第72話 犬は魔王様が……お嫌い
―――マルハチがプレイスペースに侵入した刹那だった。
「ワフワフワフン!」
「キュウン!クゥン!」
「ハウ!バフ!ハフン!」
壁際に固まっていた大小様々な犬達が、激しく尻尾を振りながら駆け寄ってきた。
マルハチが腕を広げ膝を突くと、犬達はその胸に一斉に飛び込んでいった。
「はは。さっきは怖がらせてすまなかったね。皆、元気にしていたかい?」
小型の子達はマルハチの股下に潜り込むように絡みつき、中型の子達が肩に前足を掛けてしきりに尻尾を振る。
抱きつくスペースを失った大型の子達は、忙しなくマルハチの周囲を歩き回り、折りを見ては匂いを嗅ぎながら、嬉しさを表現していた。
控え目に言っても、マルハチの好感度の高さは火を見るよりも明らかだった。
「わぉ、すごいね。マルハチ大人気じゃん。」
プージャが感嘆の声を漏らした。
「そうですね。好いて貰えてるようで何よりです。」
「よく来るん?」
「ええ、出来るだけ来るようにはしています。」
「ふぅーん。そうなんだ。皆、ちゃんとマルハチのこと覚えてるんだね。」
「ええ。犬は記憶力が良いですから。」
「そっか。私より賢いのかもね。」
「どうでしょうか。少なくとも私めよりは賢いと思います。」
マルハチの返答に、思わずプージャは吹き出した。
「この子達、名前は?」
「皆、立派な名前がついてますよ。このチワワはデリンジャー。こっちのパグはフォーティーフォーマグナム。そしてこっちのシバイヌはバレットエム。それからこのミニチュアダックスはニューナンブ。それから、そこのゴールデンレトリバーがレミントン。それと……」
マルハチは次から次へと犬種と名前を口にしていく。
ぶっちゃけ、プージャには犬の知識は皆無だ。
生まれてこのかた、動物を飼育したことなどもない。
動物に接点があるとして、屋敷の庭にやってくる野鳥を見たり、迷い混んできた野良猫を抱っこするくらい。
犬種を言われてもほぼ知らないし、名前も妙に長かったり聞き覚えのないものばかりで、まぁなんだ、途中から覚えるのを放棄した。
「う、うん。そっか。皆なんだか強そうな名前だね。」
ニヤつきながらプージャがマルハチに近付こうとしたその矢先だった。
「キャウン!」
「ワフ!ワフン!」
「キュウ!キュウ!」
「クゥン!グルル!」
多分、悲鳴だろう。
ワンコ達は口々に何かを喚きながら、一斉にマルハチから離れ、再び部屋の隅へと駆け戻ってしまったのだ。
「え?」
その反応に、プージャは思わず歩を止めた。
「ん?どうした?皆。プージャ様だよ?おいで。」
マルハチが手をこまねいてはみたが、ワンコ達は動こうとしない。
壁際に折り重なるように固まって、ブルブルと震えているではないか。
「あれ?ひょっとして、怖がってる?」
プージャの困惑混じりの質問に、マルハチが髪を掻き上げて答えた。
「どうやらプージャ様の先程の発言でトラウマを植え付けてしまったようですね。」
そして、冷静に分析した。
「ええ!?そうなんか!?」
「ええ。彼らにしてみたら、かなりしんどいジョークだったようですね。ほら、皆、怖くないよ。おいで。」
マルハチが手を広げて何度もこまねくが、ワンコ達はどうあっても近付いてくる気配はない。
マルハチが諦めようと手を下ろした時だった。
「よし、ならこーだ。」
マルハチの傍らに佇んでいたプージャが、ごろんと横になった。
「は!?」
その想定外すぎる所業に、マルハチは思わず声を漏らした。
プージャは腕と足を折り曲げ、仰向けに寝転んだのだ。
「な、なにを?」
「ふふふ。服従のポーズだ。知ってるぞ。動物はこうやると安心するのだ。」
「…………ん、いや、そう、ですが。」
マルハチは、裾から丸見えになった魔王の下着をそそくさとラベンダー色をしたスカートの生地で隠しながら、溜め息をついた。
「明らかに警戒されてますが。」
見ると、ワンコ達は更に恐怖に満ちた表情に変わり、今にも失禁するくらいの勢いで震えていた。
「なにゆえ!?」
「多分もう、生理的に無理なんでしょうね。」
「バカな!?」
マルハチの力ない分析の言葉を受けると、プージャは勢いよく立ち上がった。
「こんな服従してるのに!」
「流石に食べられる話をされては。」
「なんと繊細な連中だ!もうよい!」
プージャはプリプリと体を揺らせながら、席へと戻っていった。
やれやれ。
そんな素振りでマルハチが立ち上がろうとしたところに、プージャが振り返って言った。
「マルハチはゆっくり遊んでていいから。私はちっと様子見るから。」
どうやらまだ諦めてはいないらしい。
その言葉に、マルハチは小さく頷いた。
―――プージャが席についたとほぼ同時に、注文の紅茶とケーキが運ばれてきた。
プージャはふたり分のカップに紅茶を注ぎ終えると、早速パウンドケーキにかじりついた。
「ん?」
一口食べてみて思った。
柔らかなパウンドケーキだ。
温かさはなく、作り置きだと思われる。
だがしかし、なんだろうか、これは。
味が………しない。
いや、するかもしれないが、非常に薄口だ。
ケーキなのに甘味はなく、若干の塩気だけ。
内容物は……なんだろうか。
歯応えもあまりなく、どうやら大分砕かれているようで分かり兼ねる。
全体的な触感はモチモチしてはいるものの、歯に纏わりつく感じもするし、
一言で言うと、大変に不味かった。
「あ。」
プージャがそんな感想を巡らせていたところで、店員の女性が口を開いた。
「すみません。そのメニューはワンちゃん用のおやつです。」
「は!?」
プージャは思わず顎を止めた。
「お客様がワンちゃん達に餌付けして楽しむ用の、ワンちゃん達のおやつです。」
「…………!?」
プージャはテーブルに突っ伏した。
「大丈夫です。ちゃんとした食品ですので、魔族が食べても害はありません。ですが、ワンちゃん用なので味付けなどはほとんどしていないんです。」
(食べるの見てから言ったな!?)
心中で毒づきながらも、プージャはゆっくりと顔を上げ、さも何事も無かったかのように紅茶を口に含み、それからハンカチで口元を拭った。
結果のみを伝えると、既に飲み込んでしまっていた。
「そ、そうか。そんなことメニューに書いてあったかの?」
再度、メニューに視線を巡らすと、そこにはきちんと明記してあった。
【ワンちゃんのおやつ・・・パウンドケーキ】
と。
「は、はい。」
店員はおずおずとした態度でその文字を指差すだけだった。
「すまんが、魔族用のケーキを頼む。」
「はい。かしこまりました。」
ひきつりながら再び注文を行ったプージャに一礼をしてから、店員は厨房に繋がるカウンターへと引き返して行った。
(犬用のケーキとは、恐れ入ったわ。そんな物があるんだねぇ。………だけど、なんか………気になるな。)




