第47話 魔界最強の暴君
「落とし、前?」
「2度も言わせないで頂きたいですわね。」
「落とし前、って。」
プージャの思考は完全に停止寸前だった。
ツキカゲが何を言っているのか全く理解出来なかった。
ヴリトラを殺したのはツキカゲなのに。
なのに、何故私がそんな要求をされなくてはならないのか。
「意味が分からないのでしょうか?ならば、もう一度だけ言います。よく耳を研ぎ澄ませてお聞き下さいな。
貴女の直属の臣下が、貴女の命によりこの魔界で貴女の次の位を持つ妾に、環視の前で侮辱の言葉を投げ掛けたのです。妾は当然、貴女によって与えられた権限により、彼の者は討ち取らせて頂きました。しかし、彼の者如きの下賎なる命では、妾の受けたこの屈辱、その償いにはまるで値するものではございません。
臣下の失態は、その直属の主でもある貴女の失態でございます。
彼の者が償いきれなかったこの罪咎は、貴女様が肩代わりして然るべきなのでございますよ。
さもなくば……」
「さもなくば?」
「皆まで言うのはよしましょう。今は事を荒立たせる時にはあらずです。
魔王様。妾は貴女様に要求致します。
妾に謝罪の意を述べて下さいませ。
貴女様の謝意で、この件は水に流しましょう。」
プージャの脳裏にアイゼンの言葉が浮かんだ。
『ルールその2、絶対に謝らない。
何があろうと、魔界の頂点であられる殿下がツキカゲに謝ってはいけません。殿下が奴に非を認めたその瞬間、精神的な降伏を意味します。
何があろうと、どんな理由だろうと、絶対に謝罪の言葉を口にしてはなりません。』
「断る。」
渇いた喉で、無理やり言葉を捻り出した。
「では、代わりに何か弁償の品を賜ることでも承服致しましょう。そうですね。この、マルハチ。妾はこのマルハチが欲しゅうございます。」
「断る。」
それも、即答でプージャは切り捨てた。
「それでは筋が通りませぬ。
魔王様、お選び下さいませ。
妾に執事を差し出すのか、それとも妾に謝罪をして頂くのか。簡単な選択ではございませんか。それで水に流すと言っているのです。
さぁ、どうぞお選び下さい。」
『ルールその3、絶対に選ばない。
もし、ツキカゲに何か選択を迫られた時に、選んではいけません。奴が提示する選択は、恐らく全てが不自由な選択。何を選んでも魔王殿下の不利になります。絶対に選んではいけません。』
(選んではいけない?
選んではいけないとはどういう意味なのだ。
選んではいけないどころか、どちらも選べないではないか。不自由な選択とはこういうことなのか。
無論、マルハチは渡せない。
だが謝罪をすればルールその2に触れる。
正解はなんだ?この状況、どうすれば打開できると言うのだ?)
「もし、貴女様がどちらも選べないと仰るのでしたら、」
ツキカゲの瞳の奥、紺碧の光が大きく、大きく、プージャを飲み込むほどに大きく輝きを増していく。
「妾は貴女に侮辱されたと受け取り、貴女に反旗を翻しましょうぞ。」
ピシャリと羽根扇子が閉じる音が響いた。
「貴女の妾に対する侮辱はここにいる全ての者が見ております。妾が反旗を翻したとしても、それは正当なる抗議の意。誰もが証言してくれましょう。」
(打開なんて、出来ない!!)
プージャは胸中で悲鳴を上げた。
(なんだよ!ふざけんなよ!こんなの、こんなのズルいし!選ばなければ、全面戦争ってことじゃんよ!選ぶにしても、謝れば立場逆転!?主導権を握られる!?かと言ってマルハチは渡せない!選ばないって選択肢も潰されるなんて、そんなん、無理!)
「カッサーラ・ゲシオよ。」
プージャが口を開いた。
「無論、代替案は認められません。その場合も、妾は侮辱と受け取ります。」
羽根扇子が掌に叩き付けられた。
(無理じゃん!!マジ無理!!一番マシな手はどれだ!?考えろ、考えろプージャ!一番ダメージの少ない手を考えろ!
全面戦争もツキカゲを付け上がらせるのも無しだ!なら残るのは、マルハチを渡すことのみだ。それが唯一こちらが優位性を保てる方法だ。マルハチを差し出す代わりにペナルティを与えれば良いのだ。要求を飲む代わりに奴に釘を刺せる。
だがしかし、だがしかし、私は、私は、マルハチを助けに来たんじゃん。
マルハチを助けに来て、ヴリトラを失い、それでいてなぜ保身の為にマルハチを手放さなくてはならないのさ。
もしかして、もしかして、もしかして、
私はここへ来るべきではなかった?のか?)
