー。」


「くっ、あいつら!プージャ様?ご無事でいらして下さい。くれぐれも無茶はなさらぬように。」


「もうさ、そっくりそのまま返してあげるからさ、早く行きなって。」


 プージャが笑っていた。


「御意!」


 後ろ髪を引かれる想いを断ち切ると、マルハチは全身に力を籠めた。流石にあのスピードに追い付くためには変身せずにはいられない。

 次の瞬間には銀狼へと変貌を遂げた。

 

「プージャ様、行って参ります。」


「はい。気を付けてねー。」


「プージャ様、くれぐれも……」

「マルハチ。」


 それでもしつこく食い下がる腹心の言葉を、プージャは静かに遮った。


「無事に。」


 その言葉を聞き遂げると、銀狼はようやく(きびす)を返した。そしてその姿は先のふたりと同じように、みるみるうちに宵闇の中に消えて行った。


「はっやー。」


 プージャは小さく呟いた。

 そして、思った。


(いつも、見送るだけ……か。)




―――サルコファガス砦。


 マリアベル領の前線基地である。

 その規模は、マリアベル屋敷を軽く上回る。

 それもそのはず、ここは元は魔王の居城なのだから。一時は魔界最大規模の領地を治めるに至った石棺の帝王の城は、魔王城と呼ぶに相応しい、荘厳かつ禍々しい様相を呈していた。

 中央に鎮座する本館は全体的に黒く塗りつぶされた石材で組まれ、実に5つもの階層を備えており、四方に建てられた塔は更に高くそびえる。そして本館の他にも半分ほどの大きさの別館が2棟。

 名家と謳われようと、いち貴族に過ぎないマリアベル屋敷とは比べるべくもないものだった。


「すまんな、ひめでんか。わたしとあいべや(相部屋)など。」


「ううん。なんか楽しい。」


 ネグリジェに着替えたプージャとクロエは、ベッドを突き合わせて格好で言葉を交わした。

 自身以外の魔族と同じ部屋で眠るなど、お嬢様育ちのプージャにとってそうはない機会。その言葉は本心からだった。


「はしゃがれても、それはそれでこまる(困る)な。けいご(警護)なのだから。」


「いや、だってさ……楽しいんだもんさ。」


 言いながら、プージャがクロエに枕を投げて寄越した。その枕を顔面で受け止めると、クロエはカタカタと顎を鳴らした。


「わたしのこども(子供)とかわらぬな。」


 言葉とは裏腹に枕を投げ返した。


「うしし!やったなぁー!」

 

 しかし枕は空中で動きを止めると、再びクロエへと舞い戻って行った。


「ひめでんか。ホルメマヴロスでなげるのはひきょう(卑怯)だぞ。」


 君主の能力の無駄遣いを非難するクロエだったが、これはこれで満更ではない。プージャの気持ちを汲み取ってはみたものの、自身も同じような気持ちであったと自覚していた。

 ふたりはしばし童心に帰り枕投げを楽しんだ。

 そして、夜は更けていった。



―――窓から差し込む月明かりを影が遮った。

 一体どこから侵入したのか。闇に溶け込むように、黒装束を纏った影がみっつ。廊下を滑るように駆けていく。

 相当に場数を踏んでいるのか、いくら毛足の長い絨毯の上とは言え、音も無く突き進んでいった。

 一団は淀み無く砦を進むと、ある扉の前で立ち止まった。

 それは一際大きく、一際豪奢な装飾の施された扉。

 この城の主の寝室へと繋がる扉だった。



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