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第73話 元気のないワンコ

 ―――魔族用のパウンドケーキが運ばれてくるまでの間、プージャはワンコと戯れるマルハチを眺めることにした。

 ワンコ一頭一頭にオモチャを決め、それを同時に投げる。

 ワンコ達は自分に与えられたオモチャに駆け寄ると、それを咥えてマルハチの元へと戻る。

 戻った一頭一頭のそれぞれをわしゃわしゃと撫で回し、トリーツを与える。

 その繰り返しではあるが、ワンコ達は本当に嬉しそうに行ったり来たり。

 マルハチも何度もワンコ達を走らせ、上手く出来たら褒め、またオモチャを投げたり。


(飽きもせずによくもまぁ。)


 そんな執事の姿に、プージャはすぐに飽きてしまっていた。

 正確には執事の姿には飽きているわけではない。

 何度も同じことを繰り返すことに飽きてしまったのだ。


(早くケーキ来ないかなぁ。)


 アクビを噛み殺しながら、まだ見ぬ甘味に思い巡らしていた最中だった。

 生暖かくてザラザラした何かがプージャの脛に触れた。


「ひっ!」


 プージャは思わず悲鳴を上げ、テーブルの下を覗き込んだ。


 そこにいたのは、一頭のコーギーだった。


「おお、お主か。私の脚を舐めたのは。」


 プージャの顔を見上げ、小さく尻尾を振っていた。


「お主は私のこと、怖くはないのか?」


 そう問い掛けながら、プージャは恐る恐るコーギーに手を伸ばした。

 噛まれるかも……。

 そんな心配を胸にしつつ。

 しかし、コーギーはプージャの指を優しく舐めた。


「そうかそうか。お主は私のこと、怖くないのだな。うむ、よい心掛けじゃ。」


 そのコーギーの反応に、嬉しくなったプージャは椅子から滑り降りると、しゃがみ込んで頭を撫でてやった。


「クゥン……クゥン……。」


 コーギーの鼻から、力ない鳴き声が漏れ出てきた。


「うん?お主、元気無いな。」


 プージャがコーギーに問い掛けた時だった。


「その子はコルトパイソン。ここしばらく、体調が優れないんです。下痢が続いていて。」


 テーブルの下を覗き込むように、店員の女性が声を掛けてきた。


「なに?だから元気無いのか。歳か?」


 プージャは店員の方を見やった。


「いえ。コルトパイソンはまだ3歳ほどです。」


「ふぅむ。では病気なのかの?」


 しきりに細長い指を舐め回すコルトパイソン。

 プージャはその顔をよくよく眺め回した。


「クゥン……。」


 不思議そうな表情で、なのだろうか。

 上手く読み取れないが、コルトパイソンもプージャの顔を見つめ返していた。

 表情は分からないがその目にも、やはり力が無いように見てとれた。


「むぅ。どうしたんだ?ちゃんとご飯は食べているのか?」


 顔を上げると、プージャは店員に尋ねた。


「ええ。この子はお客様がご注文なさったケーキが大好きで、よく食べてはくれるのですが。」


「…………そうか。」


 その答えを聞いたプージャは、テーブルの上に顔を出すと、置かれていたパウンドケーキの皿を手に取った。


「なるほど……これか。」


 プージャはおもむろにケーキをフォークで切り分けると、それをもう一度自分の口へと運んだ。


「あ、お客様。それはワンちゃんの方です。」


 店員が驚き混じりの声を上げた。

 しかしそれを無視し、プージャはケーキを噛みながら、舌の上でほどいていった。

 先程は何が入っているのかは分からなかったが、今はその限りではない。

 プージャは神経を研ぎ澄まし、そのケーキに使われている材料を探索していった。


(小麦粉、卵、少量のバター。砂糖は入ってないな。ほんのり感じる甘味は、バナナか。それと、塩気は、少し肉が入っているな。レバーと、後は合挽き肉か。それから……ニンジン、ブロッコリー?後は、そうだな少量のレーズンとナッツ。なるほど。)


 目を閉じ、口の中でケーキが溶けるまで分解し、プージャは理解した。

 先程、ケーキを食べた時に少しだけ感じた違和感。

 その正体が判明した。


「このケーキ、ごく少量だが、レーズンとナッツが入っておるな?」


 プージャが店員に向けてケーキを差し出した。


「え?は、はい。出来るだけ健康に良いと思われる材料を使っておりますが。」


「そうか。なら、それが原因だな。」


 プージャがコーギーの頭を撫でながら言った。


「え!?」


 その言葉に、店員は思わず声を上げた。


「魔族には何てことのない食品であっても、こういった小動物には中毒を引き起こす物も存在するのだ。レーズンとナッツは、そういう物のひとつ。少量だから他のワンコ達には影響は出ていないようだが、どうやらこの子はアレルギー性物質に敏感な体質なんだろうな。」


