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第70話 すげー。私、魔王みたーい。

 マルハチが別の文献を手に取ると、それにリンクする写本を開くよう促した。


「神の涙の時代は数千年続いたとされますが、終焉を迎えます。数多の種族が滅ぼされ、魔血種族として生き残ったギガースやソーサラーなど有力な種族以外は存在を消し、もはや誰も神の涙に逆らうことは出来ないと思われていた時代に、ひとりの英雄が現れます。それが、」


 マルハチの手にした文献の表紙にはこう書き記されていた。 


【ヴェルキオンネ・サーガ】


 今より数万年前、神の涙に挑み、それを討ち倒したドラゴン族の英雄にまつわる伝説を集めた叙事詩にして歴史書。

 勇敢なるドラゴン族の青年ヴェルキオンネは、数々の苦難を乗り越え、長く険しい旅の果てに緋哀(ひあい)()を地上へと引きずり下ろし、神の涙との決闘の末にこれを破った。

 魔界に生ける者であればそのほとんどが知るところにある有名な伝説であり、そのエキサイティングでキャッチーな内容から、様々な創作物に取り上げられてきた娯楽作品でもある。

 ―――魔界百科事典アクぺディアより引用


「ドラゴン族の英雄、ヴェルキオンネ。残念ながらサーガには、このヴェルキオンネがどのようにして緋哀の樹を地上に引きずり下ろしたのか。また、決闘で破った方法も記載されてはおりません。しかし、」


「希望を見出だすならば、そこだと。」


 エッダが続けた。


「はい。神の涙とて、無敵ではない。それは、プージャ様の黒の衝動(ホルメマヴロス)が一瞬でも奴を掴んだことからも分かる事実です。」


 マルハチは答え、そしてその答えを受けた全員が、ずっと口をつぐんだままのプージャへと視線を向けた。

 プージャは写本から目を離すことはせず、皆の視線を受けても眉ひとつ動かさないままだったが。


「我々の認知よりも遥かに強力な魔力を持ってすれば、奴を捕捉することが可能だと示してます。そして、我々に残された好機として、この魔界には、強力なドラゴン族が残っているということ。」


 マルハチは丁寧に文献をテーブルに戻した。


「確かに、本来であればドラゴン族は極少数の種族。かつ、異種族との接触を避ける傾向にあり、現代の彼らの居住地はガルダ島以外には無いと言われていましたな。」


 エッダも写本を閉じた。


「はい。ガルダ島とて容易には近付けない断崖の孤島。もし、天霊(てんりょう)が南部を制圧していない状況であれば、ドラゴン族との接触すらも難しかったでしょう。」


「ふむ。怪我の功名とでも言うべきか。」


 小さなゴブリンの将軍が笑った。


(元を正せば、このような危機も訪れることはなかったのだがな。)


 これは将軍の独り言ではあるが、それは誰もが心中で抱いたであろう。

 が、四の五の言っても仕方ない。

 であるし、それを分かっていて、元凶であるプージャ自身も挽回をしようと必死になっている。

 それも誰もが認めているところだ。


(まぁ、運良く条件は揃っていることだし、都合の悪いことは忘れるべきだな。)


 いつもの癖で、エッダは小さな角を撫でながら笑みを浮かべた。


「では、今後の指針はそれで決まりと言うことですかな?」


「はい。ドラゴン族と接触を行い、緋哀の樹を排除して神の涙を打倒する方法を探りたいと考えています。」


「これは大仕事になりますな。天霊との接触は、一歩間違えば大戦に繋がりかねない。出来ることならば、厭戦的(えんせんてき)な白狼から当たりたいところだが、」


「ええ、それは心得ております。ですがガルダ島に渡るにはどうしても南部の港は使わねばなりません。下手に動いて天霊に察知されれば、無用な問題が肥大化するでしょう。」


「そうでしょうな。」


 マルハチがプージャに視線を移した。

 それを合図と決めていたらしい。


「ええと、私の番か?」


 が、本に顔を隠しながらのプージャは小声でマルハチに聞き返してきた。


(なんのための打ち合わせなんだ。)


 マルハチは額に指を当てながら、出来るだけ小さく頷いた。


 プージャは写本を閉じると、顔を上げた。


「よし。えー、そういう状況だ。我々がやることはひとつ。事を荒立たせずに天霊ブローキューラとの邂逅に臨む。向かうのは、私じゃ。」


 その言葉に驚いたのは、新参のメンサーだった。

 いくら小声で話そうとも、ここは静寂が支配する会議の場。

 バカげたやりとりなどは筒抜けで、正直に言えば彼は呆れ返っていた。


(何故こいつらはこんなポンコツのためにここまで命を懸けているんだ。)


