第61話 長政海子~万引き主婦さんと出会いました~
―――それから一ヶ月が経ちました。
メイドとして働き始めたわたしは、色々なことを習いました。
お掃除、ベッドメイキング、お洗濯、お料理、給仕……。
新人メイドのうちは、魔王さんやお姫様のお世話はせず、まずは同僚のメイドさん達や執事の皆さん、使用人の皆さん全体のお世話をしながら上達するように練習するのです。
「ちょっ!?ミュシャ!?また花瓶を割って!!」
「あぁ!そんなにごしごし洗ったら繊維が傷付くでしょ!!」
「床を拭いた雑巾で窓拭きしたらダメって何回言ったら!?」
「あー!!アイロンを寝かせっぱなしにしたら焦げちゃうでしょ!」
わたしはとっても上手に家事をこなしていきました。
偉い人のお世話をするようになるには、お仕事がちゃんと出来ないといけません。
もう少しでわたしも偉い人のお世話が出来ると思います。
―――それからまた一ヶ月が経ちました。
わたしのお仕事の腕前は、前にも増してめきめきと上達しています。
「ちょぉーっと!ダメ!お布団をそんなに叩いたら綿が切れちゃう!」
「薪を入れすぎ!それじゃお風呂が沸騰しちゃうでしょ!」
「あー!マルハチさんお気に入りのお皿セットを一度に全部割るなんて!」
「シャツに糊をつけすぎ!これじゃあ板でしょ!板!」
失敗も少なくなってきました。
これなら意外と早く、魔王さんやお姫様のお世話が出来る日もやってくるでしょう。
―――それから一年が経ちました。
わたしのメイドっぷりもだいぶ板についてきました。
もうわたしに出来ない仕事なんてありません。
「だから!汚れた雑巾で窓を拭くなって、何回言ったら分かるの!」
「それはぁー!!姫殿下のお気に入りのワンピースぅー!なんでこんな真っ黒焦げに!?」
「なんでお茶を淹れるだけなのにこんなドロドロを作れるの!?」
「勝手にマルハチさんのパンツに熊さんの刺繍したらダメ!え?熊じゃなくてざざ虫?余計ダメでしょ!」
「ちょ!?食器しまうのに棚にフリスビー投げするなんてエクストリームすぎ!!」
もう半人前なんて言わせません。
そろそろ、偉い人のお世話を始めてもよい頃だと思いますが、どうしてだかわたしにはそんなお話しが来ないのです。
まさか、わたしが魔王さんやお姫様の実力を測ろうとしているのがバレてしまってるのでしょうか?
いいえ、そんなことありませんね。
わたしはとっても真面目にお仕事してるのですから。
「まったく、こんな役立たずな子をいつまで面倒見ればいいのかしら。」
「同期のミリアはもう一人前になってるっていうのに。」
「今度ジョハンナさんがマルハチさんに相談するって言ってたわよ。」
「あーあ。早くいなくなってくれないかな。」
そうだ。
きっとわたしが優秀すぎて、皆さん、わたしが偉い人のお気に入りになってしまわないか不安なんでしょう。
きっとそうに違いありません。
ですが、わたしには大切な目的があるのです。
そのためには、もっともっと頑張って、偉い人に認めてもらうしかないのです。
わたし、頑張っちゃいますから♪
―――そんなある日のことでした。
わたしが夜中にお腹が減ってしまって、お台所に盗み食いをしに行った時のことです。
ジョハンナさんやマルハチさんに見付かると、あーだこーだと色々とかしましいですので、わたしは極限まで気配を消してお台所に向かいました。
わたしがお台所に入ると、見かけない人がいました。
わたしは直感で分かりました。
(泥棒ですね?)