「まさか、どうしてそんなことが分かるんですか?」


「伊達にお菓子作りを趣味にはしとらんよ。栄養管理も少しは噛っておるのだ。どれ、ワンコ用のレシピを見せてごらんなさいな。」


 プージャに言い付けられた店員は急いで厨房に駆け込むと、調理師らしき大柄なオーガと何やら言葉を交わしている。

 遠目だから少し分かりにくいが、大きな角を持った筋骨隆々で毛むくじゃらな調理師は明らかに不快感を顕にしているようだ。

 そこは目敏く察知する能力にも長けるプージャ。

 少々まずいと感じ取り、一旦マルハチの元へと向かった。



 ―――ワンコと何度目かも分からないオモチャ遊びを続けていたマルハチの元へと歩み寄ると、プージャはその肩を叩いた。


「すまん、マルハチ。」


「如何しました?」


 腕捲りをし、額に汗をにじませたマルハチが振り返った。


「おおぅ、なんて素敵な汗を。じゃなかった。すまん、どうやら私、店員さんを怒らせてしまったやもしれん。」


「どうなさったのですか?」


 プージャの不安げな顔に、只ならぬものを感じたのか、マルハチも表情を整えるとすっくと立ち上がった。


「うむ、実はな……」


 魔王はつい今しがた起きた事柄を腹心へと包み隠さずに告げた。

 その説明を、マルハチも清聴していた。


「そうですか、理解致しました。では、私めから店主に話してみましょう。」


 店主とは、どうやらあの荒くれ調理師のことのようだった。


「だ、大丈夫か?」


「ええ。確かに、一見の客に難癖を付けられれば気を悪くすることもあるでしょう。彼もワンコを愛するが故に、この店を開いたのです。当然、ワンコのためと思いレシピを考えているでしょうから。」


「そ、そうだよね。なんか私、悪いことしちゃったかな。」


 そこはかとなく不安そうなプージャの髪を撫でながら、マルハチはニッコリと笑みを浮かべて見せた。


「いえ、プージャ様は正しいことを仰っている、と私は思っています。ですが、それは私がプージャ様のことをよく存じているからこそ。私めはこの店の常連ですし、私が話した方が波風は立たないでしょう。上手く話してみます。」


 言い終えるや、マルハチが厨房へ向けて歩みを進めて行った。

 その後ろ姿を見送るプージャは、またしても足元に生暖かくて濡れた感触を感じて小さな悲鳴を上げた。


「おお。コルトパイソンか。」


 見ると、小さなコーギーが尻尾を振りながら、つぶらな瞳でプージャを見上げていた。

 プージャは丁寧な手つきでコルトパイソンの頭を撫でた。



 ―――マルハチに代弁して貰ったことは功を奏したようだ。

 マルハチに連れられた調理師のオーガは、やはりまだ不服そうな表情ながらも、レシピとおぼしき冊子を手にしてプージャの元へと近寄ってきた。


「これがレシピだ。」


 ぶっきらぼうに冊子を押し付けて寄越した。


「おお、すまん。」


 プージャはそれを受け取ると、早速中身を捲り始めた。


「あんたがどこの誰だか知らねーが、マルハチさんのお連れだから見せてやるんだからな。この店の犬達は、ほとんどがマルハチさんが町で保護した野良犬達。マルハチさんには恩義があるからだ。忘れんなよ。」


「ん。そうか。マルハチ、そんなことしてたのか……」


 まるで上の空と思えるが、この時のプージャはちゃんと聞いていた。

 ちゃんと聞いたが故に、プージャはなんとなく目頭が熱くなってきたので、上の空を装っていた。

 それはこの場の誰も知らないだろう。

 コーギーがプージャの足に体を擦り付けた。

 コルトパイソン以外は、と訂正した方が良さそうだ。


「ふむ。レーズンと、ナッツ。それから、アボカド、タマネギ、プルーンもだな。魔族には良い栄養だが、この辺りは小動物には毒になる。これらを使ってるレシピは材料を変えるべきだ。」


「おいおい、待ってくれよ。そんなたくさんあんのかい?悪いが、かなり時間を掛けて作ったレシピなんだぜ?そんな簡単には変えらんねーよ。」


「それは分かっておる。案ずるな。私も一緒にレシピを考えるし、なんなら今から試作してみようではないか。」


「は?あんたが?」


 マルハチが首を振った。


「ここは彼女に任せてくれないか?彼女は、信用出来る。僕の顔を立ててくれると思って。」


「ま、まぁ、マルハチさんがそう言うなら、俺は異論ないが……。」


「すまないな。」




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