第68話 ふたりきりの舞踏会
―――時空転移とはほぼ一瞬の出来事だ。
気が付けば、今いる場所から遥か遠くの場所へと移動している。
感覚はないし、瞬きをするために目を閉じて、開ければ終わっているようなものだ。
「プージャ様。」
「なぁに?」
「ミュシャを、ミュシャのことをよく知りもせずに、あのように簡単に信じて宜しいので?」
「マルハチだって信じたのに、私にそれを訊くん?マルハチが一緒に戦ってたんなら、私が疑う余地なんてないよ。」
「本当にそれで宜しいのですか?私の判断で。」
「愚問ね。ってかさ、ミュシャを送り出す時、私はミュシャに誓ったんだよ。もし、マルハチもミュシャも死んじゃったら、私も死ぬ。って。だからさ、もし本当にミュシャが私を殺すことであの子に幸福が訪れるんだったら、私はあの子の為に喜んで死ぬよ。」
「何を仰るのですか。」
「いいの。マルハチもミュシャも、私の一部だと思ってるから。」
「……僕も、同じです。」
―――目を開いた時には、ふたりはマリアベル屋敷の玄関前広場に立ち尽くしていた。
武装を整えた、大勢の兵達に囲まれて。
「は!?」
「え!?」
突如として現れたプージャとマルハチの姿に、周囲から驚愕の声が上がったのは言うまでもない。
「プージャ様!?」
「室長!?」
運悪くふたりが現れたのは、ジョハンナとアイゼンの目の前だった。
「一体どこから!?」
「って、何ですか!?そのボロボロのお姿は!……って、まさか!?」
厄介なことに、このふたりは賢い。
プージャとマルハチが現れたこと。
そして、ふたりの様相。
このふたつをもって、何が起きたのかを容易に想像出来るほどに、賢い。
マルハチはこめかみを押さえた。
プージャはマルハチの背後にそっと身を隠した。
「なにやってるんですかぁー!?」
「いや、ちょっと、花摘みにだな……。」
「嘘をお付きなさるならもっと上手にお付き下さいませ!そんなガッチガチの正装でどんな高級お手洗いに行かれたのですか!?」
「いや、カッサーラ・ゲシオ家のお手洗い、とか?」
「魔王様が御自ら、単身で敵陣に乗り込むなど気は確かですか!?」
案の定、プージャがやったことは瞬殺でバレてしまい、瞬殺で説教を食らうはめになってしまった。
「ちょっとプージャ様。お顔を貸して頂けませんこと?ちょっとあちらでお話しがございますの。」
「いや、ちょっと今、眠たいからまた後でとかよいかなー?なんて。」
「では、この場でお話しをさせて頂いても宜しいのですね?この屋敷に住まう大勢の兵達の前でお話しをさせて頂いても宜しいのですね?」
朝日を反射させた眼鏡のツルを押し上げながら、アイゼンが鋭く言い放った。
それを目にしたマルハチがすかさず割って入った。
「すまん、アイゼン。それだけは容赦してくれないか。プージャ様はどこにでも連れて行って構わないから、皆の前で説教だけはやめてくれ。」
その言葉に飛び上がったのはプージャだった。
「ちょ!?そこで裏切るん!?酷くね!?」
が、その抗議も虚しく、ジョハンナとアイゼンによって両脇を固められたプージャの身柄は、いずこかへと連行されていった。
「もし万一、御身に何かあったらどうするおつもりだったんですか?あなた様は仮にも魔王なのですよ?」
「いや、ちゃんと帰ってきたじゃんさ!万一は起きなかったからいいじゃんさ!」
「万一どころか百一くらいの確率で危険な目に遭うの分かってて結果論で物を言うとはよい度胸ですね。いっぺんマジで痛い目あわせましょうか?」
「怖いから!ジョハンナ、ツキカゲより怖いから!」
「じゃかぁしいわ!本当の恐怖はこれから始まるんじゃ!覚悟しとけよ!」
「マァールハチィー!たぁーすけてぇー!」
その様はまるで、両親に引きずられ、泣きながら遊び場から連れ帰られる子供の如しであった。
―――ジョハンナとアイゼンの長い長い説教を聞き終えた後、ようやくプージャは解放され、自室へと戻ることを許された。