つまり、そういうことだ。
プージャがここに来たこと自体が、既にツキカゲの術中にはまっていということだ。
だから、皆がこぞってプージャを止めたのだ。
ここへ来て、この後に及んで、初めて理解をした。
そして初めて後悔が襲ってきた。
「さぁ、魔王様。お選び下さいませ。」
プージャは息を飲んだ。
もはや選ぶべき道はひとつしか無い。
ヴリトラの亡骸を抱えたまま、魔王と女帝の姿を見上げるマルハチに視線を泳がせた。
マルハチがしっかりとした眼差しでこちらを見据えていた。
その目には、マルハチの結論もそれしかないという意思が宿っているのが分かった。
なんてことだ。
私は、私はなんてバカなこと。
プージャはゆっくりと口を開いた。
「よかろう。マルハチを、連れていくが良い。」
その言葉を受け、ツキカゲの瞳から急速に光が失せていった。
「ほほ。かしこまりました。それでは妾も矛を収めましょう。」
羽根扇子を広げると、軽くプージャの顔を扇いだ。
鼻につく嫌な臭いがイラ立ちを加速させた。
「ただし、多目に見るのは今回だけと心得よ。次は、ないぞ。」
震える声を抑えると、プージャは出来る限りの胆力を籠めてそう告げた。
「おお、怖い。」
ツキカゲは扇子の奥で笑っていた。
「皆の者、騒がせたな。」
プージャは背後を振り返ると、こちらを凝視し続けていたであろう領主達に向けて声を掛けた。
と同時にマルハチは手近にいた給仕の数人を呼び寄せると、何やら耳打ちをしていた。
その給仕達はすぐに室外に飛び出し、白い布と担架となる木の板を持って戻ってきた。
ヴリトラの亡骸を隠す為だった。
「後は頼んだぞ。」
言い残すと、プージャは颯爽とした足取りで部屋を横切った。
あれだけ熱心にご機嫌取りを行っていた領主達の誰ひとりとして、プージャに近付くことはなかった。
プージャが部屋から出ていったのを見届けてから、ツキカゲがマルハチの体を引き寄せた。
「朕は飽きた。帰るぞ。」
再びその唇に、噛み付くように唇を重ねた。
控え室に戻った途端、プージャはその場にへたり込んでしまった。
そのプージャの体をクロエとジョハンナが引き起こすと、丁重にソファへと誘導していった。
その憔悴しきった様子に、ツキカゲとの対面がどのような内容だったのか、聞かなくても察することが出来た。
誰もが口を開かなかった。
ミュシャだけが、鼻唄混じりにプージャの前にお茶のカップを差し出すのみだった。
一口、お茶を口にすると、プージャはアイゼンに顔を向けた。
「ヴリトラに会いたい。」
「かしこまりした。」
言うと、アイゼンは音もなく控え室の扉を開け、いずこかへと消えて行った。
しばらくすると、廊下側とは別の、隣室へと繋がる扉を叩く音がした。
ジョハンナが扉を開けると、そこにはアイゼンの顔があった。
「魔王殿下。お待たせ致しました。」
プージャはソファから立ち上がった。
隣室は、魔王の控え室専用の物置として使われている場所だったようだ。
様々な季節ごとの調度品がストックとして置かれていた。
その部屋の中央。
足の長い作業机のようなテーブルの上に、白い布に覆われたヴリトラが横たわっていた。
プージャは無言でヴリトラの傍らに近寄ると、顔にかけられた布を外した。
そこには優しそうな、しかし、逞しいオークの顔があった。
ゆっくりと、その頬を撫でた。
ヴリトラの顔は動くことはなかった。
昼間、プージャに見せてくれたような、可愛らしい笑顔を見せてくれることはなかった。
頬から、小さな額へと手を動かしていく。
何度撫でても、ヴリトラは応えてはくれなかった。
つい先ほどまで、あんなにプージャの話を聞いては笑ったり、感心してくれたり、プージャの知らないことを教えてくれたりしたのに、もう、何も応えてはくれなかった。
何も応えられなくなったのは、
私のせいだ。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ!」
プージャの心の堰が切れた。
発狂したかのように叫び声を上げた。
クロエが、ジョハンナが、アイゼンが、そしてミュシャが、そんなプージャの姿を静かに見守っていた。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ!ああああああぁぁぁぁぁぁ!」
ヴリトラの胸元に覆い被さると、人目を憚らずに声を上げて泣きじゃくった。
まるで子供のように、魔王は声を上げて泣きじゃくった。
それからまたしばらくした頃だった。
プージャの涙も声も涸れ果て、眠りに落ちそうになった頃、控え室の扉を叩く音がした。
扉に向かおうとするジョハンナを制すると、アイゼンが代わりに応対を買って出た。
プージャの側にいるべきは、今は自分ではなく彼女の心に共感を示せる彼女達だけだ。
アイゼンが扉を開けると、エッダ将軍配下の伝令兵が直立で待機していた。
「如何しました?」
アイゼンが問い掛けると、兵は耳打ちするような小さな声でエッダからの報告を告げた。
「かしこまりました。ご報告ありがとうございます。」
隣室へと戻ったアイゼンに、プージャ以外の皆の視線が注がれていた。
「どうやらつい今しがた、カッサーラ・ゲシオ領の民達が大量に、マリアベル領へと亡命を図った模様です。」
プージャはゆっくりと頭を上げた。




