第64話 長政海子~わたしはあなたを~
―――わたしの足元の床が、まるで間欠泉のように噴き上がりました。
突然の急襲ではありますが、これは想定内。
わたしの反応速度なら避けられない攻撃ではありません。
問題はマルハチさんとツキカゲさんです。
が、わたしの視界の端ではふたりが同じように避けたのが見えました。
どうやらツキカゲさんの強化術は上手く機能したようです。
「へぇ。随分と強化されたもんだね。」
ダー君が意地悪そうに笑っています。
わたしは瞬時に死角を見抜き、そこに滑り込みました。
マルハチさん、ツキカゲさんもそれぞれが違う死角に潜り込んだのを確認出来ました。
今、わたし達は3人でダー君を取り囲んでいる状態にあります。
先程のふたりの移動速度を考えれば、この同時攻撃はいくらダー君と言えども避けられないでしょう。
わたしは床を蹴りました。
―――あれから20年。
ミュシャは姫様のお側で、たくさんお仕事の訓練をさせて貰いました。
まだまだ失敗も多いですが、少しずつ色々なことが出来るようになりました。
姫様とは色々なことを一緒にしました。
お料理やお菓子作りも教えて貰いました。
正直つまらないですが、姫様の好きな絵本もいっぱい見せて貰いました。
姫様のお陰で、屋敷の皆さんとも仲良くなれました。
たまに人間の勇者が魔王退治に現れます。
わたしはマルハチさんと一緒に勇者をやっつけました。
止めを刺さないって、いつもマルハチさんに注意されます。
でも、姫様はそれでいいよ。って言ってくれます。
いつか、姫様に危険が及ぶ時、その時には、わたしは覚悟を決めるつもりです。
そして、ミスラ様がお亡くなりになりました。
いくら分かっていたこととは言え、姫様はとても悲しんで泣いていました。
マルハチさんがいっぱい慰めて、皆さんも慰めて、姫様は泣いていました。
わたしは、姫様のお側にいました。
姫様は、わたしの手を握って、泣きながら言ってくれました。
「ミュシャ。ありがとうね。」
―――わたしが斬り掛かり、マルハチさんが殴り掛かり、ツキカゲさんがげろげろバナナを放ちました。
皆さん、わたしのスピードと同等のスピードです。
ダー君を捉えました。
いつも通り、マルハチさんと交差しながら、そこにげろげろバナナも交差しながら、わたしはダー君の体に向かって鎌を振り降ろしました。
ですが、わたしの鎌が切り裂いたのは、何もないただの空間でした。
「そんな単純な攻撃、オイラが避けられないと思うのかい?」
ダー君の声が聞こえたのは、またしてもわたしの背後でした。
「ねぇ、海子ちゃん。君には本当にがっかりしているよ。」
わたしは反射的に鎌を凪ぎ払いました。
避けられはするでしょうが、距離は取らねばなりません。
ですが、わたしの意図を読んでいたかのように、ダー君は避けることはせず、わたしの鎌を受け止めました。
数体のげろげろバナナがダー君を取り囲み、口から蒼色の気持ち悪い液体を吐き掛けます。
マルハチさんも空中で体勢を整えると、蹴りを放っています。
ダー君がわたしの腕を掴みました。
そしていきなりわたしの体を振り回したのです。
わたしの体はマルハチさんの蹴りを弾き飛ばし、げろげろバナナの液体をもろに被ってしまいました。
熱湯を掛けられたような熱さと、針で指すような痛みが背中に伝わってきます。
どうやらあの液体は強酸か何かだったようです。
―――それから更に時が経ちました。
姫様は、人が変わってしまったかのように、お部屋に籠りっきりになりました。
マルハチさんは何とかして姫様を立ち直らせようと頑張っています。
わたしは悲しいですが、でも、姫様の気持ちを大切にしたいです。
姫様の不在で、人間の勇者がいっぱい攻め込んで来ました。
わたしはマルハチさんと一緒に勇者といっぱい戦いました。
人間の勇者は本気で姫様を殺そうとしてきます。
わたしも覚悟を決める時が来ました。
姫様のため、わたしは戦いました。
元々は人間であるわたしが、姫様のために人間の勇者に止めを刺す時が来たのです。
わたしの心はもう一度、壊れてしまいました。
それでも姫様はお部屋から出てきません。
本当は姫様と遊びたいです。
姫様に会いたいです。
わたしはマルハチさんと協力して、姫様と会うことにしました。
姫様には少し酷なことだったかもしれません。
ですが、わたしは、姫様に会えて、
とても嬉しく思いました。
―――あまりの痛みにわたしは思わず声を漏らしてしまいました。
「あぁっ!」
その声を聞いてか、ダー君が笑っていました。
「ふふ。こんな目にあうなんて、海子ちゃんは本当におバカさんだね。」
「バカでもいいです!
わたしは、姫様を!」
だってあの時、決めたんですから。
わたしは……この人を、
「守ります!!」
ダー君がわたしの腕を放した瞬間、わたしは大砲みたいなスピードで吹っ飛ばされました。
痛みと回転で三半規管がマヒしているようです。
体勢を立て直そうにも空間認知が出来ません。
分かるのは、体にとてつもない重力加速度が掛かっているというだけ。
このままいけば硬い花崗岩の床に激突します。
流石のわたしでも、この勢いの激突には耐えられる自信がありません。
運が良ければ何ヵ所かの骨折か、打ち所が悪ければ頭蓋骨や脛椎が折れたり内臓が潰れるかもしれません。
マルハチさんはわたしの体に吹っ飛ばされてしまいましたし、ツキカゲさんのスピードでは追い付けないでしょう。
こうなれば、運を天に任せるしかありません。
わたしは目を瞑り、歯を食い縛りました。
「危なーい。」
わたしが感じたのは、硬い床の感触ではありませんでした。
「マジでギリギリセーフだったけどね。」
それは、とても暖かくて、とても柔らかくて、とても大きくて、わたしを包み込んでくれていました。
「大丈夫?ミュシャ。」
目を開けると、目の前にあったのは姫様のお顔でした。
「姫様!?」
「あら珍しい。ミュシャがそんな大声出すなんて。」
わたしは慌てて体を動かしました。
何も見えませんが、でも確かに何かの上に乗っています。
暖かくて柔らかい、大きな何かの上に。
「どう?感覚、掴める?」
姫様はにっこりと微笑みながら、でもわたしの方ではなく、頭上を見据えながら話していました。
「は、はい!ミュシャ、大丈夫です♪」
「良かった。んじゃ、黒の衝動解除するからね。」
床に残った絨毯すれすれの位置を漂っていた何かが消えて無くなり、わたしは姫様の足元に着地しました。
見上げると、姫様は黒革のボディスーツにマントを身に付けていました。
この出で立ちの時は……
「いや、間に合って良かったよ。それもこれも、ミュシャが私にお願いしてくれたからだね。」
姫様がわたしの手を引っ張り上げてくれます。
「ミュシャのお願い、聞いてくれたんですね♪」
「おうよ。可愛いミュシャに言われたらさ、『ミュシャがピンチの時は助けに来て下さい♪』って、そりゃねぇ。」
「わぁ♪姫様、ありがとうございます!」
…………戦いの時なのです♪




