第56話 ミュシャ。そしてマルハチ。
いつだってそうだ。
僕の隣には、ミュシャがいた。
どんな強敵と戦う時も、いつもいた。
ミュシャとは不思議と息が合う。
僕ひとりでは到底敵わないような相手だって、ミュシャとの連携なら、何倍にも力が膨れ上がって、ミュシャひとりでは到底敵わないような相手でも、僕達は倒してきた。
そう思っていた。
でもそれは、ミュシャが僕に合わせてくれていたからだって、今になって初めて気が付いたんだ。
―――同時に床を蹴った。
最も得意とする光速コンビネーションだ。
まるで雀蜂が外敵の周りを飛び回り、隙をついて針を刺すように、翻弄しながら追い詰めていく。
しかし、今回はいつもとは勝手が違っていた。
同時に飛び出したマルハチとミュシャだったはずが、一瞬後には、ミュシャはマルハチの遥か前を疾走していた。
これがミュシャの本気なのか。
魔界最強と謳われるツキカゲを一方的に叩きのめした、真の魔界最強のメイドの本気だった。
ダクリの腕が揺らめいたように見えた。
それから時は動いていない。
同時だ。
揺らめきと全くの同時だった。
ミュシャの体がかき消えた。
消えたと同時に、マルハチの視界は、いや、視界ではない。
マルハチの意識は真っ黒に消え失せた。
マルハチの感覚では全く捉えられないほどのスピードで、ミュシャはダクリの不可視の攻撃を避け、後続していたマルハチはもろに直撃を喰らっていた。
「マルハチさん!」
ミュシャが声を上げた。
だがしかし、マルハチにその声は届いてはいなかった。
マルハチの体は、まるで火中ではぜる栗かの如く、いとも容易く吹き飛ばされた。
吹き飛ばされて、ミュシャが積み上げたソーサラー族の亡骸の山に突き刺さった。
「っ!!」
勢いを殺すことなく、ミュシャは全力を持って大鎌の一撃を振り下ろした。
言葉も出さず、ただただ力を籠め、一撃を放つことだけに全力を注いだ。
「海子ちゃん。裏切るんだね。」
ダクリの体が揺らめいた。
揺らめいただけで、ミュシャの全力の一撃を回避した。
ミュシャの大鎌は絨毯を切り裂いただけではなく、それを支える花崗岩の床に深く大きなクレバスを生み出した。
「っ!!」
呼吸する間すら置かず、ミュシャは大鎌を返すと鋭く凪ぎ払った。
大気が割れ、真空となったその切れ目に空気が吸い込まれていく。
ミュシャの美しい銀髪がなびいた。
「帰れなくなってもいいのかい?」
ダクリの声が聞こえてきたのは、ミュシャの背後。
月光を反射する、白銀の刃の上からだった。
「僕との契約を破棄するなら、もう二度と、元の世界へは帰れないんだよ?」
刃の上に足を組んで座り込み、ミュシャの背中を眺めていた。
嘲笑うかのような笑顔を浮かべながら。
「海子はもう、帰っても仕方ないのです!」
ミュシャは大鎌から手を離すと、体を宙に投げ出した。
ムーンサルトの要領で宙を舞うと、回転しながら数本のダガーを射出した。
またもやダクリの姿が消えた。
ミュシャは空中で大鎌の柄を持ち変えると、体を反らしながら振り抜いた。
再び真空の裂傷を生み出しながら。
「帰っても仕方ない?家族に会えなくてもいいのかい?」
ダクリは大鎌の柄にしがみついていた。
鉄棒にぶら下がるかのような、とても退屈そうなことのように。
「海子がこの世界に来てからもう50年も経ってしまいました!帰ったって、もう海子を知ってる人なんて誰もいません!」
ミュシャは大鎌を放り投げた。
大気が悲鳴を上げて引き裂かれていく。
凄まじい真空の吸引が巻き起こり、周囲の空気が引き寄せられる。
「海子の家族は、この世界の、マリアベルの皆です!!」
体を捻り、ダクリを捉えることなく床に突き刺さったダガーを掴み上げると、思い切り空間を突き刺した。
「そっか。」
ダガーの刃をすれすれでかわしていたのか、ミュシャの腕にへばりつくようにダクリが姿を現した。
「可哀想な子。」
一言そう呟くと、ダクリはミュシャの脇腹目掛けて掌を突き出した。
ミュシャの体があっけなく吹き飛んだ。
「そんなことありません。」
ダクリの背後から声がした。
「これは想定外。」
ダクリが吹き飛ばしたのは、ミュシャの残像だった。
「あんまり油断してると、ミュシャ、頑張っちゃいますからね。」
ミュシャの手にしたダガーが、ダクリの背中を貫いた。
「ふふ。本気なんだね。」
再びミュシャの背後からダクリの声が響いた。
ミュシャが貫いたそれも、やはりダクリの残像だった。
「じゃあ、この世界の住人として、せいぜい頑張りなよ。」
ダクリの掌がミュシャの背に触れた。
ミュシャの体は、激しく床に打ち付けられた。
―――「ガルダ。ガルダ。」
優しい声で目を醒ました。
とても懐かしい、でも、とても悲しい気持ちになる声。
その声が、僕の名前を呼んでいた。
「いつまで寝てるの?ガルダ。」
目を開けると、そこは、積み上げられた藁の上だった。
見上げると、剥き出しの合板の天井。
囲いに繋がれた馬の顔。
そして、僕を見下ろす、誰かの顔。
優しげに微笑んで、僕のおでこを撫でている。
「さぁ、朝よ。起きて。」
逆光に阻まれて顔はよく見えないけど、でも微笑んでいるのは分かった。
ブロンドの長い髪が僕の胸元に触れた。
くすぐったかった。
「ガルダ。起きて。あなたを待っているわ。」
僕は声を出そうと息を吐き出した。
でも思うように声は出てくれない。
「あなたを待っているの。あなたの大切な、大切な人が。」
その言葉に僕はハッとして、無理矢理に声を絞り出した。
「僕の、大切な、お母さん。」
その人はゆっくりと首を振った。
「お母さんはいつでもガルダを見守ってるわ。だから、あなたの大切な人を守るのよ。」
僕の胸に、その人の指が触れた。
「僕の大切な?」
差し込む光が遮られた。
その人の顔から影が薄れていく。
影の奥に隠れていたのは、
長い黒髪、大きくて黒い瞳、小さな角。
「あなたの大切な人は、誰?」
「僕の大切な、」
僕の胸にそっと指を這わせた。
「プージャ。」
光が差し込んだ。
プージャが笑っていた。
僕を見下ろして、にっこりと。
僕は、力一杯にプージャを抱き締めた。