お台所を入ってすぐにある戸棚から、一番よく飛ぶシルバー製のトレーを手に取ると、わたしは泥棒に向けて全力でそれを投げつけました。
トレーが泥棒に当たるその瞬間でした。
泥棒は、体を曲げてトレーを避けたのです。
なんという身体能力でしょうか。
トレーは泥棒を通り過ぎ、ざっくりと壁に突き刺さりました。
「は!?」
トレーを見上げた泥棒が甲高い声を上げています。
泥棒のくせに女の人みたいな声を出しますね。
しかし、悠長なことは言ってられません。
投擲を避けられたことで、わたしの存在が泥棒にバレてしまいました。
こうなれば接近戦で仕留めるしかありません。
わたしは同じ戸棚からおたまを引っ張り出すと、泥棒との距離を詰める為に走りました。
「え!?」
泥棒は、また甲高い声を上げています。
わたしは一瞬で泥棒の懐に入り込むと、おたまをその鳩尾を狙って叩き込みました。
「ひぐっ!!」
息を吐く音と、悲鳴が混じりあった声が泥棒の口から漏れてきます。
ですが、それと同時に鋭い金属音がお台所に響きました。
どうしたことでしょう。
泥棒は、金属製のボウルでわたしのおたまを防いでいたのです。
「やりますね。泥棒さん。」
わたしは泥棒の顔を見上げました。
そして少し驚きました。
泥棒は、女の人だったのです。
「ど、泥棒!?ちょっと!ちょっとタイム!」
なにやら命乞いをしています。
そう言えば、泥棒だからといって男の人だと決まってるわけではありませんね。
前にテレビのワイドショーで『スリルを味わうために万引きしてしまう悲しき主婦の習性』って特集を観たことある気がします。
確かにこの人も主婦さんくらいの年齢っぽい気もしますし。
とりあえず万引き犯なら成敗しなければいけません。
「万引き犯さん。盗んだものを置いて帰るか、それともそのちんけな消しゴムのために稼ぎの少ない旦那さんとまだ幼くて無能な3人の子供さんを残して命を置いて帰るか、どちらか選んで下さい。」
「ちょっと待て!今の台詞には8つもツッコミどころがあるから!一言では追いきれないから!」
「問答無用です。身ぐるみ置いてさっさと帰りなさい。」
わたしはおたまを女の人の首筋に鋭くあてがいました。
「既に立ち位置おかしくなってるからぁー!いつの間にか追いはぎになってるからぁー!そしておたまなのにめっちゃ怖いんですけどぉー!そしてこいつ子供のくせに何このポイズンリザードタイラントみたいな研ぎ澄まされた殺戮者の眼光ぅー!」
わたしの正義の心に屈して、万引き犯はなにやら長々とした台詞で悲鳴を上げています。
しかしよく聞けば、それはわたしへの賛辞のようにも聞こえます。
ポイズンリザードタイラントみたいな殺戮者の眼光?
わたしはおたまを下ろしました。
「それ、かっこいいですか?」
わたしは万引き犯さんを見上げました。
「は?それ?」
「はい。ポイズンリザードタイラントというのは、かっこいいですか?」
「え?かっこ!?いや、あの、かっこいい、かな?」
「かな?」
わたしは音を立てておたまを握り直しました。
「いやかっこいい!めっちゃかっこいい!」
「強いですか?」
「強い!強いのはマジで強い!生ける強酸っつって、かなり強い部類!」
「そうですか。ミュシャ、そんな強くてかっこいい人に似てるんですね。」
どうやらこの万引き犯さん、そう悪い人じゃなさそうですね。
何故、万引きなどしたのでしょうか。
きっと旦那さんが他所に愛人でもこしらえて、それでいたたまれなくなって安易なスリルに走ってしまったのでしょう。
女の情念とは悲しいものですね。
器量は良いみたいですし、少し頑張れば貧乏でモテない大学生の彼氏くらいは見付けられそうなものですが。
「な、なに?そんなまじまじと見て。なんなんよ。」
「いえ。ところで、それはなんですか?」
実は、先程から気になっていたのです。
この可哀想な主婦さんの背後から薫り立つ、香ばしくてほのかに甘い匂いを放つ鍋の存在が。
「え?これ?」
「シナモンの匂いですね。」
「あぁ、今、林檎を煮つめてるんだよ。アップルパイを作ろうと思って、その下ごしらえ。」
「アップルパイ?ふてぶてしいですね。盗んだ林檎をその場で調理するとは。」
「あのねぇ、ミュシャって言ったっけ?冷静に考えてごらん?そんなわけないでしょ?仮に私が泥棒だとして、まともな泥棒がそんなことするわけないでしょ?」
「そうですか?」
「そうだよ!」
「だとしたらあなたは変わってる泥棒さんですね。」
「だから泥棒じゃないんだって!そろそろ聞き分けなさぁーい!」
「なんでしょう。
怪しいですが、そう言われればそうな気もします。
もしかしたらこうやってわたしの気を逸らそうとしているのかもしれませんが、でも、シナモンの効いた林檎も美味しそうですし、少し様子を見てみることにしましょう。」
「いや心の声全部だだ漏れしてるから。なんならかなり滑舌よくだだ漏らしてるから。
まぁいいや。まだ少し時間が掛かるけど、アップルパイ、食べてく?」
「え?いいんですか?」
「うん。ひとりで食べるよりもふたりで食べた方が美味しいかな?って。」
「はい♪ミュシャ、アップルパイ食べたいです♪」
「はぁー。まったく、こんな簡単な会話を成立させるのになんでこんな時間掛かるんですかね。」
というわけで、
わたしは悲しき泥棒主婦さんのご厚意に甘えて、アップルパイをご馳走になることになりました。




