第50話 あなたは私の友達
自室に戻ったプージャは、ベッドの脇にある椅子の上で、膝を抱えて丸くなっていた。
いつもマルハチが座っている、この部屋で唯一のマルハチ専用の物だった。
その背もたれに体を預けながら、プージャは何も考えず、膝の間に顔を埋めていた。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
感覚すら無くなっていた頃だった。
扉を叩く音が聞こえた。
しかし、プージャは答えなかった。
答えたくなかったし、何よりも答えられるような気持ちではなかった。
プージャは、今にも消えてなくなりそうな心持ちだった。
扉が少しだけ開いたのが音で分かった。
実に無粋だ。
今のプージャが誰とも会いたくないのなど、少し考えれば分かるものを。
それでも、扉を開く音を立てた主は、プージャの部屋を覗き込んでいた。
「姫様。ミュシャですよ♪」
言われなくても分かっていた。
そんなことをするデリカシーのない者は、この屋敷でミュシャくらいしかいない。
プージャは膝に顔を埋めた姿勢のまま、掌だけで返事を返した。
「お邪魔します。」
それを入室許可の合図と受け取ったのか、はたまた許可など元々不要なのかは分からないが、ミュシャは堂々と部屋に入り込むと、プージャの傍らまで歩み寄ってきた。
「聞きましたよ、姫様。マルハチさんを見殺しにするんですよね?♪」
この場にマルハチがいたのなら、100%逆鱗に触れるであろう心無い言葉から会話が始まった。
「そだよ。」
しかし、意外にもプージャはその言葉に返事をしたのだ。
「私がバカで役立たずだから、マルハチを見殺しにするんだよ。」
「姫様。」
ミュシャがプージャの膝の上に手を乗せた。
「マルハチさんを助けに行きましょう♪」
その驚愕の発言を耳にし、プージャは勢いよく頭を振り上げた。
「何言ってんの!?」
「マルハチさんを助けに行きましょう♪」
「いや、復唱しろとは言ってないから!助けにって、そんなん出来るわけない!」
「出来るかどうかはやってみないと分かりませんよ?」
「ダメ!絶対にダメ!」
「なんでですか?どうせ、このまま何もしないのならマルハチさんは死んでしまいます。ですが、ミュシャがマルハチさんを助けに行って、もしミュシャもマルハチさんも死んでしまっても、結果は同じなのです♪でも、もしもミュシャがマルハチさんを助け出せるのなら、それはそれでラッキーだと思いませんか?何もしないで同じ結果を待つのなら、何かをして、少しでも結果が変わるかもしれない可能性に賭けてみませんか?♪」
「なんでって、私は、ミュシャまでいなくなっちゃうなんて、これ以上はもう耐えられない。」
「えへへ♪ミュシャは、もしこのままマルハチさんが死んでしまって、ミュシャの大好きな姫様がずっとえーんえーんって泣き続けるのを見る方がよっぽど耐えられません♪」
「ミュシャが死んだらもっと泣くから。」
「ミュシャはそれを見なくて済むので大丈夫です♪」
「他人事すぎるわ!」
「えへへ♪大丈夫です。ミュシャが死ななければいいんですよね?死なずにマルハチさんを助けてくればいいんですよね?」
「簡単に言うけど、相手はツキカゲだよ。」
「魔界最強なんですよね?どのくらい強いんでしょうか。楽しみです♪」
「それ絶対に単に戦ってみたいだけでしょ!」
「そんなことありませんよ?」
「楽しみって言っちゃってるから!」
「えへへ♪失敗してしまいました♪大丈夫です。心配しないで下さい。」
「するよ。心配するに決まってるよ。」
「姫様、安心して下さい。だってミュシャ、最強ですから♪」
屈託のない笑顔で、ミュシャは言ってのけた。
根拠も何もない、ただの笑顔だ。
だけど、ミュシャの言うことも一理ある。
何もしないよりは、何かをした方が、それは絶対に良い。のかもしれない。
その笑顔を見ていると、段々とそう思えてきた。
「分かった。じゃあ、そうしよう。」
「わぁ!いいんですね!?」
「うん。私は、ミュシャを信じることにする。」
「はい♪ミュシャ、頑張っちゃいますから♪」
「うん。その代わり、」
「その代わり?」
「もし、ミュシャもマルハチも死んでしまったら、」
「しまったら?」
「その時は、何があろうとツキカゲを滅ぼして、私も、死ぬ。」
「えへへ♪その時は、また皆で一緒に遊べますね♪」
「ミュシャ。」
「なんですか?」
「今、私が助けになれることはある?」
「えっと、そうですね。今は特にないですけど、後でお願いがあります♪」
「うん、いいよ。言ってごらん。」
「じゃあ耳を貸して下さい♪」
ミュシャは愛らしい小さな手をプージャの耳に当てると、小さな声でお願いを伝えた。
それを聴き遂げると、プージャはにっこりと笑顔を浮かべて頷いた。
「では、行ってきます♪」
「ミュシャ。」
「はい、なんですか?姫様。」
「ミュシャが友達で、私は幸せだよ。」
「はい♪ミュシャも姫様とお友達で嬉しいです♪」
この事は、ふたりだけの秘密にした。
きっと誰もが反対するだろうし、バレたらミュシャはマルハチを助けに行けなくなってしまうから。
ミュシャはプージャの部屋の窓からひっそりと庭に飛び降りると、音もなく夜の闇に消えて行った。
その後ろ姿を、プージャはずっとずっと見つめていた。
見えなくなってもずっとずっと、見つめていた。




