第48話 ソーサラーの苦悩
ソーサラー族とは、非常に魔術に優れた種族だ。
内包する魔力量も、他を圧倒する。
この魔界に存在する魔術のほとんどは、ソーサラー族の祖先が考案したものと言っても過言ではない。
ツワンダは、その一族の王である。
ツワンダもまた圧倒的な実力を誇る魔術師であった。
その証拠として、
今、ツワンダは自室にいた。
大きな屋敷の一室だった。
先刻まで、下賎なるゴブリン族のバカ女を相手にしていたVIPルームに近しい広さを持つ、とても大きな部屋だった。
この屋敷にはこのように大きな部屋がいくつもあり、更に大きな食堂や談話室やプレイルームなど、様々な施設が備わっている。
プージャの住まう魔王の屋敷と比べても遜色無いほどに、広大な屋敷だった。
その屋敷は、マリアベル屋敷のある町のすぐ外側に佇んでいた。
ツワンダが作り上げた。
自らの魔術で、瞬時のうちにその場に屋敷を建てたのだ。
正確には、外観だけその場に存在している。
扉を開くと、カッサーラ・ゲシオ領にある本物の屋敷へと繋がるように設計された術だ。
言葉にすると何てことはない仕組みなのかもしれないが、時空転移を行う術は非常に高度である。
マリアベル家に伝わるクペの実も時空転移術を内包した魔道具だが、その実を食べて時空転移を行うには死を伴う負担が掛かる。
それほどまでに困難で不安定な術を、ツワンダはいともたやすく、しかも何のリスクも伴わずに組み上げた。
それが、この魔血種族の王たる所以だった。
「貴様、もしかして役立たずなのか?」
一糸纏わぬ姿で椅子に縛り付けられたマルハチに向かって、薄紅色の肌をさらけ出し、同じく一糸纏わぬ姿でツワンダが問い掛けた。
マルハチの体の上に向かい合うように股がり、その首に腕を巻き付けたまま、ツワンダは呆れたような表情を浮かべていた。
「だとすれば、どうやってあのバカ女を抱いているというのだ。」
下腹部を強く圧迫され、言葉に出来ないほどの激痛が走ったが、それでもマルハチは表情を崩さずに空中だけを見つめていた。
「それとも、へたれ女にしか反応しないのか。」
つまらなげにツワンダは吐き捨てると、マルハチの体の上からゆっくりと立ち上がり、近くに脱ぎ捨てた白いガウンに袖を通した。
「器用なものだ。」
ガウンの腰ひもが触りもせずに絞まっていく。
「貴様なようなゴミ屑はすぐにでも討ち捨ててしまいたいところだが、」
呟くような小さな声でひとりごちながら、ツワンダはマルハチの傍らに置かれた小さな丸テーブルへと近づいて行った。
その上に並べられた物に、マルハチの興味は始めから引かれたままだった。
「目的はソレではないからな。」
テーブルの上に置かれたのは、大小の様々なヤットコ、ノコギリ、注射器、そして、ハサミ。
それは明らかに拷問の為の道具だった。
その中から注射器を手に取ると、細く光った針を宙で見つめながら、ツワンダは言った。
「朕は、始めから貴様が欲しかったのだ。貴様を手に入れる為に、わざわざゴブリンの祭くんだりに出向くのは屈辱でしかなかったがな。」
針の先から少しばかり、中の液体が押し出された。
「貴様、何故に魔王と渡り合えるのだ?」
その言葉を耳にし、ツワンダに拉致されてから初めてマルハチが口を開いた。
「なに?」
「ほう。ようやく話す気になったか。」
ツワンダが注射器を置いた。
「聞いておるぞ。貴様は石棺の帝王や、氷煌ヘレイゾールソンと互角に渡り合い、打ち倒したというではないか。」
「それは事実とは違う。実際に彼らを倒されたのは魔王殿下であらせられる。」