 議事の進行を静観しながらも、胸中ではずっと毒づいていたのだ。

 しかし今、魔王から発せられた言葉は、その有り体のバカらしさとはかけ離れた、実に豪胆かつ壮烈な決断だったのだ。


「え!?」


 あまりにも意外な魔王の言葉に、メンサーは思わず声を漏らした。


「どうした?メンサーよ。」


 プージャが新参のソーサラーに視線を向けた。


「い、いえ。まさか魔王様御自らお出向きになるなど、わたくしには思いも及びませんで、つい。」


 珊瑚色の肌を更に赤らめ、メンサーは言い繕った。


「うむ。本来であれば特使を派遣したりだのなんだの時間を掛けて徐々に話しを進めるのが定石であろうが、今はそうも言ってられないのでな。最短で事が進む方法を取ることにした。」


「しかし、万一のことがあれば。相手は天霊ブローキューラ。伝説では、温和なドラゴン族の中では異端と言えるほど兇暴と記されておりますし。」


「らしいな。だから、まぁ、皆には申し訳ないが護衛には最高戦力を借り受けたいと考えている。策謀はもちろん、いざ戦闘になった際にも、だ。」


 プージャが席につく面々に順に視線を巡らせた。

 そこにいる誰ひとりとして表情に曇りがないのを確認すると、口を開いた。


「帯同するのは、マルハチ、ミュシャ、ツキカゲ、クロエ。以下、執事室とメイド室から近衛を数名ずつ、軍部から衛兵の小隊を所望する。よいな?」


「「はっ!」」


 全員が一斉に声を上げた。

 プージャは思っていた。


(すげー。私、魔王みたーい。)




 ―――南部への出立を数日後に控え、プージャはマルハチを伴って、とある場所へと訪れていた。


 それは、屋敷のある町の共同墓地。


 石碑に刻まれたのは、

【rest in peace ヴリトラ】


 ふたりは花を手向けると、長い時間、祈りを捧げていた。


 それから立ち上がると、プージャはマルハチに向かって言った。


「ヴリトラが教えてくれたの。相手のことを本当に心からよく知ると、もっともっと会話も楽しくなる。ってさ。」


「それは良いことを教わりましたね。」


 風が、プージャの結い上げた黒髪を揺らした。


「うん。だから、私ももっとマルハチのことを知ろうと思う。」


「もう十分にご存知かと思いますが?既に200年近くお側におります故。」


「ううん。まだ知らないこと、いっぱいあるよ。」


「知らないこと、ですか?」


 マルハチはブロンドの髪をくしゃくしゃと掻き上げた。


「そう。だから、今日は、」


 プージャがマルハチの手を取った。


「今日はマルハチの好きなことをするところに、着いていこうと思う!」


「は!?」


 君主のあまりにも意外な言葉に、マルハチは思わず声を漏らした。


「思えばさ、私が好きな文学とかフィギュアとかは散々マルハチにオススメしてきたわけだけど、そう言えばマルハチって何が好きなんか?って考えたらよく知らなかったんよね。だからさ、今日はマルハチの好きなことを知ろうと思いましてぇ。題して『あなたのご趣味はなんじゃろな?作戦』だぁー。」


 確かにそうだ。

 200年近くの付き合いはあるが、プージャに好きなことを聞かれたことなど無いし、自分からも伝えたことなど無い。


「さ、左様でございますか?知りたいですか?」


 ちょっと自分でも信じられないが、ものすごい体温が上がり、鼓動が早くなるのを感じた。

 ヴリトラが教えてくれたことというのは、こういうことか。

 まだ何もしていないのに、マルハチは実感していた。

 知りたいと思われること、知って欲しいと思うこと、そう思うだけで、ここまで高揚するのか。


「で、では、いいのですね?私めの趣味にお付き合い頂いても。」


「うん!いいよ!どんと来いだ!」


 プージャは勢いよく胸に手を当て、鼻から息を吹き出していた。

 無論、ちょっと飛び出した。


「では、行きましょう。」


 君主の鼻をハンカチで拭うと、マルハチは昂る気持ちを抑えながら墓地を後にした。


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