「あぁー。ほんと話し長いわ。こっちだってそれなりには疲れてるってーのに、ほんと容赦ないわ。」
自室への道すがら、独りごちるプージャ。
思えば、初めて死線を潜り抜けた。
これまでの戦いでは、勝機のある時しか動かなかった。
命の奪い合い。
想像を絶する恐怖。
初めての経験は、プージャに未だ感じたことの無いほどの疲労感を与えていた。
「とりあえず寝よ。」
プージャが自室の扉をそっと開いた。
その瞬間、異質を感じた。
毎日過ごす自室の匂い。
それとは全く別の香りが漏れ出てきた。
「お帰りなさいませ。プージャ様。」
香りと共に出迎えたのは、マルハチだった。
何かの香でも焚いたのだろうか。
ふんわりと甘く、それでいて爽快感のある香りと、今まで一度も見たことの無い、美しいシルクのタキシードを身に纏ったマルハチが、疲れ果てたプージャを出迎えたのだった。
「ひぇ!?マルハチ!?」
思わず変な声を漏らし、プージャは恥ずかしさを覚えた。
しかし、それよりも更に恥ずかしかったのは、
「プージャ様、これを。」
マルハチが差し出した、彼の選んだ『左手の黒いドレス』を見たからだった。
「な、なぁに?どうしたの?」
あまりに奇妙な光景に、プージャは入室すら憚られる心持ちだ。
もし想像通りだとすれば、マルハチがそんな気の利いた演出をするなど、なんと言えば良いか、一言で言い表すならば、
「気持ち悪いな。」
「ええ。私めもです。慣れないことをしたので、少し手間取ってしまいました。あのふたりの話しが長くて助かりました。」
マルハチが笑って答えた。
「さぁ、プージャ様、お着替え下さい。始めましょう。舞踏会を。」
プージャはマルハチの眼前まで歩み寄ると、ドレスを受け取りながら頷き、そして言った。
「宜しくお願いします。」
「こちらこそ。」
マルハチがとびきりの笑顔を浮かべた。
爽やかな初夏の朝の光に包まれながら、ふたりだけの舞踏会が幕を開けた。
ふたりは手を取り合うと、そっと互いに身を寄せあった。
息を合わせ、同時に一歩を踏み出した。
ステップ。
ライズ&ロアー。
スイングして、そしてターン。
あたかも空を舞う蝶のように、ふたりは絵本とフィギュアに囲まれた室内を舞った。
音楽もなにも無いが、その代わり邪魔する者もいない。
ふたりは厳かに、しかし、心から楽しんで踊った。
「ねぇ、マルハチ。」
「なんでしょう?」
「私は、ひとつ謝らなくてはならないことがある。」
「なんですか?」
「私は、マルハチが拐われたあの時、マルハチを見捨てる決断をしたの。」
「ご立派な決断です。」
「ミュシャが助けてくれたからなんとかなったけど、私は、私は、」
「魔王として当然のご決断です。私めもそれを望みました。」
「だけど、私は、自分が、許せない。」
「プージャ様。ご自分を責めてはいけません。」
「だけど、だけどさ、私は、怒って欲しい。おにしゃんに、怒って欲しい。」
「怒りません。」
「お願い。怒って。」
「怒りません。むしろ、嬉しいです。そのように俺のこと、想ってくれて。」
「じゃあ、代わりに、何かお願いして。なんでも聞くから。」
「お願い、ですか?」
「うん。何でもいい。」
「そうすれば、プージャ様のお気は済みますか?」
「うん。救われる。」
「分かりました。では、お願いを申し上げます。」
「うむ。何でも申してみよ。」
「プージャ様……。」
「なぁに?」
「抱っこして下さい。」
プージャは何も言わずにマルハチの首に両腕を回すと、ゆっくりとその胸に抱き寄せた。
「ところでさ。」
「なんですか?」
「ツキカゲが言ってた不能執事ってどういう意味なん?」
「さ、さぁ?無能と言いたかったのでしょう。」
「マルハチ、有能だと思うけどなぁ。いや、君主の贔屓目抜きにね。」
「滅相もございません。(言えない。プージャ様以外の女になぞ一切の興奮を覚えないなど、死んでも言えない。)」
―――次の日の朝。
マリアベル屋敷の頭上、遥か高く。
紅玉に包まれた大樹が、天に現れたのだった。