「止めは、まぁそうなのかもしれぬ。が、追い詰めたのは貴様であろう。」
「私だけの力ではない。」
「他の者は、確かサキュバスだったな。だとしてもだ。貴様のような人狼やそのサキュバス風情が、何故にそれほどまでの力を手にしているのか、朕は興味があった。」
再びマルハチは口をつぐんだ。
「貴様らだけではない。ミスラも、ゴブリンとは思えない程の力を得ていた。くそマリアベルの者共は、どいつもこいつも、種族の垣根を超えた力を得ているではないか。」
ツワンダが、マルハチの胸板に左の掌をあてがった。
冷たい感覚がマルハチを襲った。
「魔王に匹敵するほどのな。」
掌を握るように指を曲げると、マルハチの皮膚に赤い爪が深々と立てられた。
「マリアベルの者共の力はどこから来ているのか。朕は、それを知る為に貴様が欲しかった。」
細い指先が、徐々にマルハチの筋肉を突き破り始める。
「わざわざ薬や拷問を使って心を開かせる手間が省けたぞ。」
傷口が熱を帯びていた。
「朕は貴様らの力は、マリアベル特有の魔術が要因だと睨んでおる。あの下等種族め、我らソーサラーとは別の魔術を持っておるからな。」
その熱が、次第に放射状に広がっていくのが分かった。
マルハチがその熱源に視線を下ろすと、目にしたのは、ツワンダの指先から広がる5本の帯だった。
自分では見えないが、その帯は心臓の上から始まり、体を巡るように背中まで続いているらしい。
その帯は一見するとただの線にしか見えなかったが、よく見れば細かな文字の集合体であった。
それは、プージャが魔王を召喚した儀式で使用していた、あの時の文字と瓜二つのものだった。
「やはりそうか。貴様ら、マリアベルに術を施されておるな。」
ツワンダは食い入るようにその文字をなぞっていた。
「なるほど。我らの種族とは根本的な存在が異なるものであったか。」
空いていた右手を宙で翻すと、部屋の隅に置いてあった分厚い本が手元に引き寄せられる。
マルハチの膝の上にその本を開くと、ツワンダは一心不乱にマルハチの胸元に浮かんだ文字を書き写し始めた。
「すぐに解読してやる。貴様らがどのようにして強化されているのか分かれば、解除方法も分かるやもしれぬ。待っておれ。その時が、マリアベルの最期だ。」
ツワンダが顔を上げた。
マルハチと視線が絡んだ。
「貴様ら全員、ひとり残らず滅ぼしてやる。」
その瞳は、白目の部分まで残さずに、紺碧に激しく光り輝いていた。
おぞましいほどに。
だが、マルハチはその瞳には全く興味がなかった。
こんな状況にも関わらず、どうしても知りたいことがあったのだ。
機を見るなど悠長なことはしていられない。
マルハチは口を開いた。
「何故こんな回りくどい真似を?魔界最強と詠われるソーサラーの女帝なら、正面切ってでも僕らを打倒することが出来るだろう。」
あまりにも意外なマルハチの発言に、ツワンダは視写の手を止めた。
随分とふてぶてしい男だ。
ツワンダの興味は一気にこの人狼に惹かれていた。
「確かに、個の力で朕に敵う者など、この魔界にはおらぬだろう。
だが、朕はバカではない。軍勢としての今のソーサラーの力では、貴様らに及ばぬことくらいは分かっておる。数万手ものあらゆる策を講じた。シミュレーションの結果、朕の軍勢が魔界統一に至る程度の余力を残して貴様らを駆逐出来る確率の平均値は0.0035%だ。」
マルハチは内心で驚いていた。
まさかこの暴君が、ここまで冷静に物事を考えているとは想像もしていなかった。
そして、自分の敗北を認めている。
認めた上で行動を起こしたと言うのか?
まさか。
そんなことが?
