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第62話 長政海子~アップルパイは…美味しいのです~

 泥棒主婦さんの手際はとても良いです。

林檎を煮ながら、隣の鍋でカスタードクリームを作っています。

クリームが完成したら鍋を火から下ろして、次は調理台で粉を混ぜ始めます。

粉が生地になったら麺棒で伸ばしてカットしていきます。

その頃には林檎が煮えたらしく、伸ばした生地にクリームと林檎を乗せます。

その上から別の生地を網の目状に被せて、形が出来たら温めておいたオーブンに入れます。


「あとはまぁ、30か40分くらいしたら焼き上がるよ。もうちょっと待っててね。」


そう言いながら、泥棒主婦さんは調理台の上を片付け始めます。


「お片付け、ミュシャも手伝います。」


「お、気が利くねぇ。んじゃ宜しく。そこの台の粉を拭いておいて欲しいな。私は鍋を洗うからさ。」


わたしは一人前のメイドです。

泥棒主婦さんがお片付けをしているのに、わたしが見ているだけなど、沽券(こけん)に関わるのです。

わたしは調理台の上に残っていた粉を取り払おうと、大きく息を吹き掛けました。

ですが、どうしたことでしょう。

粉が舞い上がってしまいました。


「ふぁ!?」


真っ白い粉は勢いよく、泥棒主婦さんのお顔に掛かってしまいました。


「ありゃりゃ。」


泥棒主婦さんのお顔は真っ白です。

わたしは流しにあった布巾をお渡ししました。


「って、これ!雑巾でしょーが!床用の!」


お顔は真っ白でも目は見えてるらしいです。

何事もなくて少し安心しました。


「なんでいきなり吹くかな!?普通に拭けばいいだけでしょ!」


「はい。吹きました。」


「あー、同音異義語ね。って、流れ!空気!

とにかく、そっちの綺麗な布巾を取ってよ。いくら私の顔でも床よりはまともに扱って欲しいもんだからさ。」


ブツブツと言いながら、泥棒主婦さんは流しで顔を洗っています。

よく見ると、お洋服も白く汚れてしまっています。

わたしは気が利くメイドです。

お洋服も綺麗にしなくてはいけません。

わたしは泥棒主婦さんのワンピースの背中のボタンを外して脱がせようとしました。


「ぶひぇ!?」


ちょうど顔を水に浸けたところだったらしく、明らかに鼻に水が入った感じの声を上げています。

それから勢いよく体を起こすと、


「なんで脱がそうとしてんの!?」


その鼻からはぶっとい鼻水がダラーンと垂れています。


「はい。お洗濯をしなくてはと思いまして。」


「今じゃなくね!?順番!順番ってもんが!」


泥棒主婦さんが口を動かす度に鼻水が揺れています。

わたしは布巾を差し出しました。


「だから雑巾はダメだって言ってるでしょーがぁー!!!」


半透明の鼻水は朝露のようにランプの光を反射して、それはそれは綺麗に輝いていました。




 アップルパイが焼き上がりました。

少し冷ましてから、わたしと泥棒主婦さんはふたりでパイを頂き始めました。

泥棒主婦さんの作ったパイは、とてもテカテカしていて、サックリして、しっとりで、シャクシャクしていました。


「どう?美味しい?」


パイを口に入れたわたしの顔を、泥棒主婦さんはじっと眺めています。

泥棒主婦さんの作ったパイは、とてもテカテカしていて、サックリして、しっとりで、シャクシャクして、

とても甘くて、

でもすっきりとしていて、

爽やかで、

シナモンの香りは鼻を通るし、

カスタードクリームは林檎の甘さを邪魔してないし、

噛むとじんわりと林檎の酸味と甘味が染み出してくるし、

サクサクのパイ生地も、ただ口にまとわりつくような不快感はなくて、

中身の林檎やクリームと絡み合って溶け合って、それから、それから、

それから、


「え、そんなに美味しい?あ、そう。嬉しいなぁ。」


掌くらいあった大きなパイのひと切れを、わたしはほんの数口で食べ終わってしまいました。

それを見てか、泥棒主婦さんはもうひと切れ、わたしのお皿に乗せてくれます。

わたしはフォークで切り分けるのも忘れて、その美味しいパイにかぶり付きました。


「んじゃ、私も頂きます。……あら、ほんと美味しく焼けたこと。こりゃー久々の大成功かもねー。」


泥棒主婦さんも上機嫌にフォークを回しながら鼻歌混じりです。


「そんながっつかなくても、まだいっぱいあるから大丈夫だって。私もひと切れ、か、ふた切れ食べたいかもだけど、残りは全部あげるから。」


お恥ずかしながら夢中でパイを頬張っているわたしに、泥棒主婦さんは笑いかけてきました。

でも、本当に美味しかったのです。

正直に言ってしまいますと、わたし、自分の世界でもこんなに美味しい物を食べたことはありませんでした。


「ふふ。そんなにお腹減ってたの?」


わたしは夢中でアップルパイを食べました。

そんなわたしを眺めながら、泥棒主婦さんが言いました。


「ところでさ、君、あれでしょ?噂のメイドちゃん。」


わたしは顔を伏せました。


「なんのことでしょうか?」


「え?いや、屋敷で噂になってるからさ。すんごいメイドがいるって。」


「…………すんごい。」


わたしは繰り返しました。


「うん。すんごい。」


泥棒主婦さんも繰り返しました。

何が言いたいのかは大体の察しはつきます。

この人は、会ったことはありませんが、きっとお屋敷の人に違いありません。

きっとこの人が、わたしのことをどう思ってるのかなんて、分かります。

わたしはフォークを置きました。

この先にこの人が言うであろうお話し。

わたしはそんなもの、聞きたくないのです。

わたしには大切な目的があるのです。

そのためにはもっともっと頑張って、皆さんに認められて、偉い人とお近付きになって、最強の人を見付けて、それで、やっつけて、

それで、

それで、

元の世界に帰って、

元の世界に、帰って、



「でもさ、すんごい強いね。」



わたしは思わず顔を上げました。



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