第2話 生真面目執事と天然メイド
「宜しいですか?魔王様。あなたは仮にも魔王なのですよ?」
ベッドに腰掛ける魔王の前に仁王立ちすると、鼻にちり紙を詰めたマルハチは険しい表情で説き始めた。
「もっと自覚を持って下さいませ。」
が、魔王は不服そうな顔で目を逸らすばかりだった。
「何かおっしゃりたいことでも?」
マルハチの問いかけに、魔王は目を逸らしたまま口を開いた。
「別に、なりたくて魔王になったわけじゃないし。ってか、その魔王様って呼ぶのやめてくんない?」
鼻からゆっくり息を吹くと、マルハチは肩の力を抜いた。
「かしこまりました。では、今まで通りプージャ様とお呼び致しましょう。しかしです。だからと言ってあなたが魔王である事実は変わらないのですよ?その点に関してはしっかりとお認め下さい。」
「私なんて、たまたまお父ちゃんが魔王だったってだけで、別になりたいって言ってないし。」
「プージャ様。我々魔族は皆、等しく生を受けてはいます。ですが、誰もが望んで生を受けているわけではありませんし、望んでその家に生を受けたわけではありません。それでも、皆が一様にして、その生を全うするのです。それが自然なのです。
あなたは先代のご息女としてお生まれになり、先代亡き後はその力を継承なされた。あなたもその生を全うする。それが自然です。」
……ガチャン。
「……でも、無理だもん。全うなんて出来ないもん。私なんて、別に強いとかそんなん無いし、なんなら戦ったことなんて無いし、得意なことなんてお菓子作ったりしかないし、魔王なんて言われても、何も出来ないもん。」
「それはよく存じております。ですからプージャ様、あなたが立派な魔王として世界征服を成し遂げられるよう、ご助力差し上げる為に私共がおるのでございます。私、マルハチめは、先代よりあなたの後見人を仰せつかっております。あなた様も既に齢320です。早いところ良い婿を迎え御身を固めて頂き……」
「その話は聞きたくない。」
「おっと、これは失礼致しました。話を戻しましょう。
あなたが魔王の力を継承なさったあかつきには、持ちうる全ての知識と経験を、あなた様にご教授させて頂くよう仰せつかっているのでございます。
ですから、このようにお部屋に閉じ籠った生活は終わりにして頂き、魔王としての勉学に励んで頂きたいのです。」
……ガサガサ。ガサガサ。
「嫌だもん。私、勉強なんてしたくないもん。私、部屋で文学に触れながら、お茶とお菓子食べてればそれでいいもん。」
「プージャ様。あなた様は魔王であると同時に、この魔界の領主でもあられます。それがどう言うことかお分かりですか?」
「…………。」
「分かってらっしゃるのなら特に申し上げることもございません。あなた様がお部屋で文学とやらに触れてらっしゃる間に、人間の勇者どもの侵攻に晒され国力は衰退し、指導者のいない民は貧困に喘いでおります。このままでは、あなた様のお好きなお茶も、お菓子を作る材料すらも手に入らなくなるのですよ?それでも宜しいのですか?」
……バサバサ!
「……だって。」
「その為にはしっかりお勉強なさって、まずは富国強兵にお努め下さいませ。既に我が10万の軍勢は僅か3千にまで……」
ガチャーン!!
マルハチの言葉を遮り、大きな音が部屋中に響き渡った。
驚いた二人は音の出所へと振り返った。
「っあー!!!!」
プージャが本日最大の悲鳴を上げた。
と同時に、音の原因の元へと一目散に駆け寄って行った。
「えへへ。失敗してしまいました。」
二人が会話する脇で黙々と部屋の掃除をしていたはずの少女が、一冊の本を抱えながら座り込んでいた。
盛大にお茶を溢し、茶色く汚れた本を抱えながら。
「マルコフ・フォベール大先生直筆書き下ろし特装版がぁー!!!」
メイド用の黒いワンピースとエプロンに身を包んだ、まだまだあどけなさの残る幼い顔をした銀髪の少女の手から本をひったくると、プージャは涙声で絶叫した。
マルコフ・フォベール大先生直筆書き下ろしの特装版は、部屋の隅で長いこと放置され腐りかけたお茶をかぶり、汚れ、滲み、見るも無惨な姿へと変わり果ててしまっていたのだ。
「ととと、と、特装版。直筆。特装版。超レアアイテム。魔界にひとつ。超レア。直筆。」
変わり果てた特装版を手に、わなわなと体を震わせるプージャ。
そんなプージャの傍らに、メイドがすり寄ってきた。
「姫様、申し訳ありません。ミュシャ、失敗してしまいました。」
そしてにっこりと微笑んだ。
「汚れたところを取ればまた綺麗になりますよ!」
言いつつ、お茶を吸って滲んだページ数枚を掴むと、ビリリと破り取ったのだ。
「とぉーくそぉーばぁーん!!!」
プージャが膝から崩れ落ちのは言うまでもない。
「はい、綺麗になりました!さぁ、まだまだお掃除残ってますから、ミュシャ、頑張っちゃいますね!」
白目を向き、口から泡を吹くプージャを尻目に、はたきを振り回しながらミュシャが部屋を進んでいく。
ガシャ!