「そんなはずはない。既に過去の魔王を傘下に引き入れたと聞き及んでいるが?」
ツワンダは鼻で笑うように息を吹き出した。
「では貴様に問う。貴様は、オグウェノやカウディン、ムタリカの名を聞いたことがあるか?」
「いや。」
「だろうな。それらは全て、朕が配下に置いた魔王の名だ。ソーサラー族のな。」
驚きの事実。
とは言えなかった。
マルハチは本当にその名を知りはしなかった。
何度となく読み返したマリアベルの蔵書の、その大量な情報の中のどの一節にすら、そんな名前は無かったのだ。
「魔王の?」
訝しげな表情を浮かべるマルハチだが、それが可笑しく思えたのだろうか。
ツワンダは笑みを浮かべて続けた。
「我らソーサラー族は、確かに優れた種族だ。長い歴史の中、何人も魔王を排出してきた。だがしかし、口惜しいことに、特出した力を持つ者はひとりとしておらぬ。皆、一様に凡庸な魔王よ。名すら残らぬような。伝説や神話に名を残す者にソーサラーはおらぬのだ。そのような凡庸な者を何人揃えたところで、貴様らには勝てぬ。それは分かっておる。」
ツワンダはゆったりとした口調で話し続けていた。
「貴様らは、破壊神バルモン、黒薔薇の貴公子、石棺の帝王、氷煌ヘレイゾールソンを打ち倒した。皆、伝説に名を残す強者ばかり。何故打ち倒した?それは、奴らに攻められたからであろう?
奴らが攻めたのは、朕ではなく、あの下らぬ女だ。あのへたれ女を驚異と認めたから攻めたのだ。強者は強者の臭いを嗅ぎとるものよ。つまり、本当の強者は朕ではなく、あのバカ女だということ。
では何故、あの女が強者なのか。
それが貴様らの存在だ。
特に貴様を筆頭とした執事室。そして例のサキュバスのいるメイド室。
このふたつに属する者共は驚異だ。
現に、石棺の帝王と氷煌を追い詰め、力では及ばぬバルモンと黒薔薇の貴公子は奸計により墜とした。
あの女の力は軍勢の力。
いくら朕が強くとも、貴様ら全員を相手取って勝てる術はほぼ、無い。
ならば朕はどうすべきか。
朕は考えた。
答えはシンプルだ。
あの女の力の源が軍勢だとするならば、それを剥ぎ取ればよいだけだ。
少なくとも、執事とメイドが剥がれれば、朕の勝率はぐんと跳ね上がる。
朕がこの先、魔血種族としての誇りを保つ為には、この手しかない。」
まさか、ではなかった。
もう一度言う。
この暴君は、自分が既に敗者だと認めている。
その上で、勝つ為に必要なことを分析し、行動に移している。
なんという、なんという強靭な精神力。
「くくく。少し話し過ぎたようだ。」
マルハチに向かって笑った。
その笑顔は、滅亡の女帝とは思えぬほどに幼く見えた。
そしてこの笑顔を引き出したマルハチに、少なからず光明が差した。
と、思った。
「時間稼ぎにもならなかったな。」
ツワンダはマルハチの前に立ち上がった。
「貴様が無駄話をしたせいだ。
見ろ、解読が終わった。」
視写の手を止めたのは、既に視写が済んでいたからだった。
そしてマルハチに語る間にも、ツワンダはその頭の中でマリアベルの魔術文字を解析していたのだ。
「少しでも朕の心を誘惑出来たと思ったか?逆だったな。魅入られたのは、」
ツワンダの拳がマルハチの体を殴り飛ばした。
「貴様だ。」
くくりつけられた椅子ごと吹き飛ばされると、広い部屋の壁に激しく叩き付けられた。
椅子は砕け、同時にマルハチの拘束も解かれたが、逃げることは叶わなかった。
マルハチの意識は既に失われていた。
「ワンダ様!」
ちょうどその時だった。
ツワンダの私室の扉が開け放たれ、メンサーが飛び込んできた。
「何事だ?」
「我が民が、我らの領民が!
マリアベルに、亡命しました!」
ツワンダはゆっくりと窓の外へと視線を巡らせた。




