第3話 楽しいお勉強
部屋の掃除は思いの外、と言っても思っていたのは当の本人だけで誰が見ても分かりきっていたことなのだが、かなりの時間を要し、掃除が完了したのは日も落ちきった後のことだった。
プージャがフラフラになりながら図書室に赴くと、待ち構えていたマルハチの授業は直ぐ様始まったのだった。
「それではまずは歴史を学びましょう。」
プージャの前に置かれたのは、とてつもなく分厚い何冊もの伝記だった。
「えぇー?なに歴史って。そんなん必要?」
「当たり前です。過去に起きた出来事から学ぶべきことは沢山あります。また、過去の失敗と同じ轍を踏まぬよう回避する術を知ることだって出来るのです。」
「あっそぉー。」
「歴史は楽しいですよ?私は歴史が大好きです。」
「ふぅーん。どの辺が?」
「これから学ぶわけですが、例えば【破壊神バルモン】や【黒薔薇の貴公子】、【石棺の帝王】に【氷煌ヘレイゾールソン】などが特に有名な歴戦の猛者です。彼らの活躍を読み、過去の魔王達の物語を想像してみる。それだけで心が踊りませんか?」
「ん。別に。」
「左様でございますか。ではこう言ったものは如何でしょう?魔術でございます。」
そう言ってマルハチが取り出したのは、歴史の伝記よりも少しは薄い本だった。
「魔術ぅー?」
プージャは本をパラパラ捲ってみたが、あまりにも難しそうな文字が羅列されたその内容に一瞬で辟易した様子で、すぐに押し戻してきた。
「無理!」
「プージャ様。何度も言いますが、今、我が軍勢は非常に弱っているのです。我々にはあなた様のお力が必要なのですよ?」
「それは聞いたって。えっと、今どんくらいいるって言ってたっけ?確かー、3万?」
「3千です。」
「お父ちゃんが死んでからまだちょっとしか経ってないのにさ、10万が3千って、おかしくね?ほぼ全滅じゃん。」
「それだけ今の人間が力を付けているのと、やはり指導者のいない軍隊では本来の能力は発揮できないということです。あまつさえ、残った軍勢には大公を始めとした不穏分子すら抱えてもおります。ですから、しっかりと魔王としての教養と実力を身に付けて頂いて、一刻も早く軍を建て直し、世界征服に乗り出して頂きたいのです。」
「無理!そんなん無理!」
「プージャ様。」
マルハチはプージャの手を握った。
「プージャ様なら出来ます。」
力強い目で、主の目を見据えたのだった。
「ムリムリムリムリムリ!ってか、嫌だもん!」
「プージャ様!」
「嫌だって!出来ないって!」
「やれます!あなたならやれます!それとも何ですか?本当にお茶もお菓子も嗜めなくなってもいいんですか?それに、魔界が荒廃すれば、民も生きてはいけなくなります。あなたのお好きな文学者達も、文学を生み出すなどという悠長な真似は出来なくなるのですよ?それでもいいのですか?」
「・・・・・それは、嫌だなぁ。」
「でしょう?でしたら、本懐に力をお入れになって下さいませ。不毛の土地である魔界から、人間の住む世界に進出して征服する。我が国に最大の富をもたらす為の魔王としての責務なのであり、魔王の矜持なのです!」
「なんだよ世界征服ってー。私そんなんどーでもいいんだけど。」
プージャは丸椅子の上で反り返って天井を見上げた。
「てかさー、普通に考えて無理じゃね?3千しか残ってない軍勢でどーやったら世界征服なんて出来るのさ。」
マルハチがプージャの手を引いて体を引き起こした。
「ですから!まずは富国強兵からと申したではありませんか。その為にはお勉強です!」
「あー、めんどくさいなぁ。あー、早くどっきりライオン戦記の続きを読みたいのになぁ。」
「勉強を早く終えれば、その分早く、その戦記とやらを読めるのですよ。」
「あー、はいはい。分かりましたよーだ!うるさいマルハチだこと。」
「うるさくて結構です。」
机に片肘を付くプージャの前に、魔術の本がうず高く積み上げられた。
「はーあ。魔術かぁー。なんか便利なん無いもんかね?なんか軍隊がさ、ババーン!って強くなったりするようなさ。」
「そんなものがあれば苦労はしません。」
手近にあった一冊をまたもや適当に捲るプージャ。
そのプージャの手が、とあるページで止まった。
「お?これなんてどうだね?マルハチ君。」
そう言ってマルハチに見せてきたのは、召喚術のページだった。
「これでさ、なんかすんげー強い魔族をいーっぱい呼び出したらいいんじゃないの?ほら、さっき言ってたような、ナニガシっつー昔の魔王とかをさ。こいつら配下にしたら強いんじゃね?」
マルハチは首を振った。
「プージャ様。よくお読みになってから仰って下さい。召喚術はあくまで使い魔などの下位モンスターを呼び出す為の術です。まぁ、頭数自体ならそれなりに増やすことは出来るかもしれませんが、相当に練度を積んだ高位の魔術師ですら、多大な魔力を消費して呼び出すことが出来る対象はほんの数体。現実的ではありません。ましてや、死者を呼び出すような入り組んだ術ではありませんし、最高位の魔王を呼び出すなど不可能です。」
「ちぇー。」
口を尖らせながら、プージャは本のページを捲った。
そこで表情が変わった。
「ん?」
慌てた様子で再びページを戻した。
「ん?あれ?」
「どう致しました?」
マルハチも気になり、プージャの持つ本を覗き込んだ。
そこは召喚術の基礎呪文が記載されているだけの、何の変哲もないページでしかなかった。
「いや、あれ?あれ?うん。え、そうか。あー。」
しかし、プージャは何度もページを捲っては戻し、戻しては捲ってを繰り返している。
「どうなさったのですか?」
訝しげな顔付きで、マルハチは問い掛けた。
「いや!出来る!出来るよ?マルハチ。昔の魔王、呼び出せるよ!この術!」
「は?」
「ここと、ここと、この辺と、あとこっちの呪文を入れ替えて、んで魔法陣もここの形を少し描き直せば・・・・いける!」
「そんなバカな。」
マルハチは度肝を抜かされた。
基礎呪文と言えど、魔術を構成するのは高度な特殊言語。
どんなに高位の魔術師ですら呪文の詠唱は丸暗記で行っており、この言語に意味があるなどという発想はないはずだ。
この魔術書の著者ですら完全な丸写しをしているであろうし、恐らく初めてこの術を開発した者以外でこの言語を理解しうるはずがない。
それほどまでに理解に困難を極める言語なのだ。
「よぉーっし!思い立ったが吉日っつーっしょ!ものは試しだ、いってみよぉ、やってみよぉー!」
魔術書を小脇に抱えると、プージャは一目散に図書室から飛び出して行ったのだった。