第55話 世界の秘密
「オイラ達のいる、この魔界。それから人間界。ふたつは、ひとつの大地の上に存在しているのは知っているよね?海を挟んで、世界の半分が魔界、世界の半分が人間界。遥か太古の時代から、魔界は肥沃な大地を持つ人間界を求め、人間界は外敵を排除する為に、いつの時代も互いは争ってきた。
でもね、ふたつの世界の外側のこと、考えたことがある?」
「世界の、外側?外側は海だ。島も何も無い、海しかないはず。」
「確かに海だね。どんなに海を進んで、何年も何十年も進んで、それでもその先もずっと海だ。だけど、その先に辿り着いた魔族や人間がいないから知らないだけで、その先には外側があるんだよ。何年も何十年も進むと、そこには大きな滝がある。海が途切れて、どこに続くのかも分からない、深い深い滝。でもその先。その更に先へ進むとどうなるんだろう。その先には、また違う世界が続いているんだ。全く別の新しい世界が。そしてその世界はひとつだけじゃない。オイラ達の住むこの世界とはまた違う世界は、滝を挟んでいくつも存在している。それぞれが隣り合わせになって、互いに互いを支え合うように。でも、あまりにも広い海と深い滝のせいで、誰もそんなことは知らないけどね。
オイラ達の世界は、そんな世界の大河の一滴に過ぎないんだ。
そしていくつもの連なる世界の中のひとつに、海子ちゃんの生まれた世界がある。その世界はこことは全く異なる時間が流れていて、こことは全く異なる文明を築いていて、でも、確かに存在していて。海子ちゃんは、そんな世界から来たんだ。」
ミュシャの背中が震えていた。
「海子ちゃんは、死んだ。元いた世界で。だけど、生まれ変わった。オイラと契約をして、オイラのいるこの世界で。
海子ちゃんと時を同じくして死んだサキュバスがいた。その体に海子ちゃんを乗り移らせ、ミュシャという別の存在として生まれ変わらせたんだ。」
「生まれ、変わらせた?」
マルハチは呟くように繰り返した。
「そう。転生とでも言うのかな。
海子ちゃんの世界の人間はとても精神力の強い種族だったみたいでね。海子ちゃんが転生したミュシャという女の子は、この世界では考えられないほどに強い力を持って生まれることが出来る。
だから契約した。
オイラの為に、この魔界で最も強い魔族を討ち倒すことを条件に、ね。」
「お前の為に?」
「そうだよ。オイラの為に、さ。
始めはミスラを倒させようとした。だけど、海子ちゃんをマリアベルのメイドとして送り込んだ頃には、ミスラは勝手に死のうとしていた。
だからその後継者であるプージャ様を狙おうとしていたんだ。
分かるかい?海子ちゃんはね、いや、ミュシャと言うべきかな。ミュシャはね、ずっとずっと、プージャ様の命を狙う刺客だったんだ。
でもさ、プージャ様ってあんなだろ?なんか勝手に昔の魔王達を呼び出して、自分の首を絞めてるし。狙う必要もないよね。放っといても勝手にやられちゃうだろうから。」
ダクリが笑っていた。
「となると、それ以外に一番厄介なのはツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオ。海子ちゃんの標的はそっちに変更になったってわけ。」
「ミュシャが、刺客?」
「そうだよ。驚いたかい?」
マルハチは大きな溜め息をついた。
「驚くところなんて、まぁ、少しはあるか。別の世界から転生してきたって、よくもまぁ、そんなおとぎ話を平然と。そこには驚くよ。
だが、お前の話には矛盾が多すぎる。
もし本当にプージャ様の命を狙っていたのであれば、何故お前はプージャ様が氷煌を倒す手助けをした?放っておけば勝手に死んでいただろう。」
「そりゃ、こっちにも色々と事情があるからね。あの時は、少し様子を見たかったんだ。プージャ様ってば、昔の魔王の力を吸収するなんてよく分からない特技を披露したじゃない?もしかしたら強くなるのかもって思ったよ。だけど、あの人じゃどんなに力を持ったとしても驚異にはならないって、逆にあれで分かったんだ。だから、標的を変更した。」
「お前の目的は何だ?一番強い者を倒して何がしたい?」
「それは簡単さ。
楽はしたいでしょ?苦労せずにさ、魔界を手に入れた方が、後々が楽なんだ。人間界を征服してさ、世界をオイラの物にする為にはさ。」
「お前、何者だ?」
「ふふ。ようやく気になったかい?
オイラは、魔王。
知っているかな?
オイラの名は、神の涙。」
マルハチは、やはり溜め息をついた。
「一体何を言うのかと思えば。神の涙だって?笑えない冗談だ。」
それは、神話の中に息ずく伝説の名。
世界を創り出した神の半身。
神が自らの中に悪を感じた時、その事実に涙して、自らに内包する悪を洗い出した時に流れ出た、悪そのもの。
神が溢した涙から生まれた、最古の魔王。
ダクリが口にしたのは、その魔王の名前だったのだ。
「冗談だと思うかい?」
ダクリが声を上げて笑った。
その瞬間だった。
ミュシャが動いた。
ツキカゲとの決戦よりも更に速い動きでマルハチの元へと駆け寄ると、その体を抱き抱えた。
轟音が響き渡った。
まるで、目の前に稲妻が落ちたかのような、腹の底から震えるほどの轟音が。
気が付くと、マルハチ達がいたはずの講堂の床だけを残して、ツキガゲの屋敷は跡形もなく消え失せていた。
真っ赤に焼け落ちた、マグマのような暗い光を宿した残骸だけを残して。
周囲を漂う熱く焦げた空気がマルハチを襲った。
あまりにも瞬間的で、突発的なその出来事に、マルハチの頭は理解することすらままならなかった。
しかし、マルハチの体に覆い被さりながら、ミュシャが震えている。
その小さな感覚が、マルハチに伝えていた。
この出来事が、紛れもない現実である。と。
「ミュシャ、どういうことだ?」
震えるミュシャを抱き締めながら、マルハチはそっとミュシャに問い掛けた。
「ごめんなさい。マルハチさん。」
マルハチは小さな溜め息をついた。
その言葉が、ダクリの言っていたことが真実だと語っていた。
「君は、君は、敵なのか?」
「ミュシャは、敵です。」
マルハチの胸に顔を埋めながら、ミュシャが呟いた。
「今も、かい?」
その質問に、ミュシャはゆっくりと顔を上げた。
その金色に光る瞳は、大粒の涙で満たされていた。
そして、小さく顔を横に振った。
「君も、プージャ様が好きなんだね?」
頷いた。
それだけで、もう十分だった。
「君を信じる。」
マルハチは、ミュシャの体を抱き締めた。
ゆっくりと立ち上がった。
体は動く。
ミュシャもゆっくりと立ち上がった。
マルハチを支えるように、立ち上がった。
「ダクリ。僕に近付いたのは、プージャ様の様子を見るためかい?」
「そうだよ。」
焦土と化した屋敷の残骸を見下ろすように、ダクリは宙を漂っていた。
「僕も焼きが回ったね。まさか、敵を懐に招き入れるような真似をしてたなんて。」
「気にすることないよ。だってオイラ、可愛いから。」
「プージャ様の方が、億万倍可愛いさ。」
「マルハチさん。」
構えを取ったマルハチとミュシャを見下ろしながら、ダクリが笑っていた。
「素っ裸にエプロンの腰巻き。そしてその台詞。」
ダクリが音もなく焼け焦げた絨毯の上に着地した。
「変態だよ。」
マルハチとミュシャが、同時に床を蹴った。




