第71話 マルハチの趣味
色々な意味で大切な君主を伴い、今にも小躍りでもしそうな心持ちのマルハチが訪れたのは、
「…………いぬ、かふぇ?」
表通りから少しばかり入った閑静な裏通り。
洒落たレストランや喫茶店、アパレル店などが軒を連ねる中に、ひっそりと佇む店だった。
大きく掲げられた看板に記されたその文字を、プージャは間の抜けた声で読み上げた。
「はい。ドッグカフェと申します。」
「い、犬を食べるん?」
「いえ全くもってお門違いに違います。犬は愛でるものです。」
「だって、犬カフェ、って、」
明らかにプージャは動揺していた。
マルハチにあれほどきっぱりと否定されても尚、プージャが絶対に犬料理を提供する店だと思い込んでいるのは明白だった。
「と言うか、こんな大きなガラス窓で中が見通せる造りになっているのに、何故中を見ようとしないんですか。」
プージャは、顔を手で覆っていた。
「知ってるよ。調理風景を見せて興味を惹いて、そんで入店を促すつもりでしょ?犬を捌くところ見せるなんて、残虐極まりない。魔族の風上にも置けん天使の所業か。」
「…………さっきから店に近付いて来る間も店内は見えていたでしょうに。どう見ても店内では客と犬が戯れているようにしか見えませんし、では仮にここが犬料理を提供する店だとして、私めがプージャ様をお連れするとお思いですか?」
「長いツッコミだなー。」
プージャはつまらなそうに顔から手を離すと、爪を立てたような形を手で作り、ガオーと襲いかかる如し妙なポーズでマルハチの背中を揉みしだいていた。
「知ってるよーだ。だってマルハチが犬を食べたら共食いじゃんさ。」
「プージャ様。私は犬ではなく銀狼の人狼です。犬を食べたとして共食いではありません。」
「そんな変わんないじゃん。ほとんど一緒でしょ。」
「どこがですか?全然違うでしょう。」
「え?どこって、目と耳と鼻と口がある辺り?」
「ならプージャ様もほとんど犬ですね。」
と、そんな取り留めのない押し問答を繰り返している時だった。
ドッグカフェの扉が開き、中から店員とおぼしきオーク族の女性が顔を覗かせた。
「あの、すみませんがここは犬料理をお出しする店ではありませんので、即刻どこか彼方へ立ち去って頂けませんか?犬達が怯えてますので。」
見ると、つい先程まで店内を走り回り、楽しげに遊んでいた犬達は、店の奥で店員にすがるように寄り固まってブルブルと震えているようだった。
「あぁ、すみません。人狼の声は犬にも言語が理解出来るよう伝わるんでした。」
マルハチは額に手を当てると頭を振りながら盛大な溜め息をついた。
―――プージャの下らないジョークに付き合ったせいで、せっかく会いに来た犬達に怖がられてしまったものの、気を取り直してマルハチはドッグカフェへと足を踏み入れた。
店内はお茶を嗜む為のふたり掛けほどの小さなテーブルが10席。
しかし、席のほとんどは入り口付近に固まっており、犬達にストレスが加わらないよう奥には広大なスペースが確保されていた。
「ほぇー、店構えは狭そうに見えたけど、中は意外に広いんだね。」
店に入るや、プージャが感嘆の声を漏らした。
見渡す限り、あと3倍は席を置けそうなほどに広い店内であった。
簡素な木造の建物で、床こそ犬達の爪痕で少し荒れてはいるが、綺麗に手入れが行き届いている。
その店の奥、客を出迎える為に店内で放し飼いにされている数頭の犬達が、固まってこちらの様子を伺っていた。
「あの、もう変な冗談は言わないで下さいね?」
小太りなオーク族の女性が顔をひきつらせながら、ふたりを席へと案内しながら懇願した。
「申し訳ない。」
マルハチは素直に謝罪を述べた。
先程の怯えようと言ったら、責められても仕方ないのだ。
「では、気を取り直して。ドッグカフェへようこそ。」
ふたりに着席を促し、氷水の入ったグラスをテーブルに用意した後、オークの女性が改めて挨拶を行った。
「ここは色々な種類のワンちゃん達とふれあいながら、安らぎある一時を過ごして頂くカフェです。ここには、15種類、15頭のワンちゃん達が在籍しております。優しくしてあげて下さいね。」
説明を終えると、テーブルの上にメニューが置かれた。
マルハチはメニューを手に取ると、プージャの前に開いて置いてやった。
「んーと、では私はお紅茶と、それから、このパウンドケーキを頂こうかな。マルハチは?」
「私も同じもので。」
メニューを店員に手渡し、注文を伝えに厨房へと戻っていったのを確認すると、マルハチは颯爽とジレーを脱ぐと椅子の背もたれに引っ掛けた。
「では、参りましょう。」
「ん?どっか行くの?」
「ええ、もちろんです。さぁプージャ様も。」
立ち上がったマルハチが、プージャに向けて手を差し出した。
「ダンス?」
「いえ、違います。ワンコ達と遊ぶんですよ。」
「え?今なんつった?」
プージャは驚きを隠さなかった。
「ええ。ですから、この店はワンコ達と戯れながらお茶を頂くのがサービスの場所なのです。ですので、ワンコと遊ぶのです。」
「いやそれは分かった。」
「それでは?」
プージャが驚いていたのは他でもない。
「マルハチ今、『ワンコ』って言わなかった?」
いつもは真面目一辺倒で、皮肉以外には冗談などほぼ言わないこの執事が使った、幼児言葉に他ならなかった。
「え?あ!あぁ、言いましたね。言いました。」
顔を赤らめながらマルハチは癖毛をくしゃくしゃといじくり回していた。
これはプージャにとってみては大発見だ。
今だかつて、マルハチがこんな可愛らしい言葉遣いをしたところなど、見たことも聞いたこともない。
(いいぞぉー。こういうのよ!こういうのを知りたかったんだよー。)
入店して数分。
既にプージャはここへ来たことに満足感を覚え始めていた。
「うしし。よし、じゃあワンコをいじろう。私もワンコいじりたい。」
テンション峠の登り坂に差し掛かったプージャは勢いよく立ち上がると、マルハチに続いてプレイスペースへと足を向けた。




