第59話 長政海子~起きたらそこは異世界でした~
―――再び目が醒めた時、私がいたのは、馬車の中でした。
そして驚きました。
わたしの知らない記憶が増えていたからです。
知らないのに記憶とはおかしいことですが、とにかく、どこで覚えたのかは分からないのに何故か知っている。
そんな記憶がたくさんあったのです。
わたしの名前は長政海子であり、ミュシャです。
東京都に住んでる高校生で、今年で110歳になる孤児のサキュバスです。
ここは魔界という名前の、魔族と呼ばれる人々の住む世界で、わたしは今、マリアベル家のメイドとして採用が決まり、住み込みで勤める為にお屋敷に向かう馬車に乗っています。
ですが、このミュシャちゃんは、つい先ほど一度死にました。
理由は分かりません。
心臓発作だったのでしょうか。
とにかく死んでしまいました。
そして、わたしが乗り移ったのです。
ミュシャちゃんの記憶はそのままに、海子としての記憶を上乗せして、意識は海子のまま、でも外見はミュシャちゃんのまま。
不思議ですが、事実です。
きっとこれがさっきの子が言っていた同化なのでしょう。
わたしは無理やり自分を納得させると、辺りを見回しました。
「あら、起きたのね。」
目の前に座る赤毛の女の子が声を掛けてきました。
確かこの子は、ミリアさん。
ミュシャと同じ、今日からマリアベル家で働くことになったインプ族の女の子です。
「話しながら突然眠っちゃうんだもん、驚いたよ。」
ミリアさんの隣に座る男の子が笑っています。
この子はニルス君。
同じく、今日からマリアベル家の軍隊に採用されたトロル族の男の子。
「すみません。ミュシャ、気象病なので。」
「え?気象、病?なぁに?」
彼女の名前はペルシャちゃん。
ニルス君と同じ軍隊に採用されたゴブリン族の女の子で、この中で唯一のミュシャと同い年です。
「気圧変化で体調が変わってしまうんです。なんでも内耳からの自律神経刺激が原因らしいですが、まだ詳しくは解明されてないみたいですよ。」
そんなわたしの言葉に、その場にいた全員の頭にクエスチョンマークが浮かんでいるのが目に見えるようです。
おっと、これは海子側の知識でしたね。
ミュシャのいる魔界ではこういった医療系の知識は広く知られていないんでした。
とりあえず誤魔化さないとですね。
「とにかく、たまに気絶しちゃうので気にしないで下さい。」
「いや、気にするよ!」
だいぶ無理のあるわたしの言い訳に、3人全員がツッコミを入れてきました。
魔族なんて言うのでけっこう構えていましたが、わたし達人間とそこまで変わらない感性を持っているのかもしれませんね。
「ミュシャさん、でしたわね?」
6人乗りの座席の端に座っていたお姉さんが声を掛けてきました。
その途端に、同期の3人が姿勢を正します。
「具合が悪い時はすぐに言うのですよ。」
ミュシャが勤めるメイド室の室長であるジョハンナさん。
縦巻きカールがゴージャスな茶色い髪をした色っぽい女の人だけど、大きな角を持った凶暴なオーガ族とのこと。
「はい。突然気絶するので言えるかは分かりませんが。」
わたしはまっとうな意見を持って返しました。
その答えを聞いてなのか、ジョハンナさんの向かいに座っていた男性が笑い声を上げました。
「確かにそうだ。」
癖の強いブロンドの前髪を長めに垂らした、涼しげな目元が特徴的なイケメンのお兄さん。
細身ながらも筋肉質なことが分かるタイトなタキシードを着込んだそのお兄さんは、額に手を当てて首を振っていました。
「君は面白い子だね。」
そう言って、わたしの顔を眺めていました。
そう言えば、この人の記憶だけはまだ無いようです。
まだ自己紹介をされていなかったのでしょうか。
わたしが不思議そうな顔でお兄さんの顔を見つめていると、皆の顔を見回してから話し始めました。
「自己紹介が遅れたね。僕はマルハチ。マリアベル家執事室の室長を勤めている。」
マルハチさんが長々と何かの説明をしていました。
要約すると、どうやらわたし達4人は、まずはマルハチさんのいる執事室でそれぞれの部署に配属される前に契約書を読んで、それから契約のサインをして、初めてマリアベル家に仕えることになるようです。
執事と言うと、この場合はマリアベル家の当主の秘書的な役割をする人だと思ってましたが、想像とは少し違うみたいです。
わたし達の世界の会社組織で言うところの、総務部的なお仕事なのでしょうか。
「最近では君達のような正規の入隊希望者やメイド志望の子達が減ってきているからね。歓迎するよ。」
ミュシャの記憶では、今のマリアベル当主のミスラ様という人が魔王に君臨してからは平和な時代が続いているらしく、民間の仕事の供給が多くなり、領主直轄の仕事に就かなくても生活出来る環境が整ってきているみたいです。
それにしてもミュシャの記憶は面白いですね。
少しこの世界の記憶を覗いてみましょう。
この世界には、大きな海を挟んでふたつの大陸があるようです。
ひとつが今わたしがいる魔界。
もうひとつが、この世界の人間が暮らしている人間界。
魔界は土壌がとても痩せた土地で、作物もあまり育たず、生物が生きるには過酷な環境。
片や人間界はとても豊かで、人間を始め、様々な生物が恵まれた環境の中で暮らしているようです。
魔界に住まう魔族は、常に人間界の豊かな土地を求めて侵略を試みており、人間界ではその侵略に対抗すべく防備を固めている。でも時には人間界の勇者が侵略を未然に防ぐために侵攻を仕掛けることもある。
そんなバランスのようです。
魔界には様々な種族が住んでおり、その時その時で最も強い魔族が魔界統一を行い、魔王を戴冠して、その後の方針を決めているようです。
魔王というのは固有名詞ではなく、王座の名前なのですね。
現魔王となったミスラ様はすぐに人間界に進出せずに、魔界全土の富国強兵に取り組み地盤を固めて、それから侵攻を開始するという政策らしく、だから人民の生活安定に繋がっているようです。
それが原因で正規軍の志願兵が減ったり、使用人志望者が減ったりしては本末転倒な気がしないでもありませんが。
そうこうしているうちに馬車が止まりました。




