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第75話 新人メイド

「えー、皆さん。今日から新しい仲間が増えました。」


 ここはマリアベル屋敷、メイド室。

 おおよそ700スクウェアーフィートの部屋の中心には大きな四角いテーブルが置かれ、周囲には座り心地の良さそうなソファー。

 壁際には簡易的な調理スペース、暖炉、そして本棚やら食器棚やら、マリアベルらしい簡素な調度品が並んでいる。

 執事室とは違い、事務所的な要素は一切なく、メイド達が仕事の合間に休憩するために存在する。

 そんな空間だった。

 ちなみに分かりやすく日本風に換算すると、約20畳ほどの広さになる。


 そのテーブルを囲むメイド達を前にして、妖艶なオーガ族の女性が堂々とした佇まいで声を張り上げた。

 歳の頃は魔王様よりも少し上だ。

 気の強そうなつり上がった双眸に輝く緑色の瞳と、彫りの深いはっきりとした顔付きが特徴的。

 カールの強い茶色く長い髪の隙間から伸びる、雄山羊の如き太く曲がった角。

 凹凸の激しいグラマラスな我が儘ボディをメイド服で包んだ、完全無欠な反則女子。

 そんなメイド室長のジョハンナが、新人メイドを従えていた。


「皆さん、何があっても絶対に、これは振りで言ってるわけではありません、絶対に、ぜぇったい!に、苛めてはいけませんよ。宜しいですね?」


(いや振りだろ!)


 その場に居合わせた、ジョハンナを除いた9人のメイド達全員が、

 そして、紹介された新人メイドすらが、心中で勢い良くツッコんだのは言うまでもない。


「苛めはしませんが、しごくのはいいですか?♪」


 いや、訂正。

 ジョハンナと、銀髪のサキュバスを除いた全員が、だった。


「ミュシャ。もちろんしごくのは構いません。特にあなたは彼女の教育担当ですから、逆にみっちりと仕事を叩き込んで貰わないと困ります。」


 ジョハンナはにこやかな笑みを浮かべて言い放った。


「はい!ミュシャにお任せ下さい♪」


 更に輪を5重ぐらいは上乗せして掛けた、真夏の太陽よりも更に煌めく笑顔を浮かべ、ミュシャが返した。


(暗雲しか立ち込めてない……)


 メイド達の顔は軒並みひきつっていた。




「それでは気を取り直して、挨拶を。」


 気を取り直さなければならないのは一重に己のせいなのだが、それでも気にする素振りもなく、ジョハンナは新人メイドに一歩前に出るよう促した。

 おずおずと。

 という言葉がぴったりと合致する仕草で、白銀の髪を腰まで伸ばしたその新人が口を開いた。


「……………く…………え…………ぐぅ…………くそ………なんで…………くそ…………!」


 薄くて赤い唇に縁取られた少し大きな口をもご付かせて、嗚咽ともアヒルの物真似とも付かない(ども)り声を漏らしている。


「どうしました?皆、これから仕事が待っているのですよ。早くなさい。」


 ジョハンナが、緊張する新人を落ち着かせようとなのか、実に優しい声色で声を掛けた。

 が、これは、まぁ、新人からしてみれば追い討ち以外の何物でも無いだろう。


「っぐ!?」


 息を飲み、頭を横に大きく振ってから、新人は観念したかの様子でようやくしっかりとした言葉を紡ぎ出した。


「ツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオだ。」


 薄紅色をした肌は通常よりも数段赤みを帯び、声は震えていた。

 あまつさえ紺碧の瞳には涙を溜め、メイド服に身を包んだ元大公は屈辱に耐えながらその名を告げた。


「……だ?」


 ジョハンナの翠緑の光が燃え上がり、ツキカゲの紺碧をまるっと飲み込んだ。


「…………です。」


「はいご苦労様。皆さん、仲良くするように。では朝礼を始めます。」


 ここまでの脈絡は一体何だったのだろうか。

 ジョハンナは何事も無かったかのように、いつも通りに淡々と業務を開始するのだった。


(おのれ、あのクソへたれ女め!)


 無論、朝礼の内容などは耳に入ってはいない。

 ツキカゲは胸中で憤激し、心中で暴れ狂っていた。


(誰彼構わず見境なく術紋を施しおってからに!)


 ツキカゲの目には映っていたのだ。

 自らが編み出した強化の術式に用いられる術紋が、居並ぶメイド達の全身を埋め尽くすように浮き上がっているのが。

 しかもご丁寧に、自分の知らない、恐らくプロテクトであろう術紋すら上乗せされているではないか。

 これには閉口せざるを得なかった。


(くそが!これでは力ずくで捩じ伏せることも叶わん!)


 元の計画は大きく狂った。

 ツキカゲが甘んじてメイドの職務を受け入れたのは、魔王の近衛であるメイド室を手中に納めることを企ててのことだった。

 マリアベルの中枢のひとつであるメイド室を制圧し、内部から切り崩すことを画策していたが、それは今、音を立てて崩れ落ちた。

 無論、やってやれないことは……ないかもしれない。

 が、やったところで、今や魔王級にまで強化されたメイドを9人相手にした後、控えているのは大魔王ゴリラサキュバス。


(確かに今は現実的ではない。が、必ずや好機は訪れる。待つしかないな。)


 歯噛みしながらそう自分に言い聞かせ、ツキカゲは屈辱に耐える道を選んだ。




「では皆さん。元気に明るく、今日も1日宜しくお願いします。」


「「宜しくお願いします。」」


 ジョハンナの締めの挨拶に呼応し、メイド達が一斉に部屋を後にした。

 それを見送った後、残ったミュシャとツキカゲにジョハンナが歩み寄ってきた。


「ではミュシャ。新人教育は任せましたよ。」


「はい♪ミュシャ、頑張っちゃいますから♪」


 ミュシャは、これ以上ないほどに煌めくような笑顔で言ってのけた。


「じゃあツキカゲさん、行きましょう♪これはドアと言います。このノブと言うのを捻ると開くんですよ♪」


「知っとるわ!バカにしてるのか!?」


 これほどまでにミュシャが頼もしいと感じたのは、ジョハンナにとって始めてのことだった。




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