放置された食器からカビの生えたクリームスープが飛び散る。
バタン!
振り回したはたきが本の山を崩す。
グシャ!
崩れて開いた本のページを踏みにじる。
「ミューシャ!」
たまらずプージャはミュシャの元へと駆け寄った。飛島の如き床の隙間を巧みに渡りながら。
「ミュシャミュシャミュシャ、ミューシャ!」
「はい?なんですか?姫様。」
「ちょっと、ちょっと、ちょっと、もうちょっと慎重にやろうか?ね?ちょっと、私の大切な物いっぱいあるからね?もうちょっと気を付けようね?ね?いいね?」
自らよりも頭ひとつ分小さい少女の細い肩を両手で掴み、プージャは今にも泣き出しそうな気持ちでメイドに言い聞かせた。
「はい!ミュシャ、頑張っちゃいますから♪」
屈託の無い、一切の迷いの無い、なんなら多分何も考えて無い、その笑顔を見せ付けられたプージャは悟ったのでした。
「もういい自分で掃除するから。」
ネグリジェから部屋着である蔦柄の黄色いワンピースに着替えると、滝のような涙を流しながらプージャはエプロンを掛けた。
「それでは、お掃除が終わりましたら早速授業を行いますので、図書室までいらして下さい。さぼってはいけませんよ?」
そう言い残し、マルハチは部屋から去っていった。
「姫様!」
まずは床に積まれた本の山をしっかりと棚に並べようとしゃがみ込んだプージャの背後から、ミュシャが声を掛けた。
「ミュシャ、お仕事なくなってしまいます。」
その声は何故か無性に物悲しそうだった。
「いいから。そっちのテーブルにマカロン置いてあるでしょ?それ今朝焼いたばっかの新しいやつだから、それでも食べてゆっくりしてていいから。」
振り返ることもなく、プージャは窓際のテーブルを指差した。
「そんな、姫様だけにお掃除させるなんて。」
「いやほんといいから。ミュシャはいつも働き者でとっても偉いから、だからたまには休憩した方がいいから。とりあえずそっちで私の邪魔しないようにすっこんでて。」
最後の方だけ聞こえないよう小声で言い切る。
と同時だった。
「あっ!」
ミュシャの小さな悲鳴が耳朶を突き、プージャは咄嗟に振り返った。
「どした!?」
「すみません。切っちゃいました♪」
眉をへの字に下げながら曖昧な笑みを浮かべるメイドの指に視線を巡らせたプージャは、作業の手を止めて一目散に駆け寄って行った。
「ん。あまり深くないね?良かった。ちょっと待ってね。」
傷口から上澄みの汚れた血を吸い出してやり、抑えておくよう言い付けてから、魔王は棚から救急箱を取り出すと丁寧に手当てをしてやった。
「ミュシャ。私がちゃんと責任持って掃除するから。ミュシャは本当にゆっくりしといで。ちゃんとやるから心配すんな。」
そのプージャの言葉に、ミュシャはにっこりと笑顔を浮かべて応えた。
「ありがとうございます!それでは、お言葉に甘えさせて頂きます♪」
ミュシャはテーブルセットのソファにちょこんと腰掛けると、バスケットに入ったマカロンを指で数え始めた。
「みっつ、よっつ、いつつ!ええっと、マカロンが5つありますから、ミュシャがふたっつ、姫様にみっつあげますね♪」
「くっそぉー!!ずるいぞこのくそ可愛いメイドめぇー!!どうもありがとうねぇー!!」
プージャは床を殴り泣き叫んだ。