第66話 決着、そして、
炎の繭が勢いを失い消え失せた後、そこに佇んでいたのは、
腕を伸ばし、凛と佇むプージャの姿と、
その腕の先の空間にぶら下がる、小さなダクリの姿だった。
捕らえた。遂に、遂に捕らえた。
マルハチは身を震わせた。
あの、どうしようもない、どうしようもなく、手に負えるような相手ではなく、
力の差などなく、
ただただ圧倒的で、ただただ超越していた、
戦いなどではないく、
弄ばれただけ、
それは正に、
神とその奴隷。
それに過ぎなかった自分達の戦いが、
遂に、終わった。
(まさか、本当に、)
目を疑いたくなった。
目の前で起きた事実に。
まさか、あのプージャ様が。
あの弱々しく枕に頭を埋め、丸くなって震えていた、あのプージャ様が。
(捕らえた!)
マルハチは踵を返した。
(プージャ様!!)
プージャの元へと駆けた。
「あははははははは!あははははははは!」
ダクリの声が響いた。
空間にではない。
マルハチの、ミュシャの、ツキカゲの頭の中に直接、響いた。
頭蓋骨が打ち破られると勘ぐるほどの、強烈で剛壮な哄笑が脳を揺さぶった。
その途端だった。
プージャの体が後方へと弾け飛んだ。
これはプージャとダクリしか見えていない。
ダクリの狂気の哄笑と共に、プージャの黒の衝動は悶え苦しみ始め、まるで過度な空気を吹き込まれた風船が弾けるかのように、
大きく膨らみ、そして弾け飛んだ。
プージャはその反動に薙ぎ払われ、呆気なく宙に打ち出されたのだった。
「プージャ!」
マルハチは大地を蹴った。
頭は割れるように痛む。
脳を直接に鷲掴みされ、揉みしだかれるように歪み揺れ、五感を奪われた。
それでも、大地を蹴った。
(俺のプージャ!!)
音よりも速く、限りなく光に近付こうと、マルハチは全身に訴えかけた。
筋繊維が引きちぎれ、骨が軋むのを感じる。
それでも、大地を蹴った。
プージャの体が講堂であったその場所を通り過ぎ、剥き出しの荒野に叩き付けられんとしたその間際だった。
マルハチは、ようやくプージャに追い付いた。
夜空を流れる流星の如きプージャをその手中に収めると、マルハチは全力で大地に根を張った。
摩擦で靴が引きちぎれ、素足で荒れた大地を掴む。
踵の肉は綻びていき、骨が直接土を削る。
それでも、マルハチはプージャだけは離さなかった。
「らあぁぁぁぁぁ!!」
マルハチの咆哮が周囲を包み込んだ。
しかし無情にも、根は大地から引き剥がされた。
プージャは気が付いた。
ほんの一瞬、気を失っていた。
そして気付く。
黒の衝動を発動させた。
吹き荒ぶ烈風の如く宙を舞ったマルハチと自身の肉体を、力強く包み込んだ。
「マルハチ!顎を引いて!」
「御意!」
マルハチはプージャを抱え込んだまま、背を丸めた。
特大の重力加速度がふたりを襲った。
そして、それが過ぎ去った後には、
巨大な、不可視ではあるが巨大な鉤爪がふたりをこの地上に繋ぎ止めていた。
ふたりの通った跡地には、大きく深い爪痕が刻み込まれていた。
プージャの頭をしっかりと顎で抱え込んでいたマルハチは、ゆっくりと目を開いた。
マルハチに抱え込まれしっかりと守られていたプージャは、ゆっくりと目を開いた。
「あははははははは!面白い!本当に!」
目を開け、互いの生存を知り合い安堵したのも束の間、またしてもあの忌まわしき哄笑が周囲を包み込んだ。
「オイラに触れる者が現れるなんて思ってもみなかった!流れ落ちてからの幾星霜!これで2度目だ!まさか再び現れる時が来ようとは!」
笑っていた。
腹を抱え、笑っていた。
ミュシャはふたりに追い付くと、大鎌を手に、ふたりを庇うように立ち塞がった。
ツキカゲは小さな魔王の背後に陣取り、いつでもその背を貫ける準備を整えていた。
「あぁ、こんな日が来ようとは。愚にもつかない半生ではあったけど、無駄に長いだけではなかったよ。」
ダクリの体が、静かに大地に根を下ろした。
「だけど、」
赤い瞳が揺らめいた。
揺らめきと共に、その小さな体を赤い光が包み込み、次第にその赤い光は滲み始める。
「まだ早い。」
滲んだ光が空気に溶け込み始めた。
甲高い、声変わりすらしていない少年の声だけを残して。
「時が来るまで待つ。あの月の下で、待つ。」
光が消えゆく。
赤い光は、蒼い月光に混じりゆき、
そして、いつしか消えて無くなった。
「もっと……楽しませて…………。」
鮮明なその言葉だけを残して。
「行っちゃった?……ね。」
プージャが呟いた。
「何故でしょうか。」
マルハチの口から大きな息が漏れた。
「えへへ♪ミュシャ、生きてますよ♪」
ミュシャはその場にへたり込んだ。
「訳が分からんな。」
ツキカゲは立ち尽くしたままだった。
蒼く輝く大きな月の下で、思い思いの言葉を口にして、
何も分からなかったし、何も起きなかったし、
それでも、言えることはただひとつ。
退けた。
今は。
更地と化したツキカゲの屋敷の跡地を、爽やかな風が吹き抜けた。
それと同時に、その場の全員から力が抜け落ちた。
「あー!怖かったぁー!」
マルハチに抱かれたまま、プージャは大声を上げて、それから笑っていた。
「ミュシャも怖かったです♪マルハチさんは?」
ミュシャも笑っていた。
「僕は……どちらかと言えば痛みが勝っているかな。」
マルハチも笑ったが、言葉通り、その声には力が無いように感じられた。
「おお!そうだった!!」
プージャは勢いよく体を起こすと、マルハチの足元に目を向けた。
その視線の先には、ズタズタに引き裂かれた肉を申し訳程度に纏い、骨が剥き出しになった悲惨な様相の足が投げ出されていた。
「ごめん!ちょっと待って!」
言いながら、慌てた素振りでボディースーツのファスナーを下ろすと、胸の谷間から一粒のクペの実を取り出した。
「はい、あーん。」
指で実を拭い、息を吹き掛けてから腹心の口につまんだそれを近付ける魔王。
いつにも増してしょっぱさを感じながら、マルハチはその実を噛み締めた。
感覚すら無くなっていた足先に、蠢きを感じた次の瞬間には、彼の足はいつも通りの感覚を取り戻していた。
「後でお薬飲まないと、姫様菌でお腹壊しますよ♪」
それを見ていたミュシャが愉快そうに茶化していた。
「しゃーないでしょ。この服、ポッケないんだから。」
マルハチは思った。
(しょっぱいけど美味しい、とは口が裂けても言えないな。)
と。
「さて、」
プージャが座ったままの姿勢で背を正した。
「よくは分からんが、危機は退けたようだし、本題に戻るとしますか。」
そう言ってツキカゲに顔を向けた